春と黒の祭り -5-
<さらに深夜>
「おや、ヴァリアンテの気配がする」
「……アナタってヴァルに目敏いわよネ、浮気者」
クリストローゼにもたれて共に歩いていたドナは、鼻を鳴らして腕を振り払った。
たしかに親友のヴァリアンテは優秀だ。剣位だって地位だって彼の方が上だし、あまり我が儘もいわず献身的に尽くす方だろう。私には逆立ちしたってできない。
タイトスカートのスリットから太腿が見えるのもかまわず、ドナは石畳を大股で歩いた。
「ううむ、厳しいね……」
彼の困ったような囁き声にも慣れたものだ。
ドナはカーシュラードの助言を聞いて、限りなくそれに近いドレスを纏っていた。アップにまとめた真紅の髪は巻き毛が優雅に肩へかかり、尖った耳には大粒の真珠を。首まで詰まった襟は宝石のボタンでとめて、ちょうど胸元は扇型に開いて豊満な胸の谷間を見せつけている。むき出しの肩と、二の腕まで覆う手袋。ぴったりと身体に纏わりつく生地は、引き締まった身体の線をあらわにしている。スカートのスリットは片側だけでも、腿を彩る
素足とは反対側に吊り下げたギュスタロッサのレイピアも上機嫌だ。
素敵なレストランで豪華なディナーを食べた帰り道を歩くのは、腹ごなしにちょうどいい。長い陽が落ちて、空も空気もすっかり夜更けのよそよそしさを孕んでいる。大通りを外れたこの道をもう少し歩いていくと、王族が別邸として屋敷を構える地区にぶつかる。
帰路の途中に、その店があった。評判は知っている。一度ならず部下たちを連れて飲みにきたこともある。
「……あら、カーシュ坊やも一緒なの。仲がよくて羨ましいワ」
ピンヒールのサンダルで器用にステップを踏んで、ドナは明かりと喧騒が漏れる店に近づいた。扉にかけられた小さな札を爪で弾く。
「タンザナイトが貸し切りだわね」
「うちのと、
「楽しそうじゃない」
赤紫色のルージュをひいた唇を弓形に引き上げ、ドナはノブに手をかけた。
「……貸し切りの意味わかってるかい?」
クリストローゼのつぶやきは聞き流した。
「オジャマしまぁす!」
扉を開けてドナを襲ったのは、熱気と、おそらく防音魔術で遮られていた騒音だ。ジョッキを打ち鳴らす音、音程の外れた歌声に、誰かの野太い馬鹿笑い。
入り口からすぐのカウンターに、集金の箱が置いてあった。金額を書いた紙が貼ってある。ドナはレイピアと口紅以外は持っていない。背後のクリストローゼに視線を向けると、彼は笑いながらふたり分の代金を箱に入れた。
「あれぇ、『女王様』じゃないですかぁ」
「ずいぶん盛り上がってるわね。なんの集まり?」
「ラージャの娘の同窓会で、いや、誕生会?」
「誕生会のあとで同窓会だよ。お前、飲み過ぎだぞ」
「部隊長がロングスカートって珍しくないですか。逆にいやらしい」
「谷間がキラキラしてるのは何でです? かわいいなぁ」
「はいはい、そういう化粧品があんのヨ」
師団の軍服を着ていないせいか、軍人たちが声をかけてくる垣根は低いし内容も下世話だ。酔っ払いの戯れ言でいちいち不快感に悩むくらいなら、日々露出度の高い格好なんてしていない。理性がかすんで近寄ろうとする男女を爪先で弾きながら、ドナは店の奥へ届くように声を張り上げた。
「ハァイ! ヴァリアンテ!」
黒シャツを着た赤毛の青年を背もたれにして、アンバーの髪が揺れている。いいや、青年と呼べるのは見た目だけだ。中身は立派な中年だった。チラリと首だけ返したカーシュラードは、一瞬でドナの格好を確認してうなずき返した。合格らしい。
「あれ、ドナ? 今日も綺麗だ――」
すっかり酔いが回っていい気分なのか、ヴァリアンテはグラスを掲げながら舌足らずに叫んで、その途中で目を見張った。立ち上がろうとするところを、カーシュラードに腰を抱かれて止めらている。
何よどうしたのよ、と疑問に思って眺めていると、視界の片隅に不埒な腕が伸びていた。
格好が格好なので、肉体を商品にする者と誤解されることは少なくない。酔っ払って勘違いすることもあるだろう。だが、商売相手だろうが勝手に触れていいわけがない。そういう不埒者には容赦ない制裁を加えるのが信条なので、ドナは瞬間的に利き足を引いた。
しかし、胸に触れてこようとした腕は目的地に届く前に手首をつかまれ、ひねり上げられた。
「ぎゃ、あ、ぁあ! いて、いてぇ!」
尋常ではない男の悲鳴が店中に響いて、客たちは何事かと視線を向けた。ドナからは彼らの様子がよく見えた。驚きと、疑問符。酔いが一瞬で覚めている者もいたが、誰もが理解ができないという顔で首をかしげている。
「俺の女に気安く手を出すな」
そんな不思議な空気を切り裂くように、鋭利な声が響いた。血が凍るほど冷たい声だった。
クリストローゼの声だということはわかるが、耳元で囁くような近さで聞こえた。まったく気がつかずに背後を取られた悔しさと、ベッドの中でしか聞かないような乱雑な言葉遣いに、耳の先まで熱くなる。
「ドナ、クリス、うちの兵士の不届きな行いをお詫びします。手首が折れる前に、その辺で勘弁してあげてください」
最初に静寂を破ったのはカーシュラードだった。グラスも腕の中のヴァリアンテもそのままで、漆黒の瞳だけが目礼を送る。
「……あと、それ、意図はどうあれセクハラだよ」
半眼で告げるヴァリアンテの呆れた声に促され、ドナはようやく己の置かれた状況を確かめた。蹴り上げようと浮かせた腿を押さえるように、大きな手の平が這っていた。内股の、とてもプライベートな場所を鷲づかみにされている。性器には触れられていないけれど、公衆の面前で接触を許したい場所でもない。
「き、きゃあッ!」
自分でもビックリするくらい甲高い悲鳴を上げてしまった。これじゃあまるで生娘だ。
瞬間的に飛び退くと、クリストローゼが不届き者を解放しながら、驚愕の表情を浮かべている。
「君、そんな可愛らしい悲鳴を上げられるのか」
「う、うるさいわヨ! このセクハラ上司! 咄嗟にそんな際どいトコロに手を突っ込むなんて、どういう神経してんのよ破廉恥男!」
「君の蹴りは南瓜も砕く。私が止めなきゃ危なかったんだから不可抗力だよ。咄嗟の判断でもなければ、私はもっと優しいことを知っているだろう?」
「……そんなだからアンタ女にモテないのヨ」
確かに防御態勢すらとっていない相手を蹴り飛ばしたら怪我をさせることはわかっているが、欲望のまま勝手に触ろうとする方が悪いのだ。蹴られて当然だろう。
蹴り技が得意で、レイピアと近接戦闘の複合に特化しているからこそ、黄玉位を授けられている。露出度の高い服を着るのは趣味と実益を兼ねてのことだが、性犯罪を助長させたいわけじゃない。見た目のせいで性欲を抑えられなかったなんて、犯罪者の言い訳だ。己の欲深さを恥じて罰を受ければいい。
だが、それはそれとして、過剰防衛で割を食うのは剣位を持っているこちらになるのも事実だ。やり方はどうあれ、クリストローゼが止めたことは正しいのだろう。大勢の前で赤っ恥をかかされてしまったけれど。
「顔、真っ赤だよ」
「うるっさい」
赤毛の恋人の腕から抜け出したらしいヴァリアンテが、グラスを片手に近づいてきた。ニヤニヤしているのが腹立たしいけれど、心配してくれているのもわかっている。素っ気なくしてしまうのは照れ隠しだ。そうよ。私は不意打ちに弱いのよ。
「俺の女、だって。クリスがキレるの初めて見たな。心配しなくてもよかったんじゃないか。よかったね」
「……うう。……ありがと」
「そのままプロポーズまで持っていけるなら、彼の株も上がるんだけどなぁ」
「意気地なしなのよ。……でも、そうね。好きなんだから、仕方ないわ」
ドナは受け取ったグラスを見つめ、一気に呷った。
それに、相手ばかりを責められない。こっちだって、駆け引きとスリルが楽しくて、ハッキリさせていないのだ。
「ン。決めた。クリスがいるから、ハメ外して飲んでやるワ!」
空になったグラスを掲げ、ドナはヴァリアンテと肩を組んで酔っ払いの輪に飛び込んだ。
同窓会とまったく関係ない彼女が混じっても、誰も追い出そうとはしない。きっと明日には酒が醸した夢だったと忘れてしまう。
けれど、それでいいじゃない。お祭りなんて、そうあるべきよ。
度を越さなければ、人生は刺激的なほうがいい。新たにワインをついでもらったドナは、保護者のような視線を背中に感じながら、満面の笑顔でグラスを持ち上げた。
「乾杯!」
◇◇◇
「遠回しのプロポーズか何かですか?」
「なんのことだい?」
バーテンダーも飲まされて潰されてしまったので、氷は自分で足さないといけない。カーシュラードはカウンターテーブルを背もたれにするクリストローゼに声をかけた。
カウンターの内側に入ることを咎められたりしないので、好き勝手させてもらっている。タンザナイトの設備は最新式の聖霊機関を使っているので、この時間になっても氷が溶けることはない。
氷を入れたグラスにウィスキーとアマレットを注いで軽く混ぜる。クリストローゼの好みは知らないが、同じものでいいだろう。彼は礼を言って受け取った。
「さっきのあれ、素ですよね」
カーシュラードは疑問形ではなく、断定で言い切った。口を開きかけたクリストローゼに指を立てて振り、反論を封じる。
「抱き寄せるだけでもよかったのに、そんな余裕がなかったんでしょう? 殺意があるわけでもあるまいし、酔っ払いの動きは予測できませんからね」
「恥ずかしいんだから、あんまりつつかないでよ」
「でも、そう見せかけて、牽制に利用したくせに。やり方がやらしいんですよ」
クリストローゼは紅玉位の剣士だ。驚異的な握力を示すように両手首に
カーシュラードはあの時、ドナの動きではなくクリストローゼの反応こそを追っていた。無礼講とはいえ愚かにも行き過ぎた行為があれば、部下を処罰するのも役職者の役目だ。だが、罰を与える者が自分でなくともかまわない。
グラスを舐めながらカウンターテーブルを迂回して、カーシュラードはクリストローゼの隣に並んだ。師団長がふたり、軍服も脱いで酒を片手に雑談だなんて、そうあるものではない。
「若造が好き勝手言ってくれるなぁ。兄弟で乳繰り合ってる君らに比べたら、私なんて可愛いものだろう? 恋人は作らないなんて公言しながらイチャついてるくせに」
「……僕たちのことをどこかで漏らしたら、その首獲りにいきますよ」
「満面の笑みで怖いこと言うね。剣聖と私以外は知らないままだよ、安心したまえ。……だが、ヴァリアンテはそろそろ魔力値の高さだけで誤魔化しきれなくなってくるぞ。混血だってことはどこかの時点で公表した方がいい」
「ご忠告どうも。その件はもう少し後で考えています。陛下が無事に出産されてからでも遅くない。レグノ様やダークエルフからも祝いの品が届く予定なので、いいタイミングを探っています」
「情報を紛れ込ませるにはちょうどいいか。覚えておくよ」
クリストローゼは穏やかに囁いて、度数の高い酒を味わった。ゆっくりと嗜むような飲み方をしている理由は、酔ったドナを連れ帰るためだろう。自分からは決して酒盛りの輪には入らない。交友関係が多いくせに、彼はプライベートだと静かな場所を好むタイプだ。
「……実際さあ、どうなんだい? ヴァリアンテは恋人なの?」
「なんですか。知ってるんでしょう?」
「伝聞証拠ってとこだよ。情報源のほとんどはドナだけれどね。ヴァリアンテを抱いてるんだろ? 兄弟ってどういう感じ?」
「……あなたに関係あります?」
「ないよ。純粋に私の興味なだけ。君とサシでこういう話をすることって、ないだろう? ふたりで飲みに行く仲でもないし」
クリストローゼの言うことももっともだ。カーシュラードが師団長になる前からお互いを認識していたが、ただ剣位持ち同士だからではない。彼は、ヴァリアンテの親友であるドナの恋人、という少しばかり遠い知人だった。
役職が上がるにつれて交流が増え、食えない相手だと憎まれ口を叩き合えるまでにはなったけれど、実際には友達でもなんでもない。仕事関係で腹を割って話すこともやぶさかではない同僚、というのが適切な表現だろうか。父親と歳が近いこともあって、どことなく反発心を覚える。
そんな相手に赤裸々で下世話な話をする必要などないのだが、今日のカーシュラードはそれなりに機嫌がよかった。
「一緒に育ってるわけでもないので、話題に出すほど兄弟の感覚はありませんよ。それこそ、初めてあのひとを抱いた時は兄だなんて知りませんでしたし」
「ははあ、そういうものか」
「……禁断の関係とか、その手のロマンスを聞きたいなら余所を当たってください」
「別にそういう話を期待してたわけじゃないけどさあ」
「ヴァルがどう思ってるかは知りませんけど、今さら血の繋がりなんてどうでもいいんですよ。僕と彼の他に同族はいない。種として断絶が確定している中で、彼が隣にいる幸運を噛みしめている。兄だとか弟だとか、そういうものはただのスパイスです」
「めちゃくちゃ重いな。軽い興味で聞いてすまない」
「別に深刻な話でもありませんよ。僕としてはヴァリアンテの逃げ道を塞げるなら、なんでもいい」
「……そうだった。君は、そういうタイプだ」
ぐったりとカウンターにもたれるクリストローゼが、溜め息交じりにグラスを呷った。
「あなたも腹をくくったらどうですか。いい歳でしょう。ぼんやりしているうちに、子供ができたなんて言われて、慌てることになりますよ」
「歳のことは言うなよ。憎らしいガキだな」
どうやら年齢に関しては彼の鬼門らしい。ジョークで躱すのでもなく、煩わしそうに顔を背ける。けれど、クリストローゼは言われっぱなしでいる男ではない。
「彼女のためならオクサイドを捨てたってかまわないんだが、とりあえず、そうだな。少なくとも私は、彼女似の娘を仕込むつもりだよ」
カーシュラードはそれを聞いて吹き出した。つられたように、隣に並ぶクリストローゼも肩を震わせて笑う。
酔っているわけでもあるまいし、あまりに下品だ。女にもてないとぼやくドナの指摘も当然だろう。喧騒の輪から外れていてよかった。誰に聞かれたって問題だらけだ。
笑い声が聞こえたのか、ヴァリアンテがちらりとこちらへ視線を向けた。カーシュラードはうなずきを返して、グラスを掲げる。
「愛するひとに」
「ああ、乾杯」
応じるクリストローゼが見つめる相手も無邪気に笑っている。黒の祭り中盤の夜は、酒と笑いに満ちたまま更けていった。
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