プロローグ②



******



 目が覚めると、青いえられてベッドで横になっていた。部屋は暗い。あれからどれくらいったのだろう。

 そして……私、チハル・・・はあの時に死んだのかしら? ……きっとそうね。

 私の頭にはチハルという女性の人生の記憶が出現していた。なぜ今まで忘れていたのか不思議なくらいだ。つまりこれは私のたましいに刻まれた記憶で、チハルは私の前世、ということなのだろう。


 チハルであった私は、地球という世界の日本という島国で存在していた。

 かく的安全な世界で、私はいっしょうけんめい勉強して、あこがれの生物教師になった。

 情熱を持って教育にいどんだけれど生徒はなかなか思うように動いてくれず、クヨクヨと落ち込むことも多い日々。でも体育祭で優勝した時は生徒がどうげしてくれて、思わずうれきもした。そんな毎日の中で気の合うどうりょうと婚約もしていた。

 ところがある日、担任する生徒の一人がほおにアザを作って登校してきた。ぎゃくたいを疑い教頭先生にも相談して、彼女を保護する手続きを取り、そのむねを彼女の自宅に電話したら、逆上した父親が学校に乗り込んできて、包丁を振りかぶり……。


『みんな……ごめん』


 日本語でつぶやく。あんなことになるなんて、思わなかった。

 目を閉じて……深呼吸して気持ちを落ち着かせる。やるせないけれど、終わってしまったことだ。チハルは不器用なりに自分の信念を曲げることなくせいいっぱい生きた。私だけはめてあげたい。前世を思い出した以上、現世ではチハルにじない人生を送らなければ。

 しかし、そこで問題がじょう


 まさか私が〈本当の祝福はキミ〉のエメリーン・バルト――つまり悪役令嬢に転生するだなんて!


「光合成の授業中、オタクのヨシオカちゃんからぼっしゅうしたら、『先生も読んでみて! 絶対面白いから!』って言われて生物準備室でこっそり読んで、つい続きの二巻を買いに走ってしまったマンガ……」


 こんなことってありえるの? 思わずほうに暮れてしまった。


〈本当の祝福はキミ(略してホンキミ)〉のタイトルにも入っているが、この世界には〈祝福〉がある。

 生まれて十日目にしん殿でんへ行き、紙をひたした水鏡に赤子の持ち物(大抵たいていは髪の毛)を入れると文字が浮かび上がる。そこに現れた言葉が、その人間のたった一つの〈祝福〉だ。

 喜ばれるのは〈健康〉〈無病〉などの身体しんたいの〈祝福〉や、〈外国語〉〈商売〉〈けん〉など一芸を連想させる〈祝福〉で、なぜかそういった〈祝福持ち〉の人間は体が強健であったり、その技能が他にきん出ている確率が高いのだ。


 私、エメリーンの〈祝福〉は〈運〉だった。記録にある限りで〈運〉という〈祝福〉は初めての出現だったので、判定に立ち会った神官は大いに慌て、大神官に報告し、すぐに王宮に話が伝わった。

 やがて〈運〉という〈祝福〉は、幸運・・を指すものだと有識者たちによって結論づけられ、私はあっという間に王家に囲い込まれた。生まれて一カ月で一つ年上のコンラッド第二王子殿下の婚約者に納まってしまったのだ。兄である王太子殿下の婚約者にならなかったのは、彼のほうはすでにりんごくの王族と婚約していたから。

 コミックスの二巻にて、エメリーンは戦勝祝賀会の場で王子から一方的に婚約破棄される役どころだ。


『〈運〉の〈祝福〉にしがみついているあなたはこっけいだわ! 運命とは自分で切り開くものよ』


 というヒロインのセルビアの決め台詞ぜりふが、殿下の台詞に変わっていたのはなぞだけれど、現実でもまさか同じ展開が起こるとは。


「ないわー」


 勝手に婚約を結ばせておいて、勝手に婚約破棄とは。それに私の〈祝福〉は確かに期待された幸運をさずけはしなかったけれど、殿下に不利益をもたらしたこともないというのに、あのがいしゃヅラ………。


 まだ痛む頭から必死に記憶を絞り出す。

 セルビアは前侯爵の隠し子で、彼がくなったあと、としの離れた兄である現マルベリー侯爵に十五歳で発見され引き取られた。

 彼女の〈祝福〉は〈てんしんらんまん〉。持ち前のほがらかさで周りをドタバタと振り回しながら温かく包み込み、くっせつした登場人物たちの心を溶かし、仲間――というかしんぽうしゃをどんどん増やしていくのだ。素晴らしきコミュニケーション力。


 そういえばマンガのヒーローであるコンラッド殿下は、ゆうしゅうな兄である王太子へのコンプレックスや、〈ぼくちく〉というえない〈祝福持ち〉であることをこじらせてる、という設定だった。

 憧れの将軍のように剣で名声を得たいが、〈牧畜〉では〈剣〉や〈力〉などの〈祝福持ち〉にちできないと、のうする姿が何ページにもわたってえがかれていた。

 王族の〈祝福〉なんて秘密あつかいで、当然これまで知らなかったけれど、〈牧畜〉は素晴らしい〈祝福〉では? 戦争の終わった平時の今こそ必要な、この国をばくはつ的に発展させる可能性のある〈祝福〉だ。それなのに、なぜああもくさってしまったのだろう。

 おせっかいなヨシオカちゃんにネタバレされた記憶では、〈ホンキミ〉は巻が進むごとに次々と現れるイケメンの心をいやしてはれんあいのフラグを建設していく、セルビアそうつかれた社会人にストレスをかけないお話だった。

 確かヨシオカちゃんは最新刊は十二巻と言っていたような。エメリーンはじょばんも序盤のませ犬だったってことだ。


「はあ、悪役令嬢に転生なんて……。まあこの婚約破棄で退場する役だから、今更もうどうでもいいと言えばいいんだけど、でもマンガとはじゃっかんちがう……?」


 そう、マンガでは、セルビアとコンラッドは二人で協力し、つきまとう・・・・・エメリーンとたいして、痛快にやっつける・・・・・のだ。

 だが言わせてほしい。私はセルビアと今日が初対面。存在すら知らなかった。

 私の〈運〉という〈祝福〉は、万が一有識者が唱えるように本当に幸運を呼び込む体質だったとしたら、国内外にゆうかいされる恐れもあるため厳重にとくされた。ゆえに私は王命によって外出は王宮へ行く時のみの、自宅にほぼなんきん状態だったのだ。

 だから殿下につきまとったことなどないし、二人と戦っていない。戦いようがない。つまり、〈ホンキミ〉と全く同じ世界ではない―― のかも?


 そして〈ホンキミ〉の『運だけでのし上がっていく伯爵令嬢エメリーン』いう登場人物しょうかいを改めて思い出し、しょうした。

 王子と婚約したことは幸運だったのだろうか? そのせいで苦労した覚えしかない。

 この婚約が事情ありきだと知らない大貴族のみなさまは、弱小伯爵家のむすめが婚約者であることになっとくしなかった。そのせいで私も両親もどれだけ嫌がらせを受けたことか。

 さらに、学習系の〈祝福持ち〉と比べられるとぼんようとしか言いようのない成績。ぼう系の〈祝福持ち〉と比べると、これまた凡庸としか言えない容姿。外の世界を知らず、世間知らずなため面白い話題も持っていない。そんな私に殿下は早々に興味を失い、逆に私とけっこんする自分の不運をなげいていた。

 それでも私は殿下に恋をしていた。彼しか交流できず、が芽生える前から彼のきさきになると刷り込まれてきたのだ。それが目的で、私の人生そのものだった。

 チハルの記憶が蘇った今、急速にあきらめが育っていく。ああ、なんと私は幼かったのだろう。でも大人の視点で考えることもできるようになったからこそ、私のかんきょうではしょうがないものだった、と自分をなぐさめてみる。

 私はこれからどうなるのだろう。今後のストーリーを大して知らない以上、手の打ちようがないけれど。

 この世界は女性が自力でできることなど悲しいほどにない。

 王子に婚約破棄された以上、私はとんでもないキズモノとなった。どこかの後妻に押し込まれるのだろうか? それともぞくを捨てて出家する?


「うちの領の神殿で、また子どもたちを教えるのもいいかもね」


 我がバルト領の海沿いに立つ小さな神殿を思い浮かべる。そこではおじいちゃん神官長が、年配のご近所仲間と共に、事情があって神殿に預けられた子どもたちのめんどうを見ている。だいたい二十名ほどだろうか?

 神殿の子どもたちに、これまで人手が足りずできなかった事務的教育をほどこせば、いい条件の就職先から声がかかるかもしれない。

 ふと、前世で担任していた生徒たちを思い出す。きょうたくから見下ろしたがお笑顔、そして後列の男子たちの……がお。あの子たちは無事卒業しただろうか。

 された時は放課後だったから、生徒はそれほど残っていなかったはずだけど、あの子たち、まさか現場を見てしまってないよね? チハルのことがトラウマになっていないことをいのるのみだ。


「そういえば、私ってば、婚約までしておいて、二度とも結婚できなかったわね」


 気づけば頰になみだが伝っていた。二度とも、燃えるような恋ではなかった。それでも好きには違いなく、温かい家庭を思い描いていた。


「一緒に幸せになろうって、思っていたの……よ?」


 今更あの被害者ヅラ王子とふくえんしたいなんて思っていない。でも、この十七年間殿下を思って生きてきたエメリーンの心は……ズタズタだ。


「っ……泣くな私! がんれば……ううん、頑張って、神殿であれ今度こそ、私なりの幸せを、ちゃんとゲットしちゃうんだから!」


 私は傷だらけのエメリーンの心を慰めながら、まくらに顔を押しつけて、再びねむりについた。

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