11月その④

「ねえ、センパイ」


「どうした、後輩」


「雨やみませんね」


「そうだなあ」


放課後、カーテンを閉めた窓の外からは絶え間なく雨音が響いている。


気圧の変化かこめかみを押し込まれるような感覚もあるが、これくらいなら勉強に集中できないほどじゃないからまだマシかな。


まあ雨が降ってるだけでも大分ダルくはあるんだけど。


「帰りめんどくさいですねえ」


「そうだなあ」


授業が終わってから1時間ほど部室で勉強を続けているが、雨が止む気配は見られない。


このままだと傘を差しても足がぐちょぐちょになるのは避けられなそうだ。


「というか純粋に冷たいですよね」


最近は特に寒くなって、気温は平気で一桁に突入するし、雨が降ってれば体感温度は更に下がる。


なのでちゃんと傘を使って帰っても、帰宅したら風呂に入って体を温めたくなるくらいだ。


「もうしばらくしたら雪になりそうだしなあ」


ホワイトクリスマスにはまだ早いが、もうしばらくすれば初雪もあり得る時期になってくる。


流石に降ったとしても深夜か早朝で、日中に降ることはそうないだろうけど。


「センパイは雪好きですか?」


「いや、そうでもないな」


「そうなんですか、てっきり好きなのかと」


見た目が綺麗なことは否定しないけど、交通の便が悪くなるのはいただけない。


特に、入試の日に雪が降って困るのはもはや定番といってもやはり受験生としては勘弁してほしいところだ。


なんて話をしていると、とっくに暗くなっていた窓の外がピカッと明るくなる。


それから一瞬遅れて至近距離で和太鼓を叩き鳴らしたような轟音が響いた。


「っ!」


その音に後輩がビクッと身体を震わせる。


「後輩は雷苦手なのか」


「別に、苦手じゃないですけど」


「へー」


虚勢を張る後輩の言葉にはやっぱり普段の勢いがない。


「なんで苦手なんだ?」


「別に、苦手じゃないですけど。でも理由とかはないです」


「一番厄介なパターン」


理由があれば克服の糸口も探せるが、理由もなく苦手だともうどうにもならない感がすごい。


まあ理由があったって克服できるとは限らないけど。


「そういえば俺も子供の頃、犬が苦手だったなー」


「そうなんですか?」


「めっちゃ追いかけられてめっちゃ走って逃げた記憶があるわ。今思うと逃げるから追いかけてきたんだろうけど」


逃げていくものを追いかけるのは犬の習性だしね。


「それで、どうやって克服したんですか?」


「わからん、気付いたら普通に触れるようになってた。なんなら見るの好きだしな」


理由もなくいつの間にか好きになってることもある。


でもそれはきっと、本当になにもなかった訳じゃなくて、意識しないような印象とか雰囲気の積み重ねでそうなってる。


そんな気がする。


「役に立たないセンパイですねえ」


「悪かったな、雷が怖い後輩」


「別に怖くないですけど、きゃっ」


後輩に似合わないかわいらしい悲鳴と一緒に再び雷が鳴って、同時に目の前が真っ暗になった。


「停電か。後輩生きてるか?」


「別に怖くないですけど」


台詞が壊れたbotみたいになってるが。


「まあいうて今時停電じゃそんなに困らないけどな」


言いながらスマホのライトをつけると、ぱっと視界が開ける。


構造上照らす範囲が半円までしかなくて蛍光灯ほど広く明るくはならないけれど、それでも動くのに困るほどでもない。


「どうする、帰るか?」


停電している間に家まで帰ってしまうというのも選択肢のひとつではある。


結局不便なことに変わりはないし、家は停電の範囲外って可能性もあるしな。


「んー、やめときます。外歩くと雷怖いですし、怖くないですけど」


まあ実際外を傘差して歩いてたら雷に打たれる可能性も無くもない。


確率自体は相当低いだろうけど。


「センパイはどうしますか? 先に帰ってもいいですけど」


「んー」


実際勉強するには困る暗さだから帰るって選択肢もなくはないんだけど。


「まあいいだろ」


帰っても停電が復旧してるとは限らないしな。


「そうですか」


なんて後輩の呟きを最後に、少しの間沈黙が流れる。


その沈黙も、別に居心地が悪いわけではないんだけど。


「センパイ、ちょっと明かり消してもらってもいいですか」


「いいけど、大丈夫か?」


「別に怖くないですけど、……いや本当に」


まあ雷が怖くてもイコール暗いのが怖いとなるわけじゃないか。


ということで、後輩のリクエスト通りにスマホの明かりを消す。


「センパイ、手出してください」


「んー?」


その提案に若干嫌な予感を感じつつ、暗闇の中で拒否してもグダグダになるだけだなと思い手を差し出す。


この暗闇で手を出してもわかんのかなと思いつつ、指先には向かいの後輩側からなにかが渡された。


「さてこれはなんでしょう」


んー。


触れてわかるのは四角い箱。


そこまで硬くないから素材は加工された紙かな。


高さ20センチ、幅10センチ、奥行き3センチくらいかな。


「トッポの外箱」


「せいかーい、報酬に一本どうぞ」


箱の代わりに差し出されて手にあたったそれを受け取って口に咥える。


まあ勉強中に食べてたのもあってこれは簡単だったな。


そう見せかけて実はトッポの箱だったりしたら危なかったけど。


けど開け口の形状が違うから触ればわかるか。


ともあれ、後輩の遊びのルールは理解したので今度はこっちから。


「じゃあこれは」


渡したのはカバンから出したお菓子。


当然ノーヒントだ。


「キットカットですか?」


「正解、半分やろう」


シュッと袋を開けて、ぱきっと半分に折ってから暗闇の向こうの後輩に渡す。


ちょっと簡単すぎたか。


個別包装の袋で渡したから、あのちょっと厚くて半分に折ってくださいって感じの形状は個性的過ぎたかもしれない。


「これは?」


次は後輩の番、ということで渡されたのは細いなにか。


流石に食いもんじゃないなこれは。


爪楊枝くらいの棒が、割り箸みたいに二本くっついてる感じ。


「んー、ヘアピン?」


「よくわかりましたね」


「というかヘアピンとか持ってるんだな」


「便利ですからね、人前じゃ着けませんけど」


「いや着けろよ、むしろ着けてください」


「えー、嫌ですよ」


「今度なんか奢るから」


「しょうがないですね……」


後輩が諦めたように呟いてから、ちょっとだけ動く気配がする。


「着けましたよ」


「見えねえじゃねえか」


「そんなの知りません」


これで奢りは詐欺だろ。




「センパイ」


「ん?」


声をかけられたのと一緒に机をトントンと叩かれて、誘われるようにそこに手を差し出す。


俺の右手がそこで待っていた後輩の右手に触れて、そのまま後輩が指を重ねてくる。


車両の連結のように互いの指を鉤爪上に噛み合わせる。


そのまま親指が動く気配に反応してこっちの親指もくるっと回す。


特に言葉を交わすでもなく、始まったのは指相撲。


相手の親指をマウントして10数えたら勝ちなやつね。


まあ基本的に親指の力で勝負が決まるから負ける要素がないんだけど。


むしろ変な方向からぶつかって怪我させないように気を遣うくらいで。


正面衝突して突き指をしないように、手首をぐいっと挙げてから巻き込むように親指を取りに行く。


「いーちー、にーいー」


「ちょっとっ、セクハラですよっ」


「さんしごろくしちはちきゅうじゅうっ」


「早口禁止!」


「俺の勝ちー」


どうせゆっくり数えても結果は変わらないのでそのまま指を離す。


楽勝だったな。


「じゃあ次は指を足してくやつで勝負です」


「最初は左右一本ずつでスタートのやつ?」


「ですです」


正式名称は知らないが、互いに両手を1本指からスタートするやつといえばわかるんじゃないかな。


「5で消滅。5を超えたら余剰分で1からでいいか?」


「分裂は無しで」


なら随分シンプルなゲームになるな。


「自分がタッチする指だけ自己申告な」


あと追加ルールとして、タッチされて加算される数字だけ言うことにする。


真っ暗だから両手あるとどっちでタッチされたかわからんしな。


「じゃあセンパイ、先どうぞ」


「それじゃあ遠慮なく」


言って手を伸ばす前に、後輩が追加の提案。


「折角だから何か掛けましょうか」


「いいぞ、現金以外でな」


「じゃあ負けた方が勝った方のお願いをなんでもひとつ聞くってことで」


「また大きく出たな」


「やめときますか?」


「いや、それでいい。1」


宣言しながら右手を出して、後輩の左手の甲にタッチする。


視界がなくても、テーブルの上においた互いの手に触るくらいなら感覚でわかる。


まあもう半年以上同じ場所に座ってるしな。


「1」


後輩の右手が俺の左手に。


これで互いに1本-2本の形。


「1」


ここで相手を3本か4本にすると俺が5にされてしまうので、必然的に右手の1で後輩の右手をタッチ。


これで後輩は2本-2本。


俺の右手の1をタッチすると3になって返しに片手が消されてしまうので、タッチされるのは2になってる左手だろう、という予想は的中する。


俺の左手に後輩の手が触れると同時に、数字が宣言。


「3」


「3!?」


後輩の手は2本-2本のはず。


しかし、こんな単純な足し算を後輩が間違えるわけもなく、当然のようにカウントしているので安易に数字を誤魔化すようなズルもしない。


それならば、考えられる選択肢はひとつ。


「左右を入れ換えやがったなっ」


「私はセンパイの宣言通りにタッチされたた数を足しただけですけどー?」


つまり俺がタッチしたと思っていた後輩の右手は、暗闇の中で置場所を入れ換えていた後輩の左手だったということ。


2本-2本だと思っていた対面は本当は1本-3本になっていて、その3本側で俺の2本をタッチされたら消滅だ。


「右手の位置に左手を置いちゃいけないなんてルールはなかったですからねー」


たしかに、普段であれば間違えるわけがないので決める必要もないルール。


そんな前提の上で、暗闇の中という状況を利用された形になるが、たしかにルール違反とは言えない。


俺の指は残り1本、後輩は1本-3本。


「1」


と宣言して後輩の右手をタッチ。


これで後輩は2本-3本。


「2」


俺の指が3本に。


次に後輩の3本をタッチして2本-1本にすると2本の方でタッチされて負けるので、必然的に2本の方をタッチ。


「3」


「これでお互い片手ずつですね」


「ああ」


互いに指が3本ずつ、そして勝敗が確定した。


もっというと、あの手の入れ替えをされたタイミングで勝敗は決していたんだけど。


「3」


俺の指が1本に。


「1」


後輩の指が4本。


「4」


そして俺の指が5本、ゲームオーバーで俺の敗けだ。


「これで私の勝ちです」


「負けた」


正直反則気味の手ではあったけれど、それよりもしてやられたという気分が強くて異議申し立てをする気にはならなかった。


「それで、お願いは?」


「んー、もうちょっと考えておきます」


それはそれで厄介な気がしなくもないが。


まあ敗者なのだからしょうがないか。


なんて思っていると、パチっと通電する音がして、部室の中が明るくなる。


どうやら停電から復旧したようだ。


「あっ」


声を漏らした後輩は少し顔が赤い。


きっと本当はその顔を見せるつもりはなく、不意打ちだったんだろう。


明るくなった部室で、俺はスマホを構えてパシャリと後輩の姿を撮る。


ヘアピンで分けた後輩の前髪は、普段と違うアクセントになっていて、とても俺好みだった。

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