第2話 怒り
大慌てで向かってみれば、一つ目の巨人が獰猛な笑みを浮かべているところだった。
蓮は、まず巨人の大きさに驚いた。先ほどのゴブリンらしき化け物は一メートル程度しかなかったが、こいつはどう見ても十メートルを超えている。
しかも体格ががっしりしていて筋肉も盛り上がっているから、なおのこと大きく見えた。巨人は、手に持っていた超巨大な棍棒を地面に叩きつける。吹き飛ばされそうなほどの風圧が蓮を包む。
金属をぶつけたような甲高い響きが聞こえて……蓮ははじめて、巨人の狙いがひとりの少女であることに気づいた。
真っ先に目に入ったのはツインテールの髪型だ。後ろ姿しか見えないが、半透明のバリアらしきもので棍棒の一撃を防いでいる――が、さすがに衝撃には耐えきれなかったらしい。
バリアはあっさり壊れて、少女は蓮のほうまで転がってきた。少女の手にしていた剣が地面をすべり、少女自身は仰向けに倒れる。
「あ……」
という少女の声がして、蓮と目が合う。
少女の表情は恐怖に彩られていた。目に涙を浮かべ、すがるように連を見る。とんでもなくかわいらしい顔立ちをしていたが、同時にその表情には深い絶望も浮かんでいた。
棍棒を持ち上げる大きな音がして、蓮は反射的に巨人を見た。目が合った。巨人の一つ目と、蓮の視線が交差する。
呼吸が浅くなるのを自覚しながら、蓮は本能的に一歩後ずさった。そのときだ。少女の嗚咽が耳を打つ。
その瞬間――蓮の脳裏に浮かんだことは複雑怪奇だった。
まず第一に思ったのは、逃げられない……! という確信だった。蓮は未だに巨人を見上げている。だが巨人の視線は、明らかに蓮のとなりにいる少女に向けられていた。もう蓮のことを見ていない。
しかし同時に、彼は自分が巨人のターゲットとしてロックされたのだという奇妙な確信を持っていた。たとえ首尾よく逃げ出せたところで、必ず殺される。少女を仕留めたあとは自分の番なのだ――
第二に、どこへ逃げるのか? 少なくとも自分は元の世界へ帰る手段を持たない。それどころか、先ほどのゴブリンらしき生物から逃走する際、行き止まりにぶち当たってしまった……。
また逃げ場のない壁際に追い詰められたら?
第三に、この少女を見捨てて逃げたとして――自分はその事実に耐えられるのか? 他人を見捨てて逃げたという現実から目を背けて、いつもどおりの楽しい日常生活に帰れるのか?――絶対に無理だ。
だが、なによりもこのときの蓮の頭に思い浮かんだ激しい感情、それは――
「ふざけんなよ、てめぇぇぇぇ!」
怒りの咆哮であった。憤怒といってもよい。自分はただ、メガネを――そう、メガネ! メガネだ! 単なる視力矯正器具!
メガネを買っただけなのだ。
なのに、どうしてこんな目に遭わなきゃならんのか? メガネを買うという行為は、そんなにも罪深いものなのか?
ほんの少し前まで、蓮はとても幸せだったのだ。
他人から見れば、くだらないと思うかもしれない。だが今日、メガネを掛けてここに来るまでは、ささいな日常をとても楽しみにしていたのだ。
来週にはマンガの新刊が発売されるし、メガネを買ったら読もうと思っていた小説だってまだ手をつけていない。明日にはプレイしているソシャゲのガチャが更新され、この日のために貯めてきた石を思う存分ぶっ放す予定だってあったのだ。
だというのに! なんなのだ、この状況は……?
帰れるかもわからない謎空間に転移し、もう二度と戻れないんじゃないかと不安に駆られながら歩いていたらいきなり襲われ、挙げ句に一つ目巨人に命を狙われ、死の恐怖まで味わう始末……!
おまけにものすごく胸がデカくてかわいい少女を見捨てて――「どうして逃げてしまったんだ……! あのとき立ち向かっていれば……!」なんて一生もののトラウマを背負いかねない事態!
「いい加減にしろよてめぇ!」
湧き上がってくるもっとも強い感情は怒りであった。
〔なんで俺がこんな理不尽な目に遭わなきゃならねぇんだ!〕
蓮は内側からせり上がってくる力のままに叫び、そして跳んだ。巨人の下顎に強烈な一撃をお見舞いする。面白いほど軽々と打ちのめせた。
なぜ自分にこんな跳躍が可能なのか、なぜ自分にこんな力があるのか――疑問よりも先に、蓮の怒りが爆発する。
「なんだよ……!」
巨人は白目をむきながら、ぐらりと崩れ落ちていく――
「見掛け倒しじゃねぇか、てめぇ……!」
〔弱ぇくせに、雑魚のくせに……!〕
「俺に覚悟を決めさせたのか……!」
蓮の体が躍動する。蓮自身はまったく自覚がなかったが、彼の肉体から巨大なオーラが立ち上り、ブワッと毛が逆立つようにふくれ上がって両手に集中した。
爪を模すようにそれぞれの指を曲げて、蓮は斬り裂くように両手を振るう。鋭い刃状の攻撃が、倒れた巨人の体に刻まれていく。皮膚を、肉を、骨さえも両断する強烈な連撃だ。
巨人は悲鳴のような咆哮とともに、力任せに棍棒を振りまわした。蓮の顔面をかすめ、せっかくのメガネが吹っ飛んでいく。
「お前ぇ……!」
蓮が怒りの形相で巨人を見下ろす。一つ目巨人は大きな口を震わせ、怯えたような顔で蓮を見据えた。
「三千円とはいえ、人のモンになにしてくれてんだぁ!」
〔死にてぇらしいな!〕
蓮は空中を蹴って巨人の額へ、隕石のような速度で落下した。右拳を力いっぱいに握りしめ、着地と同時に爆発するようなパンチを叩き込む。
巨人の頭がつぶれて、大きな光に包まれる。巨人の体が透けて消えていく。
だが蓮はそれらの現象を無視して、ゆうゆうと歩きながら、メガネを拾い上げる。光がおさまるのと同時に、蓮はメガネを見やり、
「壊れてねぇだろうな?」
大丈夫そうなのを見て取って、彼はメガネを掛けた。
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