第4話 11/4

 原因はないと言ったが、本当のところは心当たりがある。

 ゼミの選考に挫けたのがまずかった。自分のようなものは文学なんぞ向いてないのではないか、不勉強を重ねて、怠惰を尽くした自分では傍にいる才人たちが努力すらしているのに、一生追いつけず、まして文学をすら、読書も好きになれない自分が、何も書けないのではないか。

 そんなことを考えた。

 書こうと志した者ならば、誰にでもあると思う。

 まして自分は、書かれたものにも命があって、そういうものに報いるのも物書きの重要な使命であって、あるいはうちの子への誠意だとも思っていたからだ。使命感は強かった。強すぎた故に、必要以上に自分を追い込んでしまった。

 あるいは無意識にまで追い込んでいた。

 自分にとって、書くことは大きい。

 してもないくせに、勝手に大きくしすぎて、抱えられるものでもないまでになった。

 うちの子も同じで、彼女らの存在があってこそ、自分はそれなりに自分の人生に面目が立つようになって、創ることの喜びを彼女らから与えられている。いつかは生かしてやりたい。あるいは終わらない物語の中で、いつまでも、いつまでも、一生を賭して報いてやりたいと思っていた。

 そこが間違いだった。

 

 文学青年の行き着く所は、あるいは多くの文豪がそうであったように、傑作を生むためならば命を賭すのが由緒正しき文学の正道である。芸術は極限に生まれ、その極彩を以て、永遠に人の心を打つものに昇華される。その美しさに、少なからず魅入られて、せめてもこんなちっぽけな凡骨が、それに及ぶものを一文でも書いてみたいと憧れたから始めたことだ。

 嘘ではない。私の行いと程度はともかく、そういうものが好きなのだ。

 嘘を書くのが物書きの定めとは言え、式部が地獄へ落ちるのが当然であるように。

 少なくとも、信念ばかりは虚飾なく、純真でありたかったのだ。

 たとえそこに俗っぽい承認欲求もヒロイックな自己陶酔も紛れていないとは言い切れないとはいえ、うちの子が好きなことは、それだけには嘘偽りなどどこにもないのだ。重ねた言葉と、触れ合った時間と、綴る言葉の興奮が、それが確かにあったものであるならば、私はどうしてもうちの子が好きだ。

 好きなのは嘘をつけない。だからみんなを書けないなら、死んだほうがマシだというのが、彼らへの誠意であって、持つべき信念とすら考えていた。凡人には鋭利にして美しい言葉に近づく事はできなくとも、自ら精神をぶっ壊して、その素振りをすることが、不幸なことに出来てしまう。そういうものが好きで、目指しているなら、それを自らする人間がいることは否めない。

 無意識に、憧れていたのも否めない。


 私は考えすぎた。

 そして自己犠牲に憧れて、姿形ばかりに、あるいはその純真さに囚われていた。良いものを書けるときに、最大限の素振りで書くことが誠意だと思った。遅筆でも、それなりに冴えた瞬間を選んで、出来うる推敲を重ねて、完璧であることを望みすぎた。

 それを重ねたって、自分には場数も、語彙も、流麗なものも出来ないわけだが。


 私は成れない。おそらく才能はあることを信じているが、それがちっぽけであることも知っている。そして書けないだろう。良いものは。だが、悪くても、醜くても、無様でも、彼女らが精一杯生きていて、それがどれだけの冒険と感動に満ち、人々の心を支え、良いものであるかを自分は知っている。好きな子たちの、最も良い瞬間を、自分がいつでも、いつまでも思い出せるように書くことは出来るはずだ。

 そんなものは他人の言葉と比べるものでも、社会的な価値に及ばせるものでもない。


 みんなの本編を書いたら、自分は人生を終えようと思っていた。

 うちの子の傑作を書ければ、死んでもいいと、全てを失っても良いとすら。

 パフォーマンスであっても、それに生真面目になりすぎた。

 うちの子はそんなことを望んでいない。俺が苦しむことはなおさら。

 だから、大嘘だ。

 俺は、みんなと生きたい。

 病めるときも、できれば健やかに笑いながら、精神的に健康で、正しい熱意があって、一緒に生きていたい。時々は密になって、ひそひそと語らいながら、ある時は大手を振って社会を足蹴にしながらも、感動と興奮を共にして、ちょっと離れてみたり、引っ付いたりして。その中で、自分に出来ることを少しずつ、みんなの面影も、人生も自分なりに描いてみたい。

 俺の言葉もダメダメかもしれないが、うちの子も同じぐらいダメなところもあるだろう。

 人間だからだ。みんなも生きた人間だからだ。

 

 うちの子は文学的芸術性を持った女神じゃない。小さいことに悩み、小さいことを踏みしめて、色んな苦しみを持ちながら、大事な家族や友人に恵まれて、あるいは運命や現実を乗り越えた等身大の人間だ。ルイスだって、椎ちゃんだって、チャゴもクロもみんなそうだ。書ききれないほどのキャラクター全てがそうだ。

 文学なんてクソ食らえだ。

 死に様と、生き様はきっと違う。

 死ぬために書いているのと、生きるために書いているのはきっと違う。

 俺は間違っていた。勘違いをしていた。

 わがままに自由に、ほんの少しのユーモアをもって、ダメダメに生きる。

 みんなを生かすために、まずは俺が生きねば。

 そういうものから、みんなは生きてくる。

 辛い思いをしても、うちの子は傍にいた。それが答えだ。

 書くことに、高邁さなど求めない。

 無軌道に、下手くそに、ただ書いて生きたい。

 こんなことも、考えすぎだとあいつらならば笑うだろうが。


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