ついに関係がバレる話 -2-

 王都の隣領で親衛隊の実技研修を終えたヴァリアンテ・ゼフォンは、部下の隊員たちとともに黒羆バラム師団の基地に立ち寄った。

 カーマ王国の土地は広く、都市から都市への移動は馬が頼りだ。魔脈に乗って転移する転送門はあるけれど、基本的には軍属でなければ使用が許されていない。その例外の最たるものが親衛隊だが、ヴァリアンテの方針として緊急時以外の使用は控えるようにしていた。兵舎のゲストルームを借りるくらいの距離感を保っていたい。

 それに、このルーノ基地は王都から一番近く、常歩でも半日あれば到着する。わざわざ転送門を使うまでもない距離だった。

 すでに日は暮れて、夕食にありつけるかギリギリのところだ。事前に利用申請はしてあるが、予定より大幅に時間が遅れてしまった。出発時、領主の長話に付き合わされたのが痛手だ。研修がはかどったので一日繰り上げて帰ることにしたせいだろう。相手は王族なので邪険に扱うことも難しい。だがまあ、無理に急いで帰る必要もなかった。

「ゆっくりお風呂につかりたいわ」

 厩番に馬を預け、数日分の荷物をつめた鞄を片手に隊員がぼやく。

「筋肉痛の上塗りで内腿がおかしくなりそう」

「王都にも乗馬訓練場を作ればいいのに」

「王都なら落馬した瞬間に、街中の噂になるぞ」

「それもそうね……」

 小声でかわす愚痴に近い言葉に、ヴァリアンテは内心で同意した。雑談をしていても、彼らのにこやかな笑みと上品な態度はかわらない。粗雑な態度は、この騎士服を脱ぐまでお預けだった。

 親衛隊の制服は高貴な色とされる朱殷しゅあんの騎士服だ。道中でそれだと目立つので各々薄手のマントを羽織っている。けれど、留め金にはカルマヴィア家の紋章と騎士章が刻印されているから、わかる者が見れば身分は一目瞭然だ。

 基地の正面玄関から受付へ向かうあいだ、兵士達の視線が四方八方から降り注いだ。親衛隊員となるのなら、常に見られていることを意識しなくては。ヴァリアンテはすっかり慣れてしまった。

 親衛隊は国主に仕え、ときに主の代弁すら許される忠誠の騎士だ。大半が剣位持ちで構成される選ばれし者という側面も強く、なりたいと思ってなれる職業でもないため、憧憬を向けられることは少なくない。だが、仕える主に恥をかかせないために清廉潔白な印象を保つのもまた、親衛隊の仕事だ。表情と会話がちぐはぐなのは、そんな隊員達が編み出した荒技だった。

「明日は朝食の後で出立予定だから、それまでは自由時間にしよう。ハメは外さないようにね」

 ヴァリアンテは部下に微笑を向けた。隊服を脱いで剣技の訓練をするなり、公衆浴場を利用するなり自由だが、親衛隊のなんたるかを心得ている者なら矜持は忘れないだろう。

「夕食のあとで報告書をまとめておきます」

「ありがとう、イリニヤ」

 宿泊申請の確認を済ませた彼女は、隊員たちに部屋割りを伝えてくれる。

 親衛隊員となって六年目のイリニヤは、事務的なことによく気がつく。いまは同じ女王の親衛隊員だが、次に生まれる王子か姫の専任騎士に抜擢するつもりだ。ただ、仕える主との相性もあるので、彼女の出世はもうしばらく先のことになるかもしれないが。

 荷物運びは新人たちに任せ、ヴァリアンテは通信部へと足を向けた。転送門は人よりも物を運ぶことの方が多い。王国軍内の情報はどれほど王都と離れていても、ほぼ時間差なく共有される。

 明日になれば王都に戻ることになるけれど、情報は重要だ。事前に知っておくのと後から知らされるのでは、あらゆる対処が変わってくる。親衛隊員であれば師団の情報網を利用させてもらうことも許されているので、利用しなければもったいない。

「カルマヴィア王家親衛隊のゼフォンと申します。ここ数日で何か重要な情報があれば、開示していただけませんか?」

「おや、これは珍しい。少々お待ちを」

 受付カウンター越しに声をかけると、眼鏡をかけた中年男性が大きく瞳を見開いた。けれどそれ以上騒ぎ立てたりはせず、落ち着いた動きで書類を挟んだ板を取りだした。何枚か紙をめくって、指を止める。

「そうですな、一番新しいものですと、グレイグス領で豪雨による土砂崩れが起きたと報告が上がっております」

「被害は?」

「復旧作業で軽傷者が出ましたが、土砂崩れによる死亡者はありません。民家から外れていたそうです」

 ヴァリアンテはうなずく。通信兵は新しい出来事から古い順へ情報を遡り、途中で「ああ!」と声を上げた。

「そうでした。昨日届いた二級機密文書がありました。黒羆バラム師団関連の情報らしいです」

「何か事件か襲撃でも?」

「二級機密は私では閲覧できません。どうぞご確認ください」

 黒く塗られた木製のバインダーを渡され、ヴァリアンテはおとなしく受け取った。黒羆師団と親衛隊に直接的な関わりはないけれど、もっとも身近な相手が所属しているので、知れるものは知っておきたい。

 二級機密となれば基地の司令官やその副官クラスでなければ閲覧不可能な文書だが、親衛隊はその権限すら上回る。魔術認証印だけが捺された白い紙面をなぞって魔力を通してやると、ヴァリアンテにだけ読める状態で文字が浮かび上がってきた。


『王都にて、黒羆師団クセルクス師団長負傷。重度外傷。入院中につき緊急書簡以外の処理は遅延のこと。接見予定は事務官へ要確認。緊急度:低』


 たった数行の内容を、初読で理解できなかった。息をつめたヴァリアンテは、ゆっくりともう一度読んで脳裏に刻みつける。

「な、何かあったのでしょうか?」

 白皙の美貌が青ざめる様子を直視してしまった通信兵は、慌てて声をかけた。機密文書の内容を尋ねた失態に気づいてもごもごと前言を撤回する。

 日付は四日前のものだった。この施設に届いたのが昨日ということは、緊急度が低いことの証左かもしれないが、内容を考えるとどうして緊急性がないのかわからない。師団長が負傷するなど、大事ではないか。

 ヴァリアンテが王都を離れていたのは六日だ。たったそのあいだに、何があったというのだ。

「誰か……、誰か王都から来た者はいませんか?」

 通信兵は宿泊者名簿に目を通し、別の兵士に指示をだした。兵士が受付を飛び出していく。ヴァリアンテが祈るような気持ちで兵士の背中を見つめていると、イリニヤに肩を叩かれた。

「隊長、何かあったんですか?」

「イリニヤ……、ごめん。個人的にちょっと……」

 規範であるべき親衛隊長が取り乱すなんて相当な事態だ。気遣ってくれる彼女にバインダーを見せた。魔力をこめて書面をなぞり、素早く読んで息を飲む。

「情報はこれだけか? 追加は届いていないの?」

 イリニヤが中年の通信兵を問い詰めるが、届いてませんと返事が返るだけだ。あまり一般兵を刺激してはいけない。動揺を伝搬させるなど親衛隊員としてあるまじき姿だろう。

 深呼吸で心を落ち着かせたヴァリアンテは、機密文書が挟まれたバインダーを通信兵に返した。入れ替わるように黒羆師団の若い兵士が駆けてくる。通信部の彼らに礼を伝え、黒い軍服の青年を離れた場所に引っ張っていった。

 親衛隊員だと気づいて直立不動になっているが、挨拶や説明もそこそこに疑問をぶつける。

「君、黒羆バラム師団長に何があったのか知ってる?」

「う、噂程度なら、聞きました」

「それでいい。教えて」

 親衛隊員に詰め寄られるなんて思ってもいなかった兵士は、壁に背をはりつけたまま緊張をなんとか押さえつつ口をひらく。

「何かの事故があったようで、師団長が入院したと聞きました。面会謝絶だとか、命に別状はないとか、無傷だったとか、色々言われてましたけど、ちょうどおれ、いや、自分の出立の時期と重なっていたので、詳しく知りません……。ただ、指揮系統が混乱しているとか、そういうことはありません。任務変更もなく、王都は平穏でした」

 他に詳しく知っている人物がいないか尋ねてみたけれど、王都から移動途中の兵士で、彼以上の情報を持っているものはいないということだ。

 礼と口止めをして兵士を解放したヴァリアンテは、情報の少なさに顔色をなくしたままだった。どうしても悪い方へと考えてしまう。

 現在の黒羆師団長、カーシュラード・クセルクスは、ヴァリアンテにとって忠誠を捧げた女王の次に大切な相手だった。彼は非公式ではあるが血の繋がった実の弟で、ヴァリアンテと同じくダークエルフとカーマ人の混血だ。

 ダークエルフは人間ではない。老いもせず寿命も定かではなく、首を切り離しでもしなければ、そうそう死ぬこともなく、怪我を負ってもすぐに治癒してしまう。そんな魔族の血を半分持っているので、ヴァリアンテも弟も外傷には驚くほど強かった。

 そのカーシュラードが重傷を負っている。どうしたら重傷を負えるのかわからない。

「隊長、先に王都へ戻ってください」

「イリニヤ……」

「親衛隊員が揃って街道を爆走すれば注目されます。それに単騎の方が早く進める。研修は終わっています。ひよっこの面倒は私だけでも充分ですよ」

「……でも」

「隊長が黒羆バラム師団長と親しいことくらい知っていますよ。大切なひとなんでしょう? あなたは公私混同がお嫌いなことも知ってますが、今は例外です。陛下に何かあったのなら、我らに通達がこないはずがない。だから、私的な理由で動いたって、あなたが愛するひとの元へ駆けていったって、誰が咎められるでしょう。むしろ、我々に情がないと思われないためにも、行ってください」

 安心させるように微笑んだイリニヤは、ヴァリアンテの肩を抱いた。二十は年下の彼女は、まるで母親のような優しさで包みこんでくれる。母親の情など知らないけれど、彼女の抱擁で動揺が薄れたのは事実だ。

「我らは冷徹であっても冷酷では務まりません。優先順位は確かにあるし、命の天秤でどちらが傾くか覚悟も決めているけれど、情を捨てては忠誠など誓えないでしょう? あなたが私に教えたんですよ」

「……ごめん」

「わかってます。大丈夫。尊敬こそすれ、あなたに幻滅したりしませんから、ほら、早く」

 イリニヤに背中を押され、ヴァリアンテはようやく決意した。

「後を頼むよ」

「了解です。お気をつけて!」

「ありがとう!」

 荷物をつかんで踵を返す。馬番をつかまえて足の速い馬を借りる交渉をすると、すぐに鞍をつけて出立の用意をしてくれた。親衛隊としての地位を乱用している気もするが、ありがたく馬を借りた。

 急いでいるが速度は出せても速歩はやあしまでだ。日が暮れているし、いくら気分的に緊急事態でも、馬を酷使して使い潰すわけにはいかない。馬の交換施設はあるけれど、私用も同じだから利用するのは難しい。それに、魔獣が出没するかもしれない夜間に全速力で走るのは危険すぎる。休憩させながら進むのが、結果的に一番早く王都へ到着するだろう。

 なんとか頑張ってくれと願いながら馬の首をなで、補助魔術を詠唱する。魔力を持たない馬にどの程度の効果がでるかはわからないが、何かせずにいられなかった。ヴァリアンテは祈るような気持ちで、膂力をあげる術をかけた。

 どうか無事でいて。

 考えるのはカーシュラードのことばかりだ。戦闘で傷を負うことはあっても、放っておけば勝手に回復する。「刺されたり切られたことは何度もありますけど、王都に戻る頃には塞がってますね」と彼は笑っていた。傷跡すら残らない。さすがに腕や足を切断されてはどうなるかわからないが、さいわいにもそこまでの大怪我を負ったことはなかった。

 王都の外で演習を行うときは何週間も帰らないこともあるのに、カーシュラードはヴァリアンテが研修で半週間いなくなるだけで、さみしいと甘えていた。いい歳をして何を言ってるんだと呆れていたけれど、素直に甘やかしておけばよかったと後悔がよぎる。

 カーシュラードは実弟であるが、恋人や伴侶も同じ相手だった。体温を分け合い、身体を繋げ、愛しあっている。唯一無二の相手だが、兄弟であるからこそ、恋愛関係を公にはしていない。

 いくらカーマが未成年さえ対象にしなければ、恋愛において性別や人数に寛容だとしても、さすがに実の兄弟や親子での関係は忌避する。近親婚になりがちな王族でも、あまり近すぎる血筋は避けていた。

 もっとも、そもそも兄弟だという事実はどんな書類や家系図にも載っていないのだ。ダークエルフとの混血であることは公表しているが、赤の他人ということになっている。ヴァリアンテは孤児として育ったし、カーシュラードは王族だ。

 公式に出自の接点はないけれど、兄弟であることを誰も知らないわけではない。実の父は勿論のこと、ヴァリアンテの養父も正確な出自を知っている。彼らにはカーシュラードと兄弟愛以上の関係であると知られたくなかった。

 今さら弟とセックスをすることに葛藤はないけれど、父と養父に対してわずかばかりの罪悪感がある。嫌悪を向けられるのが怖いのかもしれない。そんな気持ちもあって、誰に何を聞かれも、カーシュラードとの関係をのらりくらりと躱していた。

 だが、気づいてしまった。

 カーシュラードの一大事に、自分には知らせてもらえる権利がないのだ。

 実の兄だと名乗ることもできず、恋人でもないのなら、ただの親しい知人でしかない。役職的に重要事項の共有はあるが、軍事に関わらない場合の緊急連絡をするには優先順位が低すぎる。万が一何かあったとしても、真っ先に教えてもらうことはできない。

 ああ、そんなのは。そんなのは嫌だ。

 無事であれという心配が、憤りに変わる。最悪を想像してしまい、恐怖に指が震えた。歯を食いしばっていなければ泣き出してしまいそうだ。

 ヴァリアンテは誇り高き親衛隊の隊長という立場ではなく、ひとりの兄として、恋情に身を焦がす者として、カーシュラードのもとへと駆けていた。

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