第二章 新天地への旅路

2-1


 ランス様の黒馬は二人乗せているというのにおどろくようなスピードで走る。私はランス様の服にしがみついていたが、しばらくすると少しずつ慣れて、すくめていた首をばし、周辺の景色をながめるゆうができた。

 いつの間にか王都を出て、かいどうを走っている。見回すと少しかすんだ青空で、りょうわきに麦畑が広がっていた。


「まだおそろしいか?」


 ランス様が視線を進行方向に向けたまま、話しかけてきた。私も周囲の風景を眺めながら答える。


「あの、おしゃべりしておじゃになりませんか?」


 ランス様が後ろでフッと笑った気配がした。


「ならない。ここは戦場ではないから」

「うるさかったら言ってくださいね。先ほどの質問ですが、少しこわいです。馬上の視点がこれほど高くなるとは思わなかったので。それで、ランス様のこの馬、私まで乗せて重くてつかれてしまいませんか?」

「リングはだん、エムの三倍はある荷物を乗せて走っている。問題ない」


 この立派な黒馬の名はリングらしい。


「リング、働きものなんですね。仲良くなりたい」

「馬が好きなのか?」

「馬に乗ること自体が初めてです。私……いろいろと制限された生活でしたので」


 危険、と思われることは王家の命令でことごとくはいじょされた。街に出ることも、動物にれることも、火をあつかうことも。今考えるとちょっと神経質すぎだ。


「なので、あまりに世間知らずでごめいわくをおかけすると思います。はじめに謝っておきますね。申し訳ありません」


 前世では一通りの経験をしているけど、それはそれ、だ。


「馬が初めて!? ……そうか。どこかきゅうくつだったり痛いところはないか?」

「いえ、今はワクワクしています。ですが、おそらくすぐに音をあげてきゅうけいをねだると思います」


 教師時代、林間学校で馬に乗った時は、二時間かそこらでおしりが痛くてたまらなくなったっけ。


「そうか。自分の限界をずかしがらず言えるのなら、エムは戦場でも生きいていけるぞ」

「まさか!」


 ひんじゃくな私が戦場に出れば、秒速で死ぬ。可笑おかしくてハハハッと声をあげて笑った。その声に驚いたのか、ランス様が視線を私に落としていた。

 チハルのおくむにつれ、私の思考はこの世界には不相応にゆるんでいく。そして閉じ込められていた家から飛び出し、王都を出たことの解放感が、私の口を軽くした。

 失敗した? まあいいや。もう深窓のれいじょうにはもどれない。良くも悪くも私はキズモノなのだ。自由にるまったところで、すでに評判は落ちるところまで落ちている。

 しかし、ランス様にだけはきらわれたくないので、様子をうかがってみる。


「ランス様? こんな話し方、不快ですか?」

「……いや、おたがい様だ。かしこまった場でなければえんりょなくくずしていい。辺境はお上品では生きていけないし、気を許してくれる感じがする。ふう、参ったな……」


 ランス様が再び視線を遠方に戻す。


「ランス様、麦のが青々としてれいですね」

「……そうだな」

「ランス様はパンとめんるい、どちらがお好きですか」

「ぷっ、なんだ、景色に感心していたと思ったら食い気か?」

「どっちも重要です!」


 あっという間に畑も人の気配も通り過ぎ、ゴツゴツとした岩と赤土のこうに入った。


「エム、ここから先は当分見るところはない。しばらく休んでおけ」

「でも、ランス様は……」

「そのうち交代してもらうさ」

「えーっと?」


 私がランス様を乗せて馬をる日など来るのだろうか? とにかくしばらく静かにしてろということだ。

 ランス様がづなを私のこしにある左手にえ、右手で私の頭を自分の胸に押しつけた。


「景色が変わったら起こしてやる。てくれ」


 私は旅の素人しろうと。大人しく目を閉じる。

 だれかにこんな風にひっついて寝るなんて、いつぶりだろう。温かい。心臓の音が聞こえる。ランス様はきちんと生きて、、、いる。




「おやすみなのですか?」


ランスロットの後ろにダグラスがつき、声をかけた。


「ああ」

「『せん』のふところねむれるなんて……案外怖いもの知らずですね。信じられない……」

さわぐな。起きる」


 エメリーンが眠っているとわかり、ロニーも会話に加わる。


「確かにこの深いけいこくで起きて騒がれて、馬をどうようさせたくないですね」

「閣下、ここを抜けたら彼女を乗せるのを代わります。お疲れでしょう」


 前を進むワイアットが振り返りそう言うと、ランスロットの声は普段よりも低くなった。


「……ちがいが起こらぬように言っておく。エムは俺の妻になるゆいいつの女だ。俺がいる時は、エムの居場所は俺のもとしかありえない。エムは俺の馬にしか乗せない。俺がいて乗せるのも、しょうがいエムだけだ。よく覚えておけ」

「し、失礼しました!」

「閣下、それって本気ってこと……本物のけっこんをされる気なのか……」


 側近三人は、これまでの勝手なにんしきを改める必要にせまられた。




「エム、起きろ」


 かすれた声と同時に腰をギュッとうでめられ、ゆっくりと目を開く。浅い眠りのはずが、しっかり寝てしまっていた。私、図太すぎじゃないだろうか?


「ランス様、私、よだれ垂らしてませんでしたか?」

「さあ?」

「変なごと、言ってないですよね?」

「さあ?」


 教えてよ! ランス様はいじわるだ。


「あの赤いじょうさいの町に今日はまる」


 遠くに人造物が見えてきた。しかし空を見上げれば、まだ日は高い。


「私が旅に不慣れなため、早めに切り上げるのですか?」

「それも理由の一つだが、今後のためにこの町の長と顔を合わせておきたいのと、領地にないものをそろえておきたいという理由のほうが大きい」


 私はなっとくしてうなずいた。ランス様は聞けばていねいに教えてくれる。それがうれしい。コンラッド殿でんは質問してもいつも、私が知る必要はないと言い見下して……頭を横に振り、いまさらどうでもいい記憶を追いやった。


 町に入り宿にとうちゃくすると、私とランス様はせまいけれど必要なものは全て揃っているそうの行き届いたツインの部屋に通された。おそらくこの宿に一室だけの特別室だ。

 こんやくしゃの立場での同室は、うちの父が許しているならば問題なしとされている。でも、


「お部屋、私といっしょでいいのですか?」


 よく知らない私と一緒で休めるのだろうか? 一人のほうが疲れが取れるのでは? 私はいっぱん用の狭い部屋でも問題ないのだけれど。


「……怖いのか?」

「……ひょっとして、ランス様をねらかくが来るってことですか!?」


 それともオバケのほう?


「いや……もういい。行ってくる」

「いってらっしゃーい!」


 ランス様はあわただしくロニー様を連れて仕事に向かった。

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