第2話 … 時空を超える神社



 ——当日が、やってくる。


 某テレビ局の駐車場には、沢山の芸人、スタッフ達が集まっていた。



 これから全員がロケバスに乗り、収録場所へと向かうのだ。


 その中の一人である俺は、キョロキョロと、周りを見回した。



 ……なるほどな。


 今回は俺のように、顔も名前も知らない無名の芸人が多い。



 だが、脇を固めるためだろう。


 大物芸人が、二人いた。


 いつもテレビで見る彼らを目の当たりにして、俺は「スゲェ……」と、小声で唸った。





 東京から目的地まで、約二時間半を要した。


 その間、俺はイヤホンで音楽を聴いたり、今回の台本を読み返したりして、時間を埋めていた。



「皆さん、着きました!」


 スタッフの声で、俺は上体を起こし、軽く伸びをする。


 やれやれ、やっと着いたか。


 広場に停めたバスから降りると、やたら身体が重い。



 だが、そんな身体の不調も、次の瞬間には吹き飛んだ。


 どこまでも続く広大な空と、田園風景に「うおっ」と、感嘆の声が出た。


 金色に輝く稲穂が、眩しいほどに美しい。


 まるで、世界の果てに来た気分だ。



 息を吸い込むと、鼻の奥まで、澄んだ空気が駆け抜けた。


 他の芸人達も、同様だった。


 皆、この農村の景色に、心奪われているようだ。



 だが、スタッフ達は違った。


 彼らは目もくれず、機材を担いでは、慌ただしく動いている。


 ご苦労な事だ、と思った。




「皆さん、こちらに並んで下さい!」


 スタッフの一人が、声を上げた。



 さっそく、俺を含めた十人ほどの芸人が、横一列に並べられた。


 スケジュールの都合上、早々と収録が始まる事になったのだ。



 カメラが回る。


「さあ皆さん、本番が始まりますよー!」


 どこから現れたのか、この番組の司会進行役である男性アナウンサーが、快活な声を出した。


 それは、やばいクスリでもやっているんじゃないかと疑う程、ハイテンションだった。



「第十八回、お笑い農村バトル! スタートォォォォォォ!」


 それが合図のように、芸人達が一斉に手を叩いて盛り上げた。


 俺も周りに合わせ、拍手をする。



「さあ、皆さん! ここは、どこでしょうか! ここは、◯△県の山奥に位置する、東岩佐村という農村です! 皆さんには、ここで二日間、壮絶なお笑いバトルを繰り広げてもらいます!」


「おおっ! やるぞっ!」


 まるで出陣して、戦地に赴く武士のように意気込む芸人達。



 本来ならば、俺もここで周りに合わせて張り切るはずだった。


 だが〈東岩佐村〉という名前を聞いた瞬間、俺は大きく動揺してしまった。



 それは、俺の生い立ちにあった。


 俺は1995年の10月に、まさにここ、東岩佐村で生まれたのだ。


 母親は俺を産んだ時、出血が酷くて亡くなってしまった。



 母親には身寄りもなく、行きずりの恋で出来た子のため、父親も分からない。


 結局、俺は隣町の児童養護施設で育てられる事になった。




 ふいに、カメラマンが近づいてくる。


 俺は何とか私情を押し殺し、場の雰囲気に合わせて、笑顔を作った。



 東岩佐村なんて知らない、初めて来た場所だ。


 俺は番組の出演者として、精一杯、頑張るだけ。


 そう自分に言い聞かせた。




「皆さん、この村には、約百人ほどの方が住まわれているそうです。あ、第一村人を発見しました! おじいちゃんが、稲刈りに精を出してますよ! いやぁ、お元気ですねえ!」


 アナウンサーは、軽快に喋り続ける。


 そんな調子で歩いていると、彼がピタリと足を止めた。



 そこには、赤い小さな鳥居があった。


 高さは二メートルほどだ。


 その奥には、三メートル四方くらいの本堂もある。


 なんと、せせこましい神社だろうか。



「皆さん、この神社は凄いんですよ。この村では〈時空を超える神社〉と、呼ばれているそうです」


 アナウンサーの言葉に、芸人達は不意をつかれた。



 神社なんて話、台本にはなかったからだ。


 これは、アドリブ力を試されているのだろうか。


 芸人同士が、それとなく顔を見合わせた。



「……ええっ! な、なんですか、それ? タイムスリップって事ですか?」


 一人の芸人が、何とか食らいついた。


 少々、わざとらしい言い方ではあったが。



「そうなんです! 今から28年前の、1995年の事です。未来から、タイムスリップしてきた男が、この神社の本堂から現れた。そういう伝説があるんですよ、この村に! 本当ですよ!」


「そんな馬鹿なぁ」と、大袈裟に笑い出す芸人達。


 俺も同様に苦笑いを浮かべ、顔を左右に振る。



 すると、俺の隣にいた坊主頭の芸人が、目立とうと一歩前に躍り出た。


「はいはいはい! それじゃあ僕、今から1995年に、タイムスリップしてきます!」


 坊主頭は大胆にも、本堂の扉を開けて、中へと入って行く。


 俺は、他の芸人達と一緒に「何やってるんだよ、罰当たりな奴!」と、歩調を合わせて、野次りまくった。




 ほどなくして、坊主頭が飛び出してくる。


 目を白黒させて「ここは……1995年?」


 そう言うと、勢いよく拳を突き上げ「よーし、ポケベル持ったコギャルに会いに行くぞー!」と叫ぶ。


 当然「いねーよ!」と皆で坊主頭を、どつきまわした。



 バラエティ番組らしい、良い雰囲気だった。


 だが、ここで予期せぬ展開になった。



 大物芸人の一人が、俺を指差したのだ。


「君なら、タイムスリップ出来るんじゃないの? そんな顔してるよ」


 俺は虚をつかれ、気が動転した。



 思わず「えっ」と、声が出そうになったが、顔に不安の色を出さないよう務めた。


「いやあ……僕、どんな顔ですか! 出来るかなぁ?」と、頭をボリボリ掻いて、本堂の中へと入る。


 いや、入らざるを得ないのだ。


 目立つために今、この場所にいるのに「無理です」なんて、口が裂けても言えない。



 ……あぁ、しかし困った。


 俺は、三畳ほどの狭い本堂の中で考えた。


 腕組みをし、薄暗い天井を見つめる。



 さっきの坊主頭は、ポケベルにコギャルと言っていた。


 俺は何と言えば、いいのだろう。



 95年と言えば、震災や地下鉄での事件が有名だが……それでは笑いに出来ない。


 俺は車輪のように、頭をフル回転させた。



 95年に、大ヒットした曲を歌いながら出る……。


 そして、どつかれたら栗を出して「許してクリ!」これなんか、どうだろう?


 マロンマロンのギャグも、アピール出来る。


 もしかしたら、オンエアで使われるかも知れない。



 考えが、まとまった。


 一つ深い息を吐いて、出るタイミングをうかがった、その時——




 ドォォォン!




 鼓膜が破れそうなほどの激しい爆発音と共に、本堂が激しく揺れる。


 視界は一瞬にして、真っ暗になった。



 俺は身体のバランスを失い、柱に激突すると倒れ込んでしまった。


 打ち付けた側頭部の痛みに、脳が痺れる。


 遠くでキーンと、金属音のような耳鳴りも聴こえた。



 しばらくは、まるで深海にいるような気分だった。


 薄暗くて、息苦しい。



 ああ……瞼が重い。


 意識が……遠くなる……。



『翼……』


 誰かが、俺の名を呼んでいる。



 木漏れ日のような、温かい女性の声だ。


 そして、その声には、なぜか懐かしい響きを感じた。



 ふと女性の背後に、十字架の様な物が見えた。


 あれは何だろう?



『翼……』


 再度、俺を呼ぶ。


 逆光により、影になった彼女の顔は、はっきりと確認出来ない。



 だが、薄っすらと見えた口元には、笑みあった。


 それは優しく、全てを包み込むような、慈愛に満ちた微笑みだった。


 俺は、無意識に震える手を伸ばし、何かを呟いた。




「……母さん……」




◇ ◇ ◇




 薄っすらと、光が見えた。



 目の前には、埃臭い畳。


 どうやら俺は、うつ伏せのまま気絶していたようだ。



 意識が完全に戻ると、半身を起こす。


 多少、頭がズキズキするが、怪我は無さそうだ。



 いやしかし、それにしてもあの爆発音は何だったんだ? 


 そして、さっき見た夢も気になる。



 そう言えば、子供の頃から俺は、この夢をよく見ていた。


 女性の背後には、必ず十字架がある。


 あれは一体……。




 ……パラパラ。


 天井から木屑が落ちてくると、俺は我に返った。



 いや、今はそんな事を考えている場合じゃない。


 息を整え、ゆっくりと立ち上がった。



 さて、これはもう撮影どころではないだろう。


 きっと何かの事故か、災害だ。


 まさか俺一人のために、これほど手の込んだドッキリをやるわけがない。



 俺はゆっくりと、本堂の扉を開けてみた。


「……あれ?」




 そこには、誰もいなかった。


 あれほど、沢山の芸人やスタッフ達がいたのに、今は人っ子一人いないのだ。


 気絶していたとはいえ、あの爆発音から、さほど時間は経っていないと思うが。


 そもそも誰かが心配して、俺を見にくるはずだ。



 

 何だか気味が悪い。


 俺は、恐る恐る石段を降りてみた。


 すると本堂の両側の地面に、無数の穴が空いている事に気付いた。


 あの爆発音は、これだろう。



 もしかして、爆弾が落ちたのか? 


 いや、そんなわけない。


 では落雷か? 



 空を見上げると、雲は広がってきているが、雷が落ちるほど荒れてはいない。




 俺は、石段に脱いでいた靴を履くと、遠くの茂みに向かって呼びかけた。


 人が潜んでいるかもしれないと、思ったからだ。


「すいませーん、スタッフの方! 誰か、いませんかー?」



 ヒュウ。


 風の音だけが返事をする。



 俺は周辺を探索してみた。


 もしやと思い、入念に隠しカメラも探した。



 結局、それらしき物は何も見つからなかった。


 誰かと連絡を取りたいが、スマートフォンはスタッフに預けている。



 仕方なく、俺は来た道を戻る事にした。


 とにかく、ロケバスへと戻ろう。




 ◇ ◇ ◇




 嫌な予感が的中した。


 やはり、ロケバスの姿もなかった。



「何これ? マジで……」


 呆れと不安、それに怒りが混じった、どうしようもない気持ちになった。


 なんの嫌がらせだ? 


 溜息しか出ない。


 尿意に似た、焦りの様なものが、ジワジワと足元から登ってくる。



 俺は思わず、その場にしゃがみ込んだ。


 ああ、もう嫌だ、訳が分からない。


 どうすれば、いいんだろう。




 しばらく目を閉じ、うな垂れていると、背後から鼻にかかった男性の声がした。


「……にぃちゃん、どうした?」


 驚いて振り向くと、麦わら帽子を被った、色黒で小柄なおじさんが立っていた。



 運搬用の一輪車を両手で押しながら、目を丸くして俺を見ている。


 一輪車には、沢山の芋が乗っていた。


 この村の住民とみて、間違いないだろう。



「見ない顔だなぁ、よそから来たのか? どうした、大丈夫か? お金でも落としたのか? まさか野グソじゃないよな?」


 一方的に喋るおじさんに戸惑いつつも、俺は素直に、これまでの経緯を説明する事にした。



 こんな小さな村だ。


 きっとテレビが来ると聴いたら、村中で噂になっているだろう。


 ロケバスやスタッフについて、何か知っているかもしれない。



「すいません、テレビの収録で、東京から来ているんですけど、スタッフや共演者とか、見ませんでした? 二十人以上は、いるはずなんです」


 おじさんは首を捻った。


 表情は曇ったままだ。




 それにしても、この人、近くで見るとやたら鼻毛が飛び出している。


 もしテレビに出るのなら、モザイクが必要かもしれない。


 あまり見たくないので、俺は視線をずらした。



 やがて、おじさんは唇を尖らした困り顔で答えた。


「……いやぁ、知らんなぁ。だいたい、こんな山奥にテレビなんか来るのか?」


「……そうですか」


 俺は背中を丸めて、落胆した。



「にぃちゃん、仲間と逸れたのか? もうすぐ日が暮れるけど、どうするんだ? ワシの家に泊まっていくか?」


 意外な言葉が返ってきた。



 思わず掌を振った。


「いえいえ、それは悪いんで」


「でも、暗いなか探すのは大変だろ? 明日になって、仲間を探した方がいいんじゃないのか? 夜は真っ暗だし、冷えるぞ。蛇も出るし」



「蛇?」


 俺は顔を強張らせ、辺りを見回した。


 蛇が、大の苦手なのだ。


 子供の頃、木から降ってきた蛇が首に巻きついた、恐ろしい経験があるからだ。



 俺は、すっかり尻込みしてしまった。


 しばらく悩むフリをしたが、心の中は決まっていた。



「……すいません、それじゃあ一晩だけ、お邪魔してもよろしいですか?」


「ああ、いいよ。ついて来な」と、おじさんは黄色い歯を見せて笑った。



 なんて優しい人なんだろう。


 多少、鼻毛が気になるが、とても良い人だ。





 おじさんは、岡野健作と名乗った。


 お米や野菜、果物など、沢山の作物を生産しているそうだ。



 今、一輪車に乗せている芋は、朝と夕方に収穫しているとの事。


「……それで健作さん、家には家族の方がいるんですか?」



 俺が問いかけると、健作さんは頷いた。


「ああ、十歳の一人息子がおるよ」


「そうなんですね。奥さんは?」


「女房か? あのアバズレはなあ、男作って……逃げやがったんだよ……」



 健作さんの様子が一変する。


 一瞬、般若の顔になったのだ。



 怒りを含んだ声に、俺は怖気付く。


 まずい、余計な事を訊いてしまった。




 俺は慌てて、話題を変えようと、自己紹介をしてみた。


「あっ、すみません、自己紹介が遅れましたね。えっと俺、翼と言います。お笑い芸人やってます」


「へえ、お笑い芸人を」


 健作さんは物珍しそうに、俺の顔を眺めてくる。



 良かった、奥さんの話は、もう気にしていないようだ。


 俺は、さらに奥さんの記憶を遠くへ押しやろうと、続けて話しかけた。




「でもまだ、全然売れないんですよね。もうすぐ30なのに」


「まあ、お笑いの世界も厳しいだろうからなあ」


「……ええ、そうなんです。だから今回のテレビ出演は、本当に奇跡で、やっと訪れたチャンスだったんです。絶対に目立ってやろう、爪痕を残してやろう! そう思っていたのに……」



「にぃちゃん、あれが家だよ」


 つい身の上話を吐露してしまったが、健作さんは全く関心がないようだ。


 話の途中なのに、家の場所を教えてきた。


 どこかで慰めを期待していた俺は、がっかりした。



 肩を落としながらも、とりあえず彼が指差す方に、顔を向ける。


 そこには木造二階建ての家が、ぽつんと建っていた。



 かなり古い造りだ。


 まさに『ザ・昭和』という雰囲気を、漂わせている。





 健作さんは、芋を乗せた一輪車を、庭らしき場所に置くと、家の玄関の引き戸を開けようとした。


「あれ? 何だこれ、またか」


 木枠にガラスの入った格子戸は、かなり年季が入っていた。


 きっと古くて、歪んでいるのだろう。


 なかなか動かないようだ。



 ガタガタ……。


「くそっ! この野郎、開けっ!」


 健作さんは、中腰になって必死に開けようとしていた。


 俺も何か、力になれないかと、健作さんの背中に近づいた。



 ——その時だ!


 突然、引き戸が外れ、こちら側に倒れてくる。


 それは一瞬の出来事で、避ける間もなく、俺の脳天に直撃したのだった。




 バーーーン!!




「ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!!」


 猛烈な痛みに、俺は頭を押さえて、地面を転がり回った。


 頭が、真っ二つに割れたのではないかと思うほどの激痛だ。



「おおっ、すまん、すまん。にぃちゃん、大丈夫か?」


 健作さんが、倒れた引き戸を持ち上げながら謝ってくる。



 俺は痛みを堪えながら、涙目で立ち上がった。


「いえ、だ、大丈夫です」


 全く大丈夫ではなかったが、これからお世話になる手前、ここで怒るわけにもいかない。



 俺は、激しく打ち付けた頭を、何度もさすった。


 血は出ていないようだが、タンコブは確実に出来るだろう。




 健作さんは、外れた引き戸を枠にはめようとするが、それも上手くいかないらしい。


 俺はもう、手伝う気を完全に無くし、離れた場所から見守った。



「……もういいや」


 とうとう健作さんが諦めた。



 引き戸を玄関脇に立て掛けると「どうぞ」と、家の中に招いてくれた。


 玄関が開けっ放しになるが、良いのだろうか?


 戸惑いながらも、俺は「お邪魔します」と言って、健作さんの後に続いた。




つづく……



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