6月その④

世界史の授業を聞き流しながらノートにペンを走らせる。


夏の入り口の空気は湿気を含み、これから更に暑くなっていくという事実を信じたくなくなるくらいに首筋に汗が浮かぶのを感じた。


後ろ髪を背中に流して、首筋を撫でると汗が指先を濡らす。


あとで8x4しなきゃ。


6月といえばそろそろ周囲も進路について考え始める頃で、実際に進路希望調査の紙が配られたりもしている。


授業の空気もどこか真剣さが増しているように感じられて、教師の解説とクラスメイトのノートをとる音がどこか遠くのもののように感じられた。


サボって内職をしている人間も……、いないわけではないがそれでも授業の邪魔にならないように気配を消している。


これはサボっていると、というか真面目に勉強している他の生徒の邪魔になるとサクッと教室から退室させられたりするからなんだけど。


逆に言えば授業に集中したい生徒にとっては良い環境なんだろう。


そして今の私のように呆けている人間に対しては、教師は基本ノータッチだ。


自主性を重んじられているというか自己責任を課されているというか、シビアな校風は別の高校に行った友達に聞くと珍しいらしい。


先生たちも冷たい訳じゃないんだけどね。


質問に行けば教えてくれるし部活の顧問に力を入れている人もいるし。


ただそういう授業方針なのはどの先生でも基本で、逆にやる気がなければ置いて行かれてしまう。


なので本当はちゃんと授業を受けなきゃいけないのはわかっているんだけど、それでも耳に届く世界史の単語にはイマイチ集中する気が起きなかった。


そんな時にふと窓の外に視線を向けると、見知った人影を見つける。


三階の校舎からは見下ろす形で校庭にいるのは体育の授業を受けているセンパイの姿。


今はサッカーをしているようで、元サッカー部として慣れた動きでボールを蹴りつつグラウンドを走り回っている。


こうしてみると、少しだけ懐かしい。


中学の頃はマネージャーとして部活動で今と同じようにグラウンドを駆けているセンパイを見てきた訳で、あの頃は特別注目をしていた訳ではなくても今の様子に記憶と一致するところがあった。


当時はよく話す方ではなく、むしろ部活の中で直接話した機会は数えるくらいしかなかったかもしれない。


どちらかと言えば他の部員との方がよく話してた気がするし。


互いにそんな関係だったのに、今は放課後に同じ部室で過ごす関係というのも不思議な偶然かな。


まあ一緒に過ごすといっても実際には私が押しかけている形に近いので、不思議なのは私の行動かもしれない。


実際に何をするでもなく、なんとなくで足を向けるのも明確に理由があるわけじゃない。


ただなんとなく暇潰しに丁度よくて週に一回くらい遊びに行きたくなるからというそれだけ。


だからセンパイに対して特別な感情があるとかって話でもないんだけど――。


視線の先ではセンパイがサイドから蹴りこまれたボールをダイレクトにゴールに蹴り込んでいるのが見えた。


そして得点を決めたセンパイは自分のチームのフィールドに戻りながら、クラスメイトに囲まれて盛り上がっている。


あの頃を考えると、部室で一緒にいるセンパイよりも今校庭でクラスメイトと楽しそうに体を動かしているセンパイの方がイメージが近いかもしれない。


屈託なく笑うその表情は私と部室にいる時には見たことがないようなもの。


あんな風に笑えるなら私といる時ももう少しくらい楽しそうにしてくれもいいのに。


もちろん、クラスメイトの男の友達とは関係性も距離感も違うということは自分でもわかっている。


それでもセンパイのその表情がほんの少しだけ不満だった。




「ねえ、センパイ」


「どうした、後輩」


私が声をかけると、センパイがじゃがりこを摘まみながら応える。


授業を終えて放課後、クラスの友達と別れて部室に来ていた。


最近は週に一回くらいここに遊びに来ているけど、たいてい友達に予定があって一人になったときの暇つぶしが多いかな。


「暇です」


そんな私の言葉に、センパイの視線がこちらを向いた。


「じゃあ勉強でもするか?」


「それは嫌です」


「なら帰る?」


「それも嫌です」


「一体俺にどうしろというんだ」


「なにか面白いことを考えてください」


「勉強」


「それは嫌です」


「まあ勉強は面白くはないか」


「センパイも面白くないんですか?」


「そりゃそうだろ」


確かに普段から好きとは言ってないけれど、好きでもないことをこんなに長い時間続けていることがイマイチ信じられなかった。


信じられないというよりは実感できないという方が正しいのかも。


最近は私も課題をやったりすることもあるけど、今日はそれもないので手持ち無沙汰だ。


普段はスマホを弄っているか雑誌を眺めているかで暇を潰して、飽きたら先に帰っているのだけど、今日はあんまりそうする気にはならなかった。


「んー……」


上履きの爪先が、机の下でセンパイの脚に当たる。


トン、トントン。


最初の一回は偶然で、次の一回は意図的に、最後の一回は悪戯心。


「なあ、後輩。足が当たってるんだが」


「当ててるんですよ」


「それはもっと別の場所の時にいう言葉だろ」


「別の場所ってどこですか~?」


「おっぱい」


「普通に言いましたねこの人!?」


「後輩が聞いてきたんだろ」


実際そういう単語を連想したセンパイをからかおうと思ってはいたけど、そのまま答えられるとは思っていなかった。


「センパイはもうちょっと、私をちゃんと女子だと思って扱ってください」


「ちゃんと後輩のことは女子だと思ってるぞ」


「本当ですか?」


「男ならとっくに追い出してるしな」


「そうですか」


センパイのそんな言葉に、教室から見た光景を思い出す。


確かに、あそこにいた人たちが相手ならセンパイは追い出している姿が想像できる。


それはあの人たちと一緒だとセンパイが勉強に集中できなそうっていう私の感想も混じった連想だろうけど。


「そういえばセンパイって友達とかいたんですね」


「何がそういえばなのかはわからんが、そりゃ友人くらいいるだろ」


「てっきりぼっちなのかと」


「偏見がひどい」


「だってセンパイ、ずっと一人で部室にいるじゃないですか」


「そりゃ勉強するのに人は呼ばんだろ」


「私が居るじゃないですか」


「後輩は呼んでないのに勝手に来てるんだろ」


「たしかに」


よく考えなくても、センパイに呼ばれたことは一度もない。


「それに後輩は別に友人じゃないしな」


「じゃあなんなんですか」


「後輩」


「……」


「というか後輩だって、俺のことを友達とは思ってないだろ」


「それはそうですけど」


センパイはセンパイで、友達とかって言うにはやっぱりしっくりはこない。


「後輩と一緒にいるのは嫌いじゃないけどな」


「そうですか」


「ま、勉強の邪魔しないときに限るけどな」


「勉強の邪魔なんてしたことないですけど」


「今の言葉が本当か、自分の胸に手を当ててよく考えてみろ」


……。


「胸は関係ないじゃないですか!」


「何の話だよ」


「……、なんでもないです」


今のはちょっと、被害妄想が過ぎたかもしれない。




それからまたしばらくして、じゃがりこを噛りながら勉強をしているセンパイを眺める。


ここに来て三ヶ月くらい、すっかり見慣れた顔。


見てて面白い訳じゃない、っていうと失礼だけど見てて飽きないものでもない訳で。


「ふー」


「調子でも悪いのか?」


「そういう訳じゃないんですけど」


やっぱりただちょっと暇を持て余しているだけで。


普段はスマホがあれば時間を潰すのに困ることはないんだけど、今日はなぜかそういう気分じゃなかった。


「勉強でもしようかな」


今まではそんなことを考えたこともなかったけど、こうやって暇を持て余してるのは時間の無駄だし。


「いいんじゃないか」


センパイがそう言うなら、ちょっとお願いしてみようかな。


「ねえ、センパイ」


「どうした、後輩」


「わからない所があったら、勉強教えてくれますか?」


「俺にわかるところならな」


センパイが素っ気なく答える。


私の勉強でセンパイのわからない所なんてないのに。


そんな風に思うとちょっとだけ笑ってしまった。




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ということで、全体の四分の一が終わりました。


お話はまだまだ続きますので、良ければお付き合いください。


ブクマ、評価よろしくお願いします。

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