ついに関係がバレた話 -1-

 ヴァリアンテはこれ以上ないほど焦っていた。

 軍馬に補助魔法をかけ、それでもまだ足りないとはやる気持ちを必死で抑えつけて手綱を握る。不安と恐怖で押しつぶされそうな心が悲鳴を上げていた。

 向かう先は、王都カーマ。



◇◇◇



 遡ること、五日前――。


 カーマ王城は複合する施設も多く、正統王家の邸宅も兼ねているから、その規模は国内でも有数の建造物だ。増改築をした回数を正確に覚えている者はいないが、無数の尖塔とそこを繋ぐ空中回廊はなかなか見応えがある。迷路のような王城には、区画移動用の転送門がいくつも設置されていた。

 国民へ解放されている部分は下層の一部分のみで、上層階にあがるほど、立ち入り制限が厳しくなる。カルマヴィア正統王家の居住区ともなれば、限られた使用人と親衛隊員しか許されない場所だ。

 居住区画の手前には、ガーデンパーティーのできるバルコニーがあった。ここは自由に出歩くことの許されない女王の憩いの場だ。

 爽やかな初夏の日差しは優しく、魔術結界によって弱められた風が美しく育てられた植物を優雅に揺らす。大きな花に小さな花。赤に黄色にピンクに桃色。丸テーブルにはお菓子とお茶が並び、テーブルを囲んで幾人の男女が歓談に興じていた。

 そんな大人たちから離れ、子供がひとり、つまらなそうに花をむしった。

「ジューヌ、無闇に摘むものではないわ」

 カーマ女王ヴァマカーラが、子供の小さな背に言葉を投げた。命令ではないけれど、その口調は優しい厳しさに満ちている。まだ少年とも少女ともつかないその子の姿は、けれど、女王にとてもよく似ていた。

 少女は正式にはジューヌベリアという名前だ。朱殷しゅあん色の髪と尖った耳を持つ、ヴァマカーラの第一子、継承第一位王太子だ。

 ジューヌベリアは女王の咎めを聞いていたものの、返事をしなかった。勉強を強要されないかわりに、大人たちの会話に混じって静かにしていなくてはならない。疎外されているわけではないが、そばにいればいたで猫かわいがりされるので、お人形扱いをされているみたいで我慢できなかった。

 お菓子も食べ終わってしまった。子守りや家庭教師の顔など毎日見ているから珍しくもない。バルコニーの中なら草花を見て回ってもいいと言われたが、花を見てもつまらない。ここには虫も鳥もこないのだ。それに、走っては駄目と言われている。せめてダンスのステップの練習ができたなら、きっと楽しいのに。

 ダンスを教えてくれるひとは、しばらく前から仕事だとかで、姿を見かけなかった。お母様と私を守ることが仕事じゃないのだろうか。そんなこととを考えると、胸がむかむかした。

 これ以上怒られるのも癪なので、ジューヌヴェリアは地面を蹴って、ふんっ、と鼻を鳴らした。顔を上げた視線の先に嫌いな相手がいて、顔をしかめる。

 大きな男だ。真っ赤な髪と、いつも真っ黒な服とマントを羽織っている。それに、笑い声の聞こえる武器を腰から下げていた。カーシュラード・クセルクスという名前は、何度か教えられていたので覚えている。忘れてしまいたいけれど、えらいひとの名前は覚えなくてはいけない。

 ずいぶん高い位置にある顔が笑顔を浮かべていることはわかるけれど、気に入らないものは気に入らない。ジューヌベリアは子供らしい癇癪で、カーシュラードをにらみつけた。

 あいつはヴァルと仲がいいから、きらい。

 鼻に皺を寄せたジューヌベリアは、感情のまま男に背を向けた。カーシュラードじゃなくて、ヴァリアンテがいてくれたらいいのに、と考えて泣きたくなった。

 ヴァリアンテは女王を守る親衛隊の隊長だ。ジューヌベリアにも親衛隊はついているけれど、口うるさい自分の親衛隊より、ヴァリアンテになついていた。

 もちろん、怒られることもある。けれど、謝ればちゃんと許してくれるし、彼はいつだって話を聞いてくれる。きれいで、良い匂いがして、甘い甘い砂糖菓子みたいだった。

 母であるヴァマカーラと接する時間は限られているのに、最近は腹が大きくなってきたので、その時間も短くなっていた。弟か妹ができるらしい。けれど、母との時間が減るのなら、べつにほしいとは思わない。

 さみしくてたまらない。そのくせ、ジューヌベリアは生まれ持っての勝ち気さが禍して、さみしさを訴えることをしなかった。必死に耐える少女を理解してくれたのはヴァリアンテで、いつも慰めてくれる彼のことが大好きだった。

 けれど、あのカーシュラードがくると、ヴァリアンテを取られてしまうのだ。ジューヌベリアが知らない顔で笑ったり怒ったりする。母が自分を見るときのような目をすることもあれば、父が母を見つめるような目をすることもある。私にはそんな目で見てくれないのに、と子供ながらに悔しかった。だから、カーシュラードのことが嫌いだった。

 小さな世界しか知らないジューヌベリアは、それでも、カーシュラードが軍人であることは知っていた。軍人は国を守る者だ。国の大きさや意味を完璧には理解していなかったが、親衛隊とは違う生き物であることはわかっていた。カーシュラードはその軍人の中でも一番強くてえらい。だから、女王のお茶会にも招かれる。

 それでも、とジューヌベリアは思う。軍人はたくさんのひとを守るけれど、ヴァリアンテはお母様と私を守ってくれるのだ。ヴァリアンテは特別だ。だから、早く帰ってくればいいのに。

 ヴァリアンテがいないと、城の下の階まで遊びにいけないのだ。城の外にはもっと、たくさん、ひとがいるらしい。行きたいとお願いしても、みんなが駄目だと言う。ヴァリアンテは、もう少し大きくなったら、連れて行ってくれると言った。もう少しなら、待っていてあげてもいい。

 欄干の手前、花壇の前でしゃがみこんだジューヌベリアは、星形の葉を眺めた。白い模様が入っている。変わった模様を見つけて暇を潰すしかやることがない。

 石でできた欄干は蔦植物で覆われていた。隙間から外が見えないかと思って、しゃがんだまま左右に身体を揺らした。ちらりと見えた外の景色は、部屋から見る景色とは違っていた。白や茶色や赤や黒、いろいろな屋根が密集して、蛇みたいに道が這っている。どんな家があるのだろう。このバルコニーにいるより、よほど楽しそうだ。

「ジューヌベリア殿下、あまり近付くと落ちますよ」

 背を向けて離れたはずなのに、いつのまに近くまできたのだろう。カーシュラードに声をかけられて、楽しい気持ちがしぼんでしまう。

「魔術があるから、誰も落ちないって知ってるわ」

「そうですね」

 返事はそれだけだった。怒られた訳でもないのに、腹が立って、ジューヌベリアはそっぽを向いた。

 王城の上層階は全ての窓やベランダやテラスなどに、通常では乗り越えることができない魔術が組み込まれている。古い時代に建てられたものには欄干の類がない場所もあるし、足を滑らせて落ちてしまえば助かる高さではない。結界魔術の一種は定期的に点検がされているので、これまでに落下事故はほとんどなかった。

 高所で育ったジューヌベリアはまだ、落ちるとどうなるかという恐怖心がなかった。説明をされても、城下から王城を眺め上げたこともないので、実感がないのだ。ただ、落ちてしまえば大変なことになるらしいとだけ、理解していた。だから、窓から外に飛び出してみようとは、思わなかった。

「?」

 蔦植物の隙間に、光る何かをみつけた。赤茶色から緑に色を変える、鳥の羽根だ。葉に紛れて刺さっている。緑の部分が大陽の光でキラキラしていた。黒になったり紫になったり、不思議で素敵だ。図鑑でも見たことのない羽根だったので、欲しくなった。

 風に飛ばされて行く前に、つかまえないと。

「ジューヌ?」

 ヴァマカーラ女王が訝しげな声で娘を呼び、急に立ち上がろうとして侍女に止められていた。

 きっとお小言を言われるのだ。どうせ叱られるなら、あの羽根をとってからにしよう。せめてもの慰めになるだろうから。

 ジューヌベリアは急いで身を乗り出して、綺麗な羽根をつかもうと手を伸ばした。風で揺れる羽まで、もう少し。指が届いた瞬間、急に羽根が近くまで飛び込んできた。少なくとも、少女にはそう思った。羽根を逃がしてしまわないよう、ぎゅっと握りしめる。

「ジューヌッ!?」

「姫様!?」

 大きな声が遠くで聞こえる。これは本当に叱られてしまうと思って立ち上がろうとしたのに、足が空を蹴った。なぜだか身体が軽くて、とても不思議な感覚だった。

 どうしてだろう。見上げた緑のむこうに、お母様の顔が見える。泣きそうな顔だった。大きく瞳を見開いて、あんなに悲しそうな顔を見たことなんてない。

「おかあ、さま?」

 急に怖くなって言葉を紡いだ途端、嵐のような轟音が聞こえた。母の顔がどんどん小さくなっていく。うるさくて、寒くて、何がなんだかわからない。怖くなったジューヌベリアは、ぎゅっと両目をつむった。

「殿下、歯を食いしばっていてください」

 音と寒さが消えて聞こえたのは、大嫌いなカーシュラードの声だった。温かくて硬い。レモンと何かのハーブみたいな、不思議な匂いがする。これは知ってる。たまに、ヴァリアンテからも感じる匂いだ。

 何語かわからない低い歌が耳をくすぐった。肌がざわざわした。何をされているのかわからないが、カーシュラードに抱きしめられているということだけはわかる。

 レディに気安くふれるものではないと教わっていた。こういうときは、相手に対して「無礼者」と叫べばいい。ジューヌベリアは教えられたように叫んで、当然のように暴れた。

「ッ……ぐ、っ」

 歌が途切れたと思えばうめき声が聞こえた。さらに強く抱きしめられ、ジューヌベリアは恥ずかしくなる。もがいて逃げだそうと思ったのに、カーシュラードの拘束は一切緩まない。

 けれど、全身で感じる衝撃に驚いた。尻餅をつくより痛くはないけれど、揺さぶられるような感覚は初めてだ。

 さらにもう一度衝撃があって、何かがボキリと折れる音がした。引っ張られていく体感が消えたかと思えば、すぐにまた下へと落ちていく。最後に、一番大きな衝撃と大きな音が聞こえて、それっきり何も感じないし聞こえなくなった。

 わけがわからなかった。瞼を開いても何も見えない。真っ暗だ。金色の刺繍が見えるので、闇の中にいるわけではないのかもしれない。

 いったい、どうしてしまったのだろう。カーシュラードに抱きつかれているのに、母も親衛隊も誰も何も言わないなんて、そんなことがあるだろうか。子守りだって、家庭教師だっているのに。

 ジューヌベリアは混乱していたが、必死に状況を把握しようと思考を巡らせていた。とりあえず、このまま抱きしめられていては、何もわからない。

 もがけばもがくほど、動けなくなる。押しつぶされそうになっているのだと気づいて、必死に腕を伸ばして押しのけようとした。

「は、はなしなさい! 無礼者!」

 声を出すことを思い出して、ジューヌベリアは震える声で叫んだ。すると、うなるような、溜め息のような声が聞こえ、ふいに身体にかかる重さがなくなった。視界が開ける。明るさと眩しさに瞳をしばたかせて、やっと目が慣れると、自分が地面に座っていることに気づいた。

「殿下、……どこか痛いところは、ございませんか?」

 跪いたカーシュラードが、ゆっくりとした動作でマントを引き寄せて身体を隠してしまう。黒い刀を鞘ごと地面に突き立てて、腕を絡ませていた。騎士の礼にしては、ずいぶん下手くそだ。

 いつも笑顔を貼りつけたような男は、今も笑みを浮かべてはいるけれど、黒い瞳だけは真剣だった。怒っているわけではないのに、なんだか怖い。だから、質問を無視することも気が引けて、ジューヌベリアは自分の身体に痛いところがないか確認した。右手で掴んだ羽根はくしゃくしゃによれていた。それでも、つかまえていられてよかった。

「……ないわ」

 痛いところはなかったけれど、ドレスのところどころに赤い染みがついている。まるでクランベリージュースをこぼしてしまったように、レースが汚れてしまっている。このドレスは気に入っていたのに。

「それはよかった。……ああ、汚してしまいましたね。申し訳ありません」

 眉間に皺を寄せながら微笑を浮かべるカーシュラードの言葉に、染みの原因が自分でないと知ったジューヌベリアは安堵した。よかった、怒られずに済む。汚したのがこの男ならば、責めてもいいのだろう。

 文句のひとつでも言ってやろうとしたジューヌベリアは、周囲のざわめきに気づいて口を閉じた。きょろきょろとあたりを窺えば、見たことのない者たちがこちらを遠巻きにしている。赤い軍服、黒い軍服、近衛兵の制服。みんな怖い顔をしていて、ジューヌベリアは怖じ気づいて後退った。

「クセルクス師団長?」

「いったい、どうして――」

「静かに。ジューヌベリア殿下の御前です。急ぎ親衛隊をこちらへ」

 鋭く言い放ったカーシュラードに、近づいてきた大人たちは全員が動きを止めて静かになった。近衛兵のひとりが逆方向に駆けだしていく。赤い軍服を着た軍人たちが、何事かと見にこようとする野次馬を追い返していた。

「ここはどこなの」

 さすがのジューヌベリアも、バルコニーとは違う場所にいることは理解した。ただ、どうして、どうやって移動したのかだけは、わからない。カーシュラードに誘拐されたのだろうか。

「王国軍本部と城を結ぶ庭の端です」

「あたしは、バルコニーにいたのよ。どうして庭にいるの」

 庭と言われてもどこの庭なのかはわからないけれど、尋ねずにはいられない。だが、カーシュラードは曖昧に微笑むだけ。

 その時だ。

「姫様ぁあ!」

「ジューヌ様! ご無事ですか?」

 風のように駆けつけた親衛隊員たちに、ジューヌベリアは抱き上げられた。身体のあちこちを触られて、怪我がないかを確かめられる。

「やめてちょうだい! あたしはもう赤子ではないのよ!」

「あああ! よかったぁああ! 心臓が止まるかと思いましたよ!」

「子守りは気絶しちゃうし、女王陛下はかんかんですよ! 本当に、本当に、ご無事でよかった!」

 軍人とは違い王族に対して親密度の高い親衛隊員たちは、ほとんど半泣きで、じたばたと暴れる王女をぎゅうぎゅうに抱きしめていた。ジューヌベリアがわめこうが怒鳴ろうが、抱きしめたまま離す気はない。

 そうやってひとしきり無事を喜んでいた隊員のひとりが、あらためてカーシュラードの前に立った。最高礼に近い姿勢で腰を折る。

黒羆バラム師団長、カーシュラード・クセルクス閣下、貴殿にはいくら感謝を告げても足りません。即座に殿下を追った判断とそのお力、崇敬の念をおくるとともに、深謝いたします」

「いえいえ。殿下が無事で何よりです」

 涙ながら手をさしのべる親衛隊員に、しかし、苦笑を浮かべたカーシュラードがその手を握り返すことはなかった。

 口調も笑顔もいつもと変わらないが、何かがおかしい。瞬間的に異変を察知したのもまた、親衛隊員そのひとだ。ジューヌベリアが五体満足だったことに喜んでいて気づかなかった。跪き、身体を覆ったマントの隙間から、地面に赤い染みが広がっていく。

「……もしや」

 土埃に混じって血の匂いがする。親衛隊員とて騎士だ。血臭を知らぬはずがない。

「お怪我を?」

「たいしたことでは、ありません」

 カーシュラードは飄々と返しているが、彼が立ち上がらないというだけで充分に異常な事態だ。血の筋が血を這うほど出血しているなら、大怪我に違いない。

「誰か、衛生兵か医者を!」

 親衛隊員の叫びにぎょっとしたのは軍人だ。けれど、驚きに立ち尽くすことはない。訓練成果を発揮するように素早い動きで各々が走り出す。

「あまり大事にはしないでください。そう簡単に死ねないので、僕のことなど結構です。まずは殿下を陛下のもとへお連れなさい。陛下のお身体に障ることがあってはいけません」

 カーシュラードは静かに告げた。

 ジューヌベリアは抱き上げられたまま、大人たちのやり取りを聞いていた。口を挟んではいけないことくらい、理解している。だから、カーシュラードの黒い瞳を、こわごわと見つめていた。

 何か大変なことがあったのだ。けれど、彼は笑みを浮かべている。怒ったり注意をすることもない。どうしてなのかわからない。その答えは得られないまま、ジューヌベリアは親衛隊員たちに王城の上層階へと運ばれた。

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