許してクリ!

岡本圭地

第1話 … 売れない芸人



 誰かの肩に、ぶつかった。



「おいコラ!」


 サングラスをかけた長身の男が、荒々しく俺の胸ぐらを掴んでくる。


「人にぶつかって、素通りか? 謝れよ!」



 だが俺は、謝らない。


 謝る気など、さらさらない。



 俺は息苦しくて、男の手を払いのけた。


 すると男は、好戦的な態度と受け取ったらしい。



「何だよテメェ、やんのか!」


 語気を強め、握り拳を作ると、詰め寄ってくるではないか。




 仕方がない。


 俺は、自分の着ているジャケットの、内ポケットに手を入れた。


「……おい、何を出すつもりだ!」


 男が一瞬にして、怯んだ。



 俺は内ポケットに隠してある、硬く冷たい物を握りしめた。


 そして、ジリジリと男に迫る。



「お、おい、何だよ! まさか……ナイフか?」


 男は、上ずった声を出して、一歩後退した。


 怖気付いているのが、見て取れる。



 さあ、立場は一変したのだ。


 俺は威圧的に男に近づくと、満を持して内ポケットから、それを取り出した。




……栗だ。




「許してクリ!」


 俺は男に擦り寄り、甘えた声で、栗を差し出した。



「クリじゃねえよ! いらねえよ!」


 男が、栗を持つ俺の手を叩いた。


 ならばと、別の物を取り出す。



「助けてクリ!」


「これ、ドングリじゃねえか!」



 また、俺の手を叩く。


 また別の物を取り出す。



「勘弁してクリ!」


「松ぼっくりじゃねえか!」



「見逃してクリ!」


「なんだよこれ? ……くさっ、犬のフンじゃねえか! もうええわ!」




 そして俺達は、舞台から客席へと一礼する。


「ありがとうございました」


 パチパチ……。


 まばらな拍手を背に受けながら、俺達は舞台袖へと履けた。





 楽屋に戻った友也は、サングラスを長机の上に放り投げ、倒れるようにパイプ椅子に座った。


 ギシッと、軋んだ音が響く。


 すかさず友也は、煙草に火を付けると、スマートフォンを確認する。


 次に溜息と煙を、同時に吐き出す。


 それは舞台が終わった後、必ず友也が見せる一連の動きだった。




 俺はというと、友也から少し離れた古いソファに座った。


 小道具である栗などを、机の上にだらしなくバラ撒くと、仰け反り天井を見上げた。




 ——栗岡翼。


 それが、俺の名前だ。



 相方は、小栗友也。


 結成九年目の、お笑いコンビ『マロンマロン』だ。



 察しの通り、とにかく売れない。


 売れないから仕事も少ない。


 それなのに、俺達は疲弊していた。


 それは一向に人気が出ない現実に失望、落胆しているためである。




 ガチャ。


 死体のようにグッタリしていると、ふいにドアが開き、髪の毛の薄い男が入ってくる。


 それは俺達と同期の芸人、佐藤ジュンイチだった。



 彼は、今日のイベントのトリを飾る、売れっ子ピン芸人である。


 突然「お疲れ様です!」と、楽屋が騒がしくなった。



 俺達から少し離れた場所に陣取っていた、十代の若手芸人達が、一斉にジュンイチへと駆け寄ったからだ。


 それはヘコヘコと、媚びを売るような挨拶だった。


 中には「どうぞ」と、菓子折りを渡す奴さえいる。



 俺達には適当な会釈だけで、目も合わせないくせに。


 なんなんだ、こいつらは。


 俺は腕組みをして、彼らの背中を睨んだ。



 友也も眉間に皺を作り、首を斜めにして、その様子を伺っている。


 きっと、俺と同じ気持ちなのだろう。


 そんな事を考えていると、友也と目が合ってしまった。



 俺は気まずくて、慌てて目を逸らした。


 行き場を失った俺の視線は、宙を彷徨った後、再び若手芸人達のもとへと戻る。




 しばらく談笑しているジュンイチ達を眺めながら、俺は「まあいいか」と、諦めたように呟いた。


 若手芸人達の態度が気に入らないとは思ったが、人気急上昇のジュンイチに取り入って、損はない。



 それに比べ、どんよりと悲壮感を漂わせている俺達に、誰が話しかけてくるというのだろうか。


 腐ったミカンが二つ、椅子に座っている。


 きっと彼らには、そう見えている事だろう。




「おっ、栗栗コンビじゃないか。お前らも、今日のイベントに出てたのか?」


 ジュンイチが、俺と友也の存在に気付いて、話しかけてきた。



 こいつは俺達の名前を、正確に呼んだ事が一度もない。


 昔から、そうだった。


 はっきり言って、イヤな奴だ。


 大嫌いだ。



「……ああ、さっき終わったところだよ」


 俺が何も答えないでいると、友也が返事をした。



 ジュンイチは二、三度小さく頷くと、机の上に散らばる栗に目を向けた。


「まだ栗とか出して、クリクリ言ってんのかよ」



 その見下した言い方に、怒りが込み上げる。


 この栗を、ジュンイチの鼻の穴に、ねじ込んでやりたくなった。



 そんな不機嫌な俺を見て、仕方なく友也が再度、間を埋める。


「……まあな。ところでジュンイチ、最近人気が出てきて良かったな」


 友也も、決して良い気分ではないだろうが、こういうところは大人だ。


 俺は密かに、感心した。



 ジュンイチは薄っすらと笑みを浮かべると「まだまださ。テレビに出ても深夜枠だし。やっぱゴールデン出なきゃな」と言う。


 俺達は、テレビどころか、ラジオにも出た事がない。


 その事を知ってて言ってんのか、この若ハゲ野郎!



「おっ、そろそろ準備しないと。じゃあな」


 ジュンイチは衣装に着替えるため、薄毛の頭をキラリと光らせ、ロッカーへと向かった。



 奴がいなくなると、友也は二本目の煙草に火を付けた。


 俺は素早く、栗をポケットにしまった。 





 ◇ ◇ ◇





 今日のイベントが終了した。


 会場を後にした俺と友也は、騒がしい線路沿いを歩いて帰った。


 屋台がズラリと並ぶ線路沿いには、温かいオレンジ色の提灯、鼻をつくラーメンの匂いと湯気、客達の笑い声で溢れていた。



 その光景に、ふと足を止める。


 昔はイベントが終わると、必ず友也と二人で、屋台のラーメンをすすったものだ。



 そして、今日の漫才はどうだったか。


 客の反応は、どんなだったか。


 客席に可愛い子はいたか。


 そんな話を、飽きるまで語り合ったものだ。



 今にして思えば、コンビを組んだばかりのあの頃が、一番楽しかったように思う。


 もちろん漫才は下手くそだったが、勢いや元気があった。


 ひたすら、未来を信じていたからだ。




 俺達は面白い、必ず売れる。


 テレビのバラエティ番組にも、引っ張りだこになる。



 いつも、そう思っていた。


 若い頃にありがちな、根拠のない自信というやつだろう。



 しかし、何年経っても一向に売れない現実が続き、俺達は焦り始めた。


 もしかして、売れないのは相方のせいではないだろうか?


 俺は、そんな事を考え始めた。



 きっと友也も、同じ気持ちだったに違いない。


 漫才をやっていれば、そういったものが、嫌でも伝わってくる。




 その頃からだ。


 俺達は、目を合わさなくなってしまった。


 話しかける事も少なく、プライベートで会う事など皆無。


 最近では、二人でいる事に、苦痛さえ感じてしまう。





 屋台通りを抜けると、途端に辺りが静まり返った。


 二人の足音だけが響く中、俺は呟くように、友也の大きな背中に話しかけた。



「なあ、もう俺達……」


「えっ?」


 振り返る友也の顔を見ると、次の言葉が出てこなくなった。


 彼との九年間に及ぶ、沢山の思い出が、胸を締め付けるからだ。



「何だよ、翼」


 俺は視線を落とした。



 ……もう俺達、コンビやめようぜ。


 その一言が言えない。


 どうしても言えない。




「……いや、何でもない」


 まるで、別れ話を切り出せない恋人みたいだと、変な気持ちになった。


 思わず苦笑いをすると、友也は怪訝な顔をした。



 その時だ。


 ポケットに入れていた俺のスマートフォンが、ブルブルッと暴れ出した。



 着信だ。


 こんな夜遅くに、一体誰からだろう? 



 画面を見ると〈谷口社長〉の文字。


 俺は慌てて電話に出た。



「はい、もしもし」


『おお、栗岡。お疲れさん!』


 しゃがれた、大きな声。


 それは、俺と友也が所属する事務所の社長、谷口篤夫からの電話だった。



 谷口社長は四十年間、舞台などで活躍した、お笑い芸人だ。


 一線を退いた今は、タレント事務所の社長をしている。




「お疲れ様です」


『今、どこだ?』


「今ですか? 今日のイベントが終わって、友也と二人で帰っているところです」


 通話をしながら、チラリと友也を見る。



 いつの間にか彼は、ガードレールに腰を下ろしていた。


 敬語で話す俺を見て、谷口社長からの電話だと察したのだろう。


 さりげなく、聴き耳を立てているようだ。



 そんな友也の視線を感じながら、通話を続けた。


「あの……何か、あったんですか?」


『いや実はな、お前に朗報があるんだよ』



「朗報?」


『栗岡、お前、お笑い農村バトルに出場できるぞ』


 一瞬、聞き間違いかと思った。


 その次は、冗談を言っているのかと思った。



『知っているだろ? お笑い農村バトルだよ』


 お笑い農村バトルとは、人気芸人達が農村に集まり、鬼ごっこやクイズ、ネタ披露などをする人気バラエティ番組だ。


 年に数回、スペシャル番組として、ゴールデンタイムで放送されている。


 無名の芸人にとっては、一気に名前を売る絶好のチャンスだ。




「……ほ、本当ですか、社長!」


 思わず、大きな声が出た。


 何やら様子のおかしい俺を見て、友也が眉をひそめる。



『本当だよ、栗岡。今回の農村バトルはな、無名の芸人・応援企画なんだってさ。お前みたいに、いまいち売れない芸人の枠を、八つも用意したんだとよ。そこで、俺の事務所からも一人出す事になって、お前を選んだってわけさ』



 何という事だ……。


 まさに急転直下、青天の霹靂だ。


 俺は目を閉じて、痙攣した。



 

 やっとだ……。


 やっとだよ……。


 やっと、陽の目を見るチャンスがやってきた。




 正直言って、もうマロンマロンを解散して、定職につこうとさえ考えていたところだった。


「うっうっ……」


 まぶたの裏に、熱いものが込み上げた。



『おい栗岡、泣くなよ。これからが大変なんだぞ。収録は二週間後だからな。色んなギャグを考えておけよ』


「は……はい……。社長、ありがとうございます……」


『分かった、分かった。詳細については、また連絡するからな。相方の小栗にも、伝えておいてくれよ。じゃあな』


 通話が終わると、魂が抜けたように、歩道に両膝をついた。




「おい、どうしたんだよ?」


 友也が心配そうに、俺の顔を覗き込む。


 俺は、涙と鼻水でグシャグシャになった顔で叫んだ。



「やったぞ! やったぞ、友也! 俺、やっとテレビに出れるぞ!」


「は?」


 きょとんとした、友也の顔。



「お笑い農村バトルだよ! あれに出るんだよ!」


「は? 嘘だろ?」


 俺は、いつの間にか友也の両肩を、力いっぱい掴んでいた。



「俺……マロンマロンの名前を、全国に売るからな! 絶対に……絶対に、やってやるからな!」


 異常なほど興奮する俺とは対照的に、友也は唖然としたままだ。


 だが後に、この出場が事実と知ると、彼もまた歓喜するのだった。





つづく……




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