1月その②
「ねえ、センパイ」
「どうした、後輩」
声をかけてきた後輩が外を見ているのに釣られて視線をそちらに向けると、窓の外に大粒の雪がぱらぱらと降っていた。
百円玉くらい雪の結晶が、空気の抵抗を受けてゆっくり落ちてきている。
時刻は19時過ぎ。
外は二時間以上前に日が落ちていて、夜の景色に大粒の雪はよく映えている。
「雪かー」
雪が降るとなんとなく、その綺麗な景色に心打たれる感情と、翌日以降の道路の状況が最悪になる憂鬱な感情が一緒に来てモヤモヤする。
それでも降っている最中は、正の感情の方が強いけど。
「とりあえず、積もる前に帰るか」
とはいえ雪が積もれば面倒が増えることに代わりはなく、窓辺に立って視線を下ろすと、地面はもう薄っすら白くなっている。
このままだとしばらくしたら靴の先が埋まるくらいには積もりそうだ。
「そうですねー」
といつの間にか窓から視線を戻していた後輩が、ノートの上で紙を折っていた。
チラリと見えた表側の柄はどこかで見たことがあったような。
「後輩、それは?」
「秘密です。っていうかあんまり見ないでください」
「向かいで折ってて見るなもくそもなかろうが」
なんて言っててもしょうがないので、後輩のことは気にしないことにして俺も帰りの準備を済ませる。
外に出ると電灯の光が雪に反射して夜なのに妙に明るい。
地面に積もった部分だけでなく、舞ってる雪からも照らして跳ね返されるオレンジ色の光が空間自体をその色に染めていた。
雪って白くて光をよく反射するから、積もってるとむしろ普段より明るくなるんだよな。
それに加えて現在進行形で降っている雪に乱反射された光は広くぼやけたような印象があった。
じゃあ帰るかと一歩踏み出す前に、隣の後輩が傘を広げる。
朝は雪が降ってなかったのに用意がいい。
「センパイも入ってください」
「俺は大丈夫だ」
横に並んで傘を広げた後輩の勧めを断って、コートのフードを被ろうとする俺を後輩が制止される。
「そんなこと言って、風邪でも引いたら大変ですよ」
「んー」
たしかにこの時期に風邪は勘弁だがそこまで雪が強いわけでもないし、ほぼ無風なので今の格好なら際立って寒さを感じるほどでもない。
それに後輩の傘に入ってくっついてたら、歩きづらくて転びそうだ。
「それに私だけ傘差してたら酷い人みたいじゃないですか」
「そんなことないだろ」
「あるんです」
断言した後輩が無理矢理俺の手を引いて傘に入れる。
流石にそこまでされて抵抗するのも不自然だし、それに嫌でもなかったので大人しく従うと後輩が満足げに笑う。
「なんだか懐かしいですね」
「そうだな」
前は雨の日だったけれど、こうやって同じ傘に入るのは以前のことを思い出して懐かしい。
腕をとって後輩と並ぶ姿も、当時よりは自然になったかもしれない。
真冬の氷点下の気温のおかげで、地面に積もった雪は踏み込むとぎゅっと踏みしめる感覚があって、案外歩きやすい。
これが気温が高くなると、雪を踏んでも水溜まりに足を入れたような状況になって靴は濡れるし水は跳ねるしで嫌になるんだが、まあそれは明日の朝以降の話だ。
「後輩の傘小さいな」
頭上の傘は普段自分が使っているよりもかなり幅が狭くて、こういう女物のだと後輩も女子なんだなあと意識してしまう。
あと小さい分、その中に収まるには密着する必要があるし。
見ると後輩の向こう側の方にも、薄っすらと雪の粒がついている。
「狭くてすみません」
「ああ、そういう意味じゃないぞ」
「わかってますよ、冗談です」
楽しそうに笑う後輩に、からかわれたのが恥ずかしくて、視線を外して話題を変えた。
「ところで後輩、手袋は?」
先程傘を受けとるときに触れた後輩の手は手袋をしていない素肌の状態で、それから取り出すような気配もない。
いつもはコートのポケットに入れてるんだが。
「あー、忘れちゃいました。誰か手袋貸してくれませんかねー」
「ったく、ほら」
しばらく続きそうなやりとりを省略して、手袋を指先を摘まんで外す。
「片方で我慢しろよ」
「いいんですか?センパイも指先冷たくなっちゃいますよ」
「だから、ほら」
後輩に手袋を填めるように促して、残った俺の左手で後輩の右手を掴んでコートのポケットに入れた。
後輩の指は外を少し歩いただけでも冷たくなっていて、こうしたいなら変に前振りしないで早く言えよと言ってやりたい。
「転ばないように気を付けろよ」
「はい」
純粋に危ないからポケットに手を入れて歩く行為は推奨されないわけだけど、今は非常時ということで。
「センパイの手、あったかいですね」
コートのポケットの中で、その温かさを確かめるように後輩が言う。
「後輩の手が冷たいんだろ」
「じゃあ、センパイの体温であっためてください」
無言で繋いだ手をギュッと握ると、後輩は満足そうに笑みを見せる。
しかし最近手を握る機会が多いな。
それだけ互いの距離が近づいたって話でもあるけど。
去年の四月から考えたら、こんな風になるなんて思ってもなかったくらいで。
「センパイは、雪好きですか?」
「好きなところもあるし嫌いなところもあるけど、総合的に見れば好きな方かな」
まあ、道路歩いてて路面がぐちゃぐちゃだと二度と降んな!って言いたくなるけど。
「私は雪、好きですよ。降ってくるのを見るとワクワクしますし、雪の中を歩くとなんだか落ち着きます」
「そうか」
「はい」
頬を赤くしてそんなことを言う後輩が眩しくて、視線を外して前へ向けた。
静かに降り続ける大粒の雪のベールに包まれて新雪のまっさらな地面に二人で並んで足跡を着けていくと、まるでこの世界に二人きりになったような錯覚をしそうになる。
このまま歩いていればそう長い時間もかからずに家まで着くし、そのあとはまた勉強なんだけど。
「当日は雪降らないといいですね」
「そうだな」
今週は一月の第二週。
週末には大学入学共通テストがある。
なので今は、受験生にとってはとても大切な時期。
「やっぱり緊張しますか?」
「まあ人並みには」
本番は二次試験ではあるけれど、それでも緊張しない訳ではない。
「その割には平気そうですけど」
「なるべく気にしないようにしてるからなあ」
元々あんまり悩まない性格っていうのもあるし、長く勉強してきた時間と悪くない模試の結果もあるし、あとまあ後輩とこうして一緒にいると気が楽になるっていうのもある。
流石に本人にはこんなこと言えないけど。
「つっても不安になることもあるけどな」
主に寝る前とか。
「じゃあ、おまじないしてあげます」
なんて言った後輩にこれ持っててくださいと差し出されて傘を握る。
そのまま正面に回った後輩が、俺の首に腕を回した。
すぐ目の前に後輩の顔があって、マフラーを巻いた口元からは白い吐息が漏れている。
「目、閉じてくれますか」
言われて、なぜとは聞けない。
それでも、大人しく従って目を閉じた。
首に回された感触に力がこもり、後輩が背伸びをするのを感じる。
そのまま後輩の気配をすぐ目の前に感じて、んっと後輩が小さく息を漏らすのと同時におでこに柔らかい感触が触れた。
「目、開けていいですよ」
「今のは?」
「さて、なんでしょう」
答え合わせはしてくれないらしい。
しなくても答えはわかってるんだけどさ。
「不安になったら、思い出してくださいね」
少し恥ずかしそうに、はにかみながらそんなことを言われるとこっちまで顔が赤くなりそう。
「むしろ、思い出したら集中できなそうなんだが」
「えっ、ほんとですか。それまずいですね。軽く擦って感触を消しときましょう」
制服の裾で撫でられると、たしかに感触は薄れた気がするけどそういう問題じゃないと思う。
とはいえ、ここまでされたら頑張らないとな。
「ありがとな」
「はい」
短いお礼に短く答える後輩はやっぱりなぜか嬉しそうだった。
それからしばらく歩いて、普段後輩と別れてる交差点までさしかかる。
それじゃあ、と俺が言う前に後輩がこちらに視線を向けた。
「家まで送っていきますよ」
「そこまでしなくてもいいんだぞ?」
別にちょっとの距離なら後輩が遠回りしなくても、フードを被って帰れば問題ない。
どうせ濡れて帰ってもそのまま風呂に入れるしな。
なんて理屈も後輩には通用しないんだけど。
「嫌ですか?」
「そんなわけないだろ」
「じゃあ送っていきます」
嬉しそうに言われて、結局家まで送ってもらうことになった。
後輩に送られて自宅に帰りそのまま自室に戻る。
コートの裾の方はちょっと雪が染みて濡れているけれど、雪の中帰ってきたことを考えれば随分とマシな方だ。
これも後輩のおかげかな。
なんて思いながらコートをハンガーにかけて、一応フードの中に雪が入ってないか手探りで確認すると予想とは別の感触があった。
硬いそれは飴玉、というかチュッパチャプス。
もう一つは、女子っぽく折った手紙。
授業中に手渡しで回されていそうな見た目のそれは後輩が部室で折ってたやつで、もっというといつかのラブレター未遂と同じ便箋だった。
いつの間に、と考えて、あの時か、と納得する。
手紙を開くと『勉強頑張ってください♪』とだけ書いてあった。
さっと書いたような文面と、最後の音符マークが実に後輩らしい。
「まったく、口で言えよ」
これじゃあお礼が言いづらいだろ。
なんて言ってみても、口元が緩むのは誤魔化せないんだけど。
結局、荷物を片付けてから、『ご馳走さま』と送っておいた。
それじゃあ、勉強するかな。
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