5月その②

「それじゃあお先に失礼しますね、センパイ」


「気をつけて帰れよ」


先に帰る準備を済ませて部室から出る後輩を見送って、再び机に向かう。


スマホで時間を見ると今の時刻は17時半。


後輩がいたのは一時間未満かな。


その間もほぼずっとスマホ見てたけど、本当に何しに来てるんだろうなアイツ。


まあ勉強の邪魔はしないし別に良いんだけど。


そんなことを考えながら参考書に視線を落としていると、ピピッとスマホが鳴った。


「あー……」


今日はどうしても見たい配信があってスケジュール帳にアラーム入れてたの忘れてた。


いや、今から帰れば間に合うって言うか時間にはかなり余裕をもってアラーム鳴らしたからそれ自体は何も問題はないんだけど。


ないんだけど、ついさっき後輩に帰るか聞かれてまだ当分帰らないって答えたばっかりなんだよな。


これでもしバッタリ会ったら、俺が一緒に帰るのが嫌で断ったみたいになるじゃん。


なんて思ったけどまあいいか。


もう後輩が帰ってから五分くらい経ってるし、寄り道してなければ追い付くこともないだろうしな。


ということで帰り支度を済ませた俺は部室を出てそのまま下駄箱に向かう。


上履きからスニーカーに履き替えて外に出ると、空はまだ明るく気温も心地良い。


過ごしやすさだと今が一年で一番良い時期かもなあ。


もうちょっとすると梅雨に入るからつかの間の平穏だけど。


「ん……?」


少し歩いて学校外との敷地を区切る正門に近付くと、その側の植え込みの近くでしゃがみ込んでいる人影が見える。


「こんなとこでなにしてんだ?」


「あ、センパイ」


そこにいたのは少し前に帰ったはずの後輩で、隣に並ぶとそんな後輩の足元に白い猫が寝転んでいた。


「この子、野良猫みたいなんです」


「ふーん」


後輩がわしゃわしゃと撫でると、白猫は気持ち良さそうに喉を鳴らしている。


毛並みは悪くないし痩せこけてもいないから、きっとどこかで餌をもらっているんだろう。


こうやって撫でられても逃げる気配もない辺り、人にも慣れてるみたいだし。


「センパイは猫嫌いですか?」


「んなこた無いが、急にどうした?」


「なんか反応が薄かったので」


「そりゃ俺が『わー、かわいいー! 猫ちゃんだー!』とか言い出したらキモいだろ?」


「それはまあそうですけど」


そういうのは女子か子供の役割なんていうと差別発言で炎上しそうでアレだけど、少なくとも俺のキャラじゃないわな。


「猫自体は嫌いじゃないけどな。猫動画とかは見るし」


見るだけなら素直に可愛いと思えるし癒されもするんだけど。


「でも気軽に野良猫を撫でるにはちょっと歳を取りすぎたかな」


昔は気にならなかったけど、今はちょっと衛生面的に積極的に撫でる気にはならないかな。


だからまあ、しゃがんで撫でている後輩のとなりで、俺は立ったままなんだけれど。


「おじいちゃんですねぇ、センパイは」


「そこは後輩がまだ若いってことにしとけ」


「一つしか歳違いませんけどね」


「つまり俺がおじいちゃんなら後輩もおばあちゃんか」


「誰がおばあちゃんですか」


俺の冗談に後輩のグーパンが太股に刺さる。


まあ痛くないけど。


それにしても、撫でられている白猫は気持ち良さそうだ。


「この辺の子なんですかね?」


「どうだろうな、よく学校で見かけるなら噂になってそうだが」


「私も聞いたことないですね」


学校に猫が入ってきてるなら話題になりそうなものだけど。


小学校では校庭に犬が入り込んできたら大騒ぎになった記憶があるが、あれほどじゃなくても話題にはなるだろう。


「そうだセンパイ、一枚撮ってもらっていいですか?」


「あいよ」


ということでちょっとだけ距離をあけて猫と後輩の姿を撮影する。


パシャリ。


「ほらよ」


そのまま後輩にスマホの画面を見せると本人は中々満足げな様子。


「結構良い感じじゃないですか」


「そうかもな」


「なんですか、歯切れが悪いですね」


「いやー、カメラで撮ってるのにカメラ目線じゃないと逆にわざとらしいなと思って」


画面に写っている後輩は、白猫を見下ろしてわしゃわしゃと撫でている。


構図としては微笑ましいものだけど、ちょっと作り物っぽい印象は否定できないかもしれない。


「そんなの気にするのはセンパイくらいですよ!」


「そうかー?」


まあそもそもあんまり自分のことを撮る文化が身近にないから否定はできないけど。


「わかりました、ならカメラ目線でもう一枚撮ってください」


「はいはい」


後輩のリテイクに多少面倒なと思わなくもないが、俺の感想が原因なのでここは黙って従っておく。


「そんじゃ、撮るぞ」


「いつでもいいですよ」


俺がスマホを構えると、後輩が猫の腕をとって招き猫のように構える。


「にゃーん。どうですか、可愛いですか?」


「まあかわいいかと言われれば否定はしないが」


「でしょー」


どや顔されるといらっとするな、言わんけど。


なんて思いながらもさっきの自然のままを切り取ったような一枚と違って、今度は胸の高さまで抱き上げた猫と仲良しアピールしているような様子をパシャリと撮る。


「どうですか?」


「ほれ」


こっちはこっちで白猫は可愛いから悪くはないと思う。


「こっちも悪くないですね」


「そうかもな」


「ちなみにセンパイはどっちが良いと思いますか?」


「ノーコメントで」


「なんでですかー!」


いやだって、猫メインで撮るならそもそも後輩いらなくねって思っちゃったし。


「両方送っとくからあとは好きにしろ」


「一応お礼は言っておきますね」


「どういたしまして」


忘れないうちにスマホを操作して画像を送ると、後輩のポケットの中のスマホがポコンポコンと音を鳴らした。


「センパイのうちはペットとか飼ってないんですか?」


「うちは飼ってねえなー。後輩は?」


「うちも飼ってないですねー」


おい、この話題早くも終了なんだが?


「あ、でもいつか飼いたいなーとは思ってますよ」


進学したら飼うタイミングなくね?と思ったけど実家出なきゃ問題ないのか。


進学=一人暮らしって思考だったから一瞬理論が繋がらなかたわ。


「後輩は飼うなら犬と猫どっち派?」


「私は猫ですかねー。自由なのが可愛いんですよね」


言いながら後輩が白猫を撫でると気持ちよさそうに喉を鳴らしている。


「センパイは?」


「俺は素直に懐いてくれる犬の方が好きかな」


「あー、センパイはそういう感じですよね」


「そういう感じってどういう感じだよ」


「そういう感じって言ったらそういう感じなんですよ」


なんて要領を得ない後輩の台詞だが、言いたいことはわからなくもないのが困る。


「まあ俺はペット飼うつもりもないんだが」


「そうなんですか?」


「昔お祭りでさー」


「なんか話飛びました?」


「良いから聞けって。昔お祭りの屋台で金魚取ったんだよ」


「あー、ありますよね金魚すくい」


「赤くて綺麗な金魚でさー、ちゃんと世話するからって鉢を用意してもらったんだけど」


「けど?」


「三日で飽きた」


「早すぎでしょ!?」


「俺もそう思う。まあ実際今よりずっと子供の頃のことだからアレなんだけど」


「小学生とかの頃ですか?」


「そんなもん。んで、思ったんだよ。俺生き物飼うのに向いてねえなって」


その金魚は結局親が面倒みてたんだけど、流石にあんなノリで犬猫は飼えないわ。


「流石に子供の頃の話でそこまで決めなくてもいいと思いますけど」


「とはいえ多分大丈夫だから飼ってみようぜとは言えんだろ」


「それはそうかもしれませんけど」


本人のやる気の問題とはいえ、やる気があれば何でもできる訳じゃないことくらいはもう理解する年齢でもあるし。


「でもそうしたら、センパイと付き合う人はペット飼えなくて大変ですね」


「付き合う相手の条件に『ペット不可でも可』って書いとくか」


「アパートの物件情報みたいですね」


「そもそも彼女できる予定もないけどな」


予定もないのに条件の話ばっかりしても虚しいだけなのでそう言うと、足元で「にゃー」と白猫が鳴いた。





「んじゃ、帰るか」


「はい」


ふらりと何処かに立ち去っている白猫を見送ってから、立ち上がった後輩と並んで帰り道を歩き始める。


「そういえばセンパイ、私が部室出る時はまだ当分帰らないって言ってませんでしたっけ?」


「飴あるけど舐めるか?」


「わーい、食べます」


話を逸らすためにバッグから取り出したチュッパチャプスを後輩に渡そうとして、やっぱりその手を引っ込める。


「やっぱやめた」


「なんでですか!」


「いやだって、野良猫撫でた手で食い物触るのは良くないだろ」


撫でることに対してどうこう言うつもりはないが、間接的にでも口に入るものに触るのはマズイというか、せめて手を洗ってからにするべきだろう。


「それはそうかもしれませんが、飴欲しいです」


「諦めろ」


「うー」


不満そうに声を上げた後輩が、俺の握ったチュッパチャプスを見て何かを思いついた顔をする。


「そうだ、それじゃあセンパイが私に食べさせてください」


「どうしてそうなった?」


「私が触るのが良くないなら、センパイが包みを剥いてくれればいいじゃないですか」


「んー? んー」


確かに理屈の上ではそうなるか。


んー、でもなー。


「なんですか、飴くれるって言ったのは嘘だったんですか」


「ったくわかったよ。ちょっと待ってろ」


一旦立ち止まって、包みを剥いてそれを後輩に差し出す。


後輩は髪が口に入らないようにちょっとだけ首を傾けてから、それをぱくりと咥えた。


「あまーい」


「そりゃよかった」


「ありがとうございます、センパイ」


「どういたしまして」


ということで再び並んで歩き始める。


歩きながら飴を舐めるのが行儀が悪いとかそういう話は気にしない方向で。


「後輩、今日の帰りは?」


「あっちです」


正門を出て、後輩が指さしたのは俺が帰るのと同じ方向。


「んじゃ途中まで一緒か」


「そうですね」


頷く後輩と並んで再び歩き始めて、普段と同じように雑談しながら帰り道を進む。


まあ後輩は飴舐めてるから普段よりは喋らないけど。


とはいえ飴が舐め終わるのにもそこまで時間はかからないか、なんて思っていると後輩がこちらを見た。


「そいえば、これ棒触るのもあんまりよくないですよね」


「そうだな」


まあ大丈夫だと思うけど、それでも触らない方が良いのは間違いないだろう。


「なら飴なくなったら、センパイが処分してくれますか?」


後輩に言われた通りにさっきまで後輩が咥えていた棒を持ち帰る様子を想像すると、大分犯罪者チックな気がしてならなかった。


「それくらい自分でやれよ」


「あ、逃げた」


「逃げてない、常識の話をしてるんだ」


「私はセンパイの気持ちの話をしてるんですよ」


「いっそ後輩が、棒ごと食べればいいだろ」


「食べれませんよ!」


なんて冗談を言いつつも、結局最後の棒は、俺が後輩の口から取り出すことになった訳だが。

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