4月その②
コンコン、とドアがノックされてそちらを見る。
放課後の部室の中にはいつも通り俺一人。
訪ねてくる予定の人間は無し。
誰が来たのかという点は消去法でおおよその検討がついたので、若干億劫な気持ちで席を立ちドアを開けた。
「お邪魔します、センパイ」
ドアの間からぴょこんと覗くように顔を見せたのは、予想通り後輩。
「なんだ、また来たのか」
「もー、センパイは失礼ですね」
前回の訪問から一週間と数日、たまに起こる日常的なアクシデントの一つとしてそろそろ存在も忘れ始めていた頃になる後輩の再訪問だった。
「もう来ないと思ってたからな」
「私もそう思ってたんですけど、スマホのバッテリー切れそうなのでちょっと充電させてください」
「教室でやれよ」
「いやですよ、寒いじゃないですか」
コンセント自体は教室にもあるので充電するだけならそちらで問題ない、というか実際に充電している人間もよく見かける。
教師に見つかったら注意くらいはされるかもだけど。
しかし放課後は教室の暖房は勝手に使えないのでそういう点では確かにエアコンのついた部室のほうが快適だろう。
四月の中旬に差し掛かり本格的に春めいてきた今日この頃だが、それでも放課後になると自販機でホットのドリンクがまだ欲しくなったりするし。
桜はもう散っちゃったけどね。
木の下に積もった花びらはそれはそれでわりと綺麗だったけど、掃除が大変そうなのはちょっと面倒くさそうだったかな。
「今日もちゃんとお土産持ってきたんですよ。はい、じゃがりこどーぞ」
言いながらバッグから差し出された円柱状の箱を確認して、入り口の扉を人が通れる幅まで解放する。
「よし入れ」
「自分で言っておいてなんですけど、チョロすぎませんか」
どうせ最初から追い返すのは諦めてたし、別に菓子に釣られたわけではない。
「勉強の邪魔はするなよ」
「わかってますって」
まあ実際、前回も後輩はずっと無音でスマホを弄ってたので気にならなかったけど。
ということで俺がノートを広げている場所とは向かいの席に後輩が座る。
俺の椅子はいつも同じ場所で、自然とその対面に座る後輩の様子に、なんだかこれが定位置になりそうだなあと若干の予感を覚えてしまった。
「それじゃあどうぞ」
「ん、こっちも食うか?」
椅子に腰かけて勉強を再開する前に、じゃがりこの蓋をびりっと破いて差し出されたので一本貰い、その礼にたけのこの里の箱を差し出すと、後輩が嬉しそうに手を伸ばす。
「ありがとうございます」
そのままぱくりと口に放った後輩は、ご満悦だ。
うーん、過去イチ嬉しそうな顔。
「やっぱりセンパイもたけのこ派ですか?」
「どちらかと言えばそうだな。気が向いたらきのこも買うけど」
「なるほど、センパイはコウモリ野郎と」
「判定が過激すぎるだろ……」
菓子なんだから両方食ってもいいだろ。
「これは互いの尊厳を賭けた戦争なんですよ」
「じゃあ俺がきのこの山買っても後輩は食わないんだな」
「きのこの山買うならそのお金でたけのこの里買ってください」
暴論っ。
そんな横暴を言う後輩に、今度きのこの山を買ってきてやろうと決意する俺であった。
「センパイは本当にずっと勉強してますね」
後輩が訪ねてきてから30分ほどして、俺がシャープペンを置いて一息ついたタイミングでそんなことを言われる。
「勉強楽しいですか?」
「楽しいかどうかと聞かれたら楽しくはねえかな」
どちらかと言えば黙々と勉強するのが苦にならない性格というだけで、ゲームしたり映画見たりの方が普通に好きではある。
「ならどうしてそんなに勉強してるんですか?」
「まあ受験生だからな」
志望校に合格して自由な大学生活with一人暮らしを謳歌するためと思えばいくらかは耐えられるってだけの話。
「大変ですねえ」
十割他人事の感想をくれる後輩は、実際他人事なんだけどもうちょっと労ってくれても良いと思う。
「ちなみに志望校ってどこなんですか?」
「どこって」
という質問に俺が答えると、後輩が不思議そうな顔をする。
「ちょっと聞き間違えですかね……、凄い偏差値の名前が聞こえた気がするんですけど」
「それで合ってるぞ」
「ほえー、センパイって頭良かったんですね」
「うちに入れてる時点で相対的には全員頭良いだろ」
うちの高校は偏差値高めなので、俺の目の前に座ってる後輩ですら同世代の中では平均以上の学力だ。
「なんか失礼なこと考えてません?」
「気のせいだろ」
「でも流石に、センパイの志望校だとうちからでも行くのは毎年そこまで多くはないですよね」
「まあそうだな」
合格者の人数で言えば片手の指の数くらいの世界だ。
なのでこうして合格するために毎日勉強をしているわけなのだが。
「後輩も勉強したらどうだ。課題はどうせやらないといけないだろ」
「いや、私は大丈夫です」
「なにが大丈夫なんだよ」
「じゃあ私が勉強したらセンパイがなにか奢ってくれますか?」
「後輩が勉強すると俺が奢る意味がわからんが、やった分だけ褒めるくらいはしてやってもいいぞ」
「センパイに褒められても別に嬉しくないですよ」
ひどくないーい?
まあ俺も後輩に褒められても別に嬉しくないしお互い様だけど。
うん、ここで静かにしているなら後輩の成績自体はどうでもいいので放っておくか。
「んじゃ勉強の続きしますかね」
「がんばってくださーい」
なんて気の抜ける応援をしながら後輩がじゃがりこを一本咥え、握ったスマホに視線を落とす。
それに倣うわけではないが、俺もたけのこの里を一つ口にポイしてから参考書に視線を落とした。
うーん、美味い。
「そういえば他の人って来ませんね」
「まあ文芸部って嘘だしな」
勉強をしながら、後輩の質問に参考書から視線を上げずに答える。
「へー、……は?」
一旦は聞き流した後輩は、その言葉を理解してこちらに視線を向けた。
「嘘ってどういうことですか!?」
「嘘っていうのは本当じゃないっていうことだ」
「そういうことを聞いてるんじゃないんですよっ」
知ってる。
後輩がここに来るのももう二度目なので、どうせいつまでも誤魔化し続けるのも難しいのは間違いなく、訂正してしまってもいいだろうという考えではあったんだけど、とはいえ実際に説明するのはめんどいな。
「後輩、チョコボールいるか?」
「今はこっちが質問してるんですけど」
「いらないならまあいいが」
「いらないとは言ってないじゃないですか」
「じゃあいるのか?」
「……ピーナッツですか?」
「いや、イチゴ味」
「いります」
ということで俺はかばんから未開封のチョコボールをひと箱取り出して、それを後輩の前にトンと置くけどまだ渡しはしない。
「俺は今勉強するのに忙しいからな、後輩が何も質問しないならこれをやろう」
「じゃあ貰わなかったら質問に答えてくれるんですか?」
「答える保証はない」
めんどいし。
「うーん……」
悩む後輩がどっちを選ぶのかは俺にもわからなかったが、その結論はすぐに出た。
「じゃあチョコボールください」
「ほらよ」
「やたー」
喜ぶ後輩が俺の手からそれを受け取り、梱包のビニールを長い爪でピッと剥がして嘴を開きポロリと一つ掌の上に落として口に入れた。
「久しぶりに食べましたけど美味しいですね~」
「そりゃよかった」
そんな満足げな表情をしていた後輩は、次の瞬間姿勢を正して顔をキッと引き締めた。
「今日はこれで勘弁してあげますけど次はないですからね」
「まあ別にそんな大した話でもないんだけどな。ただ勉強するのに部室を使わせてもらってるってだけで」
「そんなことできるんですか?」
「質問は無しって言っただろ」
「むー」
不満げな後輩だが長話をする気はないので質問は受け付けない。
「ちょうど部室に空きがあって、俺の成績が良い方で、集中して勉強できる場所を探してたら貸してもらえたってだけの話だ」
そんな特例が許されてるのはこの学校が進学校で、ついでに部室を余らせておいても得がないって理由だろう。
あと自分で言うのも何だけど教師の覚えも悪くないっていうのもある。
「つーわけだから人には言うなよ」
学校側からは許可を得ている特例だとしても、他の生徒に知られたらズルいって言われるのが目に見えてるし、本格的に抗議されれば教師陣もこの待遇を考え直さないといけなくなるだろう。
「ふーん。じゃあ私とセンパイだけのヒミツですね」
そんなセリフを言う後輩の表情はとても良い笑顔で、弱みを握った笑みだと思えてしまった。
うーん、やっぱり本当のこと言うのは早まったかも。
「それじゃ充電終わったのでそろそろ帰りますね」
「んー、お疲れ」
結局後輩がここに来てから1時間ほど経って、スマホを置いた後輩が充電していたケーブルを抜きながらそう言って席を立つ。
「センパイもそろそろ帰ります?」
前回は話題を逸らすために一緒に部室を出た訳だけれど、今は自分の勉強の予定を繰り上げてまで後輩と一緒に帰るつもりはない。
後輩も、別に一緒に帰りたいと思って聞いてきている訳ではないだろう。
どうせ一緒に部室を出ても正門抜けたら即別れるしな。
「いや、俺はまだ勉強してる」
「それじゃあお勤め頑張ってください」
今から一年間で懲役2000時間くらいと考えると先が長すぎて嫌になるなあ。
だからといって勉強という名の刑期を投げ捨てることはできないんだけど。
「後輩も夜道には気をつけて帰れよ」
「はーい」
荷物をまとめて帰り支度を終えた後輩がドアノブに手をかけてこちらへ振り向く。
「それじゃあ、次もお菓子楽しみにしてますね、センパイ」
そう宣言して、楽しそう笑う後輩の短い髪がふわりと舞った。
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