7月その①

階段を下りて左手のドアを開けてキッチンに入る。


冷蔵庫を開け手に持ったコップに麦茶を注いで、おまけで冷やしていた板チョコをパキッと割って口に咥えた。


現在の時刻は午後8時過ぎ。


それでも薄っすら汗が浮かぶのを実感するくらいの気温のキッチンから階段を上り自室に戻るとエアコン効いた空気に汗が引っ込む。


窓の外はすっかり暗くなっているけれど、一旦小休止した勉強はまだまだ続く。


と、その前にスマホが光っていることに気付いた。


サイレントにしていて鳴らないそれは勉強中は視界にも入らないようにしていたのでいつの間にと思ったが、通知があったのはついさっき。


『センパイ、今何してますか?』


LINE自体は交換していたけど、実際にこうやってメッセージが送られてくるのは珍しい。


後輩との履歴は今日部室に居るかって確認と、送った画像で埋まってるし。


なんか用事でもあったんかな?


なんて思いつつ、通話ボタンを押す。


呼び出し中の音楽が少し流れて、プッと通話に切り替わった。


「よう、後輩。どうかしたか?」


『どうかしたかはこっちのセリフですよ。なんで急に通話してくるんですか』


「先にLINEしてきたのはそっちだろ」


『返事ならメッセージでいいじゃないですか』


「いやー、文章打つのめんどかったし」


『通話の方がめんどうだと思いますけど』


「あと勉強始めたら返事来ても気付くかわからんしな」


『まあそれなら仕方ないですけど……』


っていうのは建前で、実際はLINEするのがめんどくさかったんだけど。


これは別に後輩相手だからって話じゃなくて、LINE自体があんまり好きじゃないんだよね。


メッセージ送ってから返事待つよりも、通話した方が気軽だし。


まあ流石にそれやる相手は選ぶけど。


後輩? 後輩はセーフ。たぶんね。


「っていうかなんか声が反響してないか?」


スマホから聞こえる後輩の声はライブハウスのステージのように声が返って聞こえている。


『今お風呂の中なので』


「なんで風呂入りながら通話してるんだよ」


『センパイが急に電話かけてきたからですよっ』


そういえばそうか。


「つまり、ここでビデオ通話になるアクシデントが?」


『ありませんよ』


そうか……、まあ薄々そうだとは思っていたんだが。


『でも、センパイがどうしてもって言うならしてあげなくもないですよ?』


なんて誘うような声は、初対面であれば騙されていたかもしれない。


「つって本当はそんな気無いんだろ?」


『それはそうですけど、センパイの反応で私の心が傷付いたので謝ってください』


「誠にごめんなさい」


『許しません』


なんて冗談はともあれ。


「それにしたって電話受けるなら風呂の外でもいいだろうに」


『もう服脱いじゃってましたし、風邪引いちゃうじゃないですか』


「それはよくないな」


健康は大事だ。


『身体拭いて出て、また入るのもめんどくさいですし』


「んじゃ長電話は迷惑だな」


『いえ、今はちゃんと湯船に浸かってるから大丈夫ですよ』


そういう問題か? まあ本人が言ってるんだからいいか。


「んで、何の話だっけ?」


『センパイが通話してきたんじゃないですか』


「先にLINEしてきたのは後輩だろ」


『……、たしかにそうでしたね』


話題が脱線しすぎたな。


まあ半分は俺のせいなんだけど。


『それでセンパイ、今日は何の日だか知ってますか?』


「ポニーテールの日」


『そうなんですか?』


「いやなんで後輩が聞いてくるんだよ」


『私の期待した答えと違ったからですよ!』


本日、7月7日は全国的にポニーテールの日である。


ちなみに由来は7がポニーテールに見えるからとかなんとか。


『7月7日は普通七夕でしょう』


「そういう見方もあるかもしれない」


『世間一般的にはそうなんですよ』


「つってもどうせ曇ってるしなあ」


七夕の日は曇りまたは雨。


これは天文学的にも統計的にも常識である。


故センター試験、現大学入学共通テストの日には雪が降るっていうのと同じくらい常識だ。


今年の七夕は天の川が見えるかななんて期待して裏切られるのは小学生の頃に卒業するもんだろう。


実際今日も曇ってたし。


『それが、今は晴れてるみたいですよ』


「マジかよ」


宇宙の法則が乱れる。


『別にそこまで普遍的なものじゃないと思いますけど……』


「んで本題は?」


『えっ、それだけですけど』


「それだけかい。まあいいけどさ」


後輩の声を聞きながら、窓を開けて見上げると確かに天の川が見える。


部屋の明かりのスイッチをパチン消すと、更に夜空がよく見えるようになる。


「マジで晴れてんじゃん」


『夜空、綺麗ですか?』


折角なので、それをスマホでパシャリと撮って後輩に送ってみる。


晴れてるらしいって言ってたから、実際に見てないのかもしらんし。


そんな流れで通話は繋げたまま、写真を見た後輩の反応がこちら。


『あんまり綺麗じゃないですね』


「所詮スマホで撮っただけだからなあ」


夜空とか花火とか、実際に撮ってみて思ったよりパッとしないなってなるのはあるあるなんじゃねえかな。


一昔前よりはカメラの精度が向上してるから、これでもマシになってるのかもしれないけど。


本当は夜空は夜景と一緒に撮ったりするのがいいんだろうけど、流石に部屋から出るのはめんどい。


『んー、まあ貰っておいてあげますね』


「はいはい、実物は風呂出てから自分で見ろ」


『はーい』


実際肉眼で見た方が綺麗に見えるのは間違いないしな。


『それじゃあ身体洗うので通話切りますねー』


「おう」


身体を洗う発言を拾うとライン超えのセクハラになりそうな予感がしたので、短く言葉を切ってスマホの通話ボタンを終了した。




それから再びスマホを置いて、一時間ほど勉強をして休憩を入れる。


また下に麦茶を取りに行って戻ってくると、再びスマホが光ってることに気付いた。


一晩に二回もLINEが来るなんて珍しい、と思いつつ通知を見ると相手は一回目と同じ相手。


『ねえ、センパイ』


着ていたのは一言だけ、時間は10分ほど前。


また電話するか、と思ったけど流石にこの流れで長話になることはないだろうしいいか。


文字だと声より情報量が少ないからニュアンスは推測だけど。


『どうした、後輩』


返事をすると、ずっとスマホを見ていたのかって速度で既読がつく。


いや、ずっと見てたっていうか弄ってたんだろうなきっと。


『これ、お返しです』


俺のメッセージから一分も待たずに着た返事は、タイムスタンプが全く同じ時間でちょっと笑った。


それからもう一度、ポコンと通知が着て画像が表示される。


それは、後輩が天の川をバックに自撮りしている写真。


夜空がメインではないけれど、実務経験の差なのか俺の撮った夜空と比べて随分と一枚の写真として出来が良い。


『というかなんでポニテ?』


画面の中の後輩は、ゴムで後ろ髪をまとめてポニーテールにしていた。


『今日はポニーテールの日らしいので。短くて上で結べませんでしたけど』


後輩の言う通り、普通のポニーテールと言われて連想する後頭部の天辺側で結ぶ方法ではなく、うなじの近くで一結びにしてあった。


これはこれで有りだな。


『似合ってますか?』


『似合ってるぞ』


『珍しく素直に褒められましたね』


『俺はいつでも素直だろ』


『はいはい』


返事に加えて呆れ顔のスタンプが送られてきたが、正直後輩に素直じゃないとか言われたくはない俺であった。


『それじゃ髪乾かしてきますね』


『おー、行って来い』


『センパイも勉強がんばってくださいね』


『おう』


短く返した一言に既読がついて、そこで通知が止まる。


言ってた通りに髪を乾かしに行ったんだろう。


もう今日はこれ以上LINEも来ないだろうし、とスマホを置く前にもう一度送られてきた画像が目に留まる。


それは縦の画面で撮られたもので、最近のスマホらしく上下の幅が広い。


自然と後輩の首より下、ラフな格好をしている寝間着も映っている。


今まで制服姿しか見たことなかったギャップもあって、自室で寝間着の後輩の姿は、ちょっと見てはいけないものを見てしまったような気になってしまった。


後輩は気にしてないんだろうけどさ。

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