ついに関係がバレる話 -5-
わざと足音を響かせていたのは彼らなりの気遣いかと思いつつ、瞼を開けたカーシュラードは寝起きの意識をはっきりさせるため深呼吸をした。ヴァリアンテの仮眠を見守っていたが、一緒に眠ってしまったようだ。それでも、相手が彼でなければちゃんと目を覚ますことができる。感覚が鈍っていなくて安心した。
これからの出来事を思うと笑い出してしまいたくなる。きっと大騒ぎになるだろう。どうせやるなら、とことんやろうじゃないか。
カーシュラードが覚悟を決めたその瞬間、勢いよく病室のドアが開かれた。
「うわっ! ホントだ! 師団長が淫行に耽ってる!」
「さすがに訂正を求めます」
騒ぎは予想していたが、大声で誤解を招く発言は止めてほしい。これでも国の中枢にいる者として多少の外聞は気にする。
叫び声のせいで目を覚ましたヴァリアンテが、上半身を起こして固まっていた。明らかに混乱していて、寝ぼけたあどけなさが可愛らしかった。
「いくら特別室だからって、同衾はどうかと思います」
「恋人を連れ込むにしても、せめて消灯時間まで待てないんですか」
「……お前たち、あることないこと囀っていないで、さっさと帰れ! 自分の部隊を放り出すな!」
「まあまあ、昼休みくらい自由にさせてちょうだいな」
書類を片手に鉄拳制裁を繰り出すのは、事務官長のサムハインだ。病院の昼食前に病室でこなせる書類を持ってくることになっていた。中年を通り越した事務官長は文官ではあるが、歴戦の猛者を怒鳴りつけられるだけの度胸がある。カーシュラードも未だに頭があがらない。
そんなサムハインも、大はしゃぎする若者たちを押さえ込むのは難しいとみえる。男性がふたりと、女性がひとり。三人とも剣位持ちで、よく手合わせをする相手だった。彼らは一般兵ではなく部隊長で、直属の部下ではないし友人でもないが、剣士として気安く話せる者たちだ。全員が相当に年下ではあるが。
「廊下で騒ぐくらいなら、さっさと中に入ってください」
呆れているというポーズは崩さず、カーシュラードは一団へ声をかけた。上官に対する不敬発言に関しては、それこそ昼休みだとわかっているから指摘する気はない。作戦遂行中でもなければ、言葉遣いに関して細かいことを問わないのはカーシュラードの方針だった。相手を敬う気持ちがあるなら、自然と丁寧な話し方になるだろう。あとは本人の問題だ。
「……力及ばず申し訳ございません。払っても払っても後から湧いて出てきまして、これでも減らしたのです」
「遅かれ早かれこうなるだろうと予想はしていたので、かまいませんよ」
心底悔しがるサムハインにねぎらいの言葉をかける。気遣いはありがたいが、彼に非はない。むしろ、今日まで尽くしてくれて感謝しているくらいだ。
カーシュラードはサムハインに午後からの執務の準備をさせつつ、野次馬の三人に下がれと手振りで命令した。
「少しは眠れました?」
「どうして私はここにいるんだ」
地を這うような低音は、かたわらのカーシュラードにしか聞こえない。怒りが滲んでいても怒鳴らないだけ、彼も状況を理解しているのだろう。
「同じ部屋にいるのに離れて眠るなんてさみしいじゃないですか」
「……立てなかったんじゃないの」
「あなたを抱えて運ぶくらいなら、なんとか動けます」
多少骨と内臓が痛むが、その程度を耐えられないわけがない。それに、立ち上がって見せなかっただけで、立てないとは言っていなかった。騙したわけではない。
ヴァリアンテは仮眠をとるためにソファを選んだ。看護師にキスシーンを見られたショックから立ち直っていなかった。あの場で横に来いと誘ってもうなずかなかっただろう。
だから、彼が熟睡したところを見計らって、ベッドに引きずり込んだのだ。病室のソファでは足を伸ばせない。少しでも快適に眠ってもらいたい。自分が彼の気配に絶対の信頼を寄せるように、ヴァリアンテもカーシュラードが相手なら抱き上げられても起きることがないとわかっていた。
ブーツを脱がせ、ベルトを外し、シャツのボタンもいくつか外して眠りやすい格好にした。さらされた首筋から鎖骨のラインが艶めかしくて、我慢ができずに味見をしてしまったのは不可抗力だろう。
それに、隣に潜り込んだら体温を求めるようにすり寄ってきたのは、他でもないヴァリアンテだ。青年期のまま老化を止めた寝顔を眺める時間は至福だった。
「諦めましょう、ヴァル。公になってしまえば、僕があなたを大っぴらに独占しても、誰に咎められることもない」
今か今かと待ち構えている三人に聞こえるような音量で、カーシュラードは囁いた。
「それはもう諦めてる。そうじゃなくて、だらしないところを見られるのが問題なんだ。親衛隊の威光が翳ったらどうしてくれる」
「大丈夫ですよ。この場にあなたを貶めるような者はいない。そうですね?」
「もちろんです!」
カーシュラードがちらりと流し目をくれてやると、三人三様でうなずいていた。それが合図だと認識したのか、そろってにじり寄ってくる。
ヴァリアンテはあくまでも不服だという態度は崩さず、上体を起こしたまま手の平で顔を覆っていた。それでもベッドから降りないあたり、事前の打ち合わせに倣うつもりなのだろう。ならばこちらとしては、堂々と構えていればいい。
「それで、お前たちは何をしにきたんですか」
「何って師団長がベッドに引きずり込んだ相手を確認しにきたんですよ。まだ部屋にいるって聞いたので!」
「俺たちは全
「……満足しましたか?」
「満足っていうか、納得っていうか。アンタそんだけイケメンで実力も金も地位もあるのに、英雄色を好むの逆を行ってるから、どういうことなんだよって思ってたんですよ」
「噂ばっかりやたら流れてたけどね。否定も肯定もしないんだから、ずるいっス」
「本気で師団長に惚れてる奴もいるんですよ。無駄に希望抱かせるんだから」
「ホントよね。本命がいるなら隠さずに教えてほしいわ。どうりで私がいくら誘っても靡かないわけよ」
「君に魅力がないわけじゃありませんが、僕は年上が好きなんです」
「その逃げ口上はズルいなあ!」
「別に恋愛したいわけじゃないわよ。セックスがしたかっただけだもん」
彼らは好き勝手に盛り上がっているが、それが若さだろうかと己の老いを意識した。見た目こそ彼らの中に混じっていても遜色はないが、カーシュラードは彼らの倍近く生きている。
「大胆だなぁ」
どうやら雑談の合間に立ち直ってきたらしいヴァリアンテが、ぽつりと漏らした。はしたないとたしなめるどころか、感心している。
ヴァリアンテはただの親衛隊員ではなく隊長職を戴いているので、己の部下以外ではあまり若者達と接する機会がなかった。世代の違いを意識しているに違いない。
「ぎゃっ! ごめんなさい! 横恋慕したいわけじゃないんです! 師団長がどんなセックスするのか気になっただけで!」
「ああ、うん。別にかまわないよ。カーシュがモテるのは今さらだし、たまには息抜きも必要だろうし」
「うわ、余裕だ……。さすが親衛隊長……」
身体だけ狙われていたのかという呆れは、ヴァリアンテの言葉によって別の感情に上塗りされた。若者たちには貫禄か何かに思えたのかもしれないが、言われた方は許せない。
カーシュラードは演技ではなく本気で、ヴァリアンテの顎をつかんだ。強制的に正面を向かせる。
「僕を試すのはやめてください」
ほとんど命令に近い声音で告げ、わずかに目を見張った
「あなたを裏切ったことがないのを、知っているでしょう。浮気をそそのかすような発言は許しませんよ」
「吠えるなよ未熟者。私の知らないところで、こんな怪我をする君が悪い」
「それは――」
ああ、もう。ここでそれを持ち出すのか。そう言われてしまえば、何も返せない。
カーシュラードはそれでも鋭くにらみ続け、ふっと力を抜いた。飼い主に懐く犬のように、ヴァリアンテの肩口に額を押しつける。
「……心配をかけてすみません」
「まったくだ。寿命が縮んだよ」
苦笑で応えるヴァリアンテからは険が消えていた。腰を抱いて引き寄せても抵抗はされない。殊勝な態度で落涙されるより、こちらを振り回すくらいの方が彼らしいと感じる。どうやらヴァリアンテも調子が戻ってきたようだ。
この蠱惑的な親衛隊長は、そう簡単に堕ちないからこそ挑みがいがある。振り回されるのは楽しいし、屈服させたくなる。いつか彼に勝ってみたいと思うけれど、一生勝てない気がする。だが、それでいい。それがいい。
気分が浮上したカーシュラードは、上機嫌のままヴァリアンテの首筋にキスをして、唇を奪おうと顔を上げた。
「師団長、ここがどこかお忘れですか」
甘い空気を引き裂くような咳払いは、サムハインだ。危ない。完全に周囲の状況を失念していた。
「……思い出しました。さすがに控えましょう」
「そうしてください。若者には刺激が強すぎます」
憮然と言い放って、優秀な事務官は午後の執務の準備を終わらせる。後ろに追いやられた若者たちは大騒ぎをはじめた。
「俺らのこといくつだと思ってんスか!」
「馬鹿者め。私の息子だってお前達より落ち着いているぞ」
「いいもの見たわぁ。あんたもやることやってんだ」
「ホントにホントなんだ! あとから演技でしたとかいうのナシですよ?」
「っていうか親衛隊長の事後感はなんなんです? キスマーク見えてますけど」
「王城から落ちて大怪我してんじゃなかったんスか」
「……え、マジでナニしてたんじゃないですよね?」
達観したヴァリアンテが身支度を整える指を止めた。鋭い視線が向けられる。サムハインまでこちらを見つめていた。分が悪い。
「カーシュ?」
「味見は許してくださいよ。むしろ、その程度で我慢したことを褒めてください。忙しくてしばらく触れることさえできなかった恋人が、徹夜してまで心配で駆けつけてきたんですよ。嬉しくないはずがありますか。手を出すなっていう方が酷でしょう」
今度言葉を失ったのはヴァリアンテだった。己の行動を簡潔にまとめられて、反論ができなかったのだろう。長く生きていればお互いに色々とある。ヴァリアンテが大怪我を負ったときのカーシュラードの反応を、彼も覚えている。
遠巻きにしていた若者たちが、「恋人って言った」とかなんとか小声で騒いでいるけれど、もうどうせならそのまま噂を広めるのに一役かってほしい。
彼の眉間の皺をほぐすようになで、指を滑らせて耳をくすぐる。仏頂面を見せるのは自分にだけだ。外野に背を向けていたヴァリアンテは、盛大に溜め息をもらした。
「……まあ、これ以上は次の休日に話そう。私は、オープンにするのは好きじゃない。ちゃんと時間は作るよ」
「ええ。それまでに完治させておきます。きてくれてありがとう、ヴァリアンテ」
素直に告げると、彼は瞳を細めて微笑んだ。シャツのボタンは全て留め終わってブーツを履く。ベッドから立ち上がるときには、こめかみに親愛のキスをくれるサービスぶりだ。
親衛隊の上着に腕を通して乱れがないかを確認する。軍人の着替えも早いが、ヴァリアンテの着替えも早い。マントを片腕にかけると、気安い青年から誇り高き親衛隊の姿になっていた。
「では、
「女王陛下によろしくお伝えください」
優雅な礼を一度。若い軍人たちが声をかける隙もあたえず、ヴァリアンテはあっけないほどあっさりと病室から消えた。
「さて、いつまでいるつもりですか?」
半眼を隠しもせずカーシュラードが冷たく囁く。サイドテーブルに手を伸ばして、愛飲している煙草を咥えた。病室は室内禁煙だが、特別個室は治外法権だから特別なのだ。治療もなく実験台になっているのだから、喫煙くらいは認めさせている。小言を諦めたサムハインが、すかさず窓を開けにいった。
「……あー、なんか、すいません」
囃したてるのが生きがいというような態度だった若者たちは、神妙な態度で俯いていた。
オープンにするのは好きじゃないと言い放ち、彼らの存在を完全に無視して出ていってしまったヴァリアンテの態度で、やっと下世話なことをしていると自覚したのかもしれない。多少は反省してほしい。
「プライベートを詮索するなら、それ相応の対応を望みます。僕も彼も立場がある。恋人を困らせたくはない。お前たちも、学生気分はそろそろ卒業なさい」
カーシュラードは大人ぶって苦言を呈するが、彼らが見た物を黙るとは思っていない。どうせ噂を広めてくれるなら、誇張はせず誠実に広めてほしいという、一種の策略だった。彼らは知らず片棒を担ぐだろう。
登場したときより意気消沈しながら帰っていく背中を見送り、カーシュラードとサムハインは長嘆した。
「よろしいのですか? やつら、反省はしても口は閉じませんよ」
しまってあったトランクからコーヒーをいれる道具を取りだしたサムハインが、硬い表情のまま豆を挽く。途端に、芳しい香りが鼻腔をくすぐった。
「むしろ、僕とヴァリアンテが恋人同士なのだと広まってくれると助かります。のらりくらりと躱すより、可能性の芽は早々に潰したほうが効率的だと、お互いに合意しました」
「と、いいますと?」
「陛下の第二子ご懐妊が公表されてから、僕はまだしもヴァリアンテにまで娘息子と懇意になるようすすめてくる大臣連中が増えましてね。かわすのも煩わしくなってきたんです」
「……ははぁ、なるほど」
それだけで、サムハインには意図が伝わった。優秀な事務官というものは何物にも代えがたい。カーシュラードがわざと見せつけた理由を瞬時に悟ってくれた。
王太子であるジューヌベリアが産まれた頃も、それなりに探りを入れてくる者がいた。それでもまだ、拒否を続けていれば下火になった。だが、今回ばかりは数が多い。女王に命を捧げているヴァリアンテにまで手が伸ばされている。
継承者が増えれば派閥を作ることもできるだろう。血族の誰かを将来の王の側近や側仕えに召し上げてもらえるなら、権力の座に近くなる。ちょうどいい立場にいる者が、恋人も公言せず独身のまま残っているじゃないか。そう考える者が少なくないのだ。
もし甘言に乗ってどこその相手と婚姻関係を結んでしまえば、種をまいた覚えもないのに父親にされるだろうと、簡単に想像できた。権力のコマにされるなど真っ平ごめんだ。
「若い頃ならまだしも、さすがにこの歳と在任期間を考えれば、立場的にも影響は少ないと思いまして」
「でしょうね」
ただ、恋人関係を公開することはメリットばかりではなかった。知れ渡って被る損害は、実の兄弟だと知っている人たちへのフォローだ。
彼らを困らせたり悩ませるのは本意ではない。ヴァリアンテは養父へ説明を、カーシュラードは父に事情を伝える手紙を書くことに決めていた。もうひとりの兄のカレンツィードは薄々察しているだろうが、彼はそのあたりの感性が母に近いので、放っておいても大丈夫だ。
我らが女王もおそらく、ヴァリアンテとの正しい関係性を知っているだろう。最も敬愛し、彼女のために命を使うことを厭わない兄が、話していないとも思えない。だが、彼女こそ、きっと何も変わらず接してくれるだろう。
動揺するだろう者たちには、『政略結婚のコマに使われないよう隠れ蓑として恋人関係を匂わせたのであって、実際に兄弟で愛しあっているわけではない』と伝えるつもりだ。より一層騎士としての務めを果たせるよう、世間を騙すのだと嘘をつく。
実際に兄弟でセックスをしていることは、彼らが知らなくてもいい真実だ。誠実でありたいとは思うが、言わなくてもいいことはある。墓場まで持って行ってしまえば、嘘だって真実になる。
愛の真相など当人たちが知っていればいい。嘘は嘘でも、誰も傷つけない嘘だ。愛しあうことを止められないのだから、嘘を貫き通す覚悟を決めた。
誰かに認められなければ自信が持てないような、そんな浅い愛ではない。ヴァリアンテとの繋がりは、カーマ人より遙かに長い寿命の先まで続くのだから。
これが、ヴァリアンテが仮眠を取る前に話しあったことだ。
「サムハイン、これまで協力をしてくれてありがとうございます。苦労をかけました」
「いいえ、カーシュラード様。若造を煙に巻くのは楽しいもんでしたよ」
「それは、ちょっとわかります。匂わせてやるだけで盛大に反応してくれるのは、仕掛けがいがある。……ひとの恋路に首を突っ込んでも何が楽しいのかわかりませんが」
「それは相手があなただからでしょう。あなたの類い希な強さに、思想に、忠誠心に、私たちは憧れ、尊敬を抱いているのです。だから、そんなあなたが特別に思っている相手を知りたいとも思う。カーシュラード様の役に立てたのなら光栄なことです。それに、見守っていられた私は大変、役得でしたよ」
なんでもないことのように告げられ、カーシュラードは喉を詰まらせた。賞賛されることは少なくないが、世辞が一片も混じらない本心をくれる者は少ない。軍人としてもっとも身近で長く仕えてくれた男の言葉は、ひどく胸を打つものだった。
「どうかおふたりは、睦まじく幸せでいてください」
「……お前にはかなわないな」
あまり恥ずかしがらせてくれるな、と言外に訴えながら、カーシュラードはコーヒーカップを受け取った。赤くなった頬は、湯気が隠してくれることを祈った。
こうして、長く恋人の影をちらつかせていた
ちなみに余談ではあるが。
しおらしく感謝と謝罪を告げようと思っていたジューヌベリアの耳にもヴァリアンテの恋人の情報――幼い彼女にも理解できる程度の軽いものだった――が届き、彼女のカーシュラードに対する評価はさらに下がることとなった。
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