飴と鞭 前編 -4-
三か所目は、前回とは正反対の方角だ。今回は少し遠いという。
街道を南下し、遅い昼食休憩を挟んで横道に入る。獣道かもわからない森の奥へ。どうしてこんな場所を知っているのかと疑問を感じるが、シーバスを信じると決めた。彼は態度に反して仕事が真面目だからだ。
小一時間もいけば廃棄された狩猟小屋が見えてきた。なるほど、やはり当てずっぽうでではないらしい。ここからは馬には歩きにくいということで、徒歩で移動することになった。馬は小屋に繋いでおくことにした。
細い川にぶつかれば、そこから上流を目指して緩い傾斜を登っていく。歩きながらレプサピスについて魔梟師団からの調査結果を伝え、戦い方の助言を行った。魔術攻撃が効きにくいといっても、物理攻撃が通り易いというわけではない。魔獣というだけで、他の獣より何倍も強いのだ。
渓谷というほど深くはないけれど、沢というには充分な地形に変わっていく。水と苔の匂いが混ざり合って、重苦しい空気感が漂っていた。
その中に、わずかな硫黄臭を感じ取った。ほんの一瞬、勘違いかと思うような魔の気配がして、どちらもすぐに消えてしまう。
違和感を覚えたのはカーシュラードだけではなかったのか、シーバスが片手をあげて歩みを止め、高台へと進路を変えた。登り切って体勢を低くして急斜面の際に立つ。底の方を覗きこんで、顎をしゃくった。
「アタリだ」
沢の底で白くて巨大な塊が蠢いている。赤い点に見えるものは目だろうか。塊の近くに黒い方のレプサピスが二体ほど徘徊していた。狼狽えているようにもみえる。
「……妙だな。五、六十はいてもおかしくない整地具合だが、こっちに出てきた数とは合わないぞ」
確かに底はぽっかりと空間が空いている。沢の上に生い茂った木々のおかげで見通しは悪いが、踏み固めて押し広げたように開けているのはわかる。折れた木々の痕跡は新しく、壁面は爪痕でえぐれていた。
「この沢の出入り口は他にありますか」
「ないな。上からあふれたんじゃないかぎり、俺達が通った道だけだ。元はちっこい水場があるだけなんだが」
「魔獣があふれたとしても、どこからの被害も届いていませんよね。入れ違いになったなら、そうとわかりそうですが……」
「うわっ、なんだあれ、一匹増えた」
伏せたまま覗きこんでいたセルバが舌を出して拒否反応を表す。白い塊から中型のレプサピスが這い出て、水気を飛ばすように全身を震わせた。長い耳が跳ね、震えが止まると後ろ足で立ち上がる。
「……あれ、どんな繁殖かはしらんが、放っておくとどんどん増えるんじゃないか?」
「そんな気がします。討伐するなら早いほうがいい」
カーシュラードはマントを外し、戦闘の準備を指示した。
「弓の射程範囲だと思うので、セルバはここに残ってください。無理に援護する必要はありませんが、逃げそうな個体がいれば足止めをお願いします」
「了解」
「僕が物理防御の補助魔術をかけたとして、あなたたちはここから下まで無傷で駆け下りて接敵できますか? おそらく聡い個体は、僕が魔術を練るだけでこちらに気付くと思いますけど」
「ガキん頃からこういう山を駆け回ってんだ。都会の坊っちゃんよりマシに下りられるだろうよ」
「信じますよ。僕は最短距離で母体を叩きます。シーバス班にはそれ以外の個体を任せます。注意事項は覚えていますね? 攻撃は盾で防げます。一対一にはならないよう気をつけて、全員で確実に撃破するように」
「ああ」
「では、行きましょう」
戦闘体勢は整った。
「僕の補助魔術の能力では、被対象者の効果時間が半分以下に低下します。長期戦になると効果が切れているかもしれないので、過信はしないでください」
それだけ告げて、六人全員が入る範囲を魔術で包む。そのまま範囲を縮めていって、膜のように魔で全身を覆った。
『オ、ォオァ、アア』
耳で聴くというより頭の中に直接叩きつけるような獣の声が響いた。魔術を使用したことで魔獣たちに察知されたのだろう。
「作戦を開始します」
カーシュラードは淡々と告げ、愛刀の鍔に親指をかけた。沢へ下りながら膂力強化と速度を上げる補助魔術を己に上書きして、トップスピードで母体へ接敵する。
白い塊に見えたものは、どうやら伏せていただけらしい。四本足で立ち上がり、後ろ足で地を掻き、長い牙を剥き出しにした。見上げるように大きい。小さな納屋くらいならすっぽり収まりそうなサイズだ。
カーシュラードは歩みを止めず、鯉口を切った。鎌のような爪がついた腕が振り下ろされる前に、その肩から切り落とす。雄のレプサピスとは違い、手応えが重い。もしかしたら雌には物理攻撃耐性があるのかもしれない。
だが何にせよ、体が大きいというだけで、カーシュラードの敵ではなかった。
巨体にもかかわらず素早く立ち回るレプサピスの後ろ足の攻撃を避け、関節から切断する。バランスを崩した腿を足がかりにして背中に乗った。頭蓋を貫くように黒刀を突き刺すが、絶命には至らずに振り落とされた。
反動を利用して柄を握り替え、横薙ぎに払って牽制し、全体重を乗せて首を狙う。抵抗を見越して威力を上乗せたが、斬撃は骨を砕いて肉を裂き、わずかながら地面も抉った。
想定外の己の出力に疑問を覚えるが、ゆっくり考え込んでいる場合ではない。指笛の音が聞こえて振り返ると、生まれたばかりの中型レプサピスが突進してくるところだった。足運びだけで半身をずらし、肩口から一刀両断にする。
向こうではシーバス班も無事二体を討伐したところだった。怪我はなさそうだ。
改めて、カーシュラードは雌のレプサピスの死骸とその周辺を確認した。血は流れないので、現場が汚れないことだけが救いだ。白い毛皮のせいで切り口の真っ黒な断面が穴のようにも感じる。煤に似た魔がチリチリと切り口から散って、硫黄に似た匂いを放って消えていった。
巨体の後ろに回ると、シーバスが言っていた通り、沢水の溜まった小さな池があった。水の中に魔の結晶が砕けて散らばっている。
「なんだそれ、未発見の天然魔泉か」
死体を押しのけて、背後からシーバスが覗きこんできた。どこで拾ったのか木の枝を片手に池の中をつつき回す。水が濁るだけで、何か異変に感じるものはなかった。
「だったもの、ですかね。あまり濃度は高くない。戦闘中に砕けたのかもしれませんが。魔梟師団から専門家を派遣してもらった方がいいと思います」
「……このデカブツの引き上げに人数もいるしな」
「ええ、駐屯地に戻りましょう。雄の個体がうろついているかもしれませんし」
カーシュラードの決定に異を唱えるものはいなかった。
沢の上でセルバが両手を振っていた。討伐を祝っているわけではない。あれはサインだ。示された方角へ視線をむけると、岩と木の幹に挟まった魔獣が蠢いていた。気配のない魔獣はやっかいだ。
狩り漏らしたのが一体とは限らない。少し範囲を拡げて索敵を行うことに決め、日が暮れるまで周辺を探った。
けれど挟まっていた一匹が最後だったのか、魔獣の姿は見つからない。夜の森では効率も落ちるし、これ以上は意味がないだろう。
狩猟小屋まで戻って馬を回収し、街道のそばで野宿をする。薪は苦労せずに集まった。火を囲みながら薄いスープと携帯食料を夕食にしていると、シーバスが苦々しい口調でカーシュラードに声をかけた。
「……アンタ、俺らに後ろから刺されるとか、考えないのか」
「殺気を向けられればわかります」
「そうじゃなくてな。俺が裏切らないと、どうして信じられる」
「初日で辞めなかったからですかね」
まさか今になってそんなことを尋ねられるなんて思わなかった。彼の中で一体何が変化したのだろう。
「あなた、ずっと僕を観察していたでしょう?」
今日に至るまで、シーバスからカーシュラードに話しかけてくることはなかった。馴れ合うことも懐柔されることもなく、仕事だからと割り切っているのだと思っていた。
「僕は信じるに値する存在になりましたか?」
「あのデカブツ相手に汗ひとつかかない奴を敵に回したところで利はない、ってのは、わかったな」
「それで構いませんよ。僕の強さを信じてもらえるのなら、僕を嫌いなままで結構です。信者が欲しいわけじゃない」
すると、シーバスは複雑そうな表情を浮かべた。他の四人は笑ったり苦笑を浮かべたりと様々だ。その中のひとりが困った顔のまま唇を開いた。
「俺らはお前さんの足下にも及ばないのを噛みしめてんだよ。それこそ、一緒に戦う意味はあったのか、ってな」
「ありますよ。あなた方がいてくれたから、僕は大物を狙える」
カーシュラードは一度言葉を止め、空を見上げた。木々の向こうに大きな月が浮かんでいる。それから、五人へと視線を戻した。
「何も僕と肩を並べろとは言わない。それは客観的に見ても無理でしょう。ですが、僕は、最前線で殺戮に励んでも、その背後にいる民を直接は守れない。あなた方には、背中を守ってほしい。守りを固めてくれているあいだ、僕はただ振り返らず、敵を殺し続けられる。背中を預ける相手を信じずには戦えない。今回のような魔獣討伐も戦争も同じです」
確固とした口調を意識し、瞳には羨望を混ぜる。彼らを信じているのだと視線に乗せた。最後は渋面のシーバスに向けてかすかな笑みを浮かべる。
「僕にあなた方の力を貸してくれませんか」
班長を含めた五人は、ぽかんと口を開いて固まった。驚愕が理解を遅らせているのか、呼吸ふたつ空いてから我に返る。反応が面白くて吹き出してしまいそうだ。
「ああ、くそっ! お前さん、見た目まんまのタラシだな?」
「やめろ俺に色目を使うな。こちとら嫁さんがいるんだよ!」
「気が強くておっかない嫁がな」
「うるせえな! そこがイイんだろ!」
「いいことを聞きました。ぜひ奥様にご挨拶させていただかなくては」
「おいマジかよ、お前そっち狙いの方か。もっと悪いじゃねぇか」
下世話な話題になった途端、男達は笑い声を響かせた。冗談だとわかっていて、一緒に楽しめる。内容は褒められたものではないが、だからこそ奇妙な連帯が生まれたりもする。
だが、そんな和やかな雰囲気は、街道を駆ける馬の足音によってかき消された。駐屯地からの伝令だ。
カーシュラードに届けられたものは、王都に近いルーノ基地からの救助要請だった。
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