第2話 潜在的脅威
ここは、とある世界。魔法や魔物と呼ばれる、本来ならば空想の産物である物や存在が現実にある世界。
そんな世界にある、一つの大陸。その大陸には大小さまざまな国が存在していた。そんな国家の一つ、『ムルティエ王国』という国があった。
大陸の東部に位置するこの国は、温暖な気候を生かした農耕が盛んな平和な国だった。そんなムルティエ王国の一角に、ムルティエ王国に使える貴族、レイン男爵の領地があった。
国全体で農耕が盛んな事から、レイン男爵領も例にもれず領民の大半が農業に関わっていた。そんなレイン領のほぼ中央にある町。その郊外にレイン男爵家の邸宅があった。
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「にーさま~、どこ~~?」
レイン男爵家の中を、1人の金髪の幼女が熊のぬいぐるみを抱っこし、後ろに1人の世話役のメイドを連れながら歩いていた。幼女はしきりに何かを探すように周囲を見回しながら声を上げている。しかしお目当ての人物は見つからないようだ。彼女は時折声を上げながら屋敷の中を歩き回っていた。
そのころ、屋敷の一角にある書庫で、黒髪の少年が本を読み漁っていた。椅子に腰かけたまま、無言で本を読んでいた少年。今彼が呼んでいるのは、このムルティエ王国の成り立ちに関わる物だった。と、その時。
「にーさま~~」
「ん?」
ふと彼は聞こえてきた微かな声に反応し顔を上げた。そして廊下へと続く扉の方へと目を向けると、小さく『あぁ』と声を漏らし、席を立って本を棚に戻すとドアの方へと向かった。
少年はドアを開けて廊下に出て、すぐに声の主を探して周囲を見回した。
「あっ!にーさまっ!」
すると声の主である幼女、『ライラ・レイン』が少年に気づいて満面の笑みを浮かべながら彼の元へと駆け寄った。
「あっ!いけませんお嬢様っ!走ると危ないですよぉっ!」
後ろから付いて来ていたメイドがそう言って注意するが、ライラは聞かずに少年の元へと駆けていく。が、しかし次の瞬間、ライラは足をもつれさせ、前のめりに倒れこんだ。
「ッ!?お嬢様っ!」
メイドが声を荒らげ手を伸ばすが届く距離ではなかった。このままではお嬢様が倒れ、顔を床にぶつけてしまうのではっ、反射的にメイドは思った。だがそうはならなかった。
「っとっ!」
寸での所で少年がライラの元へと滑り込み、倒れそうになった彼女を左手で支え、事なきを得た。
「ふぅ」
少年はライラを支えながら安堵するように息を一つついた。
「大丈夫か、ライラ」
「うんっ!ありがとうにーさまっ!」
「良かった。あぁでも、今みたいに廊下を走ったらダメだぞ?もし転んだりしたら、痛いからな?」
「うんっ!ライラ、気を付けるよっ!」
「よしよし」
少年の言葉に、ライラは笑みを浮かべながら頷いた。黒髪の少年、『アーセナル・レイン』もライラの答えに満足したのか、優しく彼女の頭を撫でた。
「アーセナル様っ!」
そこに、ライラと一緒に居たメイドが足早にかけてくる。
「申し訳ありませんっ、アーセナル様っ!私が傍についていながら、このようなっ!」
メイドはすぐさまアーセナルとライラの前で深く頭を下げた。彼女の役目はライラのお守りだ。しかし今、ライラが危うく怪我をする所だった。本来ならばお目付け役でもあるメイドがそうならないように配慮しなければならない。今回はアーセナルが居たから事なきを得たのだが、そうでなければライラが怪我をしていたかもしれない。そうなるとお目付け役としては責任を問われかねないのだ。だから彼女は2人に頭を下げていたのだ。
「大丈夫だ。頭を上げてくれ、メル」
しかしアーセナルは特に気にした様子も無く、そう言ってメイド、メルに優しく微笑んだ。
「この通りライラには怪我も無いし。今のライラみたいな年頃は、元気にはしゃぐ事も多いからな。どうしてもこういうことが起きるのは仕方ないさ」
「アーセナル様」
メルは下げていた頭を上げ、怒った様子も無く肩をすくめるアーセナルにどこか驚いていた。そして彼女はしばし呆然とアーセナルを見つめていた。
「ん?メル?どうした?」
「はっ」
やがてそのことを不審に思ったアーセナルが声を掛けるとメルは我に返った。
「も、申し訳ありませんアーセナル様ッ。その、今のアーセナル様のお言葉が、どうしても年齢と不相応と言いますか、まるで大人を相手にしているように思えてしまってっ。アーセナル様もまだ10歳に満たない方だというのにっ」
「ッ、あ、あぁそうかっ」
我に返ったメルは思わずそんな事を口走ってしまうが、アーセナルもまた『大人を相手にしているよう』、という言葉に一瞬心臓がドキリと跳ねた。
『俺が転生者である事は、今の所誰も知らないし、誰にも話すつもりも無いからな。この世界に転生して7年余り。しかしどうにも前世から精神が続いている関係で、今の自分が子供だという事を時折忘れてしまうな』
「ま、まぁ将来このレイン家を継ぐ時に、少しでもふさわしい男に慣れるように頑張っている。それだけだよメル」
「成程。流石はアーセナル様です」
アーセナルは、咄嗟に思いついたもっともらしい事を話した。幸いメルはそれを信じ、感心するような目を向けている。
「は、ははっ、誉め言葉として受け取っておこう」
しかしアーセナルはそんな純粋なメルの視線に少しだけ罪悪感を覚えるのだった。
「そ、それよりライラッ。俺の名前を呼んでいたようだけど、どうかしたのかい?」
アーセナルは話題を切り替える意味でも、ずっとそばに居て頭を撫でていたライラへと問いかけた。
「あっ!そうだったっ!あのねにーさまっ、とーさまがにーさまを呼んでたのっ!えっと、しつむしつ?に来て欲しいってっ!」
「父様が?」
「うんっ!それでライラがにーさまを探してくるって言って、探しに来たのっ!」
「そうだったのか。父様の手伝いをするなんて、ライラは偉いぞ~」
アーセナルはライラに微笑みかけながら、彼女の頭を優しく撫でる。
「えへへ~~♪」
ライラは褒められて嬉しそうに笑みを浮かべている。
「それじゃあライラ、俺は父様の所に行ってくるから。メルも、ライラの事を頼むぞ」
「うんっ!行ってらっしゃいにーさまっ!」
「かしこまりました、アーセナル様」
ぶんぶんと手を振るライラと、お辞儀をするメルと別れたアーセナルはライラから聞いた通り、屋敷の一角にある部屋、アーセナルの実の父にして現レイン男爵家当主、『リカルド・レイン』の執務室へとやってきた。
アーセナルは部屋の前までやってくるとドアを軽くノックした。
「父様。アーセナルです。ライラより話を聞きまいりました」
「あぁ、待っていたよアーセナル。入ってくれ」
リカルドの声がドア越しに聞こえた。アーセナルは『失礼します』、と一言告げてからドアを開けた。
執務室の中では、リカルドとこのレイン家に仕える家令、つまりメイドや執事のまとめ役である白髪老齢の男性、『セイル』が居た。
「お呼びでしょうか、父様」
「あぁ。アーセナルに話したい事があってね。セイル、悪いけど僕とアーセナルにお茶を持ってきてくれるかい?ちょうどいいから書類仕事も休憩だ」
「かしこまりました旦那様」
セイルはお辞儀をすると、お茶を用意するため『失礼します』と一礼して部屋を出ていった。
「さぁ、アーセナルも座って」
「はい。失礼します」
父リカルドに促されるまま、アーセナルは手近なソファに腰を下ろした。
「それで父様。私に話がある、との事でしたがどういった内容なのでしょうか?」
「あぁそれはね、そろそろアーセナルに家庭教師を付けて、勉強を見てもらおうと思ってね」
「私に家庭教師、ですか?」
「そうだよ。アーセナルは、そうだね。貴族の大まかな人生なんかは分かるかな?」
「えぇ。概要程度ですが」
アーセナルはリカルドの言葉にそう言って頷くと言葉を続けた。
「貴族の家系に生まれた場合、男で特に長男であれば家督を継ぐ事が一般的です。私の場合ですと、私に万が一が起こった場合や、父様たちが私を後継者としてふさわしくないと判断され、また弟のような別の後継者が居ない限りは将来的に父様の後を継ぐ、という事でよろしいでしょうか?」
「そう。その通り。でも貴族って言うのは大変だからね。領地の運営に他の貴族との付き合いなんかもあるから。学ぶ事も多いんだ。教養はもちろん、パーティーなどで恥をかかない為にマナーや女性を相手にダンスをするのにも作法が必要なくらいだからね」
「貴族というのも、大変なのですね」
「まぁねぇ」
リカルドは息子の言葉に頷きながら息をついた。
「実際、僕も子供の頃から色々教えられたよ。辛い事とかも色々あったし。まぁそのおかげで、こうしてちゃんと領地経営とかも出来てるんだけどねぇ」
リカルドは息をつき、まるで過去を懐かしむように遠い目で天井を見上げながら呟いた。
「成程。つまり私も将来のためにそろそろ勉強を始めるべきだ、と。そんなところでしょうか?」
「そうそう。そのためにアーセナルの勉強を家庭教師の方に見てもらおう、って事なんだけど、良いかな?」
「もちろんです父様。知識や経験はあって困る物ではありませんからね。こちらとしては何ら異論はありません」
リカルドの問いかけにアーセナルは静かに頷きながら答えた。
「そうか。なら、数日後には家庭教師の方に挨拶に来てもらう事になるだろうね。細かい勉強の話はその席で話し合うとしようか」
「分かりました」
と、言う事でアーセナルには家庭教師が付き、今後は貴族としての勉強をしていく事になった。その後、話が終わった所でセイルがお茶を手に戻って来た。アーセナルとリカルドはそれを飲みながら家庭教師がどんな人物なのか話をしていたのだが……。
「それにしても、アーセナルは凄いねぇ」
「はい?いきなり何の話ですか?父様」
「いやねぇ。実は少し前に知人が訪ねてきただろう?覚えてるかい?」
「知人?……もしかして、先日お見えになったタリス男爵ですか?」
アーセナルは、つい先日屋敷にやってきた恰幅の良い貴族、タリス男爵と挨拶した時の事を思い出しながら問いかけた。
「そうそう。タリス男爵は歳とか爵位も近いし、穏やかな人でね。僕も仲良くしてもらってるんだけど、その時の話で少々愚痴を聞いてね」
「愚痴ですか。内容はどのような物だったんです?」
「まぁしがない愚痴だよ。タリス男爵には一人息子が居てね。その子はアーセナルより2歳ほど年上なんだけど。勉強が嫌で嫌で、しまいには部屋から逃げ出す事も多くて頭を抱えているそうだよ」
「お転婆なお子さんなのですね」
「いやいや?子供なんてそんなもんだよ。僕が子供の頃だって、勉強なんて大嫌いだったからねぇ。そういう意味では、アーセナルはまだ7歳なのに子供っぽくないけどね」
「あ、あぁまぁ、そうですねぇ。あははは」
リカルドの言葉にアーセナルは内心、『またやってしまったっ!子供らしく振舞わないとっ!』と焦りつつ、それを表に出さないよう、必死に笑みを浮かべていたが、傍目には苦笑いにしかなっていなかった。
その後、話を終えたアーセナルは執務室を後にして、とりあえず自室に向かった。そしてその道中、少し考え事をしながら歩いていた。
『ハァ。またしてもやってしまった。どうにも事あるごとに今の自分が、7歳児の子供だという事を忘れてしまう』
彼は内心ため息をつきつつ、しかしそのことを周囲に気取られないよう、ポーカーフェイスを浮かべたまま廊下を歩いていた。
『俺が転生者である事は、今の所誰にも打ち明けるつもりはないが、転生者である事はとにかく隠していかなければな。その事実のせいで家族や周囲に迷惑をかける訳にも行かないし、な』
「ん?」
彼は歩きながら、ふと何かに気づいて窓の所で足を止めた。見ると屋敷の裏にある庭園で、ライラがお茶をしていた。
美味しそうに焼き菓子を頬張っていたライラだったが、アーセナルの視線に気づいたのか、彼の方へと彼女も視線を向けた。
「あっ!にーさま~!」
アーセナルに気づいて笑みを浮かべながらぶんぶんと手を振るライラ。アーセナルもその仕草に答えるように、窓越しに優しい笑みを浮かべながら手を振り返した。
『悪くないものだな。こういう、平和な日々というのも』
アーセナルは小さく笑みを浮かべながらも、今と前世を比較し、そう考えていた。
彼の前世は、平和とは程遠い物だった。死と痛みがはびこる戦場で、武器を手に戦い大勢を殺め、そして仲間の死を見届けてきた彼にとって、今と過去は全く異なっていた。銃声と砲声に飛び起きる事も、闇夜からの敵の奇襲に怯えることも無い毎日。
そして更に言えば、アーセナルは今の自分の事を、言葉通り『第2の人生』と捉えていた。過去のしがらみが一切ない、セカンドライフだ。
『優しい両親に可愛い妹、穏やかな生活。前世の俺には無かったものだ。ならばいっそ、この世界でまた死を迎えるその時まで、のんびり暮らしていくのも悪くはない、か』
既にアーセナルは、『傭兵としての過去の自分』は死んだ物と判断していた。だからこそ傭兵や兵士ではなく、アーセナル・レインという貴族気の跡取りとして、第2の人生を平和に歩もう。そう考えていた。
彼が、潜在的な脅威の存在を知る、その日までは。
家庭教師関係の話をしてから、数日後。アーセナルの家庭教師としてレイン家にやって来たのは、恰幅の良い50代くらいの白髪の女性、『クリンコフ』先生だった。
「はじめまして、アーセナル様。本日よりあなた様の家庭教師を務めさせていただきます。クリンコフと申します。以後、お見知りおきを」
「こちらこそ、はじめましてクリンコフ先生。レイン男爵家長男、アーセナル・レインです。本日よりご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」
玄関先での初対面。その時のアーセナルは前世で培った知識もあって、とても子供とは思えない挨拶を見せた。
「おやおやまぁまぁ。
アーセナルの子供らしからぬ対応に少しばかり目を丸くしつつも、彼女はアーセナルと傍に居たリカルドを素直に賞賛した。
「これは、私も家庭教師として頑張らねばなりませんね」
「えぇ。ミスクリンコフ、息子の勉強を見てやってください。お願いします」
「私からも、お願いいたします」
リカルドと、傍に居た妻でありアーセナルとライラの母である『ミレーヌ・レイン』が軽く会釈をした。
「えぇ。お任せください。では、早速ですがアーセナル様。お勉強を始めさせていただきます」
「はい。よろしくお願いしますっ」
こうしてアーセナルは家庭教師クリンコフの元、貴族として必要な知識や教養、作法の勉強を始めた。
そして、ある日の事だった。
「本日は世界の地理について勉強していきたいと思います」
「よろしくお願いします」
アーセナルの私室を使って行われる授業。今日は世界の地理に関する授業だった。
「ではまず、失礼します」
そう前置きをしてクリンコフはアーセナルが座る机の上に一枚の紙を広げた。
「これは。世界地図ですか?」
眼前に広げられた紙に書かれていた物を一瞥し、アーセナルはクリンコフに問いかけた。
「えぇ。その通りですアーセナル様。これは私たちが住まう世界の地図です。この地図にはこの大陸にある無数の国家が描かれていますが、アーセナル様は我がムルティエ王国の位置が分かりますか?」
「確か。我が国は東端に位置するという事でしたし、この国ですか?」
早速問題を出すクリンコフに、アーセナルは地図の一角を指さし答える。
「えぇ。その通りですアーセナル様」
正解したアーセナルに対し、クリンコフは笑みを浮かべながら頷いた。
「では、まずは祖国ムルティエ王国の周辺国について説明をしていきましょう」
「はい」
こうして世界地図を用いた地理の勉強が始まった。周辺国の位置とまずはその概要が説明されていった。そして、話題はムルティエ王国の北部と国境を接するある国へと移った。
「最後はこの北の大国、『ロマーシア皇国』についてですね」
「大きな国ですね。ロマーシア皇国だけで、大陸の3分の1に近いほどの領土を持っているように見えますが」
地図に描かれている大陸の北部は殆どが一国の領土となっていた。それがロマーシア皇国だった。
「えぇ。その通りです。ロマーシア皇国は大陸北部のほぼすべてを国土としており、その広さが大陸随一なのは疑いようもない真実です。そんなロマーシアの主な産業は鉱石採掘と、それによって得られた鉱石類を用いた武器や防具の生産ですね。しかし逆に、大陸北部の気候は春が短く、冬が長い物となっています。そのため食料自給率は高くなく、食料の大半は我が国やそのほかの国からの輸入に頼っているのが現状ですね」
「成程」
『そうなると国境付近、北部にある農作地域の住人にはうってつけの商売客、という訳か。まぁ、レイン領はその反対、南部よりの位置にあるから、レイン領の作物がロマーシア向けに売買される可能性はあまりない、か』
と、アーセナルはそんな事を考えていたのだが。
「人口の多さもあって軍の規模も大きく、現皇帝の祖父、つまり先々代の皇帝は領土拡大と食料生産のための農地獲得を狙い、西部の国々に戦争を仕掛けた事もありますが……」
「ッ」
不意に、アーセナルが前世で聞きなれ、しかしあまり今聞きたくない単語がクリンコフ先生の口から聞こえてきた。その単語に、アーセナルは反射的に息を飲んだ。
『戦争、だと?しかも、食料生産のための農地獲得を目的に?いや、理屈は分かる。結局の所、戦争とは土地やその下にある資源の奪い合いだ。そして今重要なのは、『ロマーシア皇国が戦争を起こした理由』と、『我が国の気候』だ。つまり、ロマーシアの連中にとって、わが国は……』
「現在の皇帝は発言こそ少々過激ですが今の所主だった軍事行動は起こしておらず……。あら?アーセナル様、どうかされました?」
クリンコフは説明を続けていたのだが、彼女がふとアーセナルに目をやると、彼が俯いたままである事に気づいた。そのことを訝しんで声を掛けたのだ。
そして肝心のアーセナルはと言うと、眉を顰め、食い入るように地図を見つめていた。
「……クリンコフ先生、お願いがあります」
「ッ」
やがて彼はゆっくりと顔を上げたのだが、彼女はアーセナルが顔を上げると同時に息を飲んだ。なぜなら今の彼の表情が、酷く険しかったからだ。とても子供の表情とは思えず、驚き息を飲んだのだ。
「な、なんでしょうか?アーセナル様?」
クリンコフは息こそ飲んだものの、すぐに平静を装いアーセナルの問い返した。
「そのロマーシア皇国の戦争の背景など、詳しく教えてください」
「え、え?ですが他にもまだ教えていない国々が……」
「お願いします……っ!」
「ッ……!」
クリンコフは、アーセナルから放たれる気迫に恐れおののき、またしても息を飲んだ。今のアーセナルの気迫は、到底子供が出せる物ではなく、そして彼女もまた、それに気圧され、彼の頼みを断る事が出来なかった。
「わ、分かりました」
結局彼女は頷き、ロマーシアによる戦争の事を中心に、彼女の分かる範囲でアーセナルの質問に答え続けたのだった。
同日、夜。普段なら家族と夕食を共にするアーセナルは、その日は違った。私室にこもっていた彼の様子を見に来たセイルに、夜食を頼んだだけだった。部屋に籠ったアーセナルはただ、いくつもの事実と仮説を何枚もの紙に書き記していた。
時間は過ぎて、真夜中。誰もが寝静まっている時間。しかしアーセナルはまだ普段着のまま私室のテーブルの上に広げられた、クリンコフ先生から譲り受けた世界地図や自分が書いたメモを見つめ、そして考え込んでいた。内容は、ロマーシア皇国に関する物だった。
『先生の話によると、今から50年以上前、大陸東部や中央を季節外れの寒波が襲い、農業に大ダメージを与えた年があった。結果的に各国の農作物の生産量は激減。我が国も当時、一時的な食糧難になる程だった。そして更にダメージを受けたのが、当時から既に食料確保を輸入に頼っていたロマーシア皇国だった。ロマーシア皇国内部では酷い飢饉が発生し、数万人規模の餓死者を出した、と先生は言っていたが』
そこでアーセナルは、視線を地図の上のロマーシア皇国から、大陸西部にある国々へと移した。
『飢饉から数年後、時の皇帝は食料の自給率を上げる名目で農地の獲得を目指し、農地に適した土地を得る為、南へ領土拡大を目指す『南下政策』を声高に叫んだ。当初こそ隣国の土地の借用を求めるなど対話を望んでいたものの、双方の利害関係の問題もあり対話は上手く行かず、業を煮やした皇帝は武力を持って西部方面への侵略を開始。大国ロマーシアの侵略に危機感を覚えた西部方面の各国は、『共同でロマーシアの侵略に立ち向かう』、という目的の元、『パウエル諸国連合』を発足。更に各国の軍隊を統合し、『パウエル連合軍』を結成。ロマーシアと戦争状態となり、戦争は次第に拮抗状態へと突入』
と、ここで再びアーセナルは視線をロマーシアへ移した。
『戦争は拮抗状態となり、双方の軍の睨みあいと小競り合いが1年ほど続いていたが、当時の皇帝が病で急死すると、後を継いだ息子、つまり現在の皇帝の父である先代皇帝が一転して終戦と和平を訴えた。諸国連合側も、年単位で戦争が続いていた事により各国市民の不満が溜まっていた事や、戦争による経済的な打撃などがあった為、連合側とロマーシア側、双方が終戦に合意。戦争は終結した、か』
そこまで地図を見ながら考えていたアーセナルだったが、彼はふと息をつきながら椅子の背もたれに寄り掛かった。そして天井をぼうっと見上げつつも、彼は更に考えを巡らせていた。
『先生の話では、現在の皇帝はどちらかと言えば祖父に似ているらしく、軍事行動こそ起こしていないものの、過激な発言も多々見受けられる、との事だったな。そうなると、仮に何らかの理由でロマーシアへの食料の供給が不足した場合、かつての戦争のような事が起こらないとは言い切れない。現皇帝が『第二次南下政策』、なんて物を言い出したら、間違いなく狙われる可能性があるのは、このムルティエ王国だ』
やがて彼は徐に椅子から立ち上がり、窓から見える外の景色へと目を向けた。
『ムルティエ王国は平和な国だ。今の俺ではこの国の軍事力について分からない事の方が多いが、ロマーシア側が人海戦術による物量作戦で侵攻してきた場合、王国軍にそれを止められる保証は、ないっ』
夜の景色を見つめながらも、彼はギュッと拳を握り締めた。
『そうなれば、俺たち家族の平和はどうなる?戦争が始まれば、レイン領はどうなる?俺たちの未来はどうなるっ?』
アーセナルの頭の中で、最悪の未来図が描かれた。自分も、家族も、誰もかれもが殺され、レイン領が蹂躙される、彼にとって最悪の地獄絵図が。その直後、アーセナルは歯を食いしばり、更に強く拳を握り締めた。
『そんな事、許せるわけがないっ!いやっ!許せないっ!俺は、俺や家族の平和を守りたいっ!今ある生活を守りたいっ!この世界で出会えた家族を守りたいっ!俺の大切な人たちを、居場所をっ!壊されてたまるかっ!!』
彼は一つの決意した。
今までのアーセナルは、前世の自分と今の自分は違うと考えていた。傭兵や兵士だった、過去の自分に別れを告げ、傭兵でも兵士でもない。アーセナル・レインとして第2の人生を歩もう、そう考えていた。
だが、彼は知ってしまった。祖国を脅かしかねない、潜在的な脅威となる隣国ロマーシアの存在を。故に彼は決意をした。
別れを告げたはずの過去の経験や知識を活かし、自らの守りたい者たちの為に、立ち上がる事を。
第2話 END
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