ついに関係がバレる話 -4-
朝焼けに彩られた王都カーマは、ようやく眠りから覚めたぼんやりとした穏やかさの中にあった。朝食に付随する労働者は仕事を始め、屋台を準備する者の姿もちらほら見ることができる。人影はまばらだが、たしかに街は目覚めはじめていた。
王都の正門から伸びる大通りを
カーシュラードが治療を受けるなら師団付属の病院だろう。安全性の面でもそれ以外考えられない。病院は王城や師団本部と同じ区画に建てられている。王都はその立地から、重要施設ほど山岳部を背後にした奥まった場所にまとめられていた。
歩を進めるたび、表に出る住民の数が増えていく。そうなれば馬の速度を落とすしかない。街道を駆けるより、都内に入ってからの方が時間がかかってしまった。もどかしい思いをしながら病院に到着したときには、すでに朝食の時間が近くなっていた。
親衛隊長の姿に驚く近衛兵に馬を預け、自分の名を使って好待遇を与えてくれと頼む。困惑する兵士を振り返ることもなく、ヴァリアンテは病院に飛び込んだ。
面会時間外、しかも食事時の乱入者に、看護士や配膳係の者たちが批判的な視線を向け、ぎょっと目を見開く。たしかにその一瞬は動きを止めるが、それでも、騒がないだけの分別はあった。
この区画で勤務する者ならば見間違えるはずもない、親衛隊の騎士服だ。襟足だけ伸ばしたミルクティー色の髪を持つのが誰かなんて、知らない者はいなかった。一般人ならつまみ出せるが、そうもいかない。
「すみません、
「ひぇっ! あ、ごめんなさい、ええと、三階の特別室だったはずです」
白衣のひとりをつかまえて尋ねると、仰け反りながら教えてくれた。怖がらせてしまったかもしれないが、取り繕う余裕がない。
ヴァリアンテは急いで三階まで駆け上がり、早歩きで目的地へと向かった。廊下を歩く患者の姿もないし、職員もまばらだ。ここまでくれば気配がわかる。迷わず立ったドアには『面会謝絶』のプレートがぶら下げてあった。その意味を吟味している心の余裕など微塵もない。どういう状況にあるのか、中に入ることも怖い。
特別室の前で佇んでいれば、気づいた看護師のひとりが近づいてくる気配を感じた。面会を止められても素直にうなずけない。逡巡は一瞬で、ヴァリアンテは素早く病室内に入り込んだ。
特別個室は広く、応接用のソファセットとローテーブルまで完備されていた。奥にはベッドがひとつ。カーテン越しの朝日でもわかる、見事な赤毛の青年が横たわっていた。息をひそめ、ヴァリアンテはゆっくりと近づいた。
青白く見えるけれど、顔色に病的な翳りはない。
「カーシュ……」
か細い声でつぶやくように呼んだ。当然、返事はなかった。見た限り、重傷を匂わす要素もない。ただひっそりと眠る姿だけが、いつもと違うことを物語っていた。
本来、そばに誰かが近寄って、目覚めないはずがないのだ。十代の頃から前線に立つ軍人となるべく鍛えられたカーシュラードは、身体を休めると同時に警戒心は消さぬよう訓練されている。眠っているように見えても、部下が近づけばきちんと覚醒しているのが常だ。
そのカーシュラードが今、目覚めることもなく眠っている。狸寝入りならば見抜けないはずがない。異常事態に思えて怖くてたまらなかった。
「……カーシュラード」
かろうじて音になるような声で呼ぶ。眠っているのなら、無理矢理起こしたいわけではない。けれど起きてほしい。自分が安堵したいだけだとわかっている。だから、呼べども起こせない。
震える指先を、引き締まった頬に這わせた。冷たさではなく温もりを感じて安心した。出立した時よりずいぶんと疲れているように見えるが、それは疲労からなのか、怪我からのものなのか。揺さぶり起こして問い詰めたくなる。
「起きてよ」
起こしたくないという自制心は簡単に崩れてしまった。懇願するような声は嗚咽混じりで、目覚めない事実がヴァリアンテを酷く狼狽させる。
頬をなでる指が徐々に下がって、首筋に辿り着いた。脈を測ろうとしただけなのだが、鼓動が触れる前にその手首を捕まれた。
「っ……」
心臓が止まりそうなほど驚いたのは、触られたカーシュラードではなくヴァリアンテの方だ。飛び上がることはなかったが、傍目に見てもわかる程度にはびくりと肩を揺らしてしまった。
「首は止めてくださいと言ったはずで――」
赤いまつげが瞬いて、漆黒の虹彩と境目のわからない瞳孔が細められた。獰猛な肉食獣のようだ。だが彼の、眠りを遮られた不機嫌さは一瞬で消え、瞳は驚きに見開かれた。
「ヴァリアンテ?」
寝起きのかすれた低音は、よく知った音だった。それが嬉しくて、気が緩んでしまった。ぽろ、とこぼれた涙に気づかず、ヴァリアンテはただ静かに困惑顔の弟を見下ろした。
けれど、見つめていられる時間は長く続かなかった。手首をつかまれて、勢いよく引っ張られる。身構えることなんてできない。されるがまま身を任せれば、力強い腕に抱きしめられた。
ハーブと柑橘に混じるカーシュラード本人の匂い。人肌の温かさ。ああ、彼は無事だ。
ヴァリアンテは耐えきれず、広い胸板に縋りついた。
◇
「帰還は二日後だと聞いていましたが、どうしたんですか?」
問いかけてはみたが、ヴァリアンテは弱々しく首をふるだけだった。深呼吸を繰り返して落ち着こうとする彼の髪をすいて、カーシュラードは小さく笑う。腕の中の愛しい相手は拗ねているような、怒っているような、彼にしては珍しい態度で胸元に顔を押しつけてきた。
意地でも早急に怪我を癒やすため深い睡りについていたが、看護師や医師が近づけば目が覚める。そういう訓練をしていたけれど、何事にも例外があった。自分の警戒心に引っかからない相手であれば、気を抜いたまま眠ることができてしまう。その相手の最たる者がヴァリアンテだ。世界中で誰より安心できる相手には、危険察知本能もガバガバだ。
一瞬、寝ぼけて見た幻なのかと思った。王都の外へ研修に行くと聞いて、彼が忙しくしていたことを知っている。こちらはこちらで暇が作れず、久しぶりに顔を見たのはヴァリアンテの出立前だった。セックスをすることもなく、ただ甘えて我が儘を言ってみせたカーシュラードに呆れていた。
そのヴァリアンテが、顔色をなくして言葉もなく立ちすくんでいた。茫然自失の姿が痛ましかった。快活な彼が子供のように怯えていた。我慢できず、というような落涙に色々と悟ってしまった。
経緯はどうあれ、きっと、重傷を負って搬送されたことを知ったのだ。戦時でならば覚悟もできていようが、演習すら行っていない今時期で、青天の霹靂だっただろう。
大した情報も得られぬまま駆けてきたに違いない。自分が逆の立場なら同じことをする自信がある。
「大丈夫ですよ。命に別状も、後遺症の心配もありません。あなたが心配しているようなことは、何ひとつない」
一回り小さな身体をひ弱だと思ったことはないが、今は吹けば消えてしまいそうに感じた。後頭部をなで、長く伸ばした襟足のアンバーを指ですく。完全完治ではないので抱き留めた重さに骨や筋が鈍い痛みを訴えてくるけれど、それ以上に心が痛んだ。
「僕は無事ですよ、兄さん」
兄と呼ばれ、ようやくヴァリアンテが身じろいだ。
「……カー、シュ」
「はい」
「本当に?」
「安心してください」
おそるおそる顔をあげた彼を安心させるべく、柔らかい笑みを浮かべて見つめた。慈しむようで、熱っぽく。生を確かめる方法はいくつもある。腰を抱く腕に力を込めると、ヴァリアンテはわずかに伸び上がった。自然な流れで互いの顔が近づく。
「おかえりなさい」
唇が重なる前に囁くと、ヴァリアンテは切なそうに瞳を細めたまま瞼を閉じた。愛らしさに煽られて、カーシュラードの抑え込んでいた凶暴性が顔を出す。噛みつくようにくちづけて、けれど、不意打ちの鈍痛にうめいた。傷は開かないが痛いものは痛い。
だが、耐えられる痛みだ。
「カ、シュ……ん、んぅ」
咄嗟に離れようとしたヴァリアンテをがっちりと抱きしめ、無理矢理に唇をこじ開けた。舌先が触れ、探る動きが段々と荒々しくなっていく。激情と呼ぶに相応しい口吻に変化するまで、そう時間はかからなかった。
ヴァリアンテは珍しく積極的に応じていた。無事を確かめたいという一心かもしれない。けれど、カーシュラードにとってはなんでもよかった。必死にすがりついてくる年上の恋人が、可愛くて仕方がない。
治りかけの怪我のせいで重心がとりにくいけれど、腕を動かすことはできる。腰にそえていた手を、引き締まった尻に這わせた。優しく慰めてあげたい気持ちはあるが、下心は隠せない。猛烈にヴァリアンテを抱きたい。過剰なほど性欲を刺激されるのは、重傷を負って肉体が危機感を覚えたからだろうか。
不埒な指使いに耐えられなくなったのか、ヴァリアンテは緩い抵抗を見せた。押さえ込んでいても上にいるのはヴァリアンテなので、顔を上げただけでキスはほどけてしまう。
「……元気そうじゃないか」
「ええ。すみません。あなたが戻るまでには復帰できていると思ったんですが、心配をかけしました」
「気が、抜けた……」
脱力して身体を預けてくるヴァリアンテは、カーシュラードの首元に頭を埋めた。すん、と鼻をすする音が聞こえる。首筋が濡れる感触に、どうしていいか困ってしまう。こんなに泣かれたことなんて初めてだった。気が済むまで泣かせてやってもいいけれど、悲しませるのは嫌だ。
「ヴァリアンテ、もう一度キスをください」
甘えた声でねだると、腕の中の身体がぴくりと反応した。きっと、嫌がらずにくちづけをくれるだろう。果たしてそうなった。
別段、怪我を負って損をしたと思っていたわけではないのだが、愛する兄のいじらしい姿を見ることができたのは得だと、不謹慎なことを思う。長年連れそっているあいだに、そばにいることが当たり前すぎて、この最近など溶けるような甘さが足りなかった。思う存分味わっておこう。
「ふ……っ、ん、ぅ……、ン」
鼻に抜ける甘い吐息はとろけるようだ。誘い込んだ舌に噛みつくと、涙に潤む瞳が切なげに歪んだ。骨まで貪ってしまいたい。若い頃なら暴れていた禁欲期間だった。仕事の忙しさに入院が加わって、しばらく自慰もしていない。
自制心だけが老成して、聞き分けがよくなっていただけだ。けれど、欲望が枯れてしまったわけじゃない。
永久代謝細胞の影響は不老や治癒力の高さだけではない。肉体が全盛期の状態で維持されるのだから、年齢を重ねようと性的な欲求は減退しないのだ。
カーシュラードは唾液を飲み込み、舌を絡ませて激情を訴えながら、ヴァリアンテの肢体を這うようになでた。肌に触れたい。手始めに邪魔なマントを外した。
どうして親衛隊の制服は、余計な飾りが多いのだろう。宮廷服に近いデザインは隠しボタンが多く、片手で脱がせるには手間がかかる。ボタンを引きちぎるわけにもいかないから、手探りでゆっくりとくつろがせていった。
「……ぁ」
ジャケットの隙間から手を潜り込ませ、シャツをかいくぐって脇腹に触れた。温かい体温がここちいい。ヴァリアンテの腹筋がひくりと震え、たまらない気持ちになる。
普段の冷静な彼なら、親衛隊服での不埒な行いは断固として拒否していた。隠れてキスをするくらいなら許してくれるが、性的な匂いを残すことを極端に嫌っていた。親衛隊員としては潔癖すぎるくらいだが、隊長としての意地がそうさせるのだろう。
だから、こんな機会は二度とない気がした。背徳感が興奮を呼び、下半身がぐっと重くなる。怪我が治りきっていないのがもどかしい。いっそ補助魔術をかけて、痛みだけでもなくしてしまおうか。
特別個室は防音結界のおかげで外の音が聞こえないし、中からの音が漏れることはない。完全個室だから人目を気にしなくてもいい。
なかば本気で淫蕩な計画を考えていたカーシュラードは、それでもやはり本調子からは程遠かった。
「きゃッ――」
小さな悲鳴と、何かをぶちまけて割れる音が続く。
いまさら気配に気づいたところで遅い。防音結界は気配までは遮断しないのに、気づけなかった。キスに夢中になりすぎていた。
弾かれたようにヴァリアンテが顔を上げたので、遮るものもなくドアまで見通せた。音源に視線を向けると、女性が瞳を見開いていた。個室ではベッドの周りにカーテンや衝立がないのだ。こういう時、何も隠すことができないのが難点だ。
激しさを物語るようにお互いの唇を唾液が繋いでいた。顔を上げただけで距離は近い。濡れた唇をぬぐってやると、ヴァリアンテの視線がカーシュラードの元へ戻った。可哀想なくらいに混乱している。
「お、お邪魔、しま、した……?」
どうやら朝食を持ってきてくれたらしい女性は、その制服からみるに看護師だ。顔に見覚えがあった。
本来なら病室で何をしているのかと怒られて当然だが、彼女にとっても衝撃の光景だったのだろう。師団長クラスの要人は、何をしてもスキャンダルになる。しかも抱き合ってキスをしている相手は、親衛隊員の制服ときている。
ベッドの上で折り重なるふたり。激しいキス。中途半端に制服を乱しても抵抗の様子はない。心配でかけつけた友人が回復を祈ってキスをしていた、なんて誤魔化すには無理がある。
どうしようもなくなったのか、ヴァリアンテが顔を伏せた。赤面しているのか耳が真っ赤だ。これではもう、目撃者の想像を肯定したようなものだろう。看護師も固まったまま狼狽えている。
カーシュラードは声に出さず、これはさすがに色々と覚悟を決めた方がいいな、なんて温く笑った。口止めするというのも何か違うような気がするし、おそらく止めても無駄だ。
「……とりあえず、朝食はふたりぶん頼めますか」
腹をくくったカーシュラードは、豪胆に言い放った。
◇◇◇
ベッドではなくソファに腰掛けていたヴァリアンテは、座ったその瞬間からうなだれ、頭を上げられなかった。昨夜から精神的にまいっていたことと、不眠不休で馬を走らせていたせいで疲労困憊だった。
いや、護衛として丸二日寝なくともなんとかなる体力はあるので、これは完全に精神的なダメージのせいだ。親衛隊員にあるまじき行為をしてしまったのは、そのせいに違いない。
朝食を運んでくれた看護師と下げにきた看護師は別人だった。必要最低限の会話しかなかったが、視線は雄弁だ。探られているというより、わざわざ見に来たのだろう。針のむしろだった。
だが、うなだれてばかりもいられない。どうしてカーシュラードが入院するほどの怪我を負ったのかを尋ね、返った答えに心臓が止まるかと思った。
ジューヌベリア殿下が王城の上層階から落ちた。あの庭園のようなバルコニーから。なんだって王都を離れたときに限って、そんな重大事件が起こるのだ。
ようやく、ヴァリアンテは顔を上げた。
「殿下を、お救いしたの」
「そうなりますか」
「なるよ。馬鹿……」
あのバルコニーから地面までの高さを知っている。カーシュラードが追ってくれなければどうなっていたのかも、予測できてしまう。
敬愛する主の愛娘であるジューヌベリア姫は、ヴァリアンテにとって可愛くてしかたのない子供だ。その少女の命を助けたのに、大怪我を負ったカーシュラードはなんでもないことのように語るのだ。誇らしいのに、くやしい。
「馬鹿、ですか?」
ベッドボードに枕を重ねて上体を起こしたカーシュラードが、肩を震わせて笑っていた。不当になじられているのに、ヴァリアンテの心境を察してくれているらしい。
「……ごめん」
「いいえ」
「ありがとう、カーシュラード。姫と君が無事で、本当によかった。いや、君は無事ではなかったけど」
「本調子ならこんな怪我は負わなかったんですけどね」
ヴァリアンテが視線で理由を問えば、彼は困り顔になった。かすかな笑みは浮かべているが、眉間に皺が寄っている。
カーシュラードは
「演習中の不眠行軍なら気が昂ぶっているから疲れも感じないんですけど、デスクワークは別ですね。身体が錆びつきそうになる」
ばつが悪そうにつぶやいて、カーシュラードは小さく息をはいた。
そんな合間に女王陛下から茶会に招かれては、休むに休めなかっただろう。彼は軍人だが、騎士だ。国の要たる女王とその第一継承権者を前に、気を張っていたに違いない。騎士という生き物は、茶菓子を楽しむより、守るべき相手へ意識が向いてしまうのだ。
「どうしてそんな怪我になったの? いくら殿下を守ったからって、重傷すぎない?」
「……舌がもつれたんですよ。完全に僕の失態です。盾はないけど僕は重騎兵相当なので、それなりにダメージの身代わりができます。ですが、本当に滅多なことじゃ使わないんです。詠唱をミスって焦りました」
「よく無事だったね……」
「本当ですよ……。それに、あなたと違って僕は聖風霊の加護が弱い。攻撃系と呪術系ばかり特化して覚えてるので、誰かを守りながら落下速度を削る手持ちの札がない。考えたこともなかったので、偏りを実感して、正直ちょっとショックでした」
「なるほど。単独なら無傷で地上まで降りられたのか」
「ええ。『
どういう系統の魔術で対応したのか、詳しく話しあうのはお互いの学びになる。カーシュラードはあまり守護に特化した術を覚えていないこともたしかだ。補助魔術が使えるだけ加護を受けた聖霊の数は多いが、特性は偏っていた。
カーシュラードは攻撃魔術を利用して、衝撃を削ったのだ。本来ジューヌベリアが負うはずだったダメージを、全て肩代わりした状態で。
他人の傷を身代わりに受けるのは闇の魔術の応用だった。しかも、全てのダメージを受け負うとなれば高度な技術が必要になる。短時間で術を練り上げるのは相当に神経を使っただろう。己の防御まで手が回らなかったのも納得できた。
姫の髪一本傷つけないという騎士の忠義は、紙一重で守られたのだ。防御に特化していない剣士なのにこんな芸当ができるのは、カーシュラードだからだろう。
あらためて、彼と幼い姫君が無事でよかったと胸をなで下ろした。
「そういえば、なんで『面会謝絶』なの?」
「そうでもしないと、見舞い人と野次馬が入れ替わり立ち替わり集まってくるんです。大人しく回復に専念させてほしい」
「……ああ、そういうことか。君、部下に愛されてるもんなぁ」
「昨日あたりから、やっとまともに昼寝ができる時間がとれたんですよ」
任務を投げ出してまでの心配が一気に馬鹿馬鹿しくなってしまった。ヴァリアンテがあらためて室内を見回すと、カーシュラードがうんざりするのもわかるというものだ。棚という棚に種類に富んだ見舞品が並べてある。
なんだか不憫に思えてきた。研究材料の許可を出したM3は後日いびり倒してやろうと決意する。私の執念深さを見くびるなよ。
「まったく、とんだ二級機密だ」
通信部の情報で緊急性が『低』と書かれていた理由が、やっと理解できた。
「なるほど。それを見たんですか」
ヴァリアンテがうなずくと、カーシュラードが理由を説明してくれた。
機密等級が高いのは師団長という地位のせいだ。ただ、師団を率いることには問題ないので、士気が下がらないよう情報制限をしている。入院しながら執務はできるが師団本部にはいないので、専門的な処理はできない。そういう類の事務連絡だったらしいが、軍人ではない親衛隊員にわからなくとも当然だ。
「……ヴァリアンテ、少し眠って行きませんか」
カーシュラードが説明する合間に、ヴァリアンテが徹夜で馬を走らせてきたことは聞き出されてしまった。いまさら誤魔化したって信じてはくれないだろう。
「王城に帰るなんて言わないでくださいよ?」
釘を刺されてしまった。
研修日程は余っているが、遊んでいていいわけではない。本来なら王城に帰還報告をすべきだろう。親衛隊長は勝手な行動を慎まねばならない立場だ。
だが、あまりに気が抜けてしまって、立ち上がるのも億劫だった。ここで無理して王城に戻ったところで、剣聖と女王陛下に仮眠室へたたき込まれるのがオチだ。そのくらいには、仕えるべき主の性格を理解している。
ヴァリアンテはここで仮眠をとることと、女王陛下に呆れられて追い出されるのを天秤にかけた。
「少なくとも昼食時までは、誰も入らないように伝えてあります。ここには防音結界もある。それに、今出歩くと色々面倒に巻き込まれると思いますよ」
どうしてだろうと顔を上げ、看護師に見られてしまった失態を思い出した。
隠し通すにはもう遅い。たしかに、
「……頭が痛い」
「その件についてひとつ、提案したいことがあります。うまくいけば、煩わしい問題も解決する」
カーシュラードの瞳は、完全に悪戯っ子のそれだった。悪い予感がする。だが、聞かないわけにもいかない。
結局、ヴァリアンテはカーシュラードの提案に乗ることにした。少なくともそれなら、愛する相手が危機に瀕していても真っ先に知ることができる。
あとはもう、その時になったら考えよう。
「じゃあ、昼食の前に起こして」
ヴァリアンテはマントを毛布がわりにして、ソファの上で横になった。
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