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*****



 健康的な生活を強いられてきた習慣どおり、朝五時過ぎに目を覚ますと、隣のベッドにランス様がすでに腰かけていた。私より早いとは!


「ランス様、おかえりなさい。そしておはようございます」


 ランス様の目はただでさえあかいのに、さらにばっちりじゅうけつしている。ちょっときょうだ。


「えーっと昨夜はおそかったのですか? 会合はじょうしゅに終わりまして?」

「ああ……」

「あまり、眠ってないご様子、出発を少し後ろにずらしてはいかがでしょうか?」


 なぜかランス様が私をにらみつけた。


「……眠れていないのは……エムがあまりに無防備すぎるからだ。婚約しているとはいえ半月前まで知りもしなかった男だぞ? もちろん俺はらちなことをするつもりもないしあっちのソファーで寝たが、俺と宿しゅくはく時のルールについて話し合うとか……」

「無防備! まさかてきしゅうがあったのですか? だからそんなにランス様はお疲れで……私、そうとも知らずじゅくすいしてしまって、申し訳ありません!」


 思わずランス様の言葉を遮り、姿のままベッドで正座して手をつき頭を下げた。

 現世で初土下座である。

 しばしのちんもくのあと、はあ〜と大きなため息が聞こえ、トントンと私のかたたたかれた。

 おずおずと顔を上げる。


「もういい。朝食をとったら出発しよう。はあ……そうだな、こんな俺と同室を怖がらず、すやすや寝てくれるだけで上々か……いや、俺が意識しすぎなのか?」


 頭をかかえるランス様をしりめについたての奥に移動して、私は昨日買った少年用の洋服にえた。なんと、パンツたけが長くてすそを折り上げなければならず、ちょっとへこむ。

 くろかみも邪魔にならないようにきっちりと三つ編みにしたあと、お団子にしてえりあしめた。すると、ランス様がけんしわを寄せて、自分の荷物から布を取り出し、私の首にグルグルと巻いた。しまった!


「急所がガラ空きということですね! もう、ごめんどうばかりかけて申し訳ありません!」

「いや、首元があまりに無防備だ。喉を冷やすとこの時季は風邪を……」

「やっぱり無防備!」

「……もういい」


 私だってランス様の軍事用語? はわからない。一応妻になるのだからこれから勉強しなくては。

 宿のみなさまにご挨拶をしたあと、綺麗にブラッシングされたリングのもとに向かう。


「おはようリング。今日もよろしくお願いね」


 鼻筋をそっとでると、リングはブルルッとうなって、ベロリと顔を舐められた。「うはっ」という令嬢らしからぬ悲鳴に、馬担当のワイアット様がこちらに振り向き声をかける。


「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫大丈夫! 仲良くしてくれて嬉しいわ」


 ちょっと馬くさいけど。持っているハンカチで顔をく。そして、馬に乗るためにあぶみに足をかけようとして……。


「あ――!」

「エム、どうした!?」


 慌ててランス様がってきた。先ほどからお騒がせしてすみません。


くつを買うの、忘れてました……」

 

 なんてめの甘い……こんなハイヒールで乗れるわけがない。昨日のお店に運動ぐつみたいなものがいっぱい並んでいたのに。


「……エム、昨日の買い物のことは聞いた。靴は今度、俺に買わせてくれ」

「え、ただのぺったんこの安いやつだから自分で……」

「ぺったんこだろうが、トンがったやつだろうがエムの靴を買うのは今後俺の仕事だ! いいな」


 あまりのはくに、私は真面目な顔でコクコクと頷いた。

 従順な私にランス様は満足すると、私を左手で抱き上げ、ひらりとリングに飛び乗った。

 私だって女子のはしくれ。ちょっとときめくのはしょうがないと思う。

 彼はゴソゴソと馬に跨った私を自分のベストポジションに合わせ、昨日同様、上から私ごとマントを巻きつけ、私の腰をホールドした。


「雪がとけたとはいえ、朝はまだ、寒いからな」


 私の脚はリングの太いどうまわりの横でプラプラとぶら下がる。そんな私をランス様の筋肉質の太い脚がはさみ込む。この脚の上に、私は昨日、七時間近く乗っていたのだ。


「昨日は私、重かったでしょう?」


 と聞けば、なぜか部下の皆様がげんな顔をした。


「重い? エメリーン様が? 一体部屋で何をさせたんだ?」

「閣下、正式にこんいんするまで自重してください」

「いや、重いのは閣下の感情だろ?」


 というワイアット様、ロニー様、ダグラス様の会話をところどころ耳が拾う。


「神にちかって何もしていないっ! 重くもない!」


 仲良しの部下の皆様に、ランス様は声を張りあげた。この言い方……部下の手前、気を使ってくれているが、やはり重かったのだ。申し訳なさすぎる。

 一行はじょうへきを出て街道を駆け抜ける。ランス様に手綱を一緒に持たせてもらって、馬の乗り方初級編の指導のスタートだ。リングはいい子で、つい私が引っ張りすぎてもおこらない。でも一人でリングに乗るのは無理だ。せめてあぶみに足が届く大きさの馬じゃないと。

 お尻にダイレクトにリングのしんどうひびく。ランス様はれいに手綱をさばき、リングが疲れない道を選んで走らせる。何もかもがしんせんだ。

 乗馬を楽しみながら進むこと二時間。私は思ったとおり音をあげた。


「ランス様、お尻が痛くなりました……」


 ランス様は左まゆを上げると手綱を引いて馬を止め、ヒョイッと私を横抱きにし、何事もなかったように走り出した。もともく……。


「初日にしては、まあまあがんったほうだ」


 ランス様は私の背中をポンポンと叩いていたわってくれるけれど、自分のなんじゃく加減にイライラする。


「これでは、せっかく服を買った意味がありません」

「エムがパンツ姿だと、抱きかかえる時に周りに気をはらわないで済む。エムの脚を他の男の目にさらすなどありえない。だから、いい買い物だ。意味はあった」


 よくわからないけれどなぐさめられたようだ。そうだ、昨日の買い物といえば! 私はポケットからゴソゴソとキャンディーの袋を取り出し、一つ摘んだ。


「ランス様、口を開けて?」


 ランス様が何事かと視線を下げ私の手元を見て、納得したように口を開けた。私はポイッとその中に放り込んだ。もう一個取り出して自分の口にも入れる。やさしいハチミツ味が口いっぱいに広がる。


「あまーい」

「ああ……甘いな」


 ランス様の私の腰に回っている腕がギュッと締まる。自然と体がかたむき、ランス様の胸にたおれる。


「初めての乗馬のレッスン、きんちょうして疲れたはずだ。しばらく寝てろ」

「はーい」


 キャンディーを舐めたまま寝ると虫歯になりそうだと思ったものの、先生に逆らわずに寝た。


「エムは俺に甘すぎる……」

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