2-6


 男四人が明日の行程やらなんやらを話しているかたわらで、私は足を三角座りにして、炎をぼんやり見つめていた。炎は美しく、心を穏やかにしてくれて、私に自分を見つめなおす優しい時間を設けてくれた。


 戦勝祝賀会での婚約から、王家との話し合い、ランス様との婚約によめり準備にこの移動。そして……前世の記憶の出現。目まぐるしいとうの一カ月だった。

 そのいそがしさに積極的に身を置くことで、自分の気持ち……コンラッド殿下について考えることを後回しにしてきた。

 コンラッド殿下――幼い頃から私が会うことができた、唯一の同世代の男性。

 前世の多様な価値観を思い出したからか、殿下への感情はこいと言うよりも、むしろぞんに似たものだったようにも思える。

 あの婚約解消された夜はまだ、エメリーンとしての十七年に気持ちが引きずられて落ち込んでいたけれど、はくじょうなようだがねつれつこいごころなど、もはやない。

 炎はそんな、私と殿下の短くない歴史や、その間の私のなやみ多く、でもいちだったおもい――これもきっと小さなはつこい――を、優しく燃やす。


 ……コンラッド殿下、小さい頃は一緒に本を読んでくれてありがとう。たとえ本人の意向じゃなかったとしても、誕生日のたびの花束、ありがとう。社交界デビューの時、嫌々であっても迎えに来てくれて、嬉しかった。

 あなたは他の女性の手を取り、私は訳ありだけど婚約を済ませた。ありがとう……そして……さようなら。

 私の想いは、燃えて燃えて、星のまたたく天に帰る。火の粉と共に天に伸びるけむりを、時間を忘れてぼんやり見上げる。


「エメリーン、傷が痛むのか?」


 気がつくとランス様がすぐ横にいて、硬い親指を私のじりに押しつけて拭いた。いつの間にか涙が流れていたようだ。


「眠くなりました。ただのあくびです」


 ランス様が何も言わず私を抱き上げ、自分の脚の間に入れて、足元にあった毛布を私の頭まで引き上げる。みっともない顔を側近の皆様から隠してくれたのかもしれない。ふと、初対面の日もそうだったなと思い出す。ランス様の気づかいはひそやかだ。

 頭上から掠れた声がする。


「春とはいえ夜は格段に冷えるからな。明日も早い。おやすみ」


 逆らう理由はない。私もランス様の胸に向かってささやく。


「おやすみなさい。ランス様」


 目を閉じながら、知り合ったばかりのランス様の腕の中で、私はどうしてこうもすんなり、緊張もなく眠りに落ちようとしているのだろうと今更な疑問がいた。家族は別として、こんなに男性とせっしょくするのは当然初めてなのに。

 この温かい体温や、本当の力を極限まで隠して優しく触れる手が、私を安らかな眠りにいざなっているのは間違いない。

 ランス様は、〈ホンキミ〉に出てくるイケメンたちがセルビアに囁くようなかっこいい言葉はかないけれど、出会ってからずっと私にも家族にも誠実だ。

 そしてランス様は〈祝福〉のせいで受けた心の傷がある。それはランス様ほど大きくはないけれど私にもあって……そんな私を彼が傷つけることなど絶対にないと、こんきょなく断言できる。私たちはぜんだいもんの〈祝福〉を背負った、たった二人の同志なのだから。


 明日、ついに領地に辿り着く。そうしたら私は婚約者として、領主であるランス様を支えていかなければならない。私はキアラリー領の人間になるのだ。

 今日を区切りに過去は思い出に変えて、前を向いて、国民全員を守り抜いた英雄たるランス様を隣でせいいっぱい支えていこう。いつの日かランス様が〈祝福〉の恐怖をえ、さらにらしい女性との愛を見つけたら、その時は静かに立ち去るのだ。

 私は力を抜いてランス様に身をゆだね、パチパチとたきぎぜる音をもりうたに今度こそ眠りについた。



*****



『ねえねえ、エメリーン?』


 すずを転がすような声で呼びかけられ顔を上げる。たん、私は固まった。

 声の主がキラキラとかがやく黄金のオーラをまとった、神秘的で可愛かわいらしい手のひらサイズの幼女だった時、人はどう振るまうのが正解なのだろう?

 私が悪気なく返事できずに見つめていると、その黒髪に金の目の女の子はムッとした顔になり、私にデコピンした。


「痛っ!」

『ねえ、聞こえてるんでしょ?』

「……はい、バッチリと」

『私が何かわかる?』


 これはまさかの……ひょっとして〈ホンキミ〉でセルビアと会話していた例の……。


「……守護精霊?」

『やったー。大正解。やっぱり転生者はちょっとズレてるね。私が見えるんじゃないかって思ったんだよなー』


 そう言って彼女は歯を見せて楽しそうに笑った。


「私の、〈運〉の精霊さんってこと?」

『〈運〉ってのは、そっちの都合でそう表されただけで、そんなしょうはない』

『私の気質にヒトの言葉で一番近いってとこよ。転生者なんだからわかってるんでしょ? 本当は?』

「すみません、私もつい最近転生者だって気がついたばっかりで、期待されているほどわかってないかと」

『あー、だから何回話しかけても無視されてたんだ。とつぜんさっきエメリーンから話しかけられてビックリしたよ』

「私が……話しかける?」

『ほら、森で魔法を使ったあと、ありがとうって言ったじゃない』


 そういえばそんなことも……。私は不意にあたりをわたす。真っ白で何もない。


「ここは?」

『ん? エメリーン……長い、私もエムでいいよね。ここはエムの夢の中』


 うん、夢よね。間違いない。守護精霊とのそうぐうなんて夢であってしかるべきだ……。


「……どうして姿を現してくれたの?」

『この世界の人間はね、守護精霊って存在を忘れたの。知らないものを呼び出すことなんてできないし、想像もできない。でもエムは知ってる。だから嬉しかった。退屈だしね。 とはいえエムの心が安定して、長く熟睡してくれなきゃチャンスがなかったの』


 ここのところ、とにかく心身共に忙しかったから……。気持ちに区切りがついて、ランス様の腕の中であんみんできたから、会えたのかもしれない。


「えっと……なんとお呼びすれば?」

『名前? そんな発想なかったなあ……。何か前世の知識でつけてみてよ』


 なんてむちゃぶりだ。前世から決してセンスのいいほうではないのに……。でも、思いをめて、


「ラック、と呼んでもいい……ですか?」

『えーっと……なるほど、前の世界で幸運って意味ね! エムの必死さが伝わるわ。あはは、いいわよ! それと特別に言葉も崩していいけど? 実際、丁寧な言葉だと真意がわかりづらいのよ』


 気に入ってくれたようだ。セーフ。


「えっとあの……ラックの……その気質は私にどういうえいきょうおよぼすの?」

『さあてね。私は他の精霊よりも運命の振りはばは大きいけれど、運なんて、しょせんそんなものでしょう? いことのあとには悪いことが起こる。そのり返し』


 にんげんばんさいおううま……か。うん確かに、私の振り幅って大きいよね。前世から激動の人生を送ってるわ……そもそも転生っていうのがてんこう……。


『私がエムの人生に賛同したら、ちょっぴりオマケをつけるくらいはできるけどね』

「じゃ、じゃあ、私がたくさん善行をほどこしたら、幸運をさずけてくれるの?」

『急にグイグイきたね、ちょこっとだけよ? 試しにどんな運を呼び込みたいか聞かせてよ。人間の欲って興味があるわ』


 それってとっても大きい特典じゃないの? それならば。


「その幸運、じょうできる?」

『何それ、せっかくの私の幸運を他人に渡すっての? バカにしてる?』


 ラックの纏う空気が一気におんになった。私は慌てて言い募る。


「バカになんてしてない! 気を悪くしたなら謝るわ。ただ、ランス様の〈祝福〉を少しでも弱くできればって……」

『……あーそういうこと。ちょっと呼んで聞いてみる?』

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