6月その③

「ねえ、センパイ」


「どうした、後輩」


「雨止みませんね」


「そうだな」


後輩につられて窓の外を見る。


昼過ぎから降り始めた雨はそれからずっと止まずに続いていて、まだ日没前なのに部屋はうっすらと暗い。


ざあざあと聞こえる雨音を聞いていると、まるで密室に閉じ込められたような感覚になってくる。


梅雨の時期の湿度の高い空気は、なんだかやる気が奪われていくような気がして嫌いだ。


「飴舐めますか?」


「雨だから?」


「は?」


「いや、なんでもない」


向かいに座った後輩から飴を受け取って口に放り込む。


その後輩が怪訝な顔でこちらを見ているのは気にしない。


しかしやはり、なんだかやる気が湧かなくて、そのまま広げたノートの上に突っ伏すと、後輩が不思議そうな視線を向ける。


「センパイ、雨苦手なんですか?」


「どうして?」


「なんかいつもよりダルそうですし」


「まあ、そうだな」


ダルいのは事実だけど、それは雨だからって理由だけじゃない。


「低気圧だと頭痛がするんだよな」


そこまで深刻な訳じゃないし毎回って訳でもないんだけど、それでも勉強する気が削がれる程度にはダルさがある。


「あと夢見が悪い」


「それは大変ですね」


まあ変な夢見るのも雨じゃなくて気圧の変化が主原因なんだけど。


「なにかできると良いんですけど」


「そこまで気を使わなくていいぞ」


所詮は年中行事の一部だし、その度に気を使われてもきりがない。


「とりあえず、飴舐めますか?」


「まだ貰ったの舐めてるぞ」


言いながら、最初から比べると半分くらいの大きさになった飴を舌で転がす。


気持ちだけはありがたく貰っておくけれど。


「んー……」


ダルい。


「今日は早く帰ったらどうですか」


「いやー」


どうせ帰ってもよくなるって訳でもないしな。


「しょうがないですね、じゃあ今日はセンパイが帰るまで付き合ってあげます」


そう胸を張った後輩はなぜか誇らしげだった。


「付き合うって響きが怪しいよな」


「馬鹿なこと言ってると置いて帰りますよ」




ずっと勉強をしていると気圧に体が慣れてきたのか、頭痛も大分治まってきた。


外は相変わらずの雨だが、むしろこの雨が止んだらまた頭痛くんのかなあと思ったり思わなかったり。


そんな雨音を聞きながら、後輩が雑誌をめくっていた手を止めてこちらを向く。


「センパイ傘持ってきてますか?」


「ああ。もしかして後輩は忘れたのか」


そういえば、後輩は傘を持っていない。


まあ鞄の中から折り畳み傘が出てきたり、昇降口に置きっぱって可能性もあるけど、今回は当たりだったらしい。


「はい、なので傘貸してください」


「いや、そこはせめて一緒に入れてくださいだろ」


「だって、誰かに見られて噂されたら恥ずかしいじゃないですか」


「じゃあ濡れて帰るしかないな」


「風邪引いたらどうするんですか!」


「傘貸したら俺が風邪引くわ!」


「たしかに……。とまあ、さすがに冗談ですけど」


「ずいぶん自然な冗談だったな」


「いやー、ちょっとセンパイの好感度稼ぎすぎた気がしたので、下げておこうかと思いまして」


「どういう理屈だよ」


とあきれた顔をしてみても、あんまり距離感が近すぎても困るしこれくらいで丁度いいなと思ってしまったのでなんとも言えない。


というかそこまで考えてるのに、結局ダルそうにしてるのを放っておけないのがなんというか。


「まあ入れるのはいいけど、勉強終わるまで待ってろよ」


「はい、それまでに雨止むかもしれませんしね」


「そうだな」


なんて言ってみても、雨が弱くなる気配はなかったんだけど。




「結構降ってるな」


昇降口で自分の傘を見つけて外を確認すると、先程より雨が強くなっているように感じた。


大雨というほどではないが、傘を差さずに帰ったらびしょ濡れになりそうだ。


そんなことを考えていると、いつもなら寄ってくる後輩が、自分の下駄箱の近くで外を眺めているのに気付く。


「どうかしたか?」


「ひゃいっ、なんですかセンパイっ!?」


「いや、こっちの台詞なんだが」


「なんでもないんですけど、やっぱりちょっと恥ずかしいかもと思いまして」


そういうことか。


もう夕方も遅い時間なので周りに人影は見えないが、もしかしたら知り合いとすれ違ったりはするかもしれない。


とはいえ、この雨の中、置いて帰るわけにもいかないので諦めてもらおう。


「やっぱり私、一人で……」


「はいはい、くだらないこと言ってないで帰るぞ」


言葉を遮って戸惑う後輩の背中を押し、そのまま片手で傘を開く。


昇降口の屋根の途切れる目の前の、手を伸ばせば雨に濡れる場所まで進んで後輩へと傘をかざして視線を合わせる。


「もしどうしてもっていうなら後輩に傘貸してもいいが」


その場合俺はずぶ濡れで帰ることになるがまあ死にはしないだろう。


「そういう言い方はズルいと思います」


「俺の性格が悪いのなんて今更だろ」


後輩に優しくしたことなんて、記憶にある限りほとんどないし。


「そういうことじゃ……」


「ほら、行くぞ」


後輩の台詞を無視して一歩前に出ると、後輩もそれに釣られて前に進む。


加えてもう一歩進むと、校舎の屋根からは完全に離れた。


こうなるともうあとは後輩に選択権はないので気にせず歩き続ける。


相変わらず空は薄暗く、傘に当たる雨音がばちばちとうるさい。


足元も水溜りで歩きづらいし、二人並んでとなれば尚更だ。


やっぱり雨ってめんどい。


「そっち濡れませんか?」


同じ傘の下で、遠慮するように体を小さくしている後輩がこっちを見る。


「まあ、元から二人用じゃないしな」


男性用の幅が広い傘だが、二人で入るには流石に狭い。


特に傘に入れてる側で後輩を濡らすのも忍びないので、俺の逆側の肩は収まりきっていなかった。


そんな現状で、後輩が申し訳無さそうに言う。


「じゃあもっとくっついてもいいですよ?」


「それじゃあ」


「うひゃあ!」


言われた通りに後輩と並べていた肩を後ろに回して、そのまま腰を抱き寄せる。


「なにするんですか!?」


すると抗議するようにペシペシと回した手を叩かれた。


「くっついていいって言ったのは後輩だろ」


「この手は余計でしょっ」


「幅を縮めるならこれが一番なんだよ」


実際にさっきよりも肩に当たる雨粒の量は改善されるし。


「嫌ならやめるが」


流石にこれが訴えられたら負けるラインなのはわかってるので最終的な判断は後輩に委ねることにする。


視線を向けると後輩は少しだけ悩んで、顔を上げた。


「不本意ですけど、雨に濡れるよりはマシなので我慢してあげます」


雨に濡れてたのは俺なので、後輩は気にしなくてもいいんだけどな。


とはいえ許可が出たなら止める理由もない。


そのまま歩き始めると、後輩が軽くぶつかるようにトンと肩を寄せてくる。


「ところでセンパイ」


「ん?」


「これやるの、初めてじゃないですよね?」


「さてなんのことかな」




「センパイ、コンビニ寄ってもらっていいですか?」


「なんか買うのか?」


「はい、ちょっと傘買ってきます」


「あー」


そういえばコンビニに傘とか売ってたな。


存在は知ってたけど自分で買うことはないから忘れてた。


「高くね?」


「帰ったらお父さん用にするから大丈夫です」


その分金額貰えば実質タダか。


安いビニール傘使うことになる後輩父は若干かわいそうだけど。


とはいえ傘に二人分がギリ収まりきってない現状で止める理由もないかな。


「んじゃ、コンビニな」


「お願いします、センパイ」


後輩にお願いされてから、さほど歩かずに近くのコンビニに到着。


俺も店の中に入ろうかと思ったけど、傘をたたむのがめんどくさかったので店の外で待つことにする。


傘を閉じるのまではいいんだけど、傘立てに入れるのにまとめてボタンを留めようとするとどうやっても手が濡れるんだよね。


どうせすぐ後輩も出てくるだろうし、ちょっとした暇つぶしに手首を捻るとバサバサと傘が揺れて雨粒が路上に落ちる。


「お待たせしました、センパイ」


「ん」


店内から出てきた後輩の手には片手に透明なビニール傘。


もう片手にはチュッパチャプスが二本。


「傘のお礼です。どっちが良いですか?」


「んじゃ、プリン」


「はい」


選んだ方を受け取ると、後輩がもう一本のストロベリークリームの包みを剥く。


「センパイは食べないんですか?」


「んー」


歩きながら食べるのはあんまり行儀が良くないよなと思うわけだが。


「まあいいか」


後輩に倣って包みを剥いて口に入れた。


「美味しいですか?」


「美味い」


「ならよかったです」


自分も棒を口からはみ出させた後輩が、嬉しそうに笑う。


「んじゃ帰るか」


「はい、センパイ」

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