第3話 提案
異世界へと転生した元傭兵の転生者、アーセナル・レイン。レイン男爵家の長男として生まれた彼は、前世、つまり過去に別れを告げ平和に生きようと考えていた。しかし彼はある日、家庭教師であるクリンコフ先生の授業の中で、隣国が潜在的な脅威になりえることを知ってしまう。
アーセナルが自らの守りたい存在を守ると決意した翌日。朝。レイン家邸宅の廊下とリカルドとミレーヌが並んで歩いていた。向かう先はアーセナルの私室だ。昨日の夜、普段なら家族揃っての夕食を断った事に加えて、今朝も家族全員の朝食の時間に顔を見せず、リカルドとミレーヌはセイルに様子を見に行かせたのだが、アーセナルは昨夜と同じく軽食を部屋へと頼んだのだ。
念のためセイルが体調の事を確認するも、アーセナルは『大丈夫、問題ないから』と言うだけ。しかしセイルの報告を聞いても2人は安心出来なかった。なぜならアーセナルはこれまで、何らかの体調不良が原因ならともかく、家族との時間を疎かにした事が無かったからだ。
だからこそ2人はアーセナルが心配になり、部屋へと向かっていたのだ。
「あなた、アーセナルは大丈夫かしら?」
「分からない。セイルの話では、アーセナル本人は大丈夫だ、と言っていたみたいだけど。無理をしているのか。それとも部屋から出てこない理由があるのか。とにかく、話を聞いてみよう」
「そうね、あなた」
2人はアーセナルを心配し、それ故に少し不安そうな表情を浮かべながらもアーセナルの部屋に向かった。
「アーセナル、居るかい?僕だよ、お父さんだよ?」
部屋の前にたどり着くと、リカルドがドアをノックしながら声を掛けた。すると、数秒の間を置いた後、扉が開かれた。
「父様。あぁ、母様も一緒でしたか。何かご用ですか?」
中から現れたアーセナルは、特にこれと言って体調不良という様子は無く、普段通りに2人と接していた。しかし、それが返って2人を心配させてしまった。
「ね、ねぇアーセナル?あなた、大丈夫?」
「え?なんですか突然?」
ミレーヌが心配そうに問いかけるが、肝心のアーセナルはそんな心配をされる心当たりがないのか首を傾げるばかりだ。
「あなた、昨日の夜から部屋に籠り切りでしょう?それで私たち、心配しているのよ?アーセナルに何かあったんじゃないか、って」
「あぁ、そう、ですね」
『しまった。対ロマーシアのための戦略や準備のための試案を続けていたせいで、すっかり家族の事を考えられていなかったな』
すっかりロマーシアへの戦略を考える事に集中していた自分の事に気づいて、少し声を詰まらせるアーセナル。
「申し訳ありません。実は少し、考え事をしていまして」
「考え事?それは、そんなに大切なの?」
「え、え~っと、それは……」
ミレーヌの問いかけにアーセナルは再び言葉を詰まらせた。
『言うべきか?いや、ロマーシアが我が国の潜在的な脅威だ、と話した所で今の俺は7歳の子供。親だからって到底信じてもらえるとは……』
話したところで、信用される訳がない。そう判断したアーセナルは適当な嘘を付こうか?と考え始めていた。
しかし。
「アーセナル。お願い、何か困っているのなら、私たちに話してみて?」
「ッ」
心配そうな表情で自らの名を呼ぶ母ミレーヌに、アーセナルは罪悪感を覚えた。
「私たちはあなたの親なのよ。子供が困っているのなら、力になりたいの」
「ミレーヌの言う通りだアーセナル。僕たちに出来る事は無いかい?」
リカルドもまた、心配そうな表情でアーセナルに声をかけてくる。
『あぁ、そうだったな。俺の第2の両親は、心優しい人たちなんだ。そんな彼らに嘘を付くのは、両親への裏切りになるだろう。こうなったら、2人に打ち明けよう。例え、絵空事だなんだと言われようと』
アーセナルは決心した。せめて2人には、今の自分の予測を包み隠さず話そう、と。
「分かりました、父様、母様。私から、いえ、俺からお二人にお話ししたい事があります。まずはどうぞ、部屋の中へ」
「あ、あぁ、分かったよアーセナル」
リカルドは普段の、『妹想いの優しい子』、というアーセナルのイメージから離れた少し表情の険しい息子に、いつもとは違う彼に戸惑いながらも、ミレーヌと共にアーセナルの部屋へと足を踏み入れた。
しかしリカルドがアーセナルとの普段の差を感じたのも無理はない。アーセナルは普段、家族と接する時は一人称を『私』、としている。一方で『俺』という一人称を使う時、それは過去の自分、つまり『傭兵だったころの自分』が強く表に現れている証でもあったのだ。
2人がアーセナルの私室に入ると、すぐに床やテーブルの上、更に来客が来た時ようにと用意されていた部屋の中央に置かれたテーブルにも積み上げられた無数の本へと目が行った。
「あ、アーセナル?あの本の山は?」
「すみません。無断で書庫から持ち出してしまいました。どうしても調べたい事があったので、昨日の夜、こっそり書庫へ行って持ってきたんです。すぐ片付けますので、少し待っててください」
アーセナルはリカルドにそう答えると、中央のテーブルに置かれた本を、一度自分のベッドの上へと置いていく。
「ん?」
その作業を見ていたリカルドだが、彼は不意に机の上に置かれた用紙に気づいて、そちらに歩み寄り、1枚の用紙を手に取った。
「『ロマーシア皇国によるムルティエ王国侵略について』。ってっ!?アーセナルっ!これは一体っ!」
思わず用紙に書かれていた単語を読み上げたリカルドだが、彼は血相を変えアーセナルの方へと問いかけた。
「……それがお二人に相談したかった話題です。とりあえず、どうぞ」
狼狽するリカルドに対し、アーセナルはどこまでも冷静だ。彼はとりあえず本を退け、2人をソファに促した。リカルドとミレーヌはお互いに目をやりつつ、困惑しながらもソファに並んで腰を下ろした。それを確認したアーセナルも、テーブルを挟んだ反対側のソファに腰を下ろした。
「さて、まず順を追って俺から話させていただきます。よろしいですね?」
「あ、あぁ。構わないよ」
「では。俺は昨日のクリンコフ先生の授業で、世界地理について勉強している際、過去にロマーシア皇国と、エウロパ諸国連合結成の理由となった西方諸国との戦争について知る事となりました。この戦争の原因を、お二人はご存じですか?」
「い、一応は。確か、戦争の数年前、寒波によって大陸東部や中部で農作物の収穫量が減った事が原因、だよね?」
「そうです父様。当時より食料の大半を隣国からの輸入に頼っていたロマーシアは食糧不足に陥り大量の餓死者を出しました。それにより当時の皇帝は、自国での食料生産量の増加を目指し、農地獲得のために西方諸国へと戦争をしかけた。これが50年ほど前の、戦争の大まかな流れです」
「で、でもアーセナル?それがどうして、この紙に書いてあった、わが国がロマーシアから侵略される事と関係するの?」
ミレーヌはまだ話が見えてこない、と言わんばかりに困惑した様子で問いかける。
「当時の侵略の原因は、寒波による食糧不足に端を発しています。つまり、もしまた寒波か、或いは何等かの理由で各国の食料の生産量が低下、更にロマーシアへの輸出量までも低下するような事態に陥った場合、当然ロマーシアが50年前と同じような状況に陥る可能性。そして食料を自給するための土地を得るための戦争を仕掛けてくる可能性はあります」
「確かに。アーセナルの言う事も一理ある。寒波なんて、まして未来なんて誰にも予測できない。何が起こるか分からない以上、過去と同じような事が繰り返される可能性があるのは分かる。が、しかしなぜそこで我が国なんだい?」
リカルドの方は一定の理解を示しつつも、なぜ我が国なのか?と未だに疑問を持っているようだった。
「少々お待ちを」
そう言ってアーセナルは席を立つと、別のテーブルの上に置かれていた世界地図を持ってきて、2人の前に広げた。
「これはクリンコフ先生に頂いた世界地図ですが、この地図を見る限り、ロマーシアと国境を接している国々は複数ありますが、なぜその中で我がムルティエ王国が狙われるのか、俺がそう判断した理由を順を追って説明します。まず、西方諸国、すなわちエウロパ諸国連合辺りについてですが……」
そう言って、アーセナルは2人の向かい側のソファに腰を下ろしつつ、地図でエウロパ諸国連合の辺りを指さした。
「現在西方にある国々の大半がエウロパ諸国連合に加盟し、連合加盟国となっています。諸国連合は大戦後の宣言にて、『加盟国が隣国からの侵略等を受けた場合、加盟国を支援し不当な侵略を許さない』、と宣言しています。ロマーシアの名前こそ出しておりませんが、これはロマーシアからの侵略があった場合、共同でロマーシアと戦う意思表示、と取っていいでしょう。また、正式に加盟国となっていない国もありますが、そういった国も連合と軍事同盟を締結。金品などを対価として軍事支援を受けていますから、現実的に考えてロマーシアが再び西方へ仕掛ける可能性は少ないでしょう」
「確かに。諸国連合の国々もかつての戦争の理由は分かっているだろうから、もしまた同じような事が起これば、奇襲を警戒して国境線付近に兵を配置する可能性はある、か」
「えぇ、下手に西方の国々に戦争をしかければ、それはエウロパ諸国連合との戦争に発展します。そしてロマーシアには、そんな諸国連合と事を構えるより、もっと楽に倒せる相手が居ます」
「……我がムルティエ王国か」
「えぇ」
渋い顔をするリカルドに対し、しかしアーセナルは一切表情を変えずただ静かに頷くだけだ。
「でも、待って。他にも一つ、ロマーシア皇国から見て真南で国境を接している『パールマン王国』があります。ここはどうなのかしら?」
ミレーヌは地図の一点、ロマーシア皇国の真南にあるパールマン王国を指さした。
「パールマン王国は、ロマーシアとの国境にもなってる山脈の採掘権をめぐって争ってるって聞いた事があります。こっちを狙う可能性は無いの?」
「確かに、パールマン王国とロマーシアの領有権争いについてはこちらも把握しています。しかし、パールマン王国の情報を元に考えると、『食料確保が目的の侵略』はありえないんです」
「ど、どうして?」
小さく小首をかしげるミレーヌ。
「パールマン王国はロマーシア皇国と産業の分野が似ているんです。パールマン王国はロマーシアと同じように、鉱山から取れる鉱物資源やそこから作られた武器や防具、金属製品の輸出を主な産業にしていて、食料の大半は輸入に頼っています。つまり、鉱物資源目当てならともかく、食料を目的とした侵略ならパールマンが狙われる可能性は低いという事です」
「な、成程」
ミレーヌは、息子の子供らしからぬ知識量に戸惑いながらも頷いた。
「更に、パールマンへの侵略の可能性を下げるもう一つ理由があります。今まさに母様が話題に上げた山脈です」
「山脈が?どうして?」
「大陸を東西に向かって走る、パールマン・ロマーシア両国の国境線にもなっている山脈ですが、両国を往来する場合、取れるルートは二つ」
アーセナルは地図を指でなぞりながら説明を続けた。
「一つは東や西、つまりエウロパ諸国連合側か、我がムルティエ王国側から大きく迂回するルート。もう一つは山脈の間を走るきわめて細いルート。この2択となります。前者はかなりの時間を有する上、パールマン側が隣国である連合や我が国と同盟などを結んだ場合、北から攻めるロマーシアはまず、連合軍か、我がムルティエ王国軍と戦わなければならず、連戦による消耗は必至。移動距離も長いため、当然強行軍となるでしょう。そうなれば兵士たちにも疲労が貯まり、士気も下がります。これらの要因は作戦の成功率を落とす事にもなります。そして更に言えば、そこまでのリスクを冒してまで、パールマンから十分な量の食糧を奪えるか分からないのも事実」
「た、確かに。しかしアーセナルは、どこでこれだけの知識を?何というか、まるで軍人と話しているようなんだが」
「まぁ、それについては追々、時間がある時にでもお話しします」
『……いかんな、前世の経験や感覚戻ってしまっている。無理もない、と言えば無理もないが。嘘を付く事やごまかしに罪悪感もあるにはあるが、仕方ない。とにかく今は適当に誤魔化す』
思考や態度が前世に似ている事、それをリカルドらが訝しんでいる事を理解しつつも、アーセナルは今、それらが必要であるからと、少し後ろめたさを感じつつも誤魔化す事に決めた。
「それより、パールマンとロマーシアが戦った場合の説明に戻りますが。後者、つまり山脈の一部を切り開いて作られた道に関してですが、ここははっきり言って狭い、と言わざるを得ません。馬車と護衛の人間数人程度ならともかく、何千何万という規模の軍が通るにはとても狭い道です。ここを通過する場合、軍は必然的に細く長い、縦に長い隊列を作って進むほかありません。加えてその周囲の状況から、ここは文字通り、『守るに易く、攻めるに難い』、という言葉通りの地形なのです」
「ふむ。どうしてそうなるんだい?」
「今お話しした通り、ここを数万規模の軍が通る場合、縦長の隊列で進む他ありません。もし仮に、ロマーシアが攻める側、パールマンが守る側として。俺がパールマンの指揮官だったなら、落石を意図的に起こし、ロマーシアの兵を攻撃。更にこの落石で退路を塞ぎつつ、ロマーシア軍を前後に分断します。そして、混乱し密集している所を頭上、もしくは正面から矢の雨を降らせます。狭い通路で密集していたロマーシア兵に逃げ場はなく、仮に正面突破を図ったとしても、それは木製のバリケードと槍兵などがあれば止める事は難しくありません。つまりこの狭い道は、容易に『敵兵の狩場』となりえるのです」
「……狩場」
アーセナルの硬い表情と狩場という不穏な単語に少しばかり表情を歪ませるミレーヌ。それを一瞥しつつも、アーセナルは表情を変えず説明を続けた。
「これらの観点から見て、ロマーシアのパールマン王国侵略も現実的ではない事が分かっていただけるかと思います。そして、これらを踏まえた上でロマーシア皇国が食料目的の侵略を行う場合、一番狙われやすい国はわが国、という訳です」
「「………」」
アーセナルのこれまでの解説に2人は何も言わなかった。いや、言えなかったのだ。彼の考えた状況予測は子供の妄想、と否定するにはあまりにも論理的だったのだから。
「我が国は温暖な気候で酪農が盛んですから、そういった酪農の適した土地と食料を奪うために狙われる可能性は限りなくあります。加えて両国の国境は山間部となっていますが、それもパールマンとロマーシアを隔てる山脈に比べれば大人と子供。つまり、『食料も酪農に適した土地もある』、『他の国に比べて地理的に攻めやすい』、『軍の規模も連合軍に比べれば小さい』。以上の3点を踏まえると、もし50年前と同じような世界的な食糧難に陥った場合、真っ先に侵略される可能性があるのは我が国である。と、俺はそう結論づけた次第です」
「「………」」
2人はただ、アーセナルの言葉に押し黙っていた。論理的に説明された、侵略戦争の可能性について、リカルドは険しい表情をしていて、ミレーヌは顔を青くしていた。
「ハァ。……アーセナル、僕の息子よ。君は、再びロマーシアが戦争をする、と思うのかい?忌憚のない意見を聞かせてくれ」
リカルドは気だるげな様子でため息をつくと、俯きながら問いかけた。
「その点に関しては、未知数、とだけ言わせてください。何しろ50年前の寒波のように、この世界の天候を完璧に予測する事は不可能です。当然、50年前と同じような状況が起こるかどうかさえ、分かりません。しかし可能性は必ず存在します。寒波だけではありません。植物が掛かる病気もあるので、その病気の蔓延による食糧生産量の激減や、大量の飛蝗が発生し農作物を食い荒らす蝗害による飢饉など。リスクは常に我々の目に見えない場所に存在しているのです。当然、この先10年。いや、この先数年の内に食糧難が発生するかどうかなど、誰にも分かりませんし、誰にも言い切る事は出来ませんっ。故に、隣国ロマーシアは我が国にとって、『潜在的な脅威』なのです」
アーセナルは険しい表情ながらも、一切迷いのない表情でそう言い切った。リカルドは俯いたままで、ミレーヌは息子の子供らしからぬ知識量と物言いに戸惑い、開いた口が塞がらないまま、驚愕の表情を顔に張り付けていた。
「……潜在的な脅威、か」
やがて、リカルドは小さく呟きながらソファより立ち上がると、部屋の窓の方へと歩みを進めた。
「アーセナル。僕はね、争いごとが嫌いな人間なんだ」
「存じています。父様が政争や権力争いなどに興味が無い事なども、何度か聞き及んでいますから」
「あぁ。……争いなど、所詮悲劇しか呼ばない。だから僕は誰かと争いたくない。争いになんか関わりたくないって。今も昔も、ずっとそう考えている。でも、そのせいかな。今のアーセナルの論理的な話を聞いて、ならば領主として何をすべきか考えた。いや、今も考えているのに、これっぽっちも対策案が浮かんで来ないんだ」
そう語りながら、リカルドは窓より見える領地に目を向けていた。
「僕には、現レイン領の領主として、領地の平和を守る責任がある。けれど何をどうすれば良いのか、僕には全く分からない。だからこそ、我が子アーセナルよ。教えて欲しい」
振り返ったリカルドは、真剣な表情でアーセナルを見つめた。領主としての責任から、堅い表情を浮かべるリカルド。対してアーセナルもまた、真剣な表情で彼を見つめ返していた。それを見てミレーヌは、少し困惑した表情ながらもアーセナルとリカルドの顔を交互に見やりながら、固唾をのんで二人の様子を静かに見守っていた。
「君の頭の中には、ロマーシアの脅威に対抗するための案があるのかい?」
「……無い、訳ではありません」
「「ッ」」
アーセナルの言葉に2人は息を飲み、ミレーヌは希望がある、と言わんばかりに笑みを浮かべた。が。
「ですが、それも荒唐無稽な物が殆どです。現実的な物ではありません」
「ッ、そう、なの?」
荒唐無稽という単語に、笑みを浮かべたのも束の間。ミレーヌは少しばかり肩を落としながらアーセナルに問いかけた。
「その案、聞かせてもらえるかい?」
リカルドは、そう語りかけながらもミレーヌの隣に腰を下ろし、アーセナルと向き合う。
「分かりました」
アーセナルは静かに頷くと話し始めた。
「一つ目は、戦争の目的になりそうな、食糧難に対する対策です」
アーセナルは人差し指を立てながら語る。
「50年前の戦争の問題は食糧不足が原因です。しかしそれは、逆に言えば食料の供給に問題が無ければ戦争は起きなかった可能性もあります。それらを踏まえた上で俺が提唱する対策案その1。それは『農作物の品種改良』です」
「品種、改良?どういうことだいアーセナル?」
いまいち分からない、と言わんばかりに小首をかしげるリカルド。
「簡単に説明しますと、農作物に人の手を加え、早く成長したり、病に強い作物を生み出す、という事です。理想を言えば、ロマーシア国内のような悪条件の環境下でも育ち、成長も早く、その上で大量生産も可能であり、尚且つ人の腹を満たせる食料があれば、食料を巡って侵略が起きる可能性を著しく低下させることが可能です」
「で、でもアーセナル。そんな夢のような物、本当にあるの?」
「えぇ母様。仰る通りです。そんなもの、『今は』この世界にありません。この世界には、植物に関して研究をしている者もいるかもしれません。ですから、そのような夢の農作物が生まれない、と断言する事は出来ませんが。逆に『近い将来出来る』と断言する事もまた不可能です。故にこの案は夢物語、奇跡という言葉が似あう程、非現実的な物なのです」
「そうだね。他には何かあるのかい?」
「今の案より現実的な物としては、隣国パールマンやエウロパ諸国連合との軍事同盟を結ぶ事。兵力の数で言えば、恐らくロマーシアの方が上でしょう。50年前の戦争では数十万の兵力を投入していたそうですから、再び戦争が起これば、同規模の兵力が我が国に襲い掛かって来る可能性もあります。そう考えると、わが国の兵力だけでは太刀打ちできるかどうか分かりません。だからこそ隣国と手を結び備える。それが今の俺に考えられる、対ロマーシア皇国のための最も有効な案です」
「そうだね。アーセナルの言う事は分かる。……けれど、そんな事をして大丈夫だろうか?下手に軍事同盟を結んだりしたら、返ってロマーシアを刺激してしまわないかい?」
「えぇ。父様の言う通りです」
少しばかり心配そうに語るリカルドの危惧に対し、しかしアーセナルは予測済みだった。
「確かに諸国連合やパールマンなどとの軍事同盟は、考えられる中で最も現実的な対策です。が、公にそんな事を発表すれば、悪戯にロマーシア皇国を刺激するだけです。『ムルティエ王国は我が国と敵対するつもりか』、と。かといって秘密裡に軍事同盟を結んだとしても、ロマーシア側にその情報が漏れてしまった場合、より相手を刺激する結果になります。そうなると、返ってロマーシアとムルティエの2国間の関係悪化に繋がりかねません」
「……策としてはリスク覚悟になってしまうね」
「えぇ。加えて、現状ロマーシアは我が国の輸出産業に大きくかかわっている国です。下手に刺激して国境封鎖などされてしまうと、わが国の産業が大ダメージを負う事は間違いありません。我が国の北部で生産され、輸出された農作物を買っているのは、他ならぬロマーシアですからね」
「一番現実的ではあるが、大きなリスクも伴うね。僕としては、リスクを最小限まで抑え、尚且つ争いを避けられる案があれば良いのだけど。なんてね」
リカルドはそう語りながらも自虐的な笑みを浮かべていた。彼自身、今まさに自分が口にした物が『理想』以外の何物でもないと分かっていたからだ。
「そうですね。必要以上の流血は、国民同士の間に深い傷と憎しみを植え付けます。父様の言っている事は理想論ではありますが、それ故に叶える価値があると、俺は思います」
リカルドの言葉に答えながら、アーセナルは前世で見てきた戦場を思い出していた。
『人が容易く死に、屍が散らばる戦場。仲間の死を悼み、敵を憎悪する兵士たち。戦争から生まれた憎しみは、容易く消える物ではない。それは、戦場を経験した俺だからこそ分かる事だ。だからこそ、戦争は避けなければならない』
過去を思い出しながら、彼は今自分が何のために動くべきかを再確認していた。更に彼は、『それに』と思考を続けた。
『我が国とロマーシアが真正面からやりあって勝てるかどうか。物量で圧倒され敗北するだろう。そうなれば、開戦に踏み切る事自体が愚策中の愚策。諸国連合やパールマンとの軍事同盟は、世界情勢が『きな臭く』なって来た時、抑止力に使える最終カードだ。序盤から切れる手札ではない』
アーセナルは軍事同盟を最後の手段と捉えていた。と、その時。
「ねぇアーセナル。何か、私たちに出来る事はない?」
「母様」
これまで俯き、表情を陰らせていたミレーヌが心配そうにアーセナルに問いかけた。
「私には、戦争なんて分からない。どうすれば争いを止められるのか、回避できるのか、まったく分からないの」
ミレーヌはアーセナルとリカルドに対して、まるで無知な自分を恥じるかのように下を向きながらも語った。
「でもねっ」
しかし彼女は顔を上げ、真剣な表情で真っすぐアーセナルを見つめた。
「私は家族を愛しています。この領地で、あなたと、アーセナルと、ライラと、家族と一緒に平和に暮らしていきたいっ。これだけは、誰にも譲れない私の願いなのっ。そのためにアーセナル、私にできる事は無いっ?」
ミレーヌは真っすぐアーセナルを見つめながら問いかけた。その表情に迷いはなく、彼女の家族を守りたいという願いが、どれほど真摯な物であるか。それを物語っていた。更に。
「アーセナル、僕もミレーヌと一緒だ。家族の平和を守りたい。この領地の平穏を守りたい。領地で暮らす民たちの生活と幸せを守りたい。領主としての責任だけじゃない。こんな僕を領主と慕ってくれる、皆のために。僕に出来る事で、皆を守りたいんだ」
リカルドもまた、真っすぐにアーセナルを見つめながら自らの想いを語って見せた。
「ありがとうございます、母様、父様」
そんな2人の表情にアーセナルは小さく笑みを浮かべながら会釈した。
「ならば、お二人にお願いがあります」
アーセナルはそう話題を切り出した。2人とも、真剣な様子でアーセナルの言葉に耳を傾けていた。
「ロマーシアという潜在的な脅威への対抗策ですが、今後それを検討していくにしてもあらゆる物が足りません。人手、資金、技術、環境。あらゆる物が不足していては、対策を立てたとしてもそれを実行する事が出来ません。そのためお二人の力を、俺にお貸しください。この国、いえ、レイン領とそこに暮らす人々を守るために。
ありとあらゆる物が、人が必要なのです。お願いします」
アーセナルは最後に、2人に対して深々と頭を下げた。
「分かったよ、アーセナル。僕はアーセナルに協力するよ。僕も、このレイン領を守りたいから」
リカルドはアーセナルの言葉に同意し、笑みを浮かべながら静かに頷いた。
「ありがとうございます、父様」
「私も、協力します。何が出来るか分からないけれど、このレイン領を守りたい気持ちは、あなたやアーセナルにだって、負けませんから」
ミレーヌもまた、真剣な眼差しのまま静かに頷いた。
「ありがとうございます、母様」
こうして、アーセナルは2人の協力を取り付ける事が出来た。そして、この日を境にアーセナルは動き出した。
ロマーシアという大国から故郷たるレイン領を守るために。
元傭兵は故郷を守るために、動き出したのだった。
第3話 END
傭兵と悪役令嬢~~最強マーセナリー、異世界に転生す~~ @yuuki009
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