春と黒の祭り -1-
カーマ王国には春と秋に祭りがある。開催日は領によって違うが、その最大のものは王都で開催される春祭だ。
厳しい冬が終わり、白銀の雪と対比する比類なき黒を国色とするカーマ全土で春を祝い迎える祭り。通称、黒の祭り。
領都などでは数日間の開催だが、王都では前夜祭も含めて一週、準備期間を含めると二週のあいだ、街は祭り様式になる。国軍である
物品の搬入や会場設営、民家の軒先にバザー用のテントを張ることでも、申請を行えば黒羆師団の軍人が手伝ってくれた。独身男性の多い黒羆師団の若者たちは、この機会にさまざまな出会いができるというオプションを狙って、ほとんどの者は喜んで街へ手伝いに出かけて行く。
ちなみにまったくの余談ではあるが、秋の収穫祭は赤の祭りだ。黒と同様に赤も国色であるので、
今、春の草花が満開の王都は、黒の祭りの準備で大忙しだ。人々の顔には喜びと期待があふれ、数日後に迫る大祭当日に向けて誰もが胸を躍らせていた。
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「ねぇ、どれが一番イイと思う?」
部屋中ところ狭しと散乱しているドレスの色はほとんどが黒に近い。祭りで着るためのものだ。姿見の前でドレスを合わせる彼女の雰囲気は、いつもの女王様然とした姿と違って少女のようだった。
もっとも、肉感的な肢体と並べられたドレスの外観は、少女と言うにはセクシーすぎるものではあるのだが。
「どれも似合うんだけどね」
「そんなことはわかってるわヨ。だから困ってるの!」
ドナらしいといえばらしい台詞に、ヴァリアンテは苦笑を返した。
「クリスに聞けばいいのに」
「聞けないからアンタに聞いてんじゃない」
「ええ……」
「乙女心は複雑なのヨ」
視線をそらしてそっぽを向いたドナの耳が赤く染まっていて、ヴァリアンテは微笑を深める。
「クリスの好みに近いといえば私じゃなくてカーシュのほうが、相談するにはいいかもよ?」
「あー、なによ、あの子ってムッツリ系なの?」
下着姿のまま振り返ったドナは、その見事なくびれに拳を当ててニヤリと赤い唇を吊り上げた。
あの子、と呼ばれた当のカーシュラードは、現在
ムッツリスケベかと問われると微妙なところではあるが、私に聞くよりマシな答えがでると思う。ヴァリアンテは心の内で付け加えた。ヴァリアンテは最近、敬愛する主に服を着せることに精を出している。セクシー路線を貫くドナの趣味とはまるで正反対だから、役に立てそうにないのだ。
そういえば、とつぶやいたドナは顔を上げた。紫に塗られた爪を顎に寄せる。
「アンタは何を着ていくつもり?」
「私は別に普通だよ。仕事中は親衛隊の最礼服。それ以外は普通の私服。これは女性の祭典みたいなものだろう? 男に服装は関係ない。あまり派手すぎると女性が引き立たなくなるし」
「着たい服着るのに男も女も関係ないじゃない」
「そうかなぁ。でも、そもそも黒系の一張羅って、あんまりもってないんだよね」
結婚式でも季節祭でも、ヴァリアンテにとって着飾るのは女性の役目だと思っていた。仕えているのが偉大なカーマ女王なので、一般的な価値観から逸脱している自覚はあるけれど。それに、国中から人々が集まってきているし、女性達の気合いの入り方が違うのは市中を歩いていても感じるものだ。
「つまんなぁい。アタシのとっておき、貸してあげようか?」
「……生足に自信ないから止めとく。出しちゃ駄目なとこはみ出して逮捕されそうだし」
「それ、いいわね。取り調べはアタシが担当してあげてよ?」
「ヤダよそんな羞恥プレイ。親衛隊の歴史に泥を塗るどころじゃないだろ」
しぼむような長嘆でヴァリアンテはうなだれた。
祭りまで、あと十日。
<王都カーマ、王城中央通り、カフェ・ジスモンデ カーシュラードとラージャ>
店員の案内を断って、黒衣のカーシュラードはカフェ・ジスモンデのテラス席に座った。待ち合わせ相手を見間違えるはずがない。片手を上げた男は、こちらを確認してほんの少し眉を寄せ、すぐに笑顔を浮かべた。
「忙しいとこ、悪ィな」
「いや、そうでもない。お前の方がこの時期は大変じゃないか?」
「まあ、それなりだ。王都のスタッフは優秀でな」
メニューが届く前から話を切り出したのは、同じ士官学校で学んだ親友のラージャ・タンジェリンだ。三十代半ばといわれてしっくりくる外見の、赤茶髪をしている。学生時代より少し太ったんじゃないだろうか。彼は軍人ではなく商人を生業にしていた。
「お前こそ師団放り出して大丈夫か? 夜でもよかったんだぞ」
「昼休みをずらしたから問題ない。今は昔ほど時間に拘束されないしな。デスクワークばかりで肩がこる」
「師団長って事務屋みてぇだな」
「訓練よりも書類と格闘するほうが多い点ではそう言える」
カーシュラードは笑みをみせることで応えた。実際はそれほど暇なわけではないが、彼がいつ休憩を取ろうと、咎められる者がいないのだ。一応事務官には言付けてあるし、サボっているわけではない。
カーシュラードは国軍の要である
しかし、いくらこのあたりが軍人街だとしても、師団長の制服は目立つ。強かろうが何だろうが、わかる者にはわかってしまう。最年少で師団長に上り詰め、その整った容姿と強さに、師団内ならず有名人になってしまったので、正規の軍服だと何事かと視線を向けられるのだ。
さいわい外見年齢だけでいえば三十歳前後にしか見えないので、薄手のコートを羽織れば一般市民に紛れることができた。まさか師団長なんて役職の人物が、その辺を歩いているはずないだろう、と思うらしい。
「食事をしていいか。何も食べてきてないんだ」
「ああ、もちろん。俺に気にせず食ってくれ」
師団本部や寮のまわりの飲食店は、軍人が軍服のままで飲み食いができる貴重な場所だ。もちろん本部には食堂やカフェテラスもあるけれど、外で食べたいこともある。店も店で軍人相手が慣れたものだから、様々な融通も利く。
ラージャが待ち合わせに指定したのは、そんな店の中でも一般兵は訪れないような高級店のひとつだった。
ランチタイムは終わりに近いが、軍人なら注文を受けてくれる。店員はカーシュラードの顔を知っていた。
フィレミニョンをミディアムレアで食べるのが好きだ。表面がカリッとしていればなおいい。ただ塩コショウとバターだけも悪くないが、今日のソースはバジルだった。前菜のサラダはクルミと粒マスタードのドレッシング。付け合わせのアスパラは今が旬だ。太くてみずみずしい。
ひととおり空腹を満たしてデザートが運ばれる頃、ラージャがようやく本題を切り出した。目尻の皺がわずかに目立っているが、少年のような表情は相変わらずだ。いったい何を企んでいるのか、瞳が輝いている。
「お前さ、三日目の夕方からって暇か?」
「祭りの三日目? 親衛隊の剣舞があるな」
「……あー」
ラージャはじっとりとした半眼で視線を逸らした。彼は知っている。目の前の師団長と親衛隊長がいい仲であることを。
「何だ」
「いや、長ェよなーと思って」
「うらやましいか」
「言ってろよ。俺のがお前より長ぇわ。なんなら嫁さんと子供の可愛いエピソード聞かせるぞ。徹夜になるが」
「……一度聞けば充分」
「遠慮するなよ。お前に話してないネタめちゃくちゃあるんだよ」
踏ん反り返ったラージャは、誇らしげだった。彼は学生時代に交際しはじめた彼女と結婚して、なかなかに幸せな家庭を築いていた。一方的にべた惚れして強引に付き合ってもらった感が否めなかったが、それも学生時代の話だ。
いまではすっかり相思相愛で、ラージャは恋人同士であるような初々しさを忘れず、情熱的に妻の愛らしさを語る。過去に一度付き合ったことがあるが、本当に朝まで惚気を聞かされた。
「そういえば子供たちは元気か? いくつになった」
「ジンジャーが十三でラルフが六つだ。最後に会ったのはラルフが生まれた時だったか。そっからまた地方回りだったしな。王都戻ったら戻ったで、ジンジャーの編入だなんだって、タイミング悪かったから」
「しばらく王都で暮らすのなら、いつでも顔を見られるだろう。そのうち会わせてくれ」
「そのうちと言わず、祭りの三日目にこいよ」
話が戻った。
食後酒を断って出してもらったエスプレッソで口の中の油を洗い流す。添えられた焼き菓子は甘い。
「祭りの三日目、同窓会みたいなもんを開こうと思ってな。ついでに言うとジンジャーの誕生日も近いから、それも兼ねている。タンザナイトを昼過ぎから翌朝まで貸し切った。前半は誕生会で、招待した子供達を帰してから飲み会な。士官学校の同期連中には声かけしてあるんだ。地位も職業も何もかも関係ない無礼講で、家族でも恋人でも友達でも、誰を連れてきてもかまわない。祭りだし、派手にやろうと計画してる」
「結構な数にならないか?」
「ギチギチに詰めりゃ七十は入るから、なんとかなるだろ」
ここまで話が出れば、いくらカーシュラードだとて目的はわかる。ひとつふたつ他にも企んでいそうではあるが。
「大型魔獣でも出ないかぎり、参加できそうだが。それで?」
それだけじゃないだろう?
カップのむこうから射るような視線で見やれば、ラージャはばつの悪そうな顔をした。
「意地悪ィのは変わってねぇなホント……。ジンジャーとラルフがな、俺の血継いでんだから当たり前なんだが、剣豪マニアに育っててな。特にジンジャーなんだが、チビん時にあのカーシュラード・クセルクスに会ったって言ってるのに、忘れちまってるらしい。俺とお前が親友だってのが信じられないみたいでよ」
「親友? 悪友でなく?」
「おいやめろ泣くぞ。本気で泣くぞ?」
「冗談だ。お前は得難い親友だよ……。お前に似て可愛げのないガキに育ってなければいいが。それで? その同窓会に僕がくるとでも言い張った?」
「おうよ。金剛位だろうが師団長だろうが、こないわけがない、とまで言い切ったぜ俺は」
威張れることではないのだが。その程度の見栄ならば、カーシュラードは何とも思わない。身分も地位も気にしない友人というのは、王族にとって得がたいものだ。
ラージャは学生時代からも、軍属となってからも、ずっと変わらない友情を示してくれた。打算も駆け引きもない、ひたすらに純粋な友情を。彼にならば、自分の持っているものを頼られると嬉しいとすら感じる。素直に教えると調子に乗りそうなので、簡単には伝えてやらないが。
ラージャは学生の頃、そのマニアぶりが講じて武官コースにいながら歴史の成績が常にトップだった。剣位持ちの名前をだせばその経歴から魔具の銘、その剣豪の好きな食べ物まで答えられるレベルで暗記している。
カーシュラードと親友になったのも、「お前は将来絶対にすごい剣豪になるから、一番の友達になりたい!」と面と向かって告げてきたからだ。確か、士官学校中等部の頃だった。実際、ラージャの予言は当たった。
そんな彼が娘と息子に自慢したのだから、付随するステータスまで含めて見せびらかしたいのだろう。
「……そうだな。師団の正装で行ったほうが子供たちは喜ぶか?」
「いやいや、俺も見たいけど、その太刀持ってるだけで充分じゃないですかね。いやいやいや、はははは」
否定はしているがラージャの瞳は正直だった。
まさかここにきたとき一瞬がっかりした顔になったのは、僕が師団長のサーコートを脱いでいたからか。
親友の制服姿をありがたがるのはどうかと思うが、カーシュラードは大人しく口をつぐんだ。服一枚で世話になっている友を喜ばせることができるなら、安いものだ。
「まぁ、楽しみにしてくれていい」
「よっしゃあ!」
年甲斐もなく拳を握って叫ぶので、学生時代に戻ったような気持ちになった。
同期とはいえ軍人になった者とそうでない者がいる。軍人になった者はその地位がさまざまだ。だから、師団長服を着ていくというのは無礼講に反する可能性もあるが、用が済んだら脱げばいいだろう。
そこまで考えて、カーシュラードはふと思い至った。ラージャは剣豪マニア。その娘息子もまた然り。
「ヴァリアンテも誘っておくか」
「待ってました! その言葉! もうお前ホント大好きここの飯おごっちゃう!」
投げキスつきで踊り出しそうな中年男の反応に、カーシュラードは苦笑をもらした。彼が学生時代、緊張しすぎて講師のヴァリアンテに近づくことすらできなかったことを思い出した。名前を覚えてもらっていたと知ったときは、飛び上がって喜んでいた。二十年は昔の話だが、遜色なく覚えている。
だが、色の違う喜び方は、少しだけ気に食わない。満面の笑みを浮かべるラージャを横目で見ながら、カーシュラードは店員を呼んだ。
「スペシャルランチセットと、本日のケーキをワンホール、持ち帰りでお願いします」
途端に上がった親友の罵倒は聞き流した。
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