飴と鞭 後編 -3-

 ルーノ基地へ戻る途中、黒衣の軍人達が馬を飛ばして駆けつけてきた。カーシュラードの言っていた別働隊はたった五人ではあったが、はぐれた魔獣を討伐していたらしい。どうやらこの地区の兵ではないようで、さらにいうとカーシュラードに対する態度がずいぶんと馴れ馴れしくて驚いた。王都やルーノ基地では、表だってカーシュラードに生意気な口を叩こうという兵はいないからだ。

 マイヤや疲労の強い生徒を馬に乗せてもらい、守られながら基地に到着したのはちょうど昼食前だった。ペリュトン討伐に出ているせいで慌ただしい。兵舎に隣接している小さな広場で、兵士たちが大鹿の角を解体していた。魔獣の体は様々な利用価値がある。

 士官学校の引率教員は兵舎の前で待っていて、一行の姿が見えた瞬間に駆け寄ってきた。まずは生徒達に声をかけ、全員を医療班の元へ連れて行く。問題がなければ食事を与え、安心できる場所で休ませてくれるだろう。ヴァリアンテはやっと肩の荷が下りた気持ちだった。

 兵舎の中に引っ込んだと思った教員が戻ってきた。真剣な顔で詰め寄ってくるから生徒達に何かあったのかと思えば、まったく違う理由だった。

「子供達を守ってくださってありがとう。生徒たちのことは私に任せて、あなたはちゃんと休んでください。聞きましたよ。二十時間近く防御結界を張り続けるなんて、どう考えても無茶です!」

「同感です。あんたは先に仮眠でもとってきてください。僕も後処理で少し残ることになるので、夕食時にでも起こしに行きますよ」

 教員の苦言に、どこからやってきたのかカーシュラードが参加して追い打ちをかけてくる。軽食の代わりか焼きたてのアップルパイと魔力酒を渡された。これを食べて寝ろというのだ。

 二十時間は言い過ぎだとか、先に情報収集をしたいだとか、駄々をこねたら担いででも部屋に押し込まれそうだ。ヴァリアンテは言い争う気力もなかったので、おとなしく客室へ引っ込むことにした。

 少なくともこの基地にはカーシュラードがいる。彼が同じ地にいて、何かの脅威にさらされることは絶対にありえない。だから、気を抜いてもいいだろう。

 驚くほど甘いアップルパイを魔力酒で流し込んで、ヴァリアンテは装備を脱ぎ散らかしたまま身ひとつでベッドに潜り込んだ。そして、ほとんど夢も見ず熟睡するように仮眠を取った。目が覚めると窓の向こうに夕暮れになりかけた空が広がっていた。

 兵舎に付属している客室にはトイレとシャワーブースが完備されている。師団の関係者や王族、今回のような課外学習にくる学生などが利用するものだ。大部屋もあるけれど、ヴァリアンテに割り当てられた部屋は個室だった。荷物はすでに運び込まれていた。

 ぬるいシャワーで汚れを洗い流し、予備のシャツに袖を通したところでドアがノックされた。

「ああ、起きてましたか」

 扉を開けるとカーシュラードが立っていた。許可もとらずにそのまま入り込んで、サドルバックを床に置く。

「生徒達は全員怪我もなく元気なものです。寝るか食べるかは本人の希望に任せてるようですが、不自由は感じていないでしょう。魔梟師団の彼女は回復術の影響で明日まで休むとのことです」

 真っ先にヴァリアンテが知りたがりそうな情報だけを羅列しながら、さっさと装備を外している。

「カーシュ」

 他にも言うことがあるだろう。咎める響きを込めて呼べば、カーシュラードがぼんやりと顔を上げた。除装の手は止めずに。

「僕もここで寝ます。正規の任務で来たわけじゃないので、士官用の部屋に空きがありません。つれてきた部隊と共用の大部屋に突っ込まれるより、あんたの部屋に転がりこむ方が楽です。シャワー借りますよ」

 有無を言わせぬ早さでまくし立て、あっというまに全裸になったカーシュラードは、宣言通りにシャワーブースへと消えた。脱ぎ散らかした装備の惨状に、ヴァリアンテは声もなく笑う。疲れたときの雑さが自分とそっくりだ。

 カーシュラードは普段きっちりしているくせに、ここぞとばかりに気を抜いて甘えている。あれだけの強さを見せつけておいて、こういう子供っぽさで気を引こうというのだから、可愛くてたまらない。

 布類はまとめて椅子の背にかけ、手甲の類は座面に。彼の刀には手を触れてはいけない。迂闊に手を出せば怪我をするのはこちらの方だ。

 そういえばリネンの類がひとり分しか用意されていない。彼の荷物は遠征用というより偵察程度の最低限のものに見えるから、持参しているわけではないだろう。だが、備品庫へ取りに行く前にカーシュラードが出てくる方が早そうだ。実際、そうだった。

 ブースからタオルを取ってくれと声が聞こえる。

「あんたのでいいです」

「私が使ったばかりだから、乾いてないよ?」

「ふけたらそれでいいので。あとで新しいのと替えてもらいましょう」

 カーシュラードは、他人が使ったタオルでも気にしない大雑把な性格、というわけではない。ヴァリアンテに限り、他人だとは認識していないだけだ。

 彼は赤毛をかき上げて額を出し、濡れたままのタオルを腰に巻いて出てきた。両腕に威圧的な霊印シジルが描かれていて、思わず視線が奪われてしまう。

 高位魔力保持者の身体に浮かび上がる霊印は、その本性を現すという。ヴァリアンテには背中一面に霊印があるけれど、場所のせいで自分では細部を知らずにいた。知っているのはきっと、カーシュラードの方だろう。

 お互いに特殊な印があるからこそ、あまり公衆浴場を使いたくないのだ。いらぬ視線はわずらわしい。

 ぼんやりと半裸の彼を見つめていると、瞳孔の境目がわからないほど黒い瞳に絡め取られた。じわじわと熱を帯びていく視線の強さに、無意識に呼吸が熱を持つ。

「ヴァル」

 夜の気配を帯びた低音で愛称を囁かれ、ヴァリアンテは誘われるままカーシュラードのそばに近寄った。危機的な状況は解決し、密室で、知らぬ仲ではない相手とふたりきり。戦うことに特化した荒く美しい肉体を惜しげもなく見せつけた彼の瞳には、間違えようもない情熱が宿っている。

 息が苦しい。忘れていた欲望の疼きに囚われ、ヴァリアンテはカーシュラードの胸板に指を這わせた。すかさず力強い腕が腰に巻き付いて、それで――。

「……ん? あれ? 君の霊印シジル、増えてない?」

「は?」

 鎖骨の下に伸びた紋様は、胸板にかかるほど長かっただろうか。そのラインを指で辿ると、一部が首筋へ、さらに一部は肩甲骨の方まで爪痕のように伸びている。

「やっぱり、増えてる。嘘だろ君、まだ成長期終わってなかったんだ……」

「成長……、はしてないと思いますけど、筋肉量は増えたかもしれません。威力調整がブレます」

 どうりで無駄に木々だとか地面だとかを抉っていたわけだ。

 ヴァリアンテにぐるぐる回されたカーシュラードは色気を引っ込めた。暴走する激情を飼い殺しにして、着替えをはじめる。なんだか申し訳ないような気持ちにもなるが、あのまま流されてしまえば、それはそれで問題だった。

 ずいぶん聞き分けがよくなったなぁ。

 理不尽にそんなさみしさを覚え、ヴァリアンテはカーシュラードの着替えを眺めた。見た目では目方が増えたようには感じないから、密度でも変わったのだろう。ずっと王都を離れて馬で移動しているから、いつも鍛えていたのとは違う部分に筋力がついていてもおかしくない。

 だが、霊印が増えるのはあまり聞かない話だ。

「魔力値変わるようなこと、何かやった?」

 強さを追い求める気持ちはヴァリアンテも枯れていない。カーシュラードは喉仏を隠すモックネックの黒シャツをかぶりながら視線を泳がせている。しっかり割れてがちがちに硬い腹筋を拳で小突くと、彼は小さく息を吐いた。

「……魔力の、解放を。ほんの少し」

「人に無茶するなっていいながら、君は平気で命削るようなことするよね!?」

「何日も前のことですよ。それに、ちゃんと制御していたし、小出しにしました」

「そういう問題じゃないだろ!」

 魔力解放は命にかかわる行為だ。気配と一緒に己の魔を主張するのとは訳が違う。

 高位魔力保持者が自分で魔力を操れるようになると、まず最初に出力の制限をかけられるように訓練する。常に大量の魔が肉体を通過し続けると、やがて体力や魂まで削りはじめるからだ。

 魔力の解放は、底と天井をなくしてしまう行為だ。解放された魔が貯蔵庫を押し広げ、肉体が耐え切れたのならば、もう一度制御をかけた時に容量が増える。己の魔力量を増やそうと躍起になって死んだ術者は多く、その危険度のわりに魔力の増え方は微々たるものだと検証されたので、鍛錬の一環として行う術者はほとんどいない。

 おそらくカーシュラードは魔力増加を意図したわけではないけれど、結果的にそうなったのだろう。何にせよ、簡単にやっていいものではない。ダークエルフの永久代謝細胞がなければ、内臓に損傷くらい受けてもおかしくない。

「必要だったんです」

 切り捨てるように言い放たれた。どういう状況でそんな事態になったのか問い詰めたいけれど、この調子だとカーシュラードは口を割りそうにない。

 ヴァリアンテは両手に拳を当てて、盛大に長嘆した。やってしまったことは取り返せないけれど、諸手を挙げて賛同はできない。次にやろうというのなら、全力で止めるくらいには、彼に無茶をさせたくなかった。

「ヴァリアンテ」

 装備もサーコートもない軽装に着替え終わったカーシュラードが、情けなく眉尻を下げている。縋りつくような弱さで抱きついて、首筋に顔を埋められた。湿った赤毛のせいで、大型犬に覆い被さられているような気持ちになる。

「兄さん」

 信念を曲げる気はないから、彼は冗談でも謝ったりしない。だが、そのひと言に全てが込められていた。

 カーシュラードがヴァリアンテを兄と呼ぶときは、甘えているときだ。兄弟だなんて思ってもいないくせに、ここぞとばかりに繋がりを押し出してくる。

 怒らないで、と訴えかけていた。末っ子気質を全開にして庇護欲を誘い、愛を乞う。ヴァリアンテは、カーシュラードの甘えに滅法弱い。

 第四王家クセルクス家の次男で、若くして金剛位を授けられたカーシュラードは、ダークエルフの母を同じくしている九歳年下の実弟だった。ただし、ヴァリアンテはクセルクス家の長男ではないし、家族としての籍はない。長男は純血のカーマ人で、きちんと継承権を持っている。

 現当主の落とし胤であるヴァリアンテは、孤児として育ち、後に剣聖に拾われて養子となった。継承権など放棄しているし、王族になどなりたいとも思わない。ごく限られた者しか出生についてを知らないし、今後も公表するつもりはなかった。

 カーシュラードがヴァリアンテを愛してしまったとき、彼はヴァリアンテの素性を知らなかった。共に育ったわけでもなく、兄弟の絆なんてわかりもしない。

 ヴァリアンテといえば、純粋に弟という存在が可愛かった。ふたりいる弟のどちらも愛おしい。ただやはり、カーシュラードは特別だった。ハーフエルフであるというその一点で、互いの孤独を癒やせる唯一の存在だからだ。

 まさかその弟に押し倒されて抱かれるようになるとは思わなかったが、まあいいか、と楽観的に考えられる程度に、ダークエルフの血が濃く表れていた。

「……あんまり心配させないでよ」

「はい」

 今度のカーシュラードは素直だった。

「僕だって心配したんですよ。現場に到着するまで時間がかかりすぎた。あんたのことだから無事だと信じてましたけど」

「嫌な偶然が重なったよなぁ」

 広い背中をあやすようになでてやれば、不埒な手の平に尻をつかまれる。明確な意思表示だ。身体だけは一回りも大きく育った弟は、まだまだ若かった。

「……腹減ってるし、明日も馬で帰るだろうから、労ってほしいんだけど」

「二ヶ月半ぶりに顔を見られたのに、邪険にしないでください。それに、あなたと生徒達の帰路は転送門を使うように申請しておきました。馬に乗らずに済みますよ」

「……それは、助かるけど……、いやでも君、着替えただろ。本気でするつもりはないくせに」

「ええ。今は」

 カーシュラードはあっさりと離れた。そのかわりに、うんと濃厚なキスを仕掛けてきた。魔力交換の必要はない。ただ愛を確かめるくちづけだった。

 そしてヴァリアンテも、カーシュラードの要求に応えることに否はなかった。

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