11月その③

「飲み物買ってくるけど、なにか欲しい物あるか?」


部室で勉強を一時間ほどして、そういえば喉が渇いたなと自覚をしつつバッグを漁った結果何も見つからず、しょうがないので自販機まで歩くために財布を手に立ち上がる。


「んー、んーーー、それじゃあココアお願いします」


「え、やだよめんどくせえ」


「自分で聞いておいて!?」


「いや、だってココアおいてんの校庭の方の自販機じゃん」


俺が買おうとしてたお茶は中庭の自販機で、更にその向こうの購買に紙パックの自販機が置いてて、校庭の自販機は更にその先である。


冬の足音を感じるこの季節、体が温かくなるものが欲しくなる気持ちもわからないでもないけれど。


「近くの自販機にしろよ」


「やですー、行ってくれないと泣きますからね」


「それはそれで」


一度見てみたいかもしれない、と思ったら冷たい視線を向けられてしまった。


「ヘンタイ……」


俺は変態ではない。


とはいえ結局俺が行くのは変わらなそうなので諦めて部室の扉に手をかける。


「それじゃ、買ってくるから大人しくしてろよ」




「で」


廊下を歩く俺の横をなぜか歩いている後輩を見る。


「なんでお前も来てるんだよ」


「だって部室に一人で残っても暇じゃないですか」


「勉強しろや」


「今日はもう十分やりましたー」


まあもう授業終わってからそこそこ勉強してたから、外も暗くなってるくらいの頃合いではあるが。


「つーか、お前が行くなら俺は部室で待っててもよかったよな」


「それはだめですね。ジュース二本も持ちたくないですもん」


「こいつほんとマジ」


350mlのペットボトルは二本持っても苦になるような重量ではないので、単純に他人の分を運びたくない宣言である。


自分は人に遠くまでココア買いに行かせようとしたくせに。


「それにしたって、ついてくる必要はなかったろ」


「いいじゃないですか、もうほとんど人も残ってないですよ」


どういう理屈だ。


「そういう理屈です」


まあ知り合いに合ったら若干めんどくさいかもしれないが、そもそもそうエンカウントもしないだろうし。


いや、俺の知り合いが少ないって話ではなく。


「でもほんとに、こうやってセンパイと校舎の中歩くのは珍しいですね」


「帰るときはちょいちょい歩いてるが」


「そういうのとはまたちょっと違うじゃないですか」


歩く方向がかな?


まあ普段の帰り道は10割同じ通路だからそういう意味では違うといえなくもない。


校庭と昇降口は別方向だしな。


実際にこうやって並んでると、客観的には仲が良い二人組に見えなくもない、のか?


「外暗いですねー」


「そうだな」


「あっ、満月が良く見えますよ」


「んー、本当だ」


窓をのぞき込むと、夜空の低い位置に黄色い満月が輝いている。


普段の帰り道とは別方向の空なのであまり気にしない夜空の月は、毎日そこにいるのにレアイベントのようだった。こうやって月の巡りを目にすると、季節の移り変わりを実感する。


同時に入試までの期間が着実に短くなっていく事実は気が重いけれど。


だから、その気分を少し紛らわしてくれる後輩との時間には密かに感謝をしていた。


最初は勉強の邪魔だと思っていたのに不思議な気分だ。


その代わりに、互いの距離感に季節の移り変わりを感じてしまうけど。


どっちにしても本人には言えない話だなこれは。


「センパイ」


「ん?」


「距離が近いです」


言われて、後輩の後ろから窓を覗いたので、壁ドンならぬ窓ドンみたいな体勢になっていたことに気付いた。


「暖かくていいだろ?」


「まだ人肌の暖かさを求めるほどの季節じゃないですよ」


ちゃんと着てれば寒いってほどじゃないからなぁ。


「でも、センパイがここで『月が綺麗ですね』なんて言ったらちょっとは暖かくなるかもしれませんよ?」


「それ別の意味で場が暖まるやつだろ」


主に笑いで場が沸く的な意味で。


この場合、笑われるという表現の方が正確かもしれないが。


「それはまあ、否定できないですね」


「ぜってぇ言わねえ。少なくとも後輩にはな」


「他に言う相手とかいるんですか?」


自分のほぼ真下から、見上げるようにこちらを見る後輩の視線に答える。


「いたらどうする?」


「散々進学するまで恋愛に興味ないですみたいなこと言っておいてそれかよって呆れます」


「まあ、確かにそうだな」


言動不一致ってやつだ。


「それで」


「うん?」


「相手いるんですか?」


「後輩の想像通りだよ」


「そうですか」


要するに寂しい独り身ということで、それをネタに散々弄られることを覚悟していたんだが、後輩の反応はなぜか大人しかった。




自販機の前にたどり着いたので、小銭を取り出してチャリンチャリンと入れていく。


「ほらよ」


ガコンと落ちてきたココアを取り出して渡して自分はミルクティーを買う。


「ミルクティー美味しそうですね」


「お前がココア飲みたいっていうからここまで来たのわかってるか?」


「もちろんですよ。ありがとうございます、センパイ」


そんな笑顔で誤魔化されたりはしないが、まあいいか。


「お礼にチョコあげますから」


「まあ許してやるか」


後輩がポケットから取り出したチョコを受け取ってそれをしまう。


授業の合間に飲み物を買いに来たならこの場所で全部飲んでからペットボトルを捨てて帰ってもいいんだけど、今日は部室で勉強中なのでキャップを開けずにそのまま戻る。


「それじゃ戻るぞ」


「はーい」


今度は今歩いてきた道を戻る。


廊下は相変わらず人の影は見えなかった。


「センパイは休みの日とかなにしてるんですか?」


「勉強?」


「そうじゃなくて」


「睡眠?」


「わざと言ってますよね?」


「そんなことないぞ」


後輩がもっと面白くて話題の広がる答えを求めているのはわかるけれど。


「実際勉強しかしてねーからなー」


「じゃあ受験生になる前はどうしてたんですか?」


「なる前……?」


聞かれて思い出そうとしたけれど、具体的にこれと言ったものは思いつかない。


「テレビ見たり? ゲームしたり?」


「なんで疑問形ですか」


「もうよく覚えてないんだよ」


一年も前じゃないのによく思い出せないのは、一種の禁欲的生活を送るための防衛機構かもしれない。


思い出して禁欲が辛くなるなら思い出せない方が良い的な。


流石にないか。


「じゃあ大学行ったらしたいこととか無いんですか?」


「そうだなー、彼女作るとか」


前もこんな話をした気がするけど。


「それ本気で言ってます?」


「いや」


なんとなく思い付いただけ。


別に欲しくない訳じゃないけど、あんまり彼女作って幸せ!みたいなのを想像できないんだよな。


「寂しい人生ですねー」


「うるせ」


そもそもどうせこういうのはなるようにしかならないんだから気にしても無駄なのだ。


「偶然入学初日に可愛くて性格が良くて頭も良い女子に告白されて付き合うことになるかもしれないしな」


「それはないです」


「なんでだよ! 100%ないとは言い切れないだろ!」


「言い切れますよ、ないです」


「言い切りやがった!」


「だってないですもん」


「じゃあもしあったらなんでも言うこときいてもらうからな」


「いいですよー、じゃあなかったらジュース一本奢ってもらいますよ」


「レートの差に自信が現れてやがる!」


「だってないですもん」


そこまで否定されたら、流石にない気がしてきた。


そっかぁ、入学初日に可愛い彼女はできないかぁ。


「残念でしたね、センパイ」


「なんでお前は楽しそうなんだよ」


「べーつにー。なんでもないです」


人の不幸を笑うなんて後輩はひどいやつだなー。


彼女が出来ないのは不幸じゃなくて日常?


あっはい。


「そういう後輩は、休みの日なにしてるんだ?」


「私はYouTube見たり音楽聞いたり遊びに行ったり、あと色々ですね」


「勉強しろ」


「勉強なら部室でしてますもん」


まあ以前よりは、勉強もしてるか。


こんなんでも成績は良いみたいだしな。


「そうだ、今度休みの日に遊びに行きましょうか」


「だから受験生だっつーの」


「別に、受験終わってからでもいいじゃないですか」


「それならまあ」


一応受験が終わってから卒業するまでにも時間があるし、そこなら日程的に余裕がないわけでもない。


「機会があればな」


「はい、楽しみにしてますね、センパイ」


ちょうど階段に差し掛かって、笑った後輩がトントンと機嫌が良さそうに先を上っていく。


ふたつみっつと段差が開いて、距離の離れた後輩に声をかける。


「なあ、後輩」


「どうしました、センパイ」


「スカート短くね?」


「……、!?」


俺が指摘すると、後輩が自分の尻を押さえてばっとその場にしゃがみ込んだ。


ここの階段は上の階まで折り返さずに真っ直ぐ繋がっている階段で、当然折り返すよりも倍の距離で視界の高低差を確保できる。


そんな状況で後輩を見上げると自然と視界に入るスカートの裾は、ヒラヒラと無防備に揺れていて、脚を限界まで見せていた。


正直見えないのが不思議なくらいのスカートの長さだ。


そのまま顔を赤くして、しゃがんだままこちらに抗議の視線を向ける後輩に弁明する。


「いや見てはないけど」


「これは違うんです、普段は気を付けてるんですけどセンパイだから油断したと言うか、いや別に見せたい訳じゃないんですけど、でも見られても絶対に嫌ってわけじゃなくって」


「うん、わかった。すまなかったな。とりあえおちつけ?」


自分でもなに言ってるのかわからなくなってそうな後輩をひとまず同じ段まで上がってから落ち着かせる。


足元の高さがおなじになると、しゃがんだままの後輩は俺をかなり見上げる格好になるけれど、それでも不満そうな視線でこちらを見ていた。


「ほんとうに、見てないんですか?」


「見てない」


見ようと思えば見えそうだったけど。


「……、ピンク」


「今の下着の色?」


もし本当にピンクならスゲー派手な色だな。


「ほんとうに、見てないみたいですね」


「というか見てたら誤魔化さないでネタにしてる」


「たしかに……」


「そこで納得されるのもどうかと思うけど、まあいいか」


やっと一応の納得をした後輩に手を差し出して、握られたそれをよいしょと引っ張りあげる。


「ほら」


「んっ」


起こした後輩は思ったよりも軽くて、勢い余った後輩が俺の胸に手をついた。


「ありがとうございます、センパイ」


「どういたしまして」


そのまま手を離した後輩と横に並んで階段を上る。


廊下を少し進むと部室に着いて、一歩前に出た後輩がこちらを振り返った。


「センパイ鍵貸してください」


「ん」


握っていた部室の鍵を渡すと、後輩が鍵を開けて先に中に入り、振り返る。


「おかえりなさい、センパイ」


「ただいま」


なぜか少しだけ恥ずかしそうにはにかむ後輩にそう答える。


そもそも、一緒に帰ってきたのにおかえりもないだろと思わなくもないが。


別に嫌ではないのでまあいいか。


「なあ、後輩」


「どうしました、センパイ」


「おかえり」


「はい、ただいまです」

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