メイド、撃たれる
私から目を離さない子爵の視線を遮るように、男爵は隣にやってきた。黒服の差し出す灰皿に煙草を押し付ける。
いつもより強めにつけていた香水の香りに、煙の臭いがまとわりついていた。
「私は構いませんが、彼女を巻き込むのは……」
「何を言う。ヘムリグヘートの名を落とさないためだと言ってるだろう。レヴ・ヘムリグヘート卿。お前はその名を汚すのにためらいがない。であれば、お前が必死で守ろうとするものを使わねば」
こちらを向いた男爵は眉間に皺をよせていた。
何をさせられるんだか知らないけど、まだ焦るほど追い詰められているわけでもない。子爵にもわかるようにゆっくりと頷けば、男爵は小さく息を吐いてから子爵に向き直った。
「……何をすればいいのです?」
「花嫁の座をかけた、変わりロシアンルーレットはどうかな」
晴れやかに笑った子爵と、シニカルな笑みを浮かべた男爵。初めに挨拶したときとちょうど対照的な表情に、二人の微妙な関係が垣間見えた気がした。
* * *
どこからどう伝わったのか、ホールに戻った時にはすでにステージが設置されていた。黒服が手を叩いて注目を集める。壇上の子爵の姿に、ざわめきは小さくなった。
「諸君、ここらで少々余興でも挟もうと思う。もう皆も知っているとは思うが、長らく独り身だったヘムリグヘート男爵がパートナーを連れて来た。しかし、様子を見ていると、彼をダンスに誘う女性も少なくない。まったく隅に置けない奴め」
やれやれと頭を振る子爵に、笑いが漏れる。
男爵はといえば、社交的な笑みを貼り付けたまま、何も聞こえませんというように黙っていた。
「そこでだ。チャンスを奪われたと思っている女性たちに、今一度のチャンスをやろうと思う」
子爵の差し出された手に、黒服が銃を渡した。
まだ少し残っていた囁き声の会話も鎮まる。
「この銃には弾が六発込められる。うちの一発だけ実弾を込めよう。あとの五発は音だけの空包だ」
先に五発を順番に込め、黒服がうやうやしく渡した一発を皆に見えるよう高く掲げてから、込める。シリンダーをこすり上げるようにして回転させ、子爵はその銃も高く掲げた。
「彼女にはただ座っていただく。その座はヘムリグヘート夫人の座と仮定しよう。欲しい者は、一発だけ彼女を撃てる」
どよめきが起きる。子爵は声を大きくした。
「ただし。毎回シリンダーは回す。ご自身で回すもよし、他の誰かに回してもらうのもよし。恐怖でそこから立ち上がれば、その時銃を構えていた者がそこに座る。それを繰り返して最後に座っていた者が勝者だ。二人の前途を祝して、私からささやかな贈り物を進呈しよう」
素人が撃ってもどうせ当たらないという楽観論なのか、男爵が庇うだろうという目論見なのか、私がまかり間違って命を落としても問題ないという認識なのか……貴族のお遊びって、ホント、えげつない。
壇上の椅子までエスコートしてくれた男爵は、そのまま私の斜め後ろに控えた。
「私はここにいてよろしいのですよね?」
「流れ弾に当たってもいいという覚悟があるのなら」
「もうひとつ。私にも銃を一丁貸していただきたい」
子爵は眉を顰めた。
男爵は口元だけ笑みを浮かべて、続ける。
「弾は全部抜いて構いません。なんなら、目の前で抜きましょう。自分のパートナーが狙われるのに、丸腰では落ち着かないので」
訝し気にやや思案したものの、結局子爵は黒服に銃を用意させた。目の前で彼に弾を抜かせ、しっかりと確認してから男爵へと手渡される。
「ありがとうございます」
グリップを握ったまま、男爵は後ろに両手を回した。お嬢様方に向ける気はないというアピールかもしれない。
「さあ、準備はいいようだ。どなたか、挑戦してみる方はいますかな?」
にこやかな子爵に、初めは戸惑いの空気が流れた。もしも実弾が飛び出して、男爵にでも当たったら……そんな視線も感じる。
「どなたもいらっしゃらなければ、彼女のひとり勝ちですな。そこに座っただけで贈り物がもらえる」
肩をすくめた子爵に、男性たちが静かに笑い、娘なのか、姪っ子なのか傍にいる女性をつついたりしているのが見えた。
「わ、わたしが!」
中からひとり、空色のドレスの女性が手を上げた。あれ、男爵に胸を押し付けてダンスに誘った
壇上に上がった彼女の手は震えている。銃なんて持つのも初めて、という様相だ。私との距離は十メーターもないくらい。黒服がかいがいしくサポートしているのをいっそかわいいなと眺めていたら、男爵が椅子の足をそっと蹴ってきた。
なによ。って、そうか。あんまり落ち着いてちゃ荒事に慣れてると思われる?
仕方なくもぞもぞと姿勢を正したりして緊張を装ってみる。
「シリンダーは回しますか?」
「え……えっと……」
彼女が黒服を振り返ると、彼は流れるような動作でシリンダーを回した。再び彼女の手に銃は戻され、彼女の手を包み込むように黒服の手が支えている。
ねえ、それ素人が撃つって言わなくない?
さすがにそのまま狙いをつけられると緊張した。ちらりと男爵を窺ってみるけど、彼は特に変わりない。何のために空の銃を借りたのか、ちょっとだけ気になる。彼が撃つとき以外で銃を握っているところを見たことがなかったし。
何度か深呼吸して、女性は「えい!」っと目をつぶった。
パン! と渇いた音が響く。
瞬間だけ強張った体は、どこにも痛みはなく、男爵は微動だにしていない。
空包だったのだと実感して、ほっとしたら後から心臓が早くなってきた。
「空包だったようだな。残念。では、他に……」
子爵が言い終わる前に、ぱらぱらと手が上がる。黒服のサポートがあるならと面白がっている感じもする。
子爵は楽しそうにこちらを向いた。
「席を立つ気はありませんか?」
否定を込めて、ゆっくりと首を振る。
子爵は頷いて、銃の弾をすべて込め直した。
「では、次……紺色の貴女、どうぞ」
同じことが繰り返される。今度の女性は手の震えは無かったけど。
空包。空包。また、空包。
撃つ方はだんだん気も楽に面白がっているようだけど、五人目を過ぎたあたりでさすがにしんどくなった。音だけでもだいぶ精神が削られていく。
男爵の手が肩に触れて、ようやく自分の体が少し傾いだのだと理解した。大丈夫、と言おうとして男爵の顔の近さに驚いた。一瞬、緊張も何もかも忘れて動きが止まる。男爵の顔はまだ近づいていて、すぐに私のこめかみの辺りにぶつかった。
――は?
ベール越しで、さらに火傷メイクの上からだけど、キスを受けたことだけは判った。
「子爵、彼女は気丈なんじゃない。立ち上がる余裕もないんだ。このくらいにしてもらえないか」
何すんのよ! って、声を上げる前に肩を抑え込む男爵の力に我に返る。
パーティの参加者たちのざわめきが、心なしかふわふわと浮ついたものに変わっていた。「まあ」「意外」「彼が」と、断片ながら別の意味で面白がっている。
子爵は片眉を上げただけだったけど、「では」と会場を見渡した。
「次で最後にしよう。ちょうど六人、弾倉の数と同じだ」
狙ったの? それとも偶然?
男爵を見上げれば、彼は目元だけで笑った。
ともあれ、あとひとり。少し気が抜ける。
最後のひとりは気丈そうな女性で、黒服のサポートを断った。慣れないながらも自分でシリンダーを回し、両手で狙いを定める。この
深く息を吸い込んで、引き金が引かれる。
わずかな差、発砲音に紛れるように、男爵の手の中でもカチリと音がした。
え? と思った瞬間、私と銃を構えた女性との間で、何かがはじけて散った。
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