序章

ナティ・アルシュ広がるは霧の海、浮かぶは六つの大陸。有翼種、徒人、精霊、魔族、獣人・・・そこに生きる知恵ある種は時に争い衰退し、時に隆盛を誇りながら、今は均衡を保ち各々の暮らしを送っていた。


創暦二一五三年・八の月


「ったく、面倒臭ぇな・・・・・・」 

ゴトゴトと揺れる馬車の荷台で、宵闇は欠伸をしながら呟いた。


横に置いてあった黒い外套と小さな袋に手を伸ばしつつ、漆黒の長い髪の間から覗く元々眼つきの悪い月色の眼を更に剣呑にして後方を見る。


はためく荷台の後ろ布の向こうには怒号と土煙を上げながら迫り来る、いかにもガラの悪そうな集団がいた。「止まれ」だの「積荷を置いていけ」だのと非常にやかましい。


「十人ちょいってとこか」

 げんなりした顔でため息をつき、前で必死で馬に鞭を振るう中年男の方を向いた。


「この調子じゃすぐ追いつかれるな。どうすんだ?」

「何呑気な事言ってんだよ!あんた!!」


 思った通りの悲鳴じみた反応が返ってくる。次に来る言葉も宵闇は安易に予想できた。


「他人事じゃないだろっ。は、早くあいつらを何とかしてくれよ!」


(やっぱそうくるか)


「言っとくが別に他人事にしたっていいんだぜ?俺だけなら今すぐにでも逃げられるし」

「帰りが遠いからって乗せてやっただろ!恩を仇で「恩?」


言いかけた言葉を男は思わず飲み込んだ。

自分を見る眼に明らかに怒気が混ざっているのが判ったからだろう。


「たかが荷物乗っける所に金持ちが乗る立派な馬車なみの値段つけて、『この辺りは賊が縄張りにしてるからルート変えた方がいい』って忠告を無視して、いざ襲われたら助けろってか?

虫良すぎだろオッサン。はっきり言って俺は、あんたみたいなセコイ奴は少しぐらい痛い目見るべきだと思うんだが?」

「み、見捨てる気か!?」


青ざめて半泣きの男に宵闇は首を振った。

「あんたの返事次第だ。取引しようぜ?」

 わざと少し意地悪く口の端を上げる。


「こっからフェルガリアまでの護衛。契約料はさっき俺が乗り賃で払った額の二倍。 

嫌とは・・・・・・言わねえよな?」 


「おーい宵闇!仕事おつかれ!こっち席空いてるぜ~」


第一白翼島セイングランドーーー背に白い半透明の翼を出すことができる種族が多く住む島で、宵闇が今居るフェルガリアは『王都』と呼ばれる大都市である。奥に聳える城から扇状に白い石壁の建物が並ぶ綺麗な街だ。


そのおよそ東三分の一を占める商会区にあるギルド向かいの酒場。入口近くに立ったまま親しげに掛けられた声の出所を探す宵闇の瞳に、奥のカウンターで手招きする紺髪の青年が映る。


「おーラグ、おつかれ!」


返事をして談笑や言い争いの声、食器の鳴らす音の中、時々声をかけてくる同僚と軽く挨拶をかわしつつ並べられた席の間を縫って青年の方へと歩いていく。夕飯時をとうに過ぎた時間帯だが、安っぽい橙の照明が照らす酒場内は、まだ空席が殆ど無い程度には客で賑わっていた。


「今帰ったのかい宵闇、遅くまでご苦労さん。飲み物はいつものでいいかい?」

「ああ。ついでに鳥揚げと炒飯を頼むよ」

「あいよ」


顔馴染みの恰幅の良い女店員に軽く注文しつつ座った宵闇に、隣にいる青年はニヤニヤとした顔を向けた。


ラグ=ディラン。百七十センチの宵闇より少し背の高い細身で肩ぐらいまでの紺髪を後ろで縛っている。

浅黒い肌に掛かる前髪には何本かの白くて幅広いピン、耳にはカフス、やや目尻の下がった紫眼も相まって見るからに遊んでいそうな風体だ。

傭兵仲間の一人で歳も同じ二十二歳だが、経験から言えば三年しかギルドに在籍していない宵闇よりかなりの先輩にあたる。


「仕事終わったって連絡してきた時間よりずいぶん帰りが遅ぇじゃねえか。何かあったのか?まさか、いいヒト見つけたとか?」


酒のためなのか元々軽い口調にさらに潤滑油が差してあるようだ。

冷やかしに「そんなんじゃねーって」と苦い顔を返す。運ばれて来た柑橘酒を一口飲んで、はーっと息をついた。


「帰るのに馬車の荷台借りたオッサンがセコくてな。足元見られて大金払ったら、今度は忠告無視して賊の縄張り突っ切って追いまくられてよ。

ムカついたから、オッサンに護衛代で馬車賃の倍払わせて賊共を伸してきた」

「へー、そんな事がねぇ。で、その賊どもは門守の騎士にでも突き出したのか?」

「いや、木に縫い付けたまんま放っといてやった。一日ぐらいで解けるから餓死はしねえはずだ」


「うーわ。よりによってウチで一番厄介な特技持ってる奴に喧嘩売ったんだから、そいつらもずいぶん運無ぇなあ」

宵闇の横でラグがケラケラ笑う。


「あの辺は人喰うほどの獣はいねえから大丈夫だろ」

「そうそう。それくらいなら良い薬だよ」炒飯を運んできた店員が、皿を置きながら宵闇に同意する。


「ディランだったら今頃、一人残らずカラスの餌になってるんじゃないかい?

あんたの噂、相変わらず酷いもんさね」

「そりゃあね、オレは宵闇みたいに優しくない。暴力で来る奴は遠慮なく暴力で返すのがオレの主義」


さらっと物騒極まる想像を肯定する先輩兼友人に宵闇は僅かに眉をしかめた。

護衛や運搬中心の宵闇と違い、ラグの得意としている仕事は衛兵に見つかれば獄舎行き確定の裏仕事だ。暗殺なんかもしているらしい。

そんな仕事を主に引き受ける感覚は宵闇には欠片も理解出来ないし足を洗って欲しい所だが、その辺はつるむ内に踏み込まないようになった。苦言をぶつけた所で、現実としてそのテの仕事は存在しているし、就いているのはラグに限らない。


「ほどほどにしなよ?命あっての仕事だからね」呆れ顔で店員はカウンターから離れて他の客の注文を聞きに行く。その背を見送った宵闇が、憮然とした顔をラグへと向けた。


「俺が優しいみたいな言い方やめろ。無駄に疲れたくないだけだって」

「それを優しいって言うんだよ。オレみたいなのと比べたらな」

自嘲じみた苦笑が返って来る。

「けどまぁお前の、そーゆーのを口だけじゃなく貫ける所は尊敬してもいるんだぜ?

大きい争いもねえし、こっちの仕事が減ってきてるのは良いことだろうしな」


そう言って液体の入ったガラスコップを傾け、ふいに紺髪の青年は真顔になった。


「ただ、場合によっちゃその甘さは枷になる。さっき親父さんが心配してたぞ」

「心配?」


宵闇の顔が訝しげになる。ラグの言う通称『親父さん』こと商会を束ねるバークオルドは、剛胆を絵に描いたような大男で部下の帰りが少し遅れた程度で心配するような小心な人物ではない。有り金全部賭けてもいいぐらいだ。


顔を前に向けたまま、瞳だけを宵闇へと向けてラグが続ける。声はさっきまでより幾分か低く小さくなっていた。


「面倒な依頼がな・・・・・・多分城の奴から。詳しい事はオレもわかんねえけどお前をご指名だそうだ。昼間、親父さんが使いで来たとかってガキと長々話してた。

扉ごしで多分術で聞き耳封じもしてたからよく探れなかったけどな」

「何だよそれ。そんなの一言も聞いてねえぞ?」


帰ってきてすぐ傭兵ギルド本部へ任されていた依頼が無事に終わったと報告に行っているし、それから今までに他の仲間とも少し話したが誰からもそんな話は聞かなかった。


「・・・・・・」


無言で他の席に座る同僚達へと目を向ける。談笑する者。愚痴を叫ぶ者。料理や酒を口に運ぶ者。


その様子に変わった所は見当たらないが、自然と周りを見る目に疑念のフィルターがかかる。自分に関係することを自分が知らないのは正直気持ち悪い。


「いや、その事自体知ってんのはオレ含めて数人しかいねーよ。口止めされてるし」

俯いて無言になる宵闇に、ラグはわざと大きく肩をすくめて「でもオレ、余計なこと言いだから」と笑う。


「お前のことはお前が知っとくべきだと思ってな。ただ、依頼は断ったらしいし親父さんが隠してるのはお前のためかも知れねえ。ほとぼり冷めた頃に尋ねてみたらいいんじゃねえか?」「・・・そうする」


予想外のことに自分でもどうすればいいのか判断がつかない。自然と声が沈む。

隣の青年は宵闇の戸惑いを察するかのように軽く息をついて、自分の前にあった根菜のフライを勧めた。


「考えすぎるのは体に毒だ。ただ念のために気はつけとけって話。三年前、お前がココに転がり込んだ時の事を知ってる面子は言ってたからな。『黒翼狩りの生き残りに、上が気づいたんだ』って」

「黒翼狩り・・・・・・なぁ」宵闇が眉を寄せる。


三年半ほど前に一つの島が地震と津波で崩壊し、同時にその島を国土としていた国が無くなった。月華郷と言うその国は黒翼種ーーー黒髪月眼で黒い翼を持つ種族が大半を占めていた宵闇の故郷だ。

宵闇自身も黒翼種だが、当時すでにこの国に移って来ていたため災害自体は免れた。

だがその後、難を逃れた・もしくは命からがら逃げて来た者達を国王命令で排除しようと言う動きがこの島で起こったのだ。

伝染病を持ち込んだとかが原因だと言われているが確かな事は解らない。およそ一年に渡り公布されていた「黒翼種捕縛追放令」それが通称『黒翼狩り』だ。


しかし「言ったろ、ココに来る前の一週間ほど記憶飛んでんだ。よくわかんねえよ。


第一、黒髪月眼なんてそうそういねえし、羽無くなってるっつっても隠れてた訳じゃ無ぇんだから、今頃見つかるのはおかしくないか?」


『黒翼狩り』については宵闇自身思う所が多々ある。独特の文化風習や閉鎖的な空気を嫌って出てきた身だが、原因が思い出せない大怪我を負いつつも自分だけギルドに保護され、祖国に居た筈の両親や友人の生死所在が腕利き情報屋の仲間にも頼んでも分からなくなってしまったことは、三年程度で気持ちの折り合いが付けられるものではない。


宵闇の反応に、ラグはすまん、と頭を掻く。

「それはそうなんだが、な。口が滑りすぎた。酔い覚まして来るよ」


そう言って酒場の出入り口に向かって行くが、少し歩いた所で首だけ宵闇の方へ向けた。


「ただ、本気で用心はしとけよ?俺の嫌な勘はよく当たる。」

「それなりの用心深さと冷静さはあるつもりだ。警戒はしとく。」


返事を聞いて青髪の青年は唇の端を上げる。数秒の後、人ごみに紛れて姿が見えなくなった。


喧騒の中に残された宵闇は、水を店員に頼み喉に流し込む。


「ほとぼりが冷めたら、か」 


ほとぼりが冷めるのを待てるほど甘くなかったと宵闇が痛感するのは、この翌日のことである。

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