春と黒の祭り -2-

<夕刻、第三演習場 カーシュラードとヴァリアンテ>


 事務官から上がってくる報告書の数々に目を通した黒羆バラム師団長は、一時の休憩を副官へ告げた。黒の祭りは何かと雑務に追われるので、多少の残業が必要かもしれない。

 ボリューム満点のスペシャルランチセットは、事務官たちの胃に収まっている。本日のケーキは包装したまま、今、片手にぶら下げていた。

 王城に近い第三演習場は、少人数の訓練などに使われる小さな屋内練習場だ。今日一日は親衛隊の貸し切りになっていることを知っていたので、カーシュラードは目的の人物に会うべく演習場の扉を開いた。

 親衛隊はほとんどが剣位持ちで構成されている。女王の側に常に控え、女王を護ることこそを使命とする彼らは、ひとりひとりが強大な力を誇る剣士だ。

 たしか、現在の親衛隊員は十五人。ヴァマカーラ女王が第一子を懐妊されたので、生まれてくる王子か王女を護るため、新人を採用したと聞いていた。

 親衛隊員になるのは軍人になるより難しい。剣位かそれに匹敵する剣の技術を持っていることと、厳しい忠誠心を試される。また王族であるのなら、親衛隊員となった瞬間に家名より護るべき主を優先できなくてはならない。

 そしてその訓練も特殊だ。王家に相応しいマナーと所作を学ばねばならず、あらゆる王族や主立った役職者の顔と名前を覚えなくてはならない。ときに宰相や軍人にすら命令できる豪胆さも必要だ。

 そんな彼らの剣舞は、指先まで洗練され、息を飲むほど華麗だった。一時期廃れてしまっていたが、ヴァマカーラ女王の治世となって復活した。

 静かに扉を閉めたカーシュラードは、練習の集中をそらさないよう気配を消して壁に背を預けた。ヴァリアンテを中心に、四人が美しく舞っていた。参加せず見ている者が三人。七人中、剣位持ちは五人。瞬間的に人数と戦力を把握してしまうのは職業病かもしれない。

「黒羆師団長閣下、何か御用でしょうか?」

 すかさず近寄ってきた女性隊員に顔を向けると、頭ひとつ下にある美しい顔が汗を拭きながら微笑んでいた。

「親衛隊長殿に個人的な用があるのですが、待たせていただけますか。それとも、僕がいると邪魔になります?」

「邪魔だなんて、そんなことはございません。師団長閣下がいらっしゃると、気が引き締まりますよ。それに、そろそろ休憩の予定だったんです」

「ありがとう。では、待たせてもらいます」

 カーシュラードが地位に関係なく丁寧な口調で話すのは、これが本来の話し方だからだ。ただ親友や同窓生にだけ、乱雑さを付加するようにしている。ダチに丁寧語なんて使うなよ、というラージャの言葉を律儀に守っていた。

「ああ、終わりますね」

 隊員の視線を追えば、納剣のあとで指示を出すヴァリアンテの姿があった。確認が終われば解散し、各々が自主練や休憩に入るようだ。振り返ったヴァリアンテに片手をあげてみせると、うなずいた彼が笑みを浮かべながら近づいてきた。

「では、私はこれで――」

「ああ、そうだ。皆さんでどうぞ」

「よろしいんですか?」

 店名の印刷されたケーキの箱を差し出せば、彼女は嬉しそうな顔を隠しもせずに箱の隙間から匂いをかいでいた。

「嫌いじゃなければ」

「嫌いなわけありませんよ! ごちそうさまです。皆でいただかせてもらいます」

 赤狼マルコ師団の癖が残る敬礼を返した女性隊員は、すれ違う親衛隊長に箱を見せて二、三言交わしてから、声を張り上げた。

「みんなー! 黒羆師団長閣下から『ジスモンデ』のガトーショコラの差し入れよ!」

 途端に隊員たちが動きをとめ、口々に感謝を告げてきた。簡易椅子とテーブルのまわりに集まって休憩の準備をはじめているが、子供のように喜んでいるのが遠目にもわかる。剣位持ちたちにここまで喜んでもらえるなら、ラージャも本望だろう。

「豪勢だね。ガトーショコラが『ジスモンデ』で一番高くて美味しいんだってさ」

「偶然ですよ。僕が用意したわけでもありませんし。ラージャに感謝ですね」

 耳慣れない名前に、ヴァリアンテは小首をかしげた。どこかで聞いたことがあるけれど、と顔が語っている。いくつになっても彼の仕草は愛らしい。

「ラージャ・タンジェリン。王立士官学校の同期生で僕の親友です。覚えてません?」

「ああ、あの子か! 軍人にならずに商人になった」

「そう。しばらく各領の支店を回っていたんですが、年明け前に王都に戻ってましてね。今は実家の本店にいるんです」

「元気にしてる?」

「ええ。ランチをおごってくれたついでに、ケーキを丸ごと手土産にもらいましたよ」

「……ふぅん?」

 汗ひとつかいていないヴァリアンテが、朱殷しゅあんの瞳を探るようにきらめかせる。

「祭りの三日目の夕方から、ラージャの娘の誕生日会という名目で、士官学校時代の同窓会を開くそうです。『タンザナイト』を貸し切って、無礼講で。同伴者は家族でも恋人でも誰でも歓迎だそうです」

「そりゃあ、凄そうだ」

「学生時代からすごかったですよ。武官系の宴会は、体力あるぶん限度がないですから……」

 どうなるか想像するのは簡単だった。他の客に迷惑をかけないためにも、店を貸し切りにするのは最善策だろう。しかも『タンザナイト』はタンジェリン商会が経営している飲食店だ。ありとあらゆる融通が利く。

 ヴァリアンテは、カーシュラードがうんざりした表情を浮かべたのを見て、おかしそうに口角を上げた。ダークエルフの血が濃いヴァリアンテは、長身のカーマ男性に比べると小柄だ。甘い上目遣いをされるとキスをしたくなる。

 最近は黒の祭り関連で忙しかったので、ふたりきりになれる時間を取れなかった。だから、そんな不埒な考えが浮かんでくるのだろう。

「その話を私にするってことは、お誘いなのかな?」

「正解です。一緒に行ってくれませんか?」

「……裏がありそうだけど?」

「ないとはいいません。親衛隊の騎士服できていただけると大変に喜ばれるとは思いますが、僕たち軍人と違って無理ですよね」

 親衛隊は軍人ではない。彼らは例外なく女王直属の護衛官で、女王の盾であり剣でありしもべだ。時に軍人より地位が上になる場合さえある。誇り高い彼らは、女王陛下の命令以外では、その証である隊服での行動を制限している。

「なんとなく読めてきたけど、隊服で行くのは無理かな。万が一陛下が許しても、隊長の私がそれをやるわけにはいかない。……服じゃなくて私を求めているなら、喜んで伺うけれど?」

「なんだかいやらしいですね、その言い方」

「カーシュ」

「はいはい。服の中身が欲しいので、ご一緒していただけませんか?」

 そういえば親衛隊の隊長服を脱がせたことはないな、と不埒な想像をしたカーシュラードは、視線の色を目敏く察したヴァリアンテに小突かれた。

 その時だ。

「隊長ぉ~!」

 簡易机の上には人数分のカップが並んでいる。切り分けたケーキを取り囲む隊員たちが、一様にヴァリアンテを見つめていた。

「私に気にせず食べていいって言ったんだけど……」

「愛されてますね」

「家族みたいなもんだからなぁ」

 カーシュラードのからかうような口調に、親衛隊長は肩をすくめてみせる。けれど、誇らしさは隠せていない。

 お預けをくらった犬のように従順に隊長を待つ隊員たちを眺めていると、嫉妬心のような何かがわいてきた。自分の部下に家族の絆がないからではない。部隊レベルならまだしも上層部に家族の情は不要だ。

 そうではなくて、本当の家族でもあるのに、彼を家族だと言えない事実が、ときおり、たまらなくもどかしくなる。

「とりあえず三日目だけど、夕方を少し過ぎてもいいなら喜んで同伴するよ」

「かまいません。演舞の後で大変でしょうが、時間を作ってくれてありがとう」

 反省会だとか慰労会があると断られる可能生も考えていただけに、誘いを受けてくれるのは純粋に嬉しい。ヴァリアンテは放っておけば二十五時間ずっと女王に張りついていそうなので、少しは外に目を向けさせたかった。

「まだ時間あるなら、お茶、君も一緒にどう?」

 無邪気に尋ねる小奇麗な顔を見つめ、カーシュラードは表面上は申し分ないほどの愛想で許諾を答えた。用件は告げ終わっている。休憩時間はまだ終わっていない。実兄がどのように慕われているのか、じっくりと観察していくのも悪くないだろう。敵情視察は攻略の第一歩だ。

 いくつ歳を重ねても、この兄へ向ける感情は変わらない。彼が恋しくて、愛おしくて、独占してしまいたけれど、互いに抱えた忠誠心が優先される。家族というよりは同志に近く、それでも、間違いなく愛しあっている。

「師団長閣下も、ぜひどうぞ」

 渡されたカップは演習場の備品だが、中身はなかなか上等の豆を使ったコーヒーだ。もう少し酸味が強いほうが好みだけれど、普段飲まない味は刺激的でとてもいい。差し出されたケーキは丁寧に断った。

「体動かしたあと染みるなぁ」

「甘いんだけど、甘すぎないのがいいんだよね。うう、高級なチョコレートの味がする……」

「そうそう。しっとり濃厚だから、ちょっとだけでも満足感あるし」

「……残してラウンジに持ち帰ったら喧嘩になりそうだな。食べきって証拠隠滅しよう」

「『ジスモンデ』ってさ、カフェなのにステーキがうまいんだよ。隊長、知ってます?」

「知ってる。いつだったか、カーシュが食べてるの味見させてもらったな。彼、ポーターハウスをひとりで食べて平然としてるんだよ……」

 家庭的な雰囲気の中で突然ヴァリアンテに話をふられ、隊員七人分の視線が集中した。注目されることには慣れているけれど、僕に何を求めているのだろう。おごってほしいのだろうか。それとも食べた量の問題か。

「演習明けはそんなものでしょう。あそこはフィレが美味しいですよ」

「フィレかぁ……。チキンもあればいいのに」

「チキンなら『ラヴェニュー』ですね。ディナーのみですけど。今度誘いますよ」

「……さすが黒羆バラム師団長殿、そこ、高級店です」

 そうだっただろうか。カーシュラードは政治的な会食でなければ、あまり外食はしない。クセルクス邸の料理人が好みの味付けを知っているので、何を食べても美味しいものを出してもらえるからだ。

 そもそも、親衛隊も高給取りだ。毎晩高級店へ食事にいける程度の収入はあるだろう。華美な世界に生きているはずなのに、彼らはなんだか妙に所帯臭い。親衛隊服に身を包めば棘だらけの薔薇のような気高さと孤高さを感じさせるのに、気を抜くとずいぶん穏やかだ。公私の切り替えがうまいのだろう。

 彼らが素を見せて問題ない相手だと認めてくれているのは嬉しいが、それはヴァリアンテの影響があるせいだ。親衛隊長が警戒せず、全面的に信頼している相手だからこそ、カーシュラードを輪の中に入れてくれる。

 家族みたいだと言っていたが、まさしくその通りだ。性別に関係なく仲がいい。そして、中心にはいつだってヴァリアンテがいた。

 ダークエルフの血のせいで老化もなく、倍近い年齢差があっても、彼が従える隊員たちは見た目など関係なく慕っている。これが、孤児として育ったヴァリアンテが築いた家族だ。

 カーシュラードは、隊員たちとケーキを取り合ってじゃれあう親衛隊長を見つめていた。輪に入れてくれても、自分は彼の『家族』ではない。互いに望んだ環境だけれど、見せつけられているようで苦しくなることもある。

「やっぱり食べたい? 一口あげようか?」

 カーシュラードが腹の中で渦巻かせていた感情など知らず、ヴァリアンテが無邪気に尋ねてきた。フォークに刺したガトーショコラを突きつけられる。口を開けてもいいのだろうか。

「やだもう、隊長。そういうのは隊の中だけにしてくださいよ」

 笑いながらヴァリアンテの肩を叩く隊員の気安さに、カーシュラードは絶句してしまった。

 親衛隊が家族のようだというのは認めるけれど、食べさせあうような親密さは許しがたい。それこそ、本当に家族か恋人でもなければやらないことだ。

「ほら、師団長殿が困ってらっしゃいますよ。いくらおふたりがご友人同士でも、驚きますって!」

「ああ、そうか。普通はやらないか」

「そうですよ隊長」

 さらりとかわしたヴァリアンテは、こういうときに上手うわてだ。うっかりミスをしたな、という雰囲気で笑顔すら浮かべている。なんて腹立たしいひとだろう。

 実際は食べさせあうどころか、口移しだろうが、それこそ互いの身体を舐められるような関係なのだが、そんな事実を暴露するわけにはいかなかった。親衛隊員相手に対抗意識を燃やすのは大人げないことだ。

 大人げない。わかっている。わかっているが、これはある種の挑発ではないだろうか。売られた喧嘩は買いたい。

 親衛隊員たちは、この強く神秘的で蠱惑的な隊長と家族のように接し、隊長と仰ぐことに優越感を持っている。仲間に入れているように思わせながら、見せつけて自慢されていると感じるのは勘違いではないはずだ。

 いいだろう、ひよっこども。

 カーシュラードは薄い唇に笑みを刷き、親衛隊長の左手から皿を奪って、その指先を握った。

「カーシュ?」

 行動の予測ができないのか、ヴァリアンテがわずかに瞳を細める。訝しむというより心配されているが、止める気はない。

「あなたから差し出されるものなら、それが毒だろうと喜んで飲み干してみせますが、今回は例外としてください。デスクワークばかりだったので体が糖分を求めていないんです。だから、食べさせてもらうのは次の機会に」

 ベッドの中のような声で囁いて、左手の中指にくちづけた。ギュスタロッサに与えられた金剛位を証す指輪の上に。

 それは、あまりにも親密な接触だ。剣位持ちが己の愛剣にたとえ親兄弟でも勝手にふれさせないように、その指輪にも簡単にはふれさせない。

 カーシュラードは言葉では何の関係も明言していないが、ほのめかしと態度だけで家族以上の相手なのだと主張してみせた。親衛隊員たちが絶句した気配を感る。やり返せて満足だ。

 だが、ヴァリアンテにとっては由々しき事態だったのかもしれない。朱殷しゅあん色の瞳が好戦的に輝いた。喧嘩なら買うぞ、という静かな怒りを漂わせて、手を握りかえされる。方向性は違っていても、やはり僕たちは根っ子が似ている。

「……そんなに鈍ってるなら、手合わせでもしてやろうか?」

「願ってもないですが、そろそろ――」

「見たいです!」

 ヴァリアンテを困らせることができたなら、それで満足だった。あまり大事になる前に退室しようと思ったのだが、若い男の声に遮られてしまった。しん、とその場が静まる。

「ヘッシュ、この、馬鹿!」

「あ、ああ、も、申し訳ございません! 黒羆バラム師団長閣下!」

 ヘッシュと呼ばれた青年は、そばかすの散った、どこか幼さの残る顔を真っ青にしていた。先輩隊員に方々から小突かれている。

「かまいませんが、名前は?」

 青年は直立不動で敬礼を返した。指に光るのは金緑石だ。別段発言を遮られても不快に思うことはないけれど、勢いと熱意は興味を引く。

「ヘイミッシュ・ヘルファストです! 今秋入隊予定です!」

 ということは祭りで剣舞を披露することはないのだろう。研修中の見習い隊員というところか。それに、ヘルファストは第二十王家の家名だ。真っ白な肌に、黒髪黒眼。見覚えはないので、継承権者ではないのだろう。

 不敬な行為だったと反省の表情だが、瞳が期待に輝いているのは隠せていない。若者の視線は眩しいが、向けられて悪い気はしなかった。

「では、そうですね。少しお付き合いいただけますか、親衛隊長殿」

 奪ったままの皿を隊員のひとりに押しつけ、カーシュラードは師団長の身分を示す装飾過多な上着を脱いだ。見たいといったヘイミッシュ青年に預かっていてもらおう。

「事務作業の肩こりくらいは治してやるよ、黒羆師団長ダディ・ベア

 親衛隊長らしからぬスラングを投げられ、思わず吹き出しそうになってしまう。なるほど、相当怒っている。

 ヴァリアンテはフォークに刺したままのガトーショコラを一口で飲み込んで、悠然と唇をつり上げた。訓練では決して見せない美しく野蛮な微笑に、隊員たちが目を奪われているのが見物だった。



    ◆◆◆



 剣位持ちは、別の剣位持ちと手合わせをする義務が課せられている。同等の位相手でもいいけれど、より強い相手と戦いたいというのは剣士の持つ共通点だ。

 頂点である金剛位は、常に全ての剣士たちの師でもあった。だが、彼らはその役職ゆえ、あまりに多忙だ。直属の部下たちを鍛える時間こそ作るけれど、外部の者に挑まれても応えることが難しい。

 ヘイミッシュも親衛隊の見習いになるまで、金剛位に稽古をつけてもらうことなどなかった。元々赤狼マルコ師団にいたので、師団所属の先輩剣士との修練がほとんどだ。だから、金剛位同士の稽古など、見たこともなければ想像もつかない。

 この機会を逃せば、二度と見られないんじゃないかとさえ思ったのだ。

「私、隊長がクセルクス師団長殿と戦うの初めて見るわ。ヘッシュのおかげかしら、感謝しなくちゃね」

「い、いえ。不相応なこと言っちゃったって、焦りました。名前聞かれた時なんて心臓止まりそうになりましたし……。僕、赤狼マルコ出身だから黒羆バラム師団長を近くで拝見することもなかったし……。うう、イケメンに凝視されるのって怖い……」

「俺の先輩が言ってたんだけどさ。師団長が士官学校卒業するとき、入軍試験で隊長と試合したらしいんだけど、開始直後から四重詠唱で凄かったんだって。魔梟ストラ師団の結界にヒビが入ったとかなんとか」

 カップを一か所にまとめ、テーブルの周りに固まった隊員たちは、演習場の中心に立つふたりを見ながら口々に語り出した。

「……でも、さっきの、ちょっとビックリしたわ。恋人同士かと思った」

「隊長も師団長も独身ですよね。付き合ってるって噂、本当なのかなぁ」

「師弟関係通り越して家族ぐるみで仲がいい、ってのは事実みたいだけど。隊長、たまにクセルクス家の屋敷に泊まりに行ったりしてるわよね」

「予定表に書いてるくらいだから、別に、勘繰るような関係じゃないんじゃない?」

「そう見せかけて実は、って線もあるだろう。あの隊長だぞ、そう簡単にボロは出さない」

「……いや、さっきのだって、師団長が隊長をのせるために一芝居打ったのかもしれないぞ」

「私は別に、隊長と師団長が付き合ってても反対しないわよ。最強のカップルすぎてカーマは安泰って感じするし」

「相手がクセルクス師団長なら、親衛隊員が家庭を顧みなくても理解がありそうではあるな」

「あ、あの、みなさん、そろそろ始まりそうですよ」

 色恋の話も気にならないでもないけれど、見習いのヘイミッシュには首を突っ込めない高度な話題だ。後々バレても言い訳ひとつ思い浮かばない。だから、黒い師団服を抱きかかえて、ただ演習場の中心を見つめていた。師団長の軍服はハーブと柑橘系の不思議な香りがした。

 カーシュラードとヴァリアンテの話し合いは終わったらしく、ヴァリアンテが片手で短い動作を行った。その瞬間、柔らかい魔力が肌をなでていく。

「防御結界だ。二重詠唱? 演習場と私たちに?」

「ここの初期結界じゃあ、金剛位の威力に耐えられないだろうしなあ」

「それにしても、二重詠唱をあんな簡単な動作でやれちゃう隊長って、やっぱりすごいな。キャストタイム短すぎだろ」

 ふたりが一定の距離をとる。隊員たちは、全員が口を噤んだ。五感全てで記憶しようと注視する。

 ヴァリアンテがコインを投げた。

 昇り、落ちる。澄んだ音が開始の合図を奏でた。

「うわ、隊長、早い……っ!」

 ゼロから筋力だけの加速でトップスピードに乗り、カーシュラードに肉薄する。交差した腕が二本の細剣を抜いた。ヴァリアンテの魔剣『パイモン』だ。右手にアバリム、左手にラバル。

 左右からの攻撃にもカーシュラードは動じない。鞘を引いたかと思えば、次の瞬間にはヴァリアンテの剣を二撃両方とも受け流していた。

「……待って、どうかわしたの。見えなかった」

 ヘッシュにもいつ抜刀したのかわからなかった。これが金剛位かと、うなるばかりだ。

 ヴァリアンテの戦い方は親衛隊員の知るところだ。日々稽古をつけてもらっているので、どれだけ正確で隙がないのか、嫌というほど知っている。だが、カーシュラードの剣戟を見るのは初めてだ。ギュスタロッサ唯一の黒太刀は、『號仭ごうじん』という異国の響きを銘にしている。ギュスタロッサの名鑑にも記されていない新しい刀だ。特性がわからない。

 カーマには刀を持つ剣士は多くなかった。打てる刀匠がいないこともあるが、教えられる者も同じくいないのだ。外国には刀に通じた民族がいるが、カーマ王国とは国交がないらしい。そしてカーシュラードは独学で刀の扱いを学んだのだと聞いている。剣位持ちなら納得だった。

 ギュスタロッサに魔剣を与えられるような者は、教えられなくともほとんど本能的に動けてしまうのだ。ギュスタロッサに与えられる剱にあわせて肉体が形成されるのか、それとも、剣士の動きの癖にあわせてギュスタロッサが剱を選ぶのか、解明した者は誰もいない。

 ヴァリアンテの二刀が手数が多く、しかも彼自身が素早い。コリシュマルドよりも刀身の長い刀では、間合いに入られると動きを封じられそうなものなのに、カーシュラードは器用に峰で受けては軌道をそらしていた。

 片手で薙いだと思えば、柄を握る手の左右がかわることもある。振り下ろされる剱を払う動作も、両手のときもあれば、片手のときもある。左右どちらからでも対応できる器用さに、ヘッシュは息をすることも忘れて見入っていた。

「師団長、安定感がすごいな。中腰ですり足だからか」

「あれで足音がしないの、怖くない?」

「それにしても、将軍は防御だけだな。まあ、隊長の連続攻撃を受け続けるだけすごいけど……」

「……隊長の剣戟のかわし方がわかっても、真似できる気がしないわ。なんであのタイミングで足技が出るの」

「俺、あれで蹴り飛ばされたことあるわ」

「あんた二刀抜いてもらえてるだけ凄いわよ」

「それでも一撃だって届いた経験ないぞ……」

 たしかに、とヘイミッシュは同意にうなずいた。

 ヴァリアンテは二刀流だが、当然一刀だけでも戦うことができるし、侮れないほど強い。普段の訓練ではなかなか二刀を同時に抜くことはない。それを最初から抜いているのだから、ヴァリアンテにとってもカーシュラードは気が抜けない相手なのだろう。

 これで魔術まで使ったら、もっと違う戦いが繰り広げられるのだろうか。そんなことを想像した矢先、カーシュラードが一歩引いた。足の間隔が防御のそれとは違うようにみえる。

「え……?」

 思わず声をもらしてしまった。斬撃が、妙にゆっくりとした動きに感じた。重心は低いまま、カーシュラードがヴァリアンテの攻撃を薙ぐ。そんなはずはない。緩やかに感じてしまうことが怖い。あの切っ先から、逃れる術がわからない。

 続く二刀目が胴を、三刀目が首を狙っている。その三刀目が問題だ。斬撃が衝撃波となって放たれた。ヴァリアンテは寸でのところで身をかわした。髪数本を犠牲に、衝撃が鋭い風圧となって駆け抜ける。斬撃に魔力を乗せた衝撃波だ。

 それは演習場を覆う防御結界にぶち当たった。呼吸を忘れるほど凝視していた隊員たちを覚醒させるには充分な威力を発揮した。直撃したのは、すぐ側だった。

「け、結界に、ヒビ……?」

 ヴァリアンテがかけた結界の一層目に裂け目ができていた。斬撃で結界術を裂くなど、普通ならあり得ないことだ。防御結界がなかったらと思うとゾッとする。親衛隊長が二重結界を張った判断は正しかった。

「……すごい」

 誰かの声は、きっと無意識のものだろう。カーシュラードの太刀が攻勢に転じていた。確実に急所を狙う切っ先は正確無比で、一時も動きを止めない。振り下ろして、薙いで、突く。太刀は刃が薄いと聞いたことがある。だから、突く攻撃ができるのだろうか。

 あのヴァリアンテが、全力で防戦に回っている。一瞬でも気を抜けば怪我をするような、過酷なタイミングで回避を続けていた。

「うわぁ、待って待って、怖い」

「さすがというか、なんというか……。大演習で敵に回すと鬼策に舌を巻くとは聞いているが、単独としての戦力も相当なものだな」

「……次の剣聖、なんでしょうね」

 正式に継承していないが、おそらく間違いはないだろう。ヴァリアンテも同じ金剛位を受けているが、彼は親衛隊として生きる道を選んだ。きっと、剣聖に選出されても辞退するに違いない。

 だが、それ以前に、気迫が違う。黒刀をふるうカーシュラードの太刀筋には、容赦がない。寸止めをしているとわかっても、どう斬られるのかというイメージができてしまう。あの切っ先の前に立ちたくない。まるで一刀一刀に殺気が混じっているようだ。きっと、剣聖というのはそういう苛烈さが必要なのだろう。

 彼らの打ち合いは、やがて攻守が順番に交代するようになった。予測のできない動きから、見知った型に集約される。正確で優雅な動きは、訓練というより舞のようにもみえた。

「終わった?」

「と、鳥肌立った……」

 ヘイミッシュは深く息を吐き出して、黒衣を抱きしめたまま、ざわつく腕を何度もこすった。

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