【KAC20248】男爵とメイド
ながる
メイド、二度見する
能力が当主の証に付属する? とは?
こちらに戻りかけていた男爵は、別の女性に引き止められ、こちらを気にしながらもまたダンスの輪の中に混ざっていった。
男はそれを見て私に向き直る。
「なるほど。本当に何も知らないのですね。ヘムリグヘート家はその昔、爵位を手にするために悪魔と取引をしたと言われています。手に入れたのが一見、何の変哲もない
悪魔……時々話は聞くけれど、本物がいるかどうかは怪しいものだ。人間の方がよほど悪魔のような所業をするし。
顰めた眉が見えたわけではないだろうが、男は笑って肩をすくめた。そういう話をするときは、皆同じ反応をするのかもしれない。
「事実はどうでもいいのですよ。以来、代々当主は狙った獲物を外すことはなくなった。その腕を買われて、今も子爵の右腕として力を貸しているというわけです。ですから、どれだけ落ちぶれても、子爵はヘムリグヘートを手放さないのでしょう。もしも、彼のモノクルが手に入れば……良い医者にかかれますよ? 男爵と苦労するより、都会で不自由のない生活を送りたいとは、思いませんか?」
男爵はまだ戻らないけれど、男は小さく折りたたんだメモを私の手の中に押し付けて、別の女性を誘いに行ってしまった。そっと中を確認すれば、名前と連絡先が記してあるようだった。
小さく息を吐く。
生憎、都会の暮らしに未練はないのでどうでもいいが、なるほど、モノクルを狙う輩にはそういう理由があるのか。娼婦さんたちの話では、ヘムリグヘートの血を引いていないと継げないって言ってた気がするから、それだけ手に入れてもダメだと思うけど。
師匠のナイフと一緒に腿に括りつけてきた男爵のモノクルに意識を向けてみる。霊感とは無縁なので何も感じないし、銃の腕が上がった気もしない。とはいえ、試してみたい気持ちにはなるかも。
そうこうしているうちに、やや早足でこちらに向かう男爵を捕捉する。が、また横から腕を引かれたようだ。しかも、その女、腕を絡め取って、もりもりに盛った胸にさりげなく押し付けている。あからさますぎるけど、男ってああいうのに弱いよね。
案の定というか、男爵はまたフロアの奥に連れて行かれそうになった。
私は別に構わないけど、別室に用意されている軽食を食べてきていいだろうか。まだ「美味しいもの」にありつけてない。少し迷ってから立ち上がったところで、男爵に耳うちする黒服の男性が目に入った。
あれは、確か子爵に挨拶した時にもいた……と、記憶を手繰り寄せている間に、男爵がUターンして戻ってくる。
「助かった……わけでもないけど、子爵が温室を見せてくれるって」
手を取りそう言う男爵は微笑んでいたけど、明らかに社交用の作られたものだった。ホールを抜けて、人の少ないところまで廊下を進むと不満顔が現れる。
「だから来たくないんだよね。見え透いててさ。ピアも何か聞かされたんだろう? 君に声掛けてたアレ、子爵の親戚筋だから。だいぶ遠いけど。目をかけてほしいなら、まずそれなりの努力をしろって思うけどね!」
「……男爵は何か努力したんですか?」
「僕? してないよ。どちらかと言えば放っておいてほしいし。歴代当主はしたのかもしれないけど」
珍しく冷たい物言いに、聞いた話との齟齬を感じる。まあ、こちらの方が私の男爵のイメージから離れない。基本怠け者だし。
「男爵は当主になるために一族を手にかけたという話でしたが」
「当主になりたかったわけではないけどね。まあ、結果的に?」
否定を前提に口にしたのに、さらりととんでもない答えが返ってきて、彼を思わず二度見した。得体が知れないとは思ったけど、そこまでする人間だとは信じられない。
でも確かに、必要なら最短ルートを選ぶだろうということにも納得できてしまう。
なにせ、不器用なのだ。
見上げる私をダークグリーンの瞳が静かに見下ろしていた。こいつおかしいんじゃないかと何度も思ったけれど、この瞳に狂気を見たことはない。だからこうして危ない橋も渡っているのだ。
今さら、身内の大量虐殺くらいで……くらいで……
……いや、やっぱりちょっとやりすぎじゃない? 理由がめっちゃ気になるじゃない!
私はこの男に絆されたくなんかないの! あるのは純粋な利害関係だけでいい。
ぷい、と前を向けば、小さく笑う声が聞こえた。
「うーん。あんまり怖がってもらえなかったみたいだ」
「私を誰だと思ってるんですか」
知ってるんでしょ? と、言外に含ませる。
「ピアは僕の希望だよ」
鳥肌が立つような答えに、私はもう一度彼を二度見した。彼ももう前を向いていて、貴族の顔を張り付けている。指差された先を視線で追えば、窓の外にぼんやりと明かりの漏れる温室が見えていた。
腕のいい庭師がいるのだろう。温室の中は甘く華やかな匂いが満ちていた。
大ぶりのバラや、南国に咲く鮮やかな色の花が整然と咲いている。それらに混じって、毒草も綺麗な花をつけている。
中央に小さな噴水があって、その脇に休憩用なのか、花を眺める用なのか、イスとテーブルが置いてあった。来訪に気付いた黒服の男性が私をそこへ案内し、男爵は、少し離れて煙草をふかしながら花を眺めている子爵の元へと歩み寄っていった。
「時間はよろしいので?」
声をかけた男爵に、子爵は黙って煙草を差し出した。
「あまり得意じゃないんですが」
受け取った煙草に黒服が素早く火を差し出す。
一度煙を吐き出した後、男爵は小さく咳をした。
「いつまでたっても様にならんな」
「ご期待に沿えませんで」
「娼館に引きこもっているらしいな」
「我が家ですよ。空けておくのはもったいないので、賃料をいただいているだけの話です」
「……また、面妖なことを」
子爵は苦虫を噛み潰したような顔でこちらを向いた。
「彼女はそういうのを解った上で付き合っていると」
「まだお付き合いというほどは……」
「ふん。では、金回りのいいところを見繕って帰るがいい」
「子爵。私の縁談を始まる前に壊そうとするのはやめていただけませんかね?」
「お前に任せるといつまでも跡取りが出来ない気がするのだ。ヘムリグヘートの血は絶やすな」
男爵は薄く笑って、軽く頭を下げただけだった。
「時に。『トゥルフカルト』の件は」
子爵は私を向いたまま続けた。こちらが本題だろうか。
「国外にも手を伸ばして『オランピア』を探しているようですが、発見にはいたらず、といったところですかね。私のところにも数人確認に来ましたよ」
「戻ってこないと仲介人が嘆いていたぞ」
「又請けさせているような雑な仕事ですから、問題ないでしょう。だいたい、私には手加減できませんので。自分の身を守るのに精一杯です」
よく言うな、と呆れる。ほとんど私にやらせたじゃないか! 「僕の仕事じゃない」とか言って!
「ピアといったか……あなた、肩に刺青などありませんよね?」
「まだお疑いですか? 火傷が酷くて、あったとしても確認できませんが……」
「『オランピア』は火事を起こして逃走した。火傷があってもおかしくはない」
「ご覧になったでしょう? 彼女ほど広範囲に残るほどだと、しばらくは病院に収容されているはずではありませんか。そんな情報は無かった」
子爵の冷たい目は、この場でドレスを脱いでも変わらないのかもしれない。脱いじゃうと、腿のナイフも見られることになるし……じわりと手に汗がにじむ。
「では、ヘムリグヘートの名をこれ以上落とさないために、ひとつ余興に付き合ってもらおう」
子爵の口元がわずかにカーブを描いた。
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