4月その④
「セーンパイ」
部室に入るためにカギを開けていると後ろから声をかけられて、それと同時に目隠しをされた。
「そこは『だーれだ』って言うのがお約束じゃないのか」
っていうか、飴の甘い匂いがしてる時点で誰かわかるんだよなあ。
「だってセンパイは誰かって聞かれて迷うほど女子の知り合いが多くないじゃないですか」
「まあそりゃそうだが」
というか俺の認識では、後輩もこういうことをしてこない側の人間だったんだが。
客観的に見れば後ろから抱き着くような格好になっているであろう現状でも、目隠ししている手の部分以外が触れていないのが後輩的な線引きなのかもしれないけど。
まあ声の聞こえる距離的に、後輩の身体がもう少し起伏に富んでいたら別の場所が当たっていたかもしれない。
「なんか変なこと考えてませんか、センパイ」
「考えてないぞ、って指先で眼球を撫でるのはやめろっ」
恐怖心で背筋がゾクッとしたぞまじで。
というか変なことを考えられたくないなら気軽に触れてくるのをやめろと言いたいが、そういうとやっぱり変なこと考えてたんじゃないかと言われるのが目に見えているので黙っておく。
「ということでセンパイ、ちょっと口開けてください」
「え、いやだけど……」
絶対ろくなことにならない予感しかしない。
「センパイに断る権利があると思ってるんですか?」
「権利くらいあるだろ」
「そうですね。でもこうやって話してる間に人に見られちゃうかもしれませんよ」
「それは、困るな」
今の状況を客観的に見たら恋人同士かもしくはそれに近しい関係に見えるだろう。
そういう誤解はできることなら生まないに限る。
実際に付き合ってるならともかくそうじゃないしな。
「ということで、口開けてください」
「しょうがねえな、変なことするなよ」
「あーん。あ、目は閉じててくださいね」
言われた通りに目は閉じたままにしていると、目隠しをしていた後輩の手が離れ、そのあと口に何かを入れられる。
これ男女逆だったら犯罪だろ……。
なんて思いながらも口を閉じると、舌先には張り付くような感触と甘い味。
「さて、これはなんでしょう?」
大きめの飴玉に棒がついているそれは、食べなれた味だ。
「チュッパチャプスのグレープだろ」
「正解ー! よくわかりましたね、センパイ」
「これくらい余裕だろ」
なんなら口に入れなくてもグレープの香りだけで答えられるレベルだ。
「っていうかもう目開けていいか?」
「あ、はい。いいですよ」
要件はこれで済んだらしいので目の前のドアに手をかけてノブを捻る。
ちょっと時間を取られたが、まあチュッパチャプスの分でプラマイゼロってことでいいかな。
「チュッパチャプス美味しいですか、センパイ」
「ん、ああ上手いぞ」
部室の入り口をくぐろうとした俺に後輩が顔を寄せて耳元で囁く。
「それ、さっきまで私が舐めてたやつなんですよ」
その言葉の意味を理解して動きが止まる。
思わず、口の中の感触を確かめてしまう。
いや、口に入れた時の張り付くような感触は、間違いなく新品の物だったはず、なんて再確認してももう遅い。
「あー、センパイ顔が赤くなってますよー。どうしたんですかー? もしかして、間接キスだと思って興奮しちゃいましたか?」
「こいつ」
ドッキリ大成功って得意げな顔をしている後輩の顔を見る。
「この飴お前にも食わせてやる」
「いやー、犯されるー」
「あ、待てこら」
逃げる後輩を飴を片手に追う俺。
校舎の一階と二階を使ってぐるぐると回るような鬼ごっこは後輩の体力が尽きるまで続いた。
「疲れた……」
部室に入って椅子に腰を下ろし休むように力を抜くと、向かいの後輩も似たような表情で椅子に座る。
「ほんとですよ」
「誰のせいだと思ってんだコラ」
「センパイが追いかけてくるからじゃないですか」
「お前が逃げるからだろ」
まあ不意打ちに熱くなってしまったのは不覚ではあったけど。
「はぁ、勉強するか」
追いかけっこしていた時間はそこまででもないので勉強が遅れるってほどでもないけれど、心身ともにどっと消耗したので気合を入れないといけない。
「今日も勉強ですか?」
「今日もっていうか毎日勉強なんだよ」
「大変ですね」
「お前も来年はこうなるんだぞ」
「なりませんー」
「俺だけ苦労するとか理不尽だろ」
「この学校の半分以上は同じ思いするから大丈夫ですよ」
まあうちの受験率を考えれば半分じゃ済まない割合だろうけど。
「それにしてもセンパイ、体力無さすぎじゃないですか? 前は運動部だったのに」
「昔の話だろ」
後輩が言ってるのは中学の頃の話でもう三年近く前のことだ。
「あの頃はセンパイも若々しかったですよねー」
「それを言うなら後輩だって同じだけ歳取ってるけどな。後輩こそもうちょっと運動したらどうだ」
俺より先に体力が尽きたのが後輩だし。
「私はいいんですよ。脚とか太くなったら困りますし」
「んー」
確認するように机の下を覗き込んでみる。
改めて確認すると確かに後輩の脚は細くてすらっとしている。
「覗かないでくださいよっ」
言いながら後輩がスカートを抑えるので机の上に頭を戻した。
覗いてはないが、もし不可抗力でスカートの中身が見えたとしてもそれは座ってるだけで見えるような丈にしている方が悪いのではないのだろうか。
「訴えますよ」
「どこにだよ」
「最高裁判所に」
「最高裁判所は上告で行くところなんだよなあ」
「じゃあ職員室に」
「それはやめろっ」
もしやられたら事実はどうあれ絶対に面倒なことになる。
「なら反省してください」
「はいはい」
両手を上げて降参する俺だが、後輩はまだ不満げだ。
「というか最近はむしろ脚太い方が流行ってるらしいぞ」
「それどこの話ですか」
「一部界隈で」
あえて名詞をあげるのは避けるが、後輩の見ている世界と俺が見ている世界は別物らしい。
「別に人の好みは否定しませんけど、私は細い方が良いです」
「ちなみに運動しなさすぎるとそれはそれで脚太くなるらしいけどな」
「えっ、そうなんですか」
なんて驚いている後輩はスルーして俺は勉強を始めた。
△▽▲▼
下駄箱で靴を履き替えてトントンと床を叩く。
外からは涼しい空気が流れ込んで、私の首筋をさっと撫でた。
「寒……」
桜の季節を通り越して梅の花も落ちた頃合いは日没もだいぶ遅くなり、軽く部室に寄ってから帰ってもまだ外は明るく歩きやすい。
来月には衣替えと言うこともあり暖かくなってきたのも事実なのだけど、日によってはまだ肌寒く感じることもあった。
こうなると先程までいた部室の環境が恋しくなるけど、とはいえ外に出なければ家に帰ることもできないので決死の覚悟で一歩を踏み出す。
その決断を笑うようにぶわっと吹いた風が私の髪を乱した。
んー、と軽く手櫛でそれを整えてから、両手をカーディガンのポケットに差し込む。
肩にかけたスクールバッグがちょっと邪魔だけど手が冷たくなるよりはマシなので我慢。
あと今の姿が人に見られるとあんまり可愛くないけど今の時間帯ならそんなに人もいないから妥協して。
なんて考えて、ついチラッと後ろを見てしまった。
うん、誰もいない。
もしも、と思い浮かべたのはついさっきまで同じ部室にいたセンパイの姿。
別にあの人に可愛いところを見せたいなんて思っている訳じゃないけど、それでも不格好なところを見せたくないという気持ちはあった。
どっちかというと侮られたくないとかそういう気持ちかな。
普段からなんだか年下のわがままを聞き流すような感じだし。
まあ実際に後輩なんだけど、女子と同じ部屋にいたらもう少し意識しても良いと思う。
私は全くセンパイのことを意識していないというのは今は置いておくとして。
そんなことを考えて、ポケットに入れている手の感触を思い出す。
でも流石にあれはちょっとやりすぎだったかもしれない。
部室の前でセンパイの背中を見た時に、やったら面白いかなと思いついてやってみた目隠しは、結果的に珍しくセンパイの焦る顔が見れてかなり面白かった。
とはいえ異性にやるにはちょっとスキンシップがやりすぎなイタズラだったかもしれない。
うーん、反省。
普段ならこんなこともないんだけど、やっぱり他の人のいない場所だからかも。
もし友達と一緒だったら、それか廊下に人が溢れてたらやらなかっただろうし。
あとは、センパイといると前にいた時みたいになってるのかもしれない。
センパイとの記憶は高校に上がったあとのここ一ヶ月のものよりも、中学で同じ部活だった時の方が時間が長い。
昔もそんなに親しかった訳でもないけど、それでも男子との距離感は今より近かったし。
とはいえセンパイを恋愛対象として見てはいないし、勘違いされそうな行動はしないように気をつけよう。
まあセンパイにはそんな気配はないけれど。
むしろもうちょっとは意識してくれても良いんじゃないかと思うくらいだし。
でも実際に恋愛関係でめんどくさいことになるよりはマシかな。
私がセンパイを好きになることも、その逆も、あり得ないだろうし。
私が行かなければ関係が切れる程度の間柄ではあるけれど、それでもセンパイのいる部室は息抜きと暇潰しには丁度良い空間だった。
次はいつ行こうかな。
多分また一週間後くらいに顔を見せたときに、きっとセンパイはいつもの面倒くさそうな顔をするんだろうなと思うと、それが少しだけ楽しかった。
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