春と黒の祭り -4-

<同日夕刻、Dining & Bar "Tanjell A Nightタンザナイト">


「……軍服はわかるけど、まさか正装で来るとは思わなかったよ」

 夕方の謁見での護衛を終え、部下に夜間勤務の引き継ぎを済ませ、私服に着替えたヴァリアンテは、待ち合わせの場所に現れたカーシュラードの姿に唖然とした。

 なんの変哲もない師団配給の地味なマントだ。フードまですっぽり被っているので、黒い生地に赤毛が鮮やかに映る。だが、そのマントの中身が問題だった。

「脱ぐのが面倒だったんです」

「逆だろ。わざわざ着てきたんだろ」

 剣舞のあいだ護衛についていたカーシュラードは、黒羆バラム師団のサーコートに軽甲冑という、華美さを取り払った実用一辺倒の姿だった。けれど今、マントの首元からのぞくのは、金糸で刺繍されたコートの襟だ。何度も見たことがあるので、それだけでわかってしまう。

 剣舞のあとで正装に着替える行事があったのだろうか。ないだろう。女王の謁見で同席していたのは魔梟ストラ師団の師団長だった。

「この期間、師団は軍服での外出やイベント参加を許可しています。さすがにいかがわしい目的では許可できませんが、今回は範疇内でしょう」

「そういえば、私にも隊服で来られないかって、言ってたよね。それと関係があるわけ?」

「ええ。サプライズを要請されまして、その一環です。軍服を着ているということは、模範でなければならないので、サプライズが成功したらすぐ脱ぎますよ」

「師団長の正装を軍服扱いするのはどうかと思うけど。一般兵と君じゃあ、基準が違うだろうに……」

 規定としては軍服で街を歩くのに役職の制限はされていない。だが、それを盾にして相応しくない行動を取らないからこそ、役職者なのだ。師団長が正装で同窓会に参加するのは微妙なところだ。

 せめて馬車を用意すればいいのにと思うが、目的地は歩いて二十分もかからない距離だし、そもそも祭りの交通規制で大通りには馬車の乗り入れが禁止されていた。歩いていくしかないのだ。

「わかってますよ。今回は例外です。親友の愛娘の誕生日くらい一役買わなくて、何が師団長ですか。子供に夢を見せてこそでしょう。それに、咎められたとしても罰を受けるのは僕だけです」

「君を咎められる人なんて、剣聖か陛下くらいしかいないじゃないか……」

 しかもきっと、あのふたりなら子供を喜ばせるための正装を許すだろうと、ヴァリアンテには容易に想像できてしまった。

「あなたも僕を咎められますよ?」

 フードの奥から流し目を向けるカーシュラードの視線に、肩をすくめるしかない。脱いでこいと追い返して子供を泣かせた悪役になるのは御免だ。

「汚しても知らないからな」

「気をつけます」

 笑い混じりの応答で、正装の件は終わりだ。

 ディナータイムで混雑する大通りを器用に縫って進む途中、ふいにカーシュラードが身体の向きを変えた。何かと視線を向けた瞬間に腕を掴まれ、ぽつんと取り残されたような狭い路地に引きずり込まれた。

「カーシュ?」

 通りのざわめきすら聞こえない、喧噪から隔絶したような建物と建物の隙間だった。壁とカーシュラードに挟まれて身動きがとれない。彼は、マントを拡げてふたりの姿を覆い隠した。万が一誰かが路地を覗いても、顔を見られることはないだろう。

「……んぅ」

 甘く湿った吐息が漏れた。許可してもいないのに唇を奪われ、深く激しく貪られる。性愛を引きずり出すようなくちづけだった。

 突然の出来事に思考が追いつかない。軍服を掴んで耐えるのが精一杯だ。

「ふ……、っ……」

 舌を絡められ、飲みきれない唾液は顎に伝う前に舐め取られる。仕方なく腹を括ったヴァリアンテは、カーシュラードの気が済むまで好きにやらせることにした。

 暴挙に出た理由に、心当たりがあるのだ。罪悪感が拒絶を忌避する。方法はどうあれ、突き放してしまえばたくさんの意味で彼を傷つけることになると、ヴァリアンテは理解していた。

 互いの唇が離れた時には、軽く息が上がっていた。

「……君の魔力の方が、減っちゃうだろ」

 恨めしく見上げても、カーシュラードは悪びれる素振りすら見せなかった。強引なキスは愛欲や性衝動のせいではない。何割かは愛情だったけれど、流し込まれた魔力でくらくらする。

 魔力の交換を行うには、互いが触れるのが一番だ。手を繋ぐことでも用はなせるが、粘膜を接触させる方がより効率よく供給ができる。

「嫌なら、無茶をしないでください」

 カーシュラードは静かに怒っていた。二回目の剣舞で広域結界を張ったことが原因だろう。

 雨よけの幌に強度は必要ないが、物理反射の応用はそれなりに魔力を消費する。しかも広場全体を覆う範囲というのは骨が折れる規模だ。

 きっと、ヴァリアンテがひとりで担わなくとも、気の利いた警備兵が複数人いれば、似たようなことはできたかもしれない。時間がかかりすぎて観客がびしょ濡れになるか、雨を避けようと席を立つ人々で混乱を生むほうが先かもしれないが。

 女王陛下の手を煩わせるわけにもいかないし、あの場の誰よりも自分が一番適任だった。だから、実行した。消費魔力も計算していたし、剣舞が終われば魔力回復酒を飲むつもりだった。

 けれどきっと、何もかもが結果論だろう。実は、剣舞が終わって夕方の謁見前に、ヴァマカーラ女王からも魔力を分けられていた。彼女はただ労ってくれただけで、ヴァリアンテの奉仕と献身の根元を理解しているわけではなかったけれど。

「ごめん。ありがとう」

「……何度目ですか。どうせあんたは、僕の言うことなんて聞かないでしょう」

 怒りと諦め。何度目かなんて、覚えていない。そしてきっと、これが最後でもない。それでもカーシュラードは、何度も怒って諦めるのだろう。何度だって、怒ってくれるのだ。

「君のそういうところが好きだよ、カーシュ。愛してる」

 両手で精悍な頬を包んで、くちづけを返す。親愛と、恋人にするような熱を込めて。啄むようなリップ音はおまけだ。

 すると、珍しくカーシュラードが赤面した。

「カーシュ?」

 まさかだろう。こんな些細な告白で赤くなるような純情さが残っていたのか。ヴァリアンテはたまらず声を上げて笑った。

 カーシュラードはバツが悪いのか荒っぽく舌打ちをして、照れ隠しに大股で通りへ戻っていった。



◇◇◇



「パパの馬鹿! もし師団長様がこなかったら、絶対に謁見につれていってよね! じゃないと、二度と店の手伝いなんてしないんだから!」

 カーシュラードとヴァリアンテが店の扉を開けようとした時、幼さの残る少女の叫び声が飛び込んできた。ふたりは互いの顔を見合わせる。カーシュラードが取りだした懐中時計の時刻は、約束のそれより少しばかり過ぎていた。

 王城と黒羆バラム赤狼マルコ両師団本部からそう遠くない好立地に、ダイニングバー・タンザナイトは店をかまえていた。この飲食店はタンジェリン商会をオーナーとして、ラージャの副業で経営している店だ。

 大通りから路地二本内側にあるので、観光客の類が迷い込んでくることは少ない。親子連れで利用することもできるが、客の割合としては軍人が大半だ。それはラージャが士官学校出身ということもあって、各師団の関係者には何かと融通を利かせてくれるからだ。師団員割引も効く。

 今日のタンザナイトの扉には『貸切』の看板が掲げてあった。リボンや花で飾られて。

「来るって、絶対来るから! パパを信じ――ちょ、どこ行くんだジンジャー!」

 ラージャの叫びに続いて、店内からは爆笑が聞こえてきた。どうやら、すでに盛り上がっているらしい。

「入りましょうか」

「そうだね。ずいぶん待たせたみたいだよ」

 苦笑を漏らしてドアノブを引けば、喧騒が一気に溢れ出した。

「いらっしゃいませ! ご招待の方ですね!」

 入り口のすぐ近くに立っていたのは、黒いワンピースに誕生日パーティー仕様のド派手な帽子をかぶった受付係の店員だった。カーシュラードのマントが黒羆バラム師団のものだとわかるあたり慣れている。

「ジンジャーお嬢様のお誕生日も兼ねているので、参加費の上乗せは大歓迎ですよ!」

 さすが商人が経営する店の店員だ。商売がうまい。子供をダシに使うあたりが卑怯だ。出し渋って懐が狭いと思われたくないプライドをくすぐってくる。

 カーシュラードは財布を出そうとしたヴァリアンテを制し、札入れに挟んであった金貨を抜いて、店員に差し出した。覗き込んでいたヴァリアンテが口笛を吹く。

「僕と彼のふたりぶんで。ついでに、今日の酒代の足しにでもしてください」

「……え、いや、え? 金貨? 嘘でしょ本物だわ。……あの、ちょっと待っててくださいね? オーナー呼んでくるので!」

 真顔で偽物じゃないかを確認してから営業用の笑顔を貼り付け、受付係の店員はワンピースをひるがえして店の奥へ消えた。

「一杯どころかワインを何樽かいけそうじゃない?」

 ヴァリアンテが面白そうにニヤニヤしている。

 カーマ王国は紙幣と硬貨を両方利用しているが、紙幣でかさばる金額には金貨で換算する。純度の高い金は紙幣とは比べられない価値なので、日常生活ではまず利用することはない。

「仕事しかしてないんで、こういう時にしか使い道がないんですよ」

「君は無趣味だしなぁ……。まあ、私はありがたく奢られておくけど」

「それはもちろん。恋人の甲斐性ってやつで」

「……年長の役職者としては聞き捨てならないんだけど」

 ヴァリアンテが微妙な顔をしていれば、店の奥からラージャが走ってきた。後ろには店員がくっついている。

「オ、オーナー、あの方です」

「お」

 茶色の瞳を丸くするラージャに片手をあげて挨拶を返し、カーシュラードはフードを後ろに払った。店内に入ってしまえば素性を隠す必要もない。

「おおおおおおおお……」

「遅れて悪いな」

「……遅ぇよ!」

 ラージャの叫び声に、店内の視線が一気に集まった。音楽さえも消え、人口に反する不自然な沈黙が降りる。互いに顔を見合わせて、それから、さざ波のようなざわめきが漂う。

「本人か? そっくりな役者呼んだとか?」

「誰? 知り合い?」

「来ない方に賭けてたのに……」

 途切れ途切れに聞こえてくる内容に、笑い出しそうになった。

「僕を博打の対象にするなら、配当の半分は酒代に還元しろよ」

 金具を外してマントを脱いだカーシュラードは、同窓生たちに気安い声をかけた。ただでさえ嵩張る正装に全身を覆い隠すタイプのマントを着込んでいたのだ。遮るものが消えると少しは動きやすい。

 漆黒の軍服に漆黒の魔刀。全身が黒いのに髪だけが赤いので、実際の色よりも鮮やかに感じた。簡素なマントを預ける左手の薬指に輝く金剛石が、店の聖霊灯に反射して威圧的に輝く。

「……クセルクス黒羆バラム師団長?」

「マジで本人か!」

「ええええっ?」

 真っ先に反応したのは師団に所属している軍人たちだ。立ち上がって敬礼するのは反射のようなものだろう。同窓生だろうが、同伴者だろうが、無礼講だろうが関係ない。

 続いて一般人の動揺が重なった。師団長という地位の人物が王国の中枢に食い込む重役だ、という程度には理解している。給仕の店員は無意識に後ずさって客のひとりとぶつかっていた。

 儀礼や式典でしか見ることのない黒衣は、舞台衣装とは異なる優雅さと威圧感を醸し出している。ふさのついた肩章とサッシュに、ローブのように長いコートの襟や袖を飾る金の刺繍とボタンはあまりに豪華だ。戦闘面を鑑みない長い裾はそれでもスリットが入れられ、足さばきを邪魔しないようになっている。高価な布地をふんだんに使い、見栄えのための過度な装飾は地位の高さとカーマ王国の国力を示していた。本来ならさらに師団の紋章が刺繍されたマントを羽織るのだが、さすがに持ち出すのは厄介だったので、正装とはいえ置いてきている。

 カーシュラードは師団長という役職の割には若いが、正装に喰われてはいなかった。見かけ倒しではない体躯と武人らしい体捌きが貫禄を生んでいる。そして何より、華美な服装に相応しいほど顔が整っていた。

「久しぶり。今晩は無礼講らしいから、そのつもりでよろしく。ああ、帯剣だけは見逃してくれ」

 店内の衝撃と混乱を一歩離れたところで眺めていたヴァリアンテが、申し訳なさそうな顔をしながら耐えきれずに吹き出した。口を押さえているが笑い声は隠せていない。

「ヴァル……?」

「や、ごめん。これがやりたかったのか、君は。気持ちはわかるよ。最近だと、こういう新鮮な反応ってないもんな。私も隊服脱いできたことをちょっと後悔した」

 カーシュラードは本格的に爆笑しないよう顔を背けて震えているヴァリアンテを小突いたが、笑いたくなる気持ちもわかる。地位で威張る気はないし、その危険性も理解しているが、服装ひとつでこうも特別扱いされるのは気持ちがいい。得意な気分になる。

 地位が上がれば上がるほど、接する相手というのはその地位を理解している者ばかりなので、こうやって驚かれること自体が少ないのだ。本来のサプライズとは別だが、これはこれで楽しい。

「あああ、先生! うわ、こんばんは、ようこそいらっしゃいました!」

 急に畏まったラージャは、カーシュラードを押し退けてヴァリアンテに挨拶をした。なんだなんだと野次馬になる客たちが、カーシュラードを見た時と同じような反応で後ずさる。そうだろう。師団長より、女王陛下付きの親衛隊長の方が希少価値は高い。

「うそだろ親衛隊長!?」

「指南役!?」

「いやぁ、久しぶり。みんな元気そうだね。私も帯剣を大目に見てくれると嬉しいなぁ」

 ヴァリアンテはカーシュラードが学生だった頃、王立士官学校で剣技の特別講師をしていた。親衛隊に入隊してから教鞭を執ることはなくなったので、彼らに『先生』と呼ばれるのは懐かしいのだろう。どこかくすぐったそうな笑みを浮かべていた。

 カーシュラードの時は恐れの混じっていた声が、ヴァリアンテに対してはほとんど人気役者に対する歓声に近い。面白くないと感じる独占欲には蓋をして、カーシュラードは彼を好きにさせることにした。社交のうまいヴァリアンテのことだから、元教え子たちの輪に交ざっても遜色なく馴染むだろう。

「あの、オーナー、これ……」

 緊張のせいで言葉をつかえさせながら、金貨を握った受付係の彼女はラージャに判断を仰いだ。

「カーシュの奢りだからな、ありがたく会計につけといてくれ。お前たちもほどほどに食べて、酔わない程度に飲んでいいぞ」

「は、はい」

 彼女を持ち場へ帰したラージャは、正装のカーシュラードを頭の天辺からつま先まで確認した。ぐ、と力強く拳を握る。

「よし、よくやった。これでジンジャーの機嫌が直る」

「声が外まで聞こえていた。……それと、今回限りだろうな。そう何度もできることじゃない」

「それくらいわかってるって。感謝してんだよホント。あと、本音を言えば、俺が一番お前のそれを見たかった。お前ほんとすごいわ。俺の眼に狂いはなかった!」

 ラージャは自他共に認める剣豪マニアだ。隠居したらカーシュラードの伝記を書いて一発当ててやる、とは学生時代からのラージャの定番ジョークだ。そういう正直なところが好ましい。血筋に関係なく、ただ剣技だけに憧れを向けてくれる表裏のなさがありがたい。

 少年時代の予言が成就したことに満足げな親友を横目に、カーシュラードはいつもの煙草を取りだした。この店が禁煙じゃないことは、カウンターに並んだ灰皿からもあきらかだ。唇に咥えて魔力で火をともす。深く吸いこんでようやく、疲れが癒えたような気がした。

「……師団長の正装でもそれだもんな。お上品なチンピラかお前は」

「黙れ、ラージャ。昼からこっち、ようやく一息つけたんだ。唯一の楽しみを奪うな」

 子供の前では消すから安心しろと続けて、柑橘とハーブの煙を味わう。

 カーシュラードの喫煙は師団内部では有名だ。葉巻を嗜む上流階級の者は多いが、彼はもっぱら紙煙草派だった。時と場合をきちんと守り、非喫煙者に与える影響も理解している。

 愛飲している煙草は一級の嗜好品だ。混ぜ物がされた依存性の高い安物とは違い、精神や肉体を冒すものではない。だが、身体にいいものでないこともたしかだ。ダークエルフの持つ永久代謝細胞のおかげで肉体に影響がでないだけに過ぎない。

 黒羆バラム師団の兵士の中には、カーシュラードの喫煙に憧れる者も少なくなかった。地位と整った容姿に反する粗野さは、心をくすぐるものがあるらしい。ただ、真似てみても体力が続かなくなるか、同じ銘柄を常用すると貯金が減るので、諦める者が大半だ。

「しかし、さっさとこれを脱がないと、師団兵は落ち着かないだろう。ジンジャーはどこへ?」

 いくら無礼講とは言え、ただの上司ではなく組織の頂点を相手に、軍人が上下関係を忘れるのは難しい。せめて象徴である正装を解いて私人だとアピールしたい。

「誕生パーティーは終わってるし、お前が遅ぇから上の部屋に籠もってんだよ。アレグラがなだめてるから、そのうち降りてくると――」

「きゃあああ!」

 ラージャの声に少女の叫び声が重なった。店の奥、階段の途中で、焦げ茶色の髪の少女が指をさしたポーズのまま固まっている。それからすぐに、ぴょんぴょん飛び跳ねて降りてきた。

 カーシュラードは苦笑を浮かべ、煙草を灰皿に押しつけてもみ消した。

「やだ! 凄い! ホント!? 本人!? ホントに来たぁああ! かっこいい!」

 ふわふわと広がる黒いスカートをはためかせて少女が駆けてくる。反応の派手さがラージャとそっくりだ。この少女がラージャの愛娘、十三歳になるジンジャーだろう。最後に見たときとはまるで別人のように成長している。

「ほらな! パパの言った通りだろ」

 走る少女に、客たちは笑顔で道を譲った。ジンジャーが怒った理由も、息を切らして駆ける理由も、どうやら理解しているらしい。

 遅れて階段を下りてきたのは小さな男の子だ。名前はラルフといっただろうか。アレグラの手を引いて姉に追いつこうと必死だ。

「六年ぶりか……。ずいぶん大きくなったな」

「可愛いだろ。母親似だから将来美人だぞ。ほら、ジンジャー、お前が会いたいって駄々こねてたカーシュだ」

 肩を組んで友人を主張するラージャの腕を、ジンジャーが目一杯引っ張って引き剥がそうとする。

「師団長様に馴れ馴れしくしちゃだめ!」

「おいおい、おっかないな」

 押し退けられたラージャは満足げに笑いながら娘を見守るように一歩下がった。興味津々にくっついてきたラルフの頭をなでてやれば、彼も幼い瞳を輝かせてカーシュラードを見つめていた。これは格好悪いところはみせられない。式典に出るよりプレッシャーを感じる。

「は、はじめまして、私はジンジャー・タンジェリンです」

「君のお父さんと学生時代からの親友の、カーシュラード・クセルクスです。僕が覚えている君はずいぶん小さかったけれど、すっかり大人っぽくなったんですね。誕生日おめでとう、ジンジャー」

「あ、あ、ありがとう、ございますっ!」

 緊張に耳まで赤くした少女が、瞳を輝かせてカーシュラードを見上げている。

「これは僕からのプレゼント」

 装飾品の多い軍服の懐から器用に細長い箱を取りだし、コートの裾を払って片膝をついた。箱を開けると金のペンダント・ネックレスが収められていた。

「僕の太刀の銘を由来にする君へ、鍔の文様と同じデザインの物を作らせました。ダイヤモンドではありませんが、クリスタルガラスを。そこにいる親衛隊長殿も一緒に魔力を込めてくれたから、本当にアミュレットとして使えますよ」

 産出の少ないダイヤモンドは金剛位の剣位持ちと王族にしか所有を許可されていないので、迂闊に手にすることはできない。かわりに人気があるのはクリスタルガラスだ。計算されたカットは美しく光を反射する。

 チェーンを外してジンジャーの首にかけてやると、少女は緊張と喜びでそばかすの残る頬を赤く染めたまま、父親を見上げた。

「わ、わたしの名前って、そうなの?」

 ラージャは偉そうに唇を吊り上げ、力強くうなずいている。

 カーシュラードは剣帯から太刀を外して、そのこじりを床につけた。柄頭までの長さはジンジャーの肩を軽く越える。

儀卿傲鋒妃ぎけいごうほうのきさき號仭ごうじん』。彼女のような我が儘になっては困るから『仭』のひと文字だけ。誇り高く、強く育つように。君の名前は僕がつけたんですよ」

 それは冗談でなく本当の話だ。最初の子供の名前はカーシュラードが決めてくれと、ラージャは結婚する前から頼んでいた。悩み抜いて考えたのは、カーマらしく、そして、ラージャが喜びそうな名前だった。

「ジネーヴラ・タンジェリン、君に魔神の加護がありますように」

 少女の額にくちづけを一度。親が子の幸せを願うキスなのに、見目のよさと正装のせいで芝居がかってみえる。まるで騎士が少女に守護を誓う一場面のようだった。

 外野からの視線など物ともしないカーシュラードは、微笑を浮かべたまま立ち上がった。うっとりと瞳を蕩けさせる少女の視線に微笑を返し、豊かな茶髪をなでてやる。

「わたし、もうおでこあらえない……」

 蚊の鳴くようなジンジャーの言葉に、客たちは手を叩いて喜んだ。口笛が響いて楽器の演奏も始まる。ただひとりラージャだけが鬼の形相だ。

「カーシュ、お前なぁ……、もしジンジャーがお前に嫁に行くとか言い出したらどうすんだこのスケコマシ!」

「ちょっとパパ! 師団長様に失礼なこと言うの止めてよ!」

 ジンジャーがラージャを叱りつけているのが笑いを誘う。あの小さな子供が少女になるのは一瞬なのかと、カーシュラードは感慨深くふたりを見つめた。

「名付け親として君を見守っていますから、困ったことがあれば僕を頼ってください。できるかぎり助けましょう」

「はい! ありがとうございます!」

「……カーシュが『おじ様』ってのは、逆になんか結婚相手が萎縮しそうで問題だらけだな。あんまり表で言いふらすなよ、ジンジャー」

「だから! 結婚とか興味ないって言ってるでしょ!?」

 なるほど、年頃の娘の扱いは難しい。

 カーシュラードは太刀を外したついでに正装を解こうと親子のそばから距離をとった。客たちの中で見守っていたヴァリアンテが、ジョッキを片手に戻ってくる。どうやら着替えを手伝ってくれるらしい。正装というものは、すべからく単独での脱ぎ着が難しいものだ。

「格好よかったよ。恋愛物語に出てくる王子様みたいだった」

「正装のせいでしょう。それに、王子ならあんたじゃないんですか? 僕は王子扱いされたことなんて、滅多にありませんからね」

 実家であるクセルクス領ではカーシュラードは本当に王子の称号を持っているが、王都に住んでいるので活用されたことはない。むしろ、ヴァリアンテの方が王子様というあだ名がつけられていたことを知っている。本人はあまり嬉しくないらしいが。

「君は軍人の印象の方が先行してるからかな。まあ、でも、君が王子様っぽいことしたら、風紀が乱れそうだから、それでいいのかも……?」

 肩章に繋がっていたサッシュを取り外すヴァリアンテは、ずいぶん機嫌がよさそうだ。酒のせいだろうか。

 そんなふたりのすぐ側で、子犬がじゃれ合うような言い合いが始まる。

「お姉ちゃんだけずるい!」

「お姉ちゃんは誕生日だから特別なの!」

 ラージャの足にしがみついていたラルフが恨めしそうに姉に噛みついていた。対するジンジャーは誇らしそうに胸をそらし、もらったばかりのネックレスを指でいじって見せつけている。

 弟をないがしろにしたつもりはないが、六歳の子供に理解しろというのも酷だろうか。はたしてどうしたものかと眺めていると、ヴァリアンテが少年の前でしゃがんだ。目線を合わせ、柔らかく微笑む。

「そう言うだろうと思って、君にはこれをあげる。まだ、お店じゃ売ってないんだよ」

 上着のポケットから四つのバッチを取りだして、小さな手の平に乗せてやった。息子と一緒になって覗きこんだラージャが喉を詰まらせたような音でうめいていた。

黒羆バラム赤狼マルコ魔梟ストラ、親衛隊の紋章だ!」

 どうやら六歳にして見分けがつくらしい。ラルフは瞳を輝かせてヴァリアンテを見つめている。

「おおおお、俺が欲しいです先生!」

「なんですかそれ、いいなぁ!」

「坊ちゃん、俺にも見せてくれ」

 ラージャに呼応するように、遠巻きにしていた他の酔っ払いたちが騒ぎ出す。師団や騎士に憧れを抱くものなら当然の反応かもしれないが、子供と張り合うのは大人気ない。ヴァリアンテは子供を守るように、有無を言わせない笑顔で立ち塞がった。

「大きい子供たちは自分で集めるように。たぶん、秋祭りあたりで王城の売店に並ぶと思うから」

「そうよ! おじさんたちは我慢してよ!」

 ジンジャーが追い打ちした叫びに、一同は一斉に静まった。十三歳の少女に『おじさん』と呼ばれるのは、なかなかに堪えるものがある。実際充分に『おじさん』の年齢ではあるのだが。

「……おじ様より破壊力ありますね」

 客観的な事実は時に人を傷つける。後見人という意味での『おじ様』や『おば様』には年齢の付加価値はないが、中年という意味での『おじさん』は認めたくない部分もある。誰しも己は若いと思っていたい。

 けれど、何事にも例外はいる。

「私なんて君たちより上なわけだから、立派におじさんだねぇ。新鮮だなぁ」

 ヴァリアンテは、はにかんでいた。

 魔力の高さによって老いの速度が変わるので、外見で年齢を測ることは難しい。しかもヴァリアンテの場合は、カーシュラードと同じくダークエルフの血を継いでいるから不老だ。二十代の中頃で老いなくなってしまったから、おじさんと呼称された経験は皆無に近い。

 嬉しそうに微笑むヴァリアンテに対して、同窓生たちは複雑な表情だった。見た目の若さを羨んでいるというより、何年たっても変わらない美貌の恩師が中年をこえている事実を認めたくないのだ。カーシュラードも、そんな感情をどことなく理解できた。

「……お姉さんじゃ、ないの?」

 ぽつりと、ラルフがヴァリアンテを見上げて言った。それはあまりに純真無垢なつぶやきだった。

 カーシュラードは一応の礼儀として、爆笑することは控えた。耐えきれずに肩を震わせてカウンターにもたれかかるが、馬鹿笑いをしないだけ許してほしい。

 ヴァリアンテは綺麗な顔をしている。どちらかといえば女顔ではあるだろう。身長も平均的なカーマ人男性よりはわずかに足りない。全体的に華奢な印象を受けるが、骨格は男性だし、声も女性的ではない。ただ、見ず知らずの子供が勘違いしてもおかしくない容姿では、ある。

 美しさの基準として女性性を持ち出すことはかまわない。美醜の感性は別として、肉体的な特徴は不偏だからだ。けれど、卑下の対象としての言葉ならば容赦はしない。ヴァリアンテの見た目で舐めてかかって返り討ちにあった者は、カーシュラードを含めて数え切れないが、彼に一度負けてしまうと外見で茶化すことはできなくなる。

 ヴァリアンテが女性と間違われて笑えるのなんて、この場ではカーシュラードくらいなものだ。

「少年には夢を持たせてあげようね」

 彼はあえて訂正することなく、笑みを浮かべたままラルフの頭を優しくなでた。

「バッチをありがとう! ぼく、大きくなったら親衛隊にはいって、あなたをお嫁さんにしますね!」

「楽しみにしとくよ」

 目の前にいるのが親衛隊長そのひとだと、わかっていないのだろう。ラルフの夢は子供らしく無邪気だ。ヴァリアンテも子供の夢を壊すような大人げないことはしなかった。

 だが、カーシュラードはぴたりと笑いを止めた。六歳児だろうが、譲れないものはある。年齢など関係ない。

「よ、よかったな、ラルフ! お前はもう寝ろ! アレグラ、ラルフを連れてってくれ」

「やだよ! ぼくまだ眠くない!」

「いいから戻れ。頼むから!」

 嫉妬はするが、子供に手を出すほど落ちぶれてはいない。だが、ひと睨みくらいは許されるのではないだろうか。

 カーシュラードのそんな挑戦は、父親が子を守る行動によって阻止された。子を守るだけじゃなくて、親友に同情してくれたのかもしれない。

 ラージャにはヴァリアンテとの血縁関係を一切教えていないが、公に恋人だと言えないのだと伝えていた。地位を保ったまま愛しあうためには、煩わしい思惑が多すぎる。

 師団長に祭り上げられた理由は納得ずくだが、この大国で政治的な地盤を固めきるにはまだ数年は足りないと感じていた。無用なスキャンダルはできるだけ避けたい。けれど、忠誠も愛も、どちらも捨てたくはない。そうなれば、選ぶ道は限られてくる。のらりくらりと追求を躱し、真実を隠してしまうほかない。

 おっとりとした妻が息子をなだめ、年上の姉が気を利かせる。ラージャは父親の顔で子供たちの頭をなでていた。何の変哲もない、普通の家族がそこにある。

 それは絶対に、自分では手に入れられない光景だ。カーシュラードは彼らを羨ましくはならないが、守らねばならないとは強く感じた。

「……きっと、君が親衛隊の門を叩いたとしても、私は変わらずそこにいるよ」

 手を振って子供たちを見送るヴァリアンテは、笑顔の裏でかすれた声で囁いた。

 ごく普通の営みの輪から逸脱していることを、彼も感じているのだ。若さや美しさを持ち出されるたび、カーマ人ではないのだと痛感する。

 実兄の気持ちが手に取るようにわかった。そして、この世で自分にしか、わからないだろう。

「あなただけじゃない。僕たちは、ですよ」

 カーシュラードは重い正装を脱いだ。すぐ隣に佇むヴァリアンテをこの場で抱きしめられないことが、あまりに切なかった。

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