1月その③
んーっ、と伸びをして体を伸ばす。
共通テストを終えて数日。
満足のいく結果に少しだけ肩の荷が下りたところだが、それでも今日も相変わらず勉強をしている。
ずっと問題集に向き合っていたせいで凝った肩をほぐすようにぐるぐると回すと、ちょうど後輩と視線が重なった。
今は放課後。
といっても三年は自由登校なんだけど、俺は学校の方が集中できるので結局一日部室で勉強をしている。
なので後輩も放課後にはここに来て一緒に勉強をしていた。
移動時間を考えたら自宅の方が理屈の上では効率が良いんだけどね。
「お疲れみたいですね、センパイ」
チョコボールの苺味を食べてた後輩が、箱をこちらに差し出すので伸ばした手のひらにひとつもらって口に含む。
「そうだなー」
勉強してて一番辛いのが肩が凝ることかもしれない。
次点で目が疲れること。
時間をとられることとそのせいで遊べないことも、辛いと言えば辛いけど比較的慣れた気がする。
筋トレでもするかなぁ。
結局肩が凝るのも筋肉さえあれば解決するので、勉強のために筋トレするというのもある意味合理的かもしれない。
あとは姿勢をよくするとか?
「そんなに疲れてるなら肩揉んであげましょうか」
「んー、じゃあ頼むわ」
と言ってみると、後輩がボケもせずに俺の背後に回るので、いぶかしみながらもそれを見守る。
まあ後ろは見えないんですけど。
そのまま後輩の手が俺の肩に触れるとゆっくり親指に力が込められる。
どうやら普通にマッサージしてくれるらしい。
「どうですか?」
「結構いい感じ」
手の触れた部分がほのかに温かくて、柔らかい指の感触がちょっとくすぐったいけど凝りがほぐされている感じはする。
こうやって揉まれると握力で後輩も女子なんだなあと実感するな。
「痒いところはありませんかー?」
「それ別のお店な」
主に髪切ってくれるお店の。
「今度センパイの髪が伸びたら切ってあげましょうか」
「いや、遠慮しとく」
「なんでですか、髪切るの得意なんですよ」
「実務経験は?」
「ありません」
「ないのかよ!」
よくそれで得意とか言えたな!
「やったことはないけど、上手く出来る気がするので大丈夫ですよー」
「大丈夫な要素がないんだよなぁ……」
「私のこと信じてくれないんですか?」
「逆にどうすればそんなに自分のことを信じられるのか聞きたいんだが?」
「私髪には気使ってますし? そこそこオシャレですし?」
まあそこに異論はないが。
「そういえば、髪伸ばしてても美容院とか行くのか?」
「もちろん行きますよー、ただの伸ばすだけだとモサモサになりますし、手入れしないとボサボサになりますし」
「なるほど」
じゃあ後輩の今の髪型も、努力とお小遣いの結晶な訳だ。
「ちょっとは見直しましたか?」
「俺はいつも見直してるけどな、最安値から」
「ひどい!」
と言われても会った時が結構アレだったのでしゃーなし。
「それじゃあ今は何点くらいなんですか?」
「なにがだ?」
「私の評価ですよ。最安値から今はどれくらいなんですか?」
「あー」
その質問の答えを考えようかと思って、やめた。
「秘密」
「なんでですか?」
「正直に言ったら怒りそうだしな」
こんな首絞めやすそうな位置でふざける勇気はない、なんてふざけて考えると、後輩からは予想外にしっとりとした答えが返ってきた。
「センパイの本心なら、怒ったりしませんよ」
そんな風に優しい声で言われたら、余計に答えられないだろ。
「やっぱり秘密だ」
「えー、なんでですかー!」
そんな一ミリも内容の無いような会話を続けてしばらくあと、後輩の手が止まる。
「こんなものでいいですかねー」
「ん、ありがとな」
おかげで肩がかなり軽くなった。
「どういたしまして」
言った後輩はそのまま離れずに、腕を俺の前に流して体をぴったりくっ付ける。
まるで後ろから抱き締められたような、そんな格好。
顔が直ぐ隣にあって、吐息まで聞こえてきそうで。
甘い、苺の匂いがする。
さっきまで食べてた菓子の匂いだ。
「どうした?」
「最近センパイ頑張ってるので、癒してあげようかなと思っただけですよ」
「なるほど」
「癒されましたか?」
「癒された」
「ならよかったです」
他人の体温に触れる機会なんて、高校生にもなると日常生活でほとんどなくなるが確かに落ち着く。
「ありがとな」
もう一度伝えると、後輩がからかうように笑う。
「柔らかいですか?」
「温かいぞ」
「センパイは素直じゃないですねー」
「俺はいつでも素直で正直だろ」
温かいのは本当。
柔らかいのも本当だけど、どこがとは言わない。
まあ言わなくてもバレてるようで、後輩はからかうのに成功してご機嫌だけど。
「お菓子食べますか?」
「んー?」
疑問系のニュアンスで返したのも気にせずに、後輩がテーブルの上からクッキーをひとつ取って、ビニールの包みを剥いて俺に差し出す。
それを咥えて噛み砕くと、バターの風味が口いっぱいに広がる。
うーん、美味い。
これでカロリーが低ければ主食にして無限に食べてられるのに。
と言ってもクッキーの美味さ=カロリーみたいなもんなんだけどさ。
「ご馳走さま」
「どういたしまして」
咀嚼を終えて飲み込んでから感謝を伝えると、俺の肩に顔をのせたまま楽しそうに後輩が応える。
「後輩も食うか?」
「それじゃあいただきます」
ということで今度は俺が包みを剥いて直ぐ隣にある後輩の口先へと差し出す。
「あむ」
咥えた後輩がクッキーを味わうと、その動きがダイレクトに伝わってきて少しくすぐったい。
もしゃもしゃ。
もぐもぐ。
ごくん。
俺が変態だったらその振動で新たな性癖が開拓させたかもしれない。
危なかったぜ。
「ご馳走さまです、センパイ」
「どういたしまして」
なんてやり取りを何度か繰り返して、まだ離れないのかという疑問はもう気にしなくなっていた。
別の言い方をすると諦めた。
「苺の匂いがしますねー」
「お前もなー」
お互いに甘い匂いをさせて、ちょっと首を捻ればキスができるくらいに距離が近い。
恋人同士ならこのままキスをして、苺の味がするのかもしれない。
俺と後輩は、そういうのじゃないけど。
「手、疲れただろ」
「そんなことないですよ?」
なんて答えても肩を揉むのは結構な重労働である。
使うのは親指の力だけで疲労が集中するし、後輩の握力なら尚更だろう。
なのでそれを労るように後輩の片手を取って、労るように両手で握る。
そして親指のつけ根を揉むと、後輩が悶えた。
「んんんーっ、んんんー!」
耳元から響く苦悶の声は、かなりマジだ。
そんなに強くはしてないんだけどな。
とはいえ、親指の付け根のマッサージは、足ツボ並みにキクからなー。
特に現代人はスマホの使いすぎで親指が慢性的に凝ってるし。
なんて考えながら唸る後輩の手を揉みほぐし、やっと解放する。
「凝りほぐれたか?」
「凝りは、ほぐれました」
凝りは、と言う辺りになにか言いたげな雰囲気が含まれている気がするがまあいいや。
「じゃあ次は左手な」
「んんんーーーっ!」
後輩の手、小さいし柔らかいなー。
「いつまでも勉強の邪魔しちゃ悪いですし、続けていいですよ」
そろそろ、いつ離れるんだって聞いたら負けな雰囲気になってきた気がする。
まあいいか、邪魔でもないし。
なんて思ってペンを握ると、後輩が耳元に顔を寄せる気配がした。
『ねぇ、センパイ』
急に耳の中に囁かれて、背中がゾクッと震える。
聞こえる声はまるで、イヤホンから流れるように直接耳に届く。
『いま、ドキドキしてますか?』
それは聞くまでもなく。
だけど答える気もなく。
「後輩はどうなんだ?」
『確かめて、みますか?』
どうやって?
と方法を考えると、セクハラじゃ済まないことになるが。
『センパイなら、いいですよ?』
そう言われた俺の顔は、きっと恥ずかしくてあまり人には見られたくないような顔をしていた。
「なーんて、冗談です」
カラッと声色を変えて後輩が身体を離す。
背中に感じていた感触も、耳元で囁かれていた声も離れていった。
「お前なあ……」
「きゃっ」
後輩に話しかけようと頭をあげると、丁度身体を離していた後輩に後頭部がぶつかってしまう。
振り向くと、一歩下がった後輩が胸を押さえて恥ずかしそうに顔を赤くしている。
軽く当たっただけなので痛かった訳ではないだろうが。
後輩の顔は触ったらやけどしそうなくらい耳まで真っ赤だ。
「急に動かないでくださいよ」
今までずっとくっついてたのはそっちだろとちょっとだけ思うが素直に謝っておく。
「悪かったな」
「次やったら怒りますからね」
「もうこんな事故起きる機会もないだろ」
卒業まであと何回会うかって指折り数えられるレベルだし。
「たしかに、そうかもですね」
と言った後輩が深呼吸すると顔が赤かったのが心なし収まっている。
そして俺の後ろから、またくっついた。
むしろさっきまでよりも、首から胸へと伸ばされた腕に力が込められて、顔も心なしか近い気がする。
「いや、またやるんかい」
「嫌なんですか?」
「嫌なわけないだろ」
「ならいいじゃないですか」
という訳で、この体勢は続行だった。
「なあ、後輩」
「なんですか、センパイ」
「怒ったか?」
「怒ってないです」
「そうか」
そこで言葉は途切れて、俺は勉強を再開する。
参考書を目で追いながら、後輩に聞く。
「なにかして欲しいことあるか?」
「どうしたんですか?急に」
「肩揉んでもらった礼」
「それなら私も手のマッサージしてもらいましたよ」
「たしかに、じゃあ礼はいらないか」
「いらなくないです」
「いやどっちだよ」
俺のツッコミから少し考えて後輩が呟く。
「それじゃあしばらくはこうしてていいですか」
「後輩がそうしたいなら」
なんて短い答えで、この状況はもうしばらく続いた。
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