後輩と部室の中で二人きり、なにも起きないはずもなく……
あまかみ唯
春
4月その①
コンコン、と部室のドアに控えめなノックをされて眉を顰める。
ここは文科系の部室が並ぶ校舎の一角、エアコンで暖められた部屋の中には6人ほどで囲める長方形の机が中央に配置されているが、そこに向かっているのは俺一人。
というか部屋の中にいるのが俺一人で、もっと言えば放課後の今は見回りの教師以外はここを訪ねてくることもない。
そもそも部室にいるだけで部活をやってる訳じゃないしな。
まあそんな説明するのがちょっと面倒な事情はともかく、見回りではノックをされないことが多いし少なくとも先ほどのように控えめなものではない。
部室で問題を起こしていないかを確認するための見回りであれば、抜き打ち検査のような立ち回りに文句を言うつもりはないのだけど、どちらにしろ部屋の中を確認するようなその音を無視するという選択肢は存在しなかった。
握っていたシャープペンを置き、椅子から腰を浮かせてドアの前に立ちノブを捻る。
そこにいたのは案の定教師ではなく、ついでに言えば想像もしないような相手だった。
「こんにちは、センパイ」
「なんで後輩がここにいるんだ」
そこにいたのは俺の一つ下の二年生にあたる女子生徒。
全く知らない相手という訳ではないが、こんなところに来るのは予想もできない、というか俺がここにいることをなぜ知っているのかをまず訝しむような相手だ。
「お邪魔しまーす、わー中は暖かいですねー」
するりと脇を抜けて猫のように部室の中へと入りこんだ後輩は、廊下との温度差に感心したように部屋の中を眺める。
「勝手に入るなよ」
「いいじゃないですか、ちょっと暖まらせてくれても」
今は四月の頭。
新年度の始業式をおこなったのがつい先日であり、先週までは雪も降っていたような季節だ。
今でも夜中に外に出れば息が白く染まるような気温なので暖かさが身に染みるという理屈もわからなくはないが、遊び気分で訪ねて来られても邪魔なだけなので急な来訪はお断りしたいところだ。
「んで、後輩はなんでここに俺がいるって知ってるんだ」
「友達に聞きました。まあ正確にはその友達の先輩が情報元なんですけど」
「あー」
その伝言ゲームの大本には大体予想がついてしまったので今度その情報源には文句を言っておこう。
「というか他に人はいないんですね。ここって何部なんですか?」
「文芸部」
まあ、嘘だけど。
「へー。じゃあセンパイも文集を作ったりしてるんですか?」
「今は勉強中だ」
「一人で勉強してるなんて真面目ですねー」
「そんな事より、後輩は何しに来たんだ」
「この前のお礼をしようかと思いまして」
「お礼って?」
「これです」
じゃーんと取り出されたのは100円ちょっとの普通の板チョコ。
「お礼というには随分安いな。包装もされてないし」
「なんですか、不満でもあるんですか」
バレンタインに渡すような四桁円しそうなチョコと言わなくても、もうちょっと豪華感のある200円か300円くらいするやつでも良いのではと思わなくもなくはないが、まあこの前の礼と言われればこんなもんか。
事情を説明すると長くなるから今は省くけど、偶然見かけてちょっと手助けしただけだしな。
「まあいいや。んじゃ貰ったから帰っていいぞ」
「そんなに邪険にしなくてもいいじゃないですか。もうちょっと暖まらせてくださいよ」
「…………、まあいいか。勉強の邪魔はするなよ」
「はーい。あ、コンセント借りてもいいですか?」
「好きにしろ」
後輩の相手をするのがめんどくさくなったので諦めて放置することにする。
どうせ今日は気まぐれで来ただけで、もう二度とここに来ることもないだろうしな。
なんて俺の気持ちも知らずに、空いてる椅子を引きずって壁際のコンセントの近くに一人で陣取る。
充電コードを伸ばしたスマホを弄り始めた後輩は、椅子に座るとスカートから完全に膝が露出しているのでそりゃ寒かろうと思わず納得してしまったがあまり見てても気付かれたら面倒なのでさっさと俺も自分の椅子に戻る。
それじゃあ勉強を始めるかと意識を切り替える前に、折角なので後輩から渡されたチョコの包みを剥ぐ。
そのまま銀紙もビリビリと破り、パキンと窪みに沿って割って口に咥えた。
甘い。
別に高いものでもない訳だけれど、それでもずっとお菓子の定番として存在しつつけている板チョコはやっぱりそれだけ売れ続けることに納得できるくらい甘くて美味い。
まあ自分で買うと値段と容量を見比べてちょっと悩むんだけど。
それでもタダで貰えれば多少の面倒は許そうかなと思えるくらいには悪くない贈り物であった。
「ねえ、センパイ」
「どうした、後輩」
俺が黙々と勉強を続けていると、いつの間にか壁際からテーブルの向かいに移動していた後輩が弄っていたスマホから顔を上げてこちらを見る。
そんな後輩の容姿は髪は明るく染めていて、長さは後ろ髪が肩にかからないくらい。
たまにちらっと耳が見えるのは好き。
顔はかわいい系で男子から人気ありそうな感じ、瞳の色は明るめ。
身長は頭の天辺が俺の目線の高さよりちょい下くらいかな。
ちなみに俺の身長は177ね。
体感で頭撫でたら丁度いいくらいの高さかな、まあ実際に撫でることは一生ないだろうけど。
格好は袖が長めのカーディガンを着ていて、防寒はしつつシャツの第一ボタンは開けていて首のリボンも緩め。
といってもまだ寒い時期だし胸の谷間が見えるほど開いてるわけじゃないけど。そもそも谷間が出来ないだろという話は置いておいて。
スカートは短め、脚は紺のタイツで保護してるけどそれでもちょっと寒そうだ。
総評するとかわいいけど俺の趣味の範囲外って感じかな。
まあ後輩としても俺はストライクゾーンの外だろうからその辺はお互い様。
それに異性の好みの範囲外っていうのは悪いことばっかりじゃないしね、主に気楽に接せられる的な意味で。
もし超絶好みの相手と密室で二人っきりなら勉強に集中できねえよっていう話だ。
「センパイはまだ帰らないんですか?」
「別に俺のこと待ってなくてもいいんだぞ」
「別にセンパイのこと待ってるわけじゃないですよ」
「そりゃよかった」
後輩がここに来てからもう一時間ほど。
もし待たせていたのなら流石に悪かったかなと思うところだった。
「それで、まだ帰らないんですか?」
「そうだな、もう少し勉強してくかな」
別に勉強自体は帰ってからでも出来るのだが、ここなら一人で集中できるので家よりも捗るのだ。
それにスマホにさえ触らなければ余計な誘惑が無いのも良い。
家だとゲームとか漫画とかパソコンとかあるしなあ。
「それにしても本当にセンパイ一人だけなんですね」
不思議そうな顔をする後輩の疑問は、ここが部活だと思っているなら当然の疑問ではあり、そして俺にとっては都合の悪い質問でもある。
「それより飴食うか、後輩」
「あ、いただきます」
ということで後輩にチュッパチャップスのプリン味を差し出して話を逸らす。
単品で40円くらいするからあまり安くない出費だけれど、板チョコと差し引きプラスだからまだセーフだ。
「後輩がそれ舐め終わったら帰るか」
「じゃあ急いで舐めちゃいますね」
「いや、ゆっくりでいいから」
別に早く帰りたい訳じゃねえんだこっちは。
「そーれふか」
「そうなんです」
それから10分ほどで飴を舐め終えた後輩がキャンディの棒の部分を摘まんで答える。
「食べ終わりました」
「さよか」
その棒の、唇が触れていた辺りに薄くピンクの色がついているのは見なかったことにしておく。
別に校則違反とかではなんだけどさ。
「ゴミはそこに捨てていいぞ」
俺が指さしたのは部屋の片隅に置かれている小さなゴミ箱。
学校の備品じゃなくて私物だけど、中身は教室で出たゴミと同じように処分できるのでありがたく利用させてもらっている。
それを見て、後輩が僅かに首を傾げた。
「んー、自分で持って帰るので大丈夫です」
「遠慮しなくていいぞ」
「別に遠慮してるわけじゃないので気にしないでください」
じゃあなんなんだよ、と思いはしたけどそこまで断られるなら別に捨てて行って欲しい訳でもないので気にしないことにしておく。
細かいことは気にしないのが人付き合いのコツね。
「んじゃ、帰るか」
「そうですね、センパイ」
鍵を閉めて部室を出て、そのまま後輩と廊下を並んで歩く。
時刻は六時過ぎ。
帰宅部の人間はもうとっくに帰っているし、真面目に部活動に取り組んでる人間はまだその真っ最中ということで、周囲には自分たち以外の姿は見えない。
これが夏の暑くて日の長い時期ならともかく、もうすっかり外も暗くなってるしね。
ということで、後輩と一緒に歩いていても変に噂になる心配もないので安心だ。
まあ流石にそれは気にしすぎだと思うけど。
ともあれ階段をおりて昇降口に着き、互いの下駄箱で靴を履き替えてからまた合流する。
別に合流する理由もないんだけど、ここまで一緒に来たのにわざわざ別々に帰る理由もないってだけでね。
そのまま昇降口を出ると、敷地をまたぐ正門に続く道まで真っ直ぐ桜並木に彩られている。
左右を桜の色で染められたその道は、実際に通る最中にも花びらが舞い落ちていた。
昼のめでたい雰囲気と異なり、外灯に照らされた夜の桜は紅色が強く感じられて少し怪しい雰囲気がある。
昼の桜が薄いピンク色だとするなら、夜の桜は赤紫といった印象だ。
でも個人的には、こっちの方が好きかな。
そんな桜の天幕に覆われた通路は絵葉書にして売れそうなくらい綺麗な光景。
うちの高校の桜並木は自分が見たことのある範囲では一番距離が長く見事なものなので、もう来年には卒業して見る機会がないのかと考えると少しだけ残念に思うところがあった。
「桜、綺麗だな」
「えっ、なんですか急に」
俺の言葉に隣の後輩は驚いたような表情を見せる。
まるで俺に桜の美しさを楽しむ感性があったのかと言わんばかりの反応だが、まあ自分でも似合わないかと思わなくもないのでそれ以上は追及しないでおく。
「後輩は昼の桜と夜の桜どっちが好き?」
「えーっと、やっぱりお昼の桜ですかね」
「じゃあ敵だな」
「敵!?」
哀しくも後輩とは相対する関係となってしまった訳だが、どうせ正門を抜けて道が分かれれば再度会うこともない関係なので一時休戦ということにしておこう。
「まったく、センパイは急に訳のわからないことを言いますね」
「後輩ほどじゃないけどな」
「私のどこが訳わからないんですかっ」
強いて言うなら存在全てが訳わからんが。
別世界と言っていいくらいには関わりのない相手なので、正直なにを考えているのかとか全くわからないし。
今日部室に来た意味も未だに分からんしな。
「そんなに夜の桜が好きならカメラで撮っておけばいいじゃないですか」
「その発想はなかったわ」
確かに、こういうのも後から見返してみれば懐かしい気分になれるかもしれない。
ということで今まで通ってきた道を振り返って、桜並木の先にある昇降口を一枚写真に収める。
んー、スマホ横にした方が良かったかも、なんて感想を浮かべると後輩が横からそれを覗き込んでくる。
「いや、なにやってるんですか」
「なにって、桜を撮ってたんだが」
「いやいや、撮るならこうでしょ、ちょっとスマホ貸してください」
言われるままにスマホを渡すと、そのまま後輩が俺の隣に並んで背伸びをして、腕をぐっと前に伸ばしてシャッターを切る。
頭を少し傾ければ互いの顔が触れるくらいの距離で、ふわりと後輩の髪から良い匂いが鼻をくすぐった。
これはシャンプーの香りかな、なんて俺が思っている間に体勢を元に戻した後輩がスマホを差し出す。
「はい、どうぞ」
受け取って確認すると俺と後輩の背後に桜が写っていて、人物と状況がとても良くわかる構図になっていた。
「まあそれはいいんだけど、なんで自撮り?」
「なんでって言われても、撮るなら自分が写ってなきゃ意味ないじゃないですか」
「そうか……、そうかぁ?」
まあ記録という意味では自分が写っていた方が適切かもしれないけれど、イマイチ理解しがたい感覚だ。
むしろ写真に映るのは苦手な族の人間だからなあ。
中学の卒業写真とか変な顔してたし。
「それになんで後輩も入った?」
「だって自撮りなら自分が入ってないとおかしいじゃないですか」
なら普通に俺だけ撮ればいいのでは?と思ったがもうこの辺は常識が違うんだろうな。
折角だからこのままtwitterにでも……、と思ったけど流石に後輩とのツーショットはあげられねえな。
これが恋人同士なら別にいいんだけど、後輩とは全くそういう関係じゃないから困る。
「というかセンパイ、なんか顔が赤くないですか?」
「気のせいだろ」
「そうですかねー」
こんなことで意識してたらまるで俺が女子に縁のないモテない奴みたいじゃん。
まあ女子に縁がないのは事実なんだけど。
「まあいいか。ありがとな」
「いえいえ、どういたしまして」
一仕事を終えた後輩は、俺の感謝の言葉に満足げに頷く。
きっとこの写真も、数年後に見返したら懐かしい気持ちになるだろう。
ワンチャン誰これ?ってなる可能性も無くはないが。
なんてことをやっているうちに、正門まで到着したので横に歩いてる後輩を見る。
「後輩どっちだ?」
「今日はあっちですね」
後輩が指さしたのは俺の帰路とは別の方角。
「じゃあここでオサラバだな」
「家まで送ってくか聞いてくれないんですか?」
「聞いたら自宅の場所を知ろうとするストーカーを見るような目で見るんだろ?」
「まあそうですね」
「じゃあ聞かね」
多少時間が遅くなったところで普通の下校時にわざわざ送ってくほどの間柄でもないので、こんなやり取りは既定路線だ。
「じゃあな」
「はい、さよならですセンパイ」
軽く手を振った後輩が振り返って歩き始めたのを確認して、俺も帰り道を歩き始める。
後輩と会話したのは偶然困っていたところを助けた前回と今回で、高校生活では二回目の出来事。
なのでこれで、もう後輩と三回目を話すこともないのだろうけれど、それが普通のことなので特段思うところはなかった。
「センパイ」
部室の窓際に立った後輩がこちらを見る。
一年間、同じ時間を過ごしたこの部室には、沢山の記憶と記録が残っている。
それは俺にとっても大切なもので、だけれどそれも今日で終わり。
彼女の背後、見慣れた窓の外には後輩が初めてここに来たときと同じように鮮やかに色付いた桜がその花びらを散らしている。
今日は卒業式。
そんなめでたい日を祝うように、後輩は笑顔を浮かべながら、言葉を送る。
「卒業、おめでとうございます」
祝福の言葉を伝える後輩の頬を、一筋の涙が伝った。
これは俺と後輩が卒業するまでのお話。
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新連載になります。
しばらくは毎日投稿予定です。
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