飴と鞭 前編 -3-

 翌日からカーシュラードは、魔泉周辺の哨戒任務に同行した。

 体調不良者が出たので副司令の計画書は変更を余儀なくされたが、街道の警備に裂く人員は確保できたのが幸いだ。昨日の示威行為は、それなりに威力を調整していた。実際にカーシュラードの剣を受けた者は夕飯すら食べられなくなっていたが、外周で様子を見ていた者や、一般人より魔力値の高い者は復活も早かった。

 駐屯地で待機している兵を遊ばせておくつもりはない。休息を奪うことこそないけれど、食堂で博打をしているくらいなら剣でも振っていてほしい。哨戒の同行から戻ると、カーシュラードは兵士たちを鍛え直すことにした。

 訓練はまずは基本の型からだが、やはりそれはきちんとできていた。実践形式での手合わせを監督し、助言を与え、時に実地でやり方を見せる。容赦はないが、本人が現時点でできないことを強制はしない。

 三日もたてば駐屯地での生活に慣れ、生活スタイルが定まってきた。

「十人くらい除隊するかと思ったんですが、誰も辞めてないんですか。反抗的なわりに根性ありますね」

「辞めた方が怖いんじゃないか? あれだけ言われて尻尾巻いて逃げたら、お前に処分されそうだし」

「失敬な。逃げた者を追う趣味はありませんよ。時間の無駄です」

 フィデック副司令の部屋に呼ばれて夕食をとりながら、カーシュラードは歓心を伝えた。損害を被ったと本部へ訴えられるくらいは覚悟をしていたのだ。

「まあ、かわりに司令官が寝込んでるけどな」

「僕を妨害しないだけで充分ですよ」

 最初に訪れたトレマルク基地の司令は、黄玉位の老剣士だった。一度手合わせをすればそれで充分ではあったが、性格的な相性はよくなかった。

 周辺領地の王族とも仲が悪いらしく、カーシュラードが王族ということで反感を抱いていた。だが、剣位持ちであるからこそ、魔と力に服従することを理解している。一般兵が素直だったので特に問題もなく訓練を共にできたが、司令官の反感は最後まで変わらなかった。お互いに割り切って接していても、おかげでずいぶん気疲れした。

 それに比べたら、胃が弱くて逃げ癖があるくらいどうとでもなる。副司令が優秀なら問題にもならない。

「あの魔獣な、野生動物からの転化だ。何世代目かはわからん。骨が軽いわりに、筋肉質で後ろ足が強い。肉体のベースは野ウサギで間違いないが、新種だろうってことになった。うちの兵士が三人がかりなら倒せる程度なのは助かるが、なんせサイズがでかいから初見だとビビる奴がいる。お前さんやたらと遭遇してるが、心当たりはないのか」

 この三日で二度も魔獣と遭遇しているのは確かだ。疑いたくもなる頻度だろう。

「ありませんよ。魔獣が僕を狙う理由はなんですか。暗殺したいと思ってる人物なら、王都に腐るほどいそうですけど」

 各所で恨みを買っている自覚はあるが、実際のところ暗殺沙汰になったことはない。国家を巻き込んで破滅したいのでないかぎり、カーシュラードを殺すことに利はないからだ。政治と私情を切り離せる政治家がいるかぎり、この国はまだ安泰だろう。

 そして魔獣はというと、生態は様々だ。狩猟という概念があるものから、手当たり次第に暴れるだけのもの、まったく無害のものもいる。食事や睡眠や排泄、生理的欲求の有無も千差万別で、名前のついていない魔獣に関しては行動原理を推測するだけで精一杯だ。

「……魔、では?」

 会話には参加せず静かに食事をしていたサムハインが、ぽつりともらした。ふたり分の視線が副官に集まる。

「あの魔獣自体はほとんど魔力を持っていないんですよね? 肉食性かとも思いましたが、家畜が襲われているという報告はありません。では、何を原動力にして活動しているのか。カーシュラード様が一般市民と違う点を上げればキリがありませんけど、一番わかりやすいのは、保持している魔の差ではないでしょうか」

「なるほど。誘蛾灯みたいなものか」

 嬉しい例えではないが、副官の指摘も一理あった。そういえば、最初に助けた商人たちも、老婆のほうが孫より魔力が高かった。荷台に群がった理由は、積み荷ではなく老婆を狙っていたのかもしれない。

「僕を天敵だと認識しているのか、獲物だと思ってるのかはわかりませんが、高魔力保持者が狙われるというのなら、一考に値しますね」

 そこまで言って、溜め息をこぼす。

「……民を守れと兵を脅しながら、魔獣を呼び込んでいるのが僕だったら笑えませんけど」

「むしろお前がいるおかげで、そこそこ魔力の高い市民が襲われていないなら、いい防波堤だろう」

「ありがとう。そう思っておくことにします。……でも、それにしては、発生件数が多くありませんか。魔泉の魔は薄いくらいなのに」

「ここの魔泉の影響で生まれてないなら、別の場所で生まれたのが魔脈に乗って移動してるのか……? ううむ」

「ウサギの繁殖力を持ってるならやっかいですね」

「討伐したのは全部雄だったな。雌だけのコロニーがあるのかもしれん。もし蜜蜂みたいに女王がいるなら、それを叩けば雑魚の発生が止まるんじゃないかと思うが」

「その線で動いてみましょう。母体が隠れられそうな場所に心当たりはありませんか?」

「そういうのに詳しいの、お前が初日にボコボコにした、髭面のでかい奴だよ。名前はシーバス。今日の午後には復帰してたはずだ」

「おや。では、早くとも明日の朝一で、彼を連れて威力偵察を行いましょう。指示書の作成は任せます」

 カーシュラードは片眉を上げて笑みを浮かべた。あくどいことことを考えている顔ではないが、なまじ美形がやると怖ろしい。副司令は鼻に皺を寄せた。

「さて、先に出ますよ」

「なんだ。風呂?」

「いえ、ちょっと外へ」

 夕食はすでに終えていた。育ちのせいか食べ方は上品だが、師団生活が長いので速度が早いのだ。

「サム、先に寝ててかまいません。あとは任せます」

「了解しました。お気をつけて」

 言うが早いか剣帯を巻いて、さっさと副司令官室を出ていってしまった。残された部屋の主は唖然としたまま閉じた扉を見つめるだけだ。

「夜警はいるんだが……。というか、あいついつ寝てるんだ。体力馬鹿か」

「自分の目で確認しないと安心できないんですよ。あの方のあれは病気です」

「あんたも苦労するな」

「むしろ、手間がかからなくて世話のしがいがないのです」

 サムハインの大仰な嘆きに、副司令は複雑な思いでうめいた。




「お邪魔します」

「うげっ」

 一般兵がサボる場所など二日目には見つけていた。

 足音も気配もなく登場したカーシュラードに、兵たちが悲鳴をあげる。一緒に居たくはないが、場所を譲れば逃げたことになる。それはプライドが許さないのだろう。髭面の男は恨みがましさを隠しもせず、カーシュラードを睨み上げた。

 そこにいたのは、お山の大将と取り巻きの二人だ。それと蒸留酒の瓶が一本。

「……アンタ、何しにきた」

「何って、これ喫みにきたんですよ。室内は禁煙だと怒られたんで」

 シガレットケースからいつもの紙煙草を取りだしたカーシュラードは、咥えたまま指を擦って火をつけた。肺を満たして、ゆっくりと吐き出す。馬上で吸うわけにいかないので、あまり一服できる時間がないのだ。

 無言の視線を黙って受け入れていたが、さすがに気詰まりになる。しまったシガレットケースを懐から取りだしなおして、欲しいのかと尋ねた。ひとり食いついたけれど、仲間に足を蹴られて黙った。籠絡にはまだ遠いようだ。

「ちょうどあなたに用があったんです」

「……なんだよ」

「大型の獣が巣作りできそうな場所に、心当たりはありませんか」

 それなりに真剣な声で尋ねると、警戒心はそのままに瞳を細める。なぜそれを聞くのかと、焦茶色の瞳が問うていた。

「新種の魔獣の発生場所を探しています」

 カーシュラードは、副司令のフィデックと話した魔獣についての推察を語って聞かせた。

「それで巣か」

 知らぬ存ぜぬを貫くかと思えば、シーバスは思案にふけった。太い指で唇とあごひげをなでて考え込んでいる。

「この辺で一番デカいっていやぁ、ネル爺さんとこの種牛だけど、それよりデカいってことか。想像できねぇなあ」

「あの黒いやつですら俺らよりデカいじゃねぇか。あんなもんウサギみたいに増えてみろよ、悲惨だぞ」

 首の後ろで髪をしばった童顔な男と、細身の男が囁きあっていた。シーバスのように恨みがましい視線を向けてくることもない。

「……あり得そうなとこは四か所だな」

「明日、案内してください」

「朝一で訓練いれてたの、アンタじゃなかったか」

「実践で教えますよ、シーバス。あなたの部下を四人、つけてください」

 名前まで調べてんのかよと、お山の大将が苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちした。

「……一日で回るのは無理だぞ。一番遠いとこで馬で半日かかる」

「では、そこから。遠征をするつもりはないので、日帰りで戻りたいんですが、できますか」

「いや、野宿して二か所目を経由して戻ったほうが効率がいい。そこ以外は日帰り可能だ」

「結構。野宿する方から行きましょう。哨戒から偵察に切り替えて装備を調えてください。早番の朝食後に出発します」

 カーシュラードは短くなった煙草を指に挟んだまま、魔力を灯して燃やし尽くした。最初の交流としては及第点だろう。

「アンタがいれば、火打ち石はいらなそうだ」

 冗談か本音かわからないシーバスの言葉に肩をすくめて返し、カーシュラードはたまり場から移動した。

 駐屯地の両端には物見台がある。螺旋階段を上って夜間警備の弓兵と言葉を交わし、周辺一帯を観察する。月があるおかげで街道の遠くまで見通せた。

「クセルクス連隊長、あそこ、見えますか」

「演習場の端ですね」

「警鐘を鳴らしますか?」

「いいえ、僕が行ってきます。他にも出るようなら鳴らしてください」

 それだけ伝えて、物見台から飛び降りた。螺旋階段を下りるのが面倒だったのだが、魔術を使って着地の衝撃を和らげたけれど音が響く。驚いた馬が遠くでいななく声が聞こえた。

 補助魔術を口ずさみ、歩行速度を上げる。ウサギらしくひょこひょこと歩く黒い影は、演習場へ向かう途中で姿を現した。うなり声を上げて長い爪を振りかぶる。こちらに飛びかかってくる大ぶりな動きをそのまま捉え、切り倒す。腹ごなしにもならない。

 せめてもう少し魔力のある魔獣なら探索の得意な魔術士でも派遣してもらうのだが、この魔獣ではそれも難しい。遭遇したものを叩くだけが現状で一番の解決策だった。物理攻撃が効かないなんてやっかいな魔獣じゃないだけよしとしよう。

 カーシュラードはぐるりと演習場を歩き、警鐘が鳴らないことを確認して兵舎へと戻った。

 明けて翌日。シーバスは指示を違えることなく従っていた。食堂に入ると偵察装備の五人が固まっている。シーバスを含めてこの五人は、全員が初日に喧嘩を売ってきたメンバーの者たちだ。

 カーシュラードは迷いなく近づいて同じ卓に座った。執務室に呼ぶよりこのままブリーフィングをした方が早く出発できる。

「しんがりは僕がつくので、ルートと配分は任せますよ。事前に知っておくことがあるなら、この場で教えてください。作戦中はあなたの指示に従います」

「嘘だろ。俺はただの班長だぞ」

「この駐屯地で一番地理に詳しい班長でしょう? 僕は火起こしくらいしかできませんからね」

 悪戯心を隠さずに告げると、シーバスは唇をへの字に歪めた。

「ただし、戦闘判断は僕に任せてください。あなたたちにも戦ってもらいますが、万が一危険な状態になったら僕を置いてさっさと戦線離脱するように」

 魔獣の強さからいってそんな状況にはならないと思いますが、と付け足せば、知らず緊張していたらしい男達から肩の力が抜けた。簡単な自己紹介をすれば、あとは配給所から携帯食料を受け取って出発だ。

 最初の休憩までは警戒心を解かなかった五人だが、シーバスをのぞいて他の四人はだんだんと、カーシュラードに対して気を緩めはじめた。戦友のような親しみを向けてくることこそないけれど、むやみに睨みつけたり無視をすることはない。

 もっとも、師団に残る選択をしておいて初日の恨みを表に出すのなら、軍人としてそれはそれで問題がある。だから彼らは、反抗的ではあるけれど性根が腐っているわけではないのだろう。

 駐屯地に近い街を抜け、農村を通り過ぎ、森林への獣道を行く。詳しいというだけあって、大きな岩場や大木の些細な変化も見逃さず、シーバスの先導は迷いがなかった。

 王都と違って残雪などなく、春の息吹がそこかしこから感じられる。日が昇る前に雨でも降ったのだろうか。緑と土の匂いは生命の象徴だ。

「ここじゃないな。熊の冬眠穴だけだ」

 シーバスの呟きにうなずいて、カーシュラードは次の目的地への先導を任せた。馬は夜目が利くけれど、寝ずに行軍する意味はない。野宿にちょうど良い場所をみつけ、野営の準備をはじめた。

 火をおこして携帯食料を暖める程度でも、休息の質は変わるのだ。湿った枝ばかりで薪になる枝を見つけられずにいると、一番最初に警戒心を解いた兵が探し方のコツを教えてくれた。彼の名はセルバといって、狩りが得意な弓使いだ。

 薪拾いの途中で、狼に似た野良の魔獣が飛び出してきた。ほとんど反射的に一刀で切り伏せてしまう。やってしまってから、カーシュラードは早まったと反省した。

「すみません。実地訓練のいい機会だったのに」

「あ、いえ、べつにそれは――あああ、待って!」

「……ッ」

 魔獣の死骸を燃やそうとした瞬間、セルバに腕をつかんで止められた。

 魔術発動時、術者を直接攻撃するのはあまりに危険な行為だ。暴発する寸前で術を中断し、同時に魔防御術を張るという離れ業を行っても、反動を皆無にはできない。

「うわっ」

 咄嗟に跳びすさったセルバの判断は正しい。カーシュラードの手甲が燃え落ちる。霊印があるおかげで軽傷でも、火傷は防ぎきれなかった。剣を握る手の平が無事だったのでよしとしよう。これは完全に自分の油断が招いた出来事だ。

「怪我は?」

「あり、ありません……」

「事情の説明は、戻ってからにしましょう」

「あ……、ああ、はい」

 何があったのか理解ができていなくても、自分が下手をうったのだとはわかるのだろう。セルバはあきらかに落ち込んで反省している。だが、学んでもらわなくては困る。

 カーシュラードは野宿場に戻って、荷物の中から傷薬の軟膏と布を取りだして座った。回復途中の痛みとかゆさで悶絶しそうだと、数時間後の己を想像して気落ちする。

 何事かと兵達が集まってくれたので、火傷の手当をしながら講義を行うことにした。

「術者が詠唱をしているときに触れてはいけない。魔は便利な力ではありますが、相応のリスクもあります。詠唱を止めるにはそれなりの手順があって、突然中断すれば術者に跳ね返るか、周囲へ無差別で発動します。やっかいなのが、威力の強弱が完全ランダムで変わることです。今回はこの程度で済んで何よりでした」

「訓練兵時代の座学で習ったような……」

「ちゃんと思い出しておいてください」

 カーシュラードが告げると、シーバスはセルバの後頭部をはたいた。

「お前、薪拾いと寝ず番だからな」

「それは、はい、すみません」

「罰はそのくらいが妥当でしょう。僕も慣れすぎて詠唱破棄をしていたので、魔術を使っているとわからなくても仕方がない。ですがこれで理解できたと思うので、二度目がないことを願います」

「一度基地に戻るか? その火傷じゃあ、剣をふるうのは厳しいだろ」

「いいえ、明日には回復してると思うので、問題ありませんよ」

「んな馬鹿な。……ああ、その傷薬が特殊なやつだとか?」

「それもありますが、霊印の上で受け流したので多少は威力を軽減できました。あとは、僕の自前の治癒力が非常に高いので。活性化の補助魔術をかけて、肉を食べるか魔力回復酒でも飲んで眠ってしまえば概ね元に戻ります」

 この身体にはカーマの王族とダークエルフの血が半分ずつ流れている。ダークエルフは『紅蓮の魔神インフェルニア』の系譜にあたる魔族だ。彼らは永久代謝細胞があるおかげで不老不死だと伝えられていた。首を落として殺せるのかどうかは、試したことがないのでわからない。

 半分だけ受け継いでいるカーシュラードも、その恩恵を受けていた。不死ではないし、切断されて元通りになることはないけれど、外傷ならば人間の何十倍の速さで回復する。

 混血を隠してはいないので少し調べればわかることだが、別段吹聴するものでもない。カーシュラードはこの件についてそれ以上語る気はなかった。

「それで、どうして僕を止めたんですか?」

 完全に萎縮しているセルバに水を向けると、彼は顔をあげて小首を傾げた。そして、膝を叩いた。

「ナイトダイア!」

 訝しみながら見つめていれば、彼はまたオロオロと自信のない態度に戻ってしまう。

「あの、俺……、クセルクス連隊長が、ナイトダイアウルフを燃やそうとしたので、咄嗟に……」

 その瞬間、シーバス含む他の四人が全員天を仰いで肩を落とした。

 燃やそうとしたのが、なんだ。魔獣の死体を放置しておいても、食物連鎖に貢献できない。たしかにあの狼の魔獣は通称ダイアウルフと呼ばれてはいるが、別段特別な魔獣でもないだろうに。

 カーシュラードが理解できずにいると、シーバスがひどく疲れたような顔で長嘆した。

「ナイトダイアウルフの毛皮は、一体で俺の給料一か月分になる」

 なんだって。それは大事じゃないか。

「……薪よりそっちを先に回収してきてください」

 大変申し訳ない気持ちで伝えると、セルバがもうひとりを連れて、死骸を放置してきた場所へ駆けていった。それは切り捨てたあとで彼が微妙な顔をするはずだ。咄嗟に止めたくなる気持ちもわかる。

 これまで金に困る生活はしてこなかったし、今もらっている給料だって彼らとは桁が違っているのだが、それでも金銭感覚が破綻しているわけではない。だから、重大さは理解できる。

「念のため尋ねますが、今索敵してる魔獣の毛皮も高く売れるんですか」

「かもな。新種だから価値はまだわからんが、いつも出てくる角ウサギの魔獣アルミラージですら、たいした魔的な付加価値はなくても小銭稼ぎになる」

「……魔獣を売るなんて考えたこともありませんでした。次から焼却処分するのは控えます」

「アンタ、そういう感覚は王族なんだな」

 シーバスの呆れた物言いに、カーシュラードは反論すらできなかった。

 その晩はシーバス班に寝ず番は任せ、ありがたく回復に専念させてもらうことができた。回復途中のかゆみで腕の肉を抉りたくなったが、沈痛作用のある傷薬を舐めて無理矢理眠った。出立する頃には違和感が残る程度になっていて、信じられないと騒ぐ兵たちに渋々腕を見せるはめになった。

 傷の治りよりも霊印シジルを凝視していた気もするけれど、カーマ人としてそちらに反応してしまう衝動は理解できる。人工の入れ墨と違い、霊印は高位魔力保持者に発現する天然の紋様だ。それは本人の性質を表すと言われている。

 魔の民にとっては身近なもので、本来は羨望と畏怖を向けられるものだ。この何十年かは、あまり目立って話題にのぼることはなかった。けれど、魔神復活と相まって、魔の影響する色々が復古していくのかもしれない。

 朝食に硬いパンとチーズを囓り、予定通りに出立する。二か所目の目的地には昼前に到着したが、結局空振りで駐屯地に戻ることになった。三か所目は翌日に持ち越しだ。

 不必要な怪我をさせてしまったからと、セルバが夕飯に鹿肉を焼いて持ってきた。自分で狩ったものらしい。彼の狩猟の才能は、斥候に向いているかもしれない。

 一番反抗していたシーバス班と揉め事もなく戻ったことは、駐屯地の一般兵がまとう空気を変えた。

 短時間でも稽古をつけてくれと自ら名乗り出るものが出て、そうなれば次は自分もと後が続く。タイミングよく演習場あたりに魔獣が出たと報告を受け、明日が非番の者だけつれて実地で教えることになった。夜間訓練はしていなかったのでいい機会だ。

 カーシュラードがいなかった夜には魔獣がでなかったというので、いよいよ狙われているのではないかと思えてくる。

 わずかながら心当たりはあるのだ。

 カーシュラードは普段、あまり己の魔力値の高さをひけらかしたりはしない。王都には高位魔力保持者が多く住んでいるし、察知能力に優れた者もいる。戦う者として己の強さは隠しておきたい気持ちもあって、気配を殺す要領で魔力を閉じていた。

 だが、この駐屯地ではそもそも高魔力値の者がいない。相対するとどんな感覚になるかを知らぬ者が多いから、体感できるように薄らと己の魔力を主張していた。

 偵察中は魔の放散を止めていたので、くだんの魔獣と遭遇することがなかったのではないだろうか。魔力を求めているのなら、カーシュラードを目指してくるのもうなずける。確証がないことと、それはそれで魔獣討伐の経験が積めることに越したことはないから一般兵には伝えていないだけだ。

 駐屯地の部屋へ戻ると、サムハインが腕を組んで待ち構えていた。休みらしい休みをとらない主に呆れていることは、その目をみればわかる。申し訳ないとは思うが、諦めてほしい。

「魔梟師団から調査報告の第一報が届きました。暫定的にレプサピスと呼称します。筋肉量より骨が軽いので、なんらかの野生ウサギから転化したもので間違いありませんが、送った個体は第二世代ではないかとのことです。内部機関で魔を生成することはできませんが、外皮に魔術攻撃に対する耐性、爪や牙には魔術攻撃反射の特性があります」

「この駐屯地には戦魔術士が在籍していないので、幸いでしたね」

 訓練も兼ねて剣や他の武器でばかり討伐していたので、魔術を使って攻撃していなかった。知らずに魔術で攻撃していれば大変なことになったかもしれない。

「情報共有は任せます。ブロワ副司令がうまいことやってくれるでしょう」

 明日も朝一で偵察に出ることを伝え、あとはいくつか情報共有と打ち合わせをして休むことにした。

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