ロスト・フラグメント

Fragment:1 彼の平穏を崩す者

「まさか、あなた様自ら来られるとは思いませんでした」

　フェルガリア商会区総元締・ルドルフ＝バークオルドは、出来得る限りのしかめ面を来訪した相手へと向ける。

翼島首都フェルがリアの西にある商会区。

二人が居る部屋に窓は無いが、おそらく夜明け前のまだ薄暗い頃だろう。

漆喰に囲まれた炎の術を灯されたランプだけが光源になっている一室で、小さな机を挟んで向かい合って座っていた。

実際のところ、向かい合ったままの膠着がすでに十五分続いている。

「ここには血の気の多いのがたくさんいましてな。危ないんじゃありませんか？」

　言葉は心配、中の意味は警告、乗せているのは敵意。

身の丈二mを越す巨漢の威嚇にも、目の前にいる人物はまったく動じていなかった。

「あまり、歓迎されていないことは承知していますよ」

　気の小さい者なら気絶しかねない殺人的な視線を受け流し、落ち着き払って笑みを浮かべている。

白い肌に長い白銀髪、白い法衣。

全体的に白い姿の男だが、纏う雰囲気はどちらかと言うと黒に近かった。

「先日そちらに送った者に『依頼を拒否された』と聞いたので、私が交渉に来させてもらった次第なのですよ。ぜひ彼をお借りしたい」

その物言いに、大男の眼つきがさらに険しくなる。

「送った者に、お借りしたい、ですか。昨晩宵闇が宿舎から消えたのを知らんとお思いか？」

そう。

バークオルドは昼間に訪れた子どもが何者であるかの検討をつけていたし、宵闇が帰ってから「何かあっては事だ」と術具を使って周辺を監視していた。

監視の対象である青年が、呑気に寝こけた自室のベッドごと消えたのは、白い法衣の男が来訪するほんの五分前である。

苦々しい響きには音もなく静かな笑みが返された。

「実の所、お願いと言うより立場上一応の承諾を求めているだけなんです。

商会の方々と事を構えるのは控えたい。

出来るだけ、ね」

　暗に出来なければその限りではないと言葉に滲ませ、法衣の人物は纏う雰囲気を強める。

静かな、しかし逆らうことを許さない冷たく重いそれはバークオルドの威圧を一瞬でかき消し、部屋の空気を塗り替えた。

「危害を加えてはいません。貴方に了承頂けるまで別の場所にいてもらおうと思ったまで。

しかし、彼が私の知る彼なら自力で戻って来るのは容易い。なのでわたしも少々焦っています」

四方を囲む重厚な氷にも似た白い男の持つ気配にあてられ、バークオルドは思わず顔をしかめる。

何とか絞りだした声は、ひどく疲弊したものだった。

「依頼と言うより命令ですな。

一つ聞かせて頂きたい。あなたと面識のあるはずもない下働きの傭兵を「彼」などと呼ぶ理由、そこまで執着する理由は何ですかな？

翼島王・ヴァストルⅣ世補佐主文官、アスベル＝シルメリス・ディル・セイン殿下？」

「理由ですか。まあ、知りたいでしょうね」

目の前の大男の必死の抵抗に、アスベルは初めて少し困ったような表情を浮かべる。

「ですが知る必要のない事です」

「それでも、お教え願いたい」

バークオルドの膝に置いた拳から皮膚同士の擦れる音が静かな部屋に響いた。

「普段なら私も依頼人の事情に首を突っ込んだりしはしません。怪我をすることも死ぬことも傭兵として派遣する以上は仕方のないこと。

だがそれも内容によりけりです。あなたが要求したことは無謀極まりないし、宵闇を指名する理由もわかりかねます。

それとも、逆らえんよう私を術で傀儡にでもなさるか？」

真剣な青い眼を真っ直ぐに向けて食い下がる。

バークオルドは情に厚い。

仕事ゆえに切り捨てる冷たさも当然ながら持ち合わせてはいるが、今この時に部下であり、ギルド一個としての身内でもある者を、納得できないまま放り出す選択肢は無かった。

耳を疑うような依頼内容ならなおさら。

アスベルがその身分に関わらず単身このような強硬手段に出ているのも薄気味悪い。

「・・・仕方ないですね」

大男の梃でも動かない様子に軽く息を吐き、アスベルは言葉を紡ぎはじめた。

バークオルドの前にアスベルが現れた時より約二時間後―ーー

「ん？」

起きてすぐ宵闇を襲ったのは強烈な違和感だった。　

眼を覚ましたのは見知らぬ場所。

いつもの古臭い煤けた石壁の、身を起こすと床がギシギシ悲鳴をあげる貸し部屋の中ではなく、それよりは幾分か上等に感じる白い壁の部屋。

ベッドだけはいつもの見慣れた物なだけに、余計違和感が増す。

「どこだ？ここ」

寝起きの少しぼやけた頭のまま、光が差し込んで来る方を何気なく見た。

視界に入ったのは子どもで何とか通れるぐらいの明かり取りの窓と、そこにはめ込まれた鉄の格子。

「げっ・・・・・・！？」

宵闇が慌てて跳ね起きて周りを見るが、部屋にはドアノブはおろかドアそのものが存在していない。

どこをどう都合よく解釈しても、監禁されている現状が嫌と言うほど理解できた。

（まじかよ！いつの間に！！）

急いで頭を回転させて記憶を引っ張りだす。

昨日は酒場で飲み食いした後、ギルドでシャワーを借りて自宅に戻って寝た。

そう簡単に拉致されるような間抜けではないつもりだし、ラグの忠告もあって自室の入口周辺に触れられたら気づく仕掛けもしておいた。

薬物にも要人護衛を専門としている経験上敏感なため一服盛られたとも考えにくい。　

狭い部屋の中をうろうろと歩きつつしばらく原因を考えて・・・・・・やめた。

壁に耳や手を当てて周囲の状態を確かめる。

街中にしては静か過ぎる。街の外に点在する見張り塔のどこかにでも術で転移させられたのだと予想した。

この世界には『移動塔』と呼ばれる、入れば術によって移動出来る建物がある。

確か塔内に敷き詰めた陣を術師数人で作動させている半分人力のはずだが、それと似たような事をされたのだろう。細かい仕組みは検討がつかないが。

「こっから出て帰るのが最優先だな。手足は動くし、周りはただの石壁。術防壁とかはないな。

どこの馬鹿だか知らねえが、この程度で閉じ込めたつもりなら俺も甘く見られたもんだ！」

叫んで宵闇が広げた両手に黒い魂が生まれ、さらにその塊から十数本の黒い鋼線のようなモノが広がる。

勢いを付けてを振りぬき、ためらい無く半分以上のソレを窓にぶつけた。

ラグが『厄介な特技』と称した宵闇の『錬気固化』。黒翼種の特性で己の力そのものを物質として特定の形に具現出来る。

宵闇の持つ『形』は黒線。相手が普通のレンガや鉄の棒程度なら紙に等しい。

ドンッ・・ガラッ　ガコン　ゴン　ガラロンッ　

盛大な音と土煙を上げて崩れる石壁の破片と鉄格子を踏み、開いた穴から外へと身を乗り出す。

場所は思った通りだったようだ。塔の高さ的には３階くらいだろうか、見下ろした先に何人もの鎧と剣で武装した者が寄って来ていた。

「見張りか？本物の騎士団兵っぽいし、ぼこると後々大変だよなぁ」

元々再捕縛される可能性は頭に入れていない。下から見上げる彼らだけを相手にするなら、それは宵闇にとってありえないからだ。

「さあて、どう逃げるか・・・｣

黒線を消した両腕をズボンのポケットに突っ込み、呑気に考える。

とりあえず降りようと、近くに見える下の階の窓とおぼしき窪みに狙いを定めた時、

それは上から降ってきた。

『・・ット！』

「げ！　おいお前らっ　逃げ・・」

ズドンッ！！

嫌な予感に思わず飛び下がって下に向かって叫ぶが、人ごみのド真ん中に何かが落下した轟音にかき消される。

一瞬、見覚えのある濃い青色が落ちて行ったように思えた。地面に立ち上った煙が晴れるにつれて、やはり見知った姿が現れる。

「ラグ！？」

「・・・ててて。

おー宵闇、元気そうだな。親父さんに合図もらってお前探してたオレを誉めろ」

紺髪を振りほこりを落としながら、ラグは人好きのする笑顔を宵闇に向けた。

空から近づこうとでもしたのだろう、普段は出す事のない白翼種特有の半透明の翼が背中に広がっている。

あの落下で怪我をしていない訳はないが、様子を見るに心配するほどでもなさそうだ。

彼の落下に巻き込まれなかった兵士らしき男が、背後から剣を突きつける。

「お前は奴の仲間か！おとなしく・・ぐぅ！」

『投降しろ』とでも言うつもりだったのかもしれないが最後まで言うことは出来なかった。

気を失った男の腹から剣の柄を引き、腕から引き剥がす。

「武器調―達♪オレと宵闇は今から逃げるから、邪魔したかったら他の皆さんもかかってきていいぜ？

相手にならないけどな」

「う・・・」

向けられた獰猛な笑みに周りが気色ばむ。

「おいラグ、そいつら・・！」

「騎士団の奴らだって言いたいんだろ？ナリ見りゃわかるよ。殺んねーって。

こいつらの主のやり口にすげえムカついてるから八つ当たりぐらいはしたいけどな。

お前もさっさと降りて来いって。囚われのお姫様じゃあるまいし」

「・・・・・・」

ため息をつき、宵闇は壁の割れ目から身を乗り出す。黒線を残っている石壁に引っ掛け、窓の窪みや庇を足場にしながら十メートル弱の高さを滑り降りる。

着地と同時に両手を一閃。

ラグを除いたその場にいる十数人を縛り上げて塔の壁に縫い付けた。

「わざわざ伸さなくても、この方がてっとり早い」

「自分拉致った奴の手下だってのに、優しいねえ」

「ぼこったことを理由にまた捕まるのは嫌だからな」

「ごもっとも。

じゃあ、さっさと帰ろうぜ。フェルガリアまで大した距離じゃない」

「おう」

壁に縫い付けられた兵士達を尻目に走り去る二人を、はるか上空、塔の頂上よりも高い所から一対の青緑の眼が眺めていた。

走り去る姿が見えなくなった後、碧眼金髪の少年が静かに地面に降り立ち気を失っている兵士と壁を繋げている黒線を軽く握る。

じゅわっと音を立てて握った部分から煙が立ち昇った。

『我有するは魔・我属するは星・我求めるは光・我包むは痛みーーーヒリーアル』

呟いた言葉と同時に塞がっていく鋼線によって爛れた傷を見ながら、口には面白がるようにゆがんでいく。

「宵闇かぁ。面白いねあの人。友達も含めて」