パラレルワールドの日本でバズって超人気ダンジョン配信者になった

笠原久

第1話 メガネを買ったらダンジョンに迷い込んだ

 その日、来崎くるさきれんはメガネを買ってえらい目にあった。


「本当に……購入なさるんですね?」


 メガネショップの店員は、そう言って念を押した。


 蓮はメガネを掛けたことがなかった。もともと視力はよろしくないほうだったが、高校に入って以降はさらに悪化して、目を凝らさないとまわりがよく見えない。


 メガネを掛けるとさらに視力が落ちる――的な話も聞いたことはあるが、さすがにこれでは日常生活にも支障をきたす。


 で、彼は観念して近場の眼科を受診し、処方箋を作ってもらった。そして眼鏡屋へ行こうとした……ら、いささか唐突に、眼前のメガネショップに気づいたのだ。


〔こんなところに店なんてあったっけ……?〕


 というのが、まず最初に思ったことだった。だが眼科の近くであったし、ひょっとしたら老舗のメガネショップなのかもしれない、と彼は思い直す。


 本当は駅前のショッピングモールまで行くつもりだったのだが、遠いし、処方箋もあることだし、さすがに妙なことにはなるまいと蓮は思った。


 手書きの看板で「めがねあります」と書いてあって、窓ガラスも壁もだいぶ傷んで古びている。ずいぶん年季の入った店で、自動ドアをくぐってみれば妙に目付きの鋭い、ぎょろぎょろした怪しげな男が「いらっしゃいませ」の一言もなく、じっと品定めするような目を蓮に向けた。


「メガネがほしいんですけれど……」


 そう言って処方箋を渡すと、彼は一瞥するなり蓮に視線を戻した。そして、


「本当に……購入なさるんですね?」


 という念押しの一言が出てきたのだ。不審に思いながらもうなずくと、店員は「少々お待ちください」と言って奥へ引っ込もうとした。


「あ、待ってください!」


「やはり……おやめになりますか?」


「いや、そうじゃなくて……いくらになります?」


 メガネの値段はいろいろだ。一万円以下の安物から、何十万もする高級品まであるという。あまり高すぎるようだと手が出ない。


「うちの商品は三千円で統一されてます。初心者向けなので……」


〔初心者?〕という言葉に一瞬ひっかかりを覚えるが、


「三千円なら……ひとつ、お願いします」


 蓮は値段に意識が向いてしまって深く追求しなかった。


 店員は奥へ入ってすぐに帰ってきた。蓮が怪訝な顔をしていると、店員はメガネケースに入ったメガネをずらりとカウンターに並べた。


「こちら、パワータイプのメガネです。扱いやすく、初心者向きですね」


 は? と蓮は唖然とした。まず頭に浮かんだのは〔パワータイプってなに?〕ということだった。


 メガネに種類があることは蓮も知っている。だがそれはフレームの形とか、素材がどうとか、そういう話ではないのか?


「そしてこちらがスピードタイプです。パワータイプに比べ、少しばかり制御が難しいので、初心者の方には不向きかと……」


「制御……制御?」


 だが蓮の戸惑いを無視して、店員の説明は続く。


「さらにガードタイプ、遠距離タイプ、もちろん――」


 と、店員は蓮に見せつけるようにメガネを手にとった。


「バランスタイプもあります。機能的にはそれぞれの――パワーはパワータイプに劣りますし、スピードはスピードタイプに劣ります。ですが、その分だけ初心者には使いやすいと思います」


 どうされますか? と店員は問いかけた――が、蓮としては、なにがなんだかわからない。思い浮かぶ言葉はただひとつ……メガネってなんなんだ? という疑問だけである。


「あの、メガネを掛けたことがないんですが、それだと――」


「初心者向けという意味では、やはりパワータイプかバランスタイプじゃないでしょうか。パワータイプのほうがやれることがシンプルな分、初心者向きかもしれませんが、様々な局面で使える対応力なら、やはり多少出力が落ちてもバランスタイプをおすすめしますね」


「じゃあ、その――バランスタイプください」


 なにを言っているのかさっぱりわからないので、蓮は半ば会話を打ち切るようにして言った。勘定を払い、店を出ていく。


 ひとまずメガネケースをカバンに入れ、メガネを掛けた状態で歩いてみる。


〔おお! すごい! くっきり見えるぞ!〕


 自然、蓮のテンションは上がった。ぼんやりとしか見えなかった風景や人の顔がクリアに見える。


 気分が昂揚して、蓮は駆け出した。バランスタイプは様々な局面で――と言っていただけあって、走りまわってもメガネはズレることがない。


〔それどころか、ものすごくきっちりフィットしてるな……〕


 変な店だったが、意外と穴場だったんだろうか? 蓮は調子に乗って全力疾走し、公園の丘のうえまで来た――瞬間、ようやく違和感を覚えた。


〔なんか、体の調子、よすぎないか……?〕


 店から公園まで、一キロ近くあった。なのに一気に駆け抜けられて、しかもまったく疲れていない。息切れさえなかった。これはさすがにおかしい――と思った途端、まわりの風景が急にぐにゃりと歪みだした。


 最初は、レンズがおかしくなったのかと思った。次に、自分がふらついて倒れそうになっているのかと思った。だが、どちらも違った。


 メガネを外しても、自分の身体を確認しても、正常そのものだ。なにより歪んでいた景色があっという間に元通りに――いや、元通りではない。だだっ広い洞窟内のような空間に切り替わっている。


 太陽の光などいっさい入ってこないはずなのに、そして照明のたぐいなどないはずなのに、どういうわけか洞窟内は明るかった。


 蓮は口をぽかんと開けて、意味もなくメガネを外す。そして、まわりの風景をきちんと確かめてから、もう一度メガネをかけ――また外した。


「んん!?」


 思わず、うなり声が漏れる。蓮の視力はよくない。よくないからメガネを買ったわけだが――今、蓮の視力は回復していた。


 メガネを外した状態なのに、まわりの景色がはっきり見える。


「どういう……ことだ?」


 困惑し、何度もメガネを掛けては外しを繰り返す。だが、何度やったところで視力は変化しない――これじゃあなんのためにメガネを買ったのかわからないじゃないか……。


 蓮はため息まじりにメガネを掛け直す。意味のない行為ではあった。だが、せっかくお金を出して買ったのだから……と彼は貧乏性を発揮してメガネを装着する。


 そして、落ち着かない様子で何度も足踏みしながら、辺りを見まわす。出口――といっていいのかわからないが、とにかく元の場所へ帰る道を探す。が、それらしいものはどこにもない。


〔なんでこんなことに……〕


 自分は白昼夢でも見ているのか? それとも本当によくわからない場所に迷い込んでしまったのか?


 じっとしていても仕方がない、と彼は歩き出した。唐突に迷い込んだのなら、唐突に出られるかもしれないじゃないか――と、わずかな希望にすがりながら。


 だが、どれだけ歩いても出口らしきものも、元の公園も見当たらない。だだっ広い洞窟が広がっているだけだ。


 最初の大部屋みたいな場所から廊下……廊下? のような道を進み、さらに別の部屋に出て、また別の道を――という具合に進んでいくが、わかるのはこの洞窟がとんでもなく広くてデカいということだけだった。


 なにせ今歩いている道でさえ天井ははるか上にあるし、道幅なんか教室がたっぷり三つ入るくらいはある。


 さらには緑色の肌をした、一メートルくらいのサイズのゴブリンみたいな――ゴブリン? 蓮は目を凝らして、ドタドタと荒々しい音を立てて走る、謎の人型サイズの小人を見つめた。


 半裸で、手に手に棍棒を持っていて、血走った目で蓮を見ている。口からは咆哮とも言葉ともつかない謎の奇声を発している。


 明らかに常軌を逸していた、いろいろな意味で。


 ゴブリン(?)らしき集団は、蓮に向かって一直線に突撃してくる。おわぁ! という悲鳴が口をついて出た。蓮はすぐさま引き返し、全力疾走で逃げ出す。


 しかし――


「ちょ!? ど、どういうことだ!?」


 さっきまであったはずの道がない! 眼前には壁が突き立っている。行き止まりだ。どういうことだ? 一本道を進んできたはずだ。横道にそれた記憶も、分かれ道を進んだ記憶もない。


 逃げ場がなかった。


「な、なんでだよ、畜生!」


 毒づく蓮、雄叫びを上げて襲ってくるゴブリンらしき怪物。


 やはり自分は夢を見ているのか? あまりにも非現実的すぎる――そう思いたくなるが、たとえ夢だろうと、このまま殴り殺されるのはごめんである。


 不思議なことに、ゴブリンの動きは恐ろしくゆるやかだった。ジャンプして棍棒で殴りかかってくる様子が、まるでスローモーションのように見える。


 なのに、自分はいつもどおりに――否、いつも以上の速度で動けた。


 拳で殴りつけると、ゴブリンらしき生物は吹っ飛んでいき、謎の光に包まれて消えた――え? 死んだのか? それとも離脱しただけ?


 まったくわからなかった。だが、とにかく反撃できる、戦えると思った瞬間――蓮は自然と動いていた。離れた相手に向けて、手刀で横一文字に斬りつけたのだ。


 届くわけがない――なのに、なぜか蓮はそう動いてしまい、実際に敵を倒せた。


 手から謎の、真っ白いエネルギーらしきものが放出されたからだ。


 刃のように鋭く、真一文字に伸びたエネルギーは敵の集団を真っ二つに切り裂く。斬られた相手は軒並み、光になって消えていった。


 そのとき、蓮の脳裏をかすめたのはメガネショップでのやり取りだ。


「遠距離タイプのメガネ――」


 その言葉を口に出すのと同時に、蓮はふと拳をかまえて、エネルギーを放つつもりで正拳突きをしてみた。今度は丸いエネルギーが放射されて、壁に激突して消えた。


「なにこれ……」


 呆然としていると、間髪を容れず「きゃあああ!」という女の子の悲鳴が聞こえてくる。

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