5月その③

「ねえ、センパイ」


「どうした、後輩」


いつものように部室の中で、後輩とテーブルを挟んで向かい合っている。


もう何度目かの見慣れた光景に、普段とは違うことがひとつ。


それは俺と同じように、後輩もテーブルにノートを広げているということ。


「勉強飽きました」


「飽きたって言われてもなあ」


後輩が珍しくここで勉強をしているのはもうすぐ中間試験が始まるからで、飽きたと言われてもじゃあやめればとは言えないから困る。


個人的には後輩が大人しく勉強していてくれるならそれに越したことはないんだけど。


「もうすぐ試験なんだから大人しく勉強をしておけ」


「むー」


不満そうな反応をしながらも机に向かう後輩は、珍しく真面目な表情をしていて悪くない。


パシャリ。


「今なんで撮ったんですか」


シャッターの音をさせた俺に、後輩が呆れたような視線を向ける。


「後輩が勉強してる姿は珍しいなと思って」


「それは褒めてないですよね」


「いやいや、悪くないぞ。ほら」


俺が後輩に画像を送るが、それを見た当の本人は渋い顔だ。


「全然かわいくないです」


「そりゃ勉強中だからな」


「こんなの撮らないでくださいよ」


「個人的には好きだけどな、勉強してる後輩の姿」


少なくとも、普段のスマホを弄っているときの姿よりは。


「別にセンパイに褒められても嬉しくないですけど」


「それな」


俺も後輩が褒められて嬉しいとは思ってないのでそういう点では気が合うとも言える。


「インスタにでもあげればいいんじゃね」


「自分から勉強してるアピールしてどうするんですか」


「後輩は全然テスト勉強してないわーって言うタイプか」


「っていうか、真面目に勉強してるとかダサいじゃないですか」


「まさに今目の前に真面目に勉強してる人間がいるんだがー?」


「いや、他の勉強してる人に文句言う気はないですよ。ただ自分でそうする気はしないっていうだけです」


「そこまで言うなら別に勉強しなくてもいいんじゃね」


進路も行けるところに行くだけって言ってるし、試験前だからってわざわざ勉強しなくてもいいんじゃないだろうか。


そんな俺の論理的な思考に、しかし後輩は渋い顔をする。


「でも……」


「でも?」


「成績落ちるとお小遣い減らされるんですよ」


「あー」


同じ高校生の身なれば、その深刻さはよくわかる。


「んじゃ、まじめに試験勉強するしかねえな」


「いやですー!」


「諦めろ」


「どうにか勉強しなくても成績が良くなる方法とかありませんか、センパイ」


「あるぞ」


「あるんですか!?」


「ああ。学校終わってから勉強したくないなら、授業で全部覚えればいいんだよ」


「それができたら苦労しないんですよー!」


「それな」


世の中にはそういう人間もいるらしいけど、少なくとも俺はそうじゃないからこうして勉強している訳で。


たまに勉強しなくても勉強できる人間が羨ましくなるよな。


「というかそもそも後輩の成績はどんなもんよ」


「悪くはないですよ」


「つまり良くもないと」


「いつも平均よりは上です」


「へー、じゃあそんな深刻になるほどじゃないだろ」


「そういうセリフはうちの親に言ってください」


「それもそうか」


結局小遣いの額は親次第だろうし。


大抵の場合どれくらいの順位にいるかより、前回からどれくらい順位が下がったかの方が重要視されるんだよなそういうのって。


「ちなみにセンパイの成績はどんなもんですか?」


「んー、上から数えた方が早いかな」


「それじゃ半分より上ってことしかわからないじゃないですか」


「じゃあ半分の半分よりは上」


「なら私とそこまで差はないんですね」


「後輩が今回がんばったら俺の順位抜けるかもな」


「えー、本当ですかー? そう言われるとちょっとがんばっちゃおうかなって気になりますね~」


そんな反応に後輩も大概チョロいよなと思わなくもないが、やる気に水を指すこともないので黙っておくことにする。


「というかお小遣い下げられてもバイトすればいいんじゃねえか?」


「いやー、あんまり成績悪いとそもそもバイト辞めさせられるんですよね」


「ああ……」


実体験なんだな。


それから俺も後輩も机に向かい、無言でしばらく勉強を続けていると聞き馴染んだ音が耳に届く。


パシャリ。


音につられて顔をあげると後輩がスマホを構えていた。


「なんで撮った?」


「いいじゃないですか、私も撮られたんですから」


「まあ悪いとは言わんが……」


撮って撮られておあいこなら文句を言う筋合いも無いわけだし。


「でもセンパイが勉強してる姿は全然面白くないですねー」


「じゃあ撮るなよ!」


「撮った私じゃなくて撮られたセンパイがつまんないから悪いみたいなところはあると思います」


暴論が過ぎる。


「流石に怒るぞ」


「お菓子あげるので怒らないでください」


「しょうがねえな」


後輩から差し出されたアルフォートをふたつまみして一口に放り込む。


うま。


なんてサボってばかりもいられないので、再び勉強をするために視線を落とす。


「んーーー」


それからまた少しして、後輩が小さく声を漏らしてペンを置いた。


「まだ15分しか経ってないぞ」


「いいじゃないですか、ちょっとくらい休憩しても」


「本当にちょっとならな」


俺の言葉は聞こえないふりをした後輩が「んーっ」と腕を上げて伸びをしたあと、そのまま机にぺたーっと体をつける。


「センパイ、やる気がしません」


「なら10分勉強する毎にこれをひとつやろう」


言って取り出したのはアルファベットチョコ。


「うわ、懐かしいですねこれ」


「食うと頭良くなりそうな気がするだろ?」


台形のてっぺんにアルファベットが刻まれたそのチョコは、勉強するときにはぴったりの見た目をしている。


「実際には頭よくなったりしませんけどね」


「本当のこと言うなよ」


チョコ食ってるだけで頭良くなるわけがないことくらいはちゃんと分かってるのだ。


「でもこれほんとに貰っちゃっていいんですか?」


「遠慮するほどの物じゃないだろ」


「それはそうですけど」


金額にしても一個10円とかそれくらいの物である。


「それに、勉強とどう折り合いをつけるかは学生における普遍のテーマだしな」


「つまり、勉強頑張れってことですか」


「そっちの方が俺に都合がいいからな」


なんて俺の言葉に、後輩がふふっとおかしそうに笑う。


「センパイって、地味に優しいですよね」


「気のせいだろ」


「そんなことないですよ」




「つかれたー」


それからアルファベットチョコが6つ積み上がった頃、後輩が解放されたように声をあげる。


「結構頑張ったな」


「でしょー? もっと褒めてくれてもいいんですよ」


「はいはい、えらいえらい」


俺が褒めると後輩も満更でもない様子で、勉強で凝り固まった首と肩をぐるっと回す。


「それじゃあ、肩揉んでください」


「それ確実にセクハラだろ」


「あー、もしかしてセンパイ意識しちゃってます?」


「セクハラ意識が高いと言え」


「それだとなんだかいつもセクハラのこと考えてるみたいですね」


日本語ってムズカシイネ。


「っていうか外もう真っ暗じゃないですか」


「それだけ真面目に勉強してたってことだろ」


今の時刻は午後七時前。


日が長くなってきている最近でも、流石にもう日も沈んでいる。


これが真夏ならまだ明るいんだけどな。


「そう考えるとたまには勉強するのも悪くないかもですね。月一くらいで」


「毎日やれよ」


「それはいやです」


嫌ならしょうがない。


「それじゃ私はそろそろ帰りますね」


言って後輩が荷物をまとめて、アルファベットチョコをひとつだけ口に含んで立ち上がる。


「ところでセンパイ、明日も部室で勉強してますか?」


「そうだな、試験日まではやってるぞ」


「なるほど、わかりました」


その答えに後輩は頷いて扉に手をかける。


「それじゃあさようなら、センパイ」


「気をつけて帰れよ、後輩」


また明日、と後輩がわざと言わないので俺もそれにならっておいた。

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