ついに関係がバレる話 -3-

「右肩脱臼に左下腿骨折、あばらは何本だ」

「二本です」

「ついでに刺傷か。立派な戦歴じゃないか」

 事故から四日後の深夜に近い時刻。コーヒー豆を見舞いの品に持ってきたマキシマ・M・マクミラン――M3モトリが、寝台で横になるカーシュラードを眺めて不遜に言い放った。聖霊灯の淡い明かりでほとんど黒く見える髪を後ろになでつけているので、顔の左半分を覆う霊印シジルがよくわかる。

 面会時間どころか消灯時間すらとっくに過ぎているけれど、女王の夫である男には全く関係がないらしい。しかも護衛や親衛隊を誰ひとりつれていないのだから、政務官たちの心痛を察してあまりある。

 ただ、M3はこの国で最強の戦魔導師だ。小柄で運動とは縁遠いけれど、その絶大な魔力のせいで暴漢を一撃で殺すこともできる。護衛はいるだけ邪魔かもしれない。

 ここは師団付属病院の一室だった。カーシュラードがあてがわれた特別個室は、応接用のソファとテーブルが設置されているほど広い。高官や師団長が入院するに相応しい部屋だった。

 転落事故後、当事者であるカーシュラードが痛みを忘れて苦笑を漏らすほど、その場が一時混乱した。

 国防を担う黒羆バラム師団、その最高位にある者が重傷を負ったのだ。事態が一般へ広まらぬよう高士官が駆けつけて処理にあたり、傷を負ったカーシュラードはすぐに師団付属病院へと運び込まれた。

 怪我の原因が原因なことと、その役職の重要性から、カルマヴィア家付きの外科医師と回復術専門の魔導師が担当医となった。だが、軍人として痛みと傷に慣れた本人より、周囲の者がその重傷さに頭を抱えた。

 複数の骨折に加えて、一番酷かったのは脇腹を貫く木の幹による傷だ。普通なら昏倒している。そうでなくても悲鳴のひとつくらい上げて然るべき怪我だ。

 手術室に運び込まれ、身ぐるみを剥がされたカーシュラードはしかし、出自を知る外科医師によって治療方針の変更を余儀なくされた。

 プライドのせいでやせ我慢をしているだけで、痛いものは痛い。さっさと処置をして気絶してしまいたい。それなのに、手術室には正統王家付きの医療団以外も集まってくる。彼らの視線は医療従事者ではなく研究者の目に変わっていた。

 そして彼らは、えげつない要求を突きつけてきた。

 いわく、生命維持に必要な最低限の回復術以外は使わず、自己治癒力でどの程度の回復ができるのか見せてみろ、というのだ。ダークエルフの持つ回復力の研究協力を要請された。

 師団付属の病院は魔梟ストラ師団出身者の巣窟だ。彼らは軍人というより研究者に近い。医療大学出身者は研究より治療を! と叫んでくれたけれど、この場において彼らの立場は弱いのだろう。呆気なく黙殺されてしまった。

 ダークエルフの持つ魔神に祝福された永久代謝細胞など、対象者を確保できないので研究すらできない。これで相手が王族や民間人では手が出せないが、師団に所属している騎士は資材だ。それを、魔梟師団出身者として知っている。タチが悪い。

 早急に無事を証し執務に復帰したいカーシュラードは当然否を告げたのだが、彼らは押し問答の合間に魔梟師団長であり女王の夫であるM3に嘆願した。王配から命を下されて拒否できる軍人は少ない。その数少ない者であるカーシュラードは当然拒否したけれど、聞き入れてはもらえなかった。理不尽が過ぎる。

 完全に職権乱用で研究されることになったカーシュラードは、途中で何もかもが面倒になって全てを投げ出した。結果、個室に隔離されている。

 せめて黒羆バラム師団本部の執務室に移してくれと願ってみたものの、医療棟から往診するほうが手間と金がかかると反発され、事務仕事に必要な書類などはカーシュラード事務長官が運んでくることになった。その頃には呆れてふて腐れ、拗ねて無口になっていた。

 魔梟ストラ師団にはいつか恨みを返そうと決意した。

「花に菓子はわかるが、酒と煙草と……エロ本かよ。なんだこの見舞品のラインナップ」

 黒羆バラム師団長研究許可の判を押した当人であるM3が、並べられた見舞品を品定めしている。そう言う本人が持ってきたのはコーヒー豆だ。

「貴方が王配でなければ殴ってますよ」

「お前は国家資産だ。励めよ」

 国のために身を捧げた騎士にとって、その一言を出されてしまうと反論しようがない。わかっていたし、本当はそれ程気にしていないカーシュラードはただ苦笑を返した。

 M3とは、彼が女王の夫になる以前から付き合いがあった。決して友人ではないけれど、悪態をぶつけても嫌味の応酬をしても仕事や立場に影響しない相手だ。彼の性格を把握しているくらいに接点がある。だから、気軽に不敬発言ができる。

「あの高さから落ちて死なないなんざ、お前は不死身か」

「そうかもしれませんね」

「つうか、もっと上手く使えよ、その魔力。腐ってんじゃねぇのか」

「肩代わり系の魔術の組み立ては久しぶりだったので、思い出しているうちに自分の防御を忘れました。僕もまだ精進が足りない」

「四枚舌持ってながら何ぬかすよ」

「……あまり格好いいことではないので、つつくのはその辺りにしていただけませんか」

 うんざりしたカーシュラードの冷笑で、軽口の叩きあいは終わりを告げた。

 王配の赤紫の瞳が、あらためて怪我人を観察する視線になった。包帯や添え木すらなく、重ねた枕を背に敷いて上体を起こしている。寝間着姿も相まって、重病人というより就寝前に読書をしているような、穏やかな様子にしか見えないだろう。

 だが、知った相手とはいえ王配を前にして跪かないほど、カーシュラードは騎士として腐ってはいない。達者な口はどうあれ、身動きができない状態だった。

「傷の程度は?」

「骨はほとんどくっついています。綺麗に折れていたようで、犬より早いと医師が大はしゃぎですよ。動かすにはもうしばらくかかりますが」

「腹は」

「それはまだ。多分、内臓が真っ先に修復されたと思います。筋肉は後回しになっているらしい。皮膚は塞がっていますけどね。再生されていく感触が気持ち悪い。知ってますか、痛みより痒みの方が精神を病む」

「……ダークエルフというのは、つくづく魔族の血統だな。それ程までとは恐れ入る」

 これはきっと、彼なりに心配しているのだろう。M3が肩の力を抜くのをみて、カーシュラードは彼が緊張していたことに気づいた。快復具合に安堵したのだろう。

 M3は淡い聖霊灯のもと、カーシュラードの漆黒の瞳を真剣に見つめた。ふざけた態度を払拭し、正面から向き直る。

「女王にかわって礼を。ジューヌベリアを救ってくれて、感謝する。復帰したらすぐカーラに顔を見せてやってくれ。本当はあいつが来たかったんだが、俺が止めた。珍しく俺に涙をみせるほど、お前に感謝していた。そして俺からも礼を言おう」

 それは、ジューヌベリアの父としての言葉だった。王配として頭を下げることはなかったが、ほとんど最高礼に近い目礼で感謝を伝える。

「もったいないお言葉です。ありがたくお受けします」

 遠慮や謙遜はしすぎれば非礼になる。カーシュラードは茶化すこともなく真摯に受け入れた。

「ジューヌベリア殿下のご様子は?」

 私情は別としてこれ以上王配に詫びを語らせる気はなかったので、あえて話題を変えた。すると、M3はぐるりと瞳を回して肩をすくめた。

「カーラに涙目で抱きしめた後に張り手をくらったな。王族のなんたるか、騎士のなんたるかを延々説教されて、反省するまで自室謹慎だ。……俺の娘ならあの程度の高さくらい魔術でなんとかしろと言ってやったら、カーラの説教の矛先が俺に向いた。まったく、俺に飴を求められてもやり方がわからんというのに」

「それは……」

 どこに突っ込んでやればいいのか、カーシュラードは言葉に詰まった。

 相手は四歳そこそこの子供だ。魔力の表れが早かったM3は別格として、発展途上のスタートラインに立っているかどうかの子供に要求できるものではない。

 思い起こせば、ジューヌベリア王女は自分が落下していることをわかっていなかった。そんな状態で、もし魔を練ることを知っていたとして、魔術を使えるわけがない。

 そもそも飛翔術の使い手なんて、この国では数人しかいないのだ。その筆頭であるM3だって、幼少期には使うこともできなかったはずだ。ちなみに、カーシュラードも飛翔術は使えない。

 カーシュラードがやったことは、結界術と呪術と補助魔術と衝撃を逃がすための土属性の攻撃魔術の複合技だ。風属性の適正がそれほど高くないことが悔やまれた。

「まあ、説教ついでにな、落下地点を見せてやったさ」

 立ち話に疲れたM3が勝手に椅子を引き寄せ、見舞品を漁って果物のひとつを勝手に食べ始める。無礼千万だが、いつものことだ。カーシュラードにとってM3は、無礼を咎めたくなるような対象ではない。端的に言って、彼の役職と戦力以外はまったく興味がない。

「削れた屋根と折れた木、地面の血痕が何なのか教えてやったら、やっと事の重大さを理解した。その場で泣き出したぞ」

「どんな教育ですかそれは」

「手前のしでかした事くらい手前で理解してなくて何が王族だ。そこまできて、ようやくお前はどうなったのかと聞いてきた。どうやら俺は、ジューヌを甘やかしすぎたらしい」

 カーシュラードは黙った。M3の傲慢さは、計算されたものだ。時に無理難題を押しつけるが、彼は無知や無教養ではない。説明を省く悪癖を持っているだけで、その要求にはちゃんと正当性と真実が含まれている。

「謝罪と感謝は、ちゃんと本人に言ってやれと教えたから、あいつが会いたいと求めたら迎えてやってくれ」

「もちろんです」

 ジューヌベリア姫に嫌われている自覚はあるが、それが子供ながらの嫉妬だと理解している。ヴァリアンテとの恋情を譲ることはできないけれど、敵ではないのだと知ってもらえる機会になればいい。家臣としては、嫌われているより好まれているほうがいいに決まっているのだ。

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