3-4


「エスニア嬢、そのお茶はお好みではありませんでしたか? 薬草園から持ってきたラベンダーを入れてみたのですが」


 何か心配そうに私の顔を見てそう言う殿下はいつもの殿下と同じはずなのに、なんだか最近は話しかけられるたびに照れるようになってしまった。

 殿下の顔を見ると、この前の深夜の厨房でのことを思い出してしまうのだ。

 あの妙に色気のある迫力のじょうは、知らない男の顔をしていた。

 その顔を思い出すたびに、なんだかしたくなるような、恥ずかしいような気持ちになる。

 でもこのラベンダーを入れたお茶は、前世でこの男がよく飲んでいたお茶である。

 他にもいろいろな薬草を入れては嬉しそうに飲んでいた。

 せっかくお茶を飲むなら薬効もあった方が嬉しいよね、そういう考えの男だったから。

 だけれど前世とは全く違う優雅な仕草でお茶を飲むその姿を見ていると、やっぱり全然違う人のような気もしてきてしまって。


「いいえそんなことはありませんわ。美味しくいただいています」


 見慣れていたはずの顔が妙に眩しいというか、りょく的に見えるようになって困ってしまう。

 これは前世の夫。

 そう考えたら今は多少どうようしていても、またきっとすぐに見慣れた顔になるのだろうとは思っている。今は昔との違いが気になって動揺しているだけだろうから。

 ただそのせいで今は、サイラス殿下にじっと見つめられるとなんだか落ち着かないような気分になってしまうのも事実で。

 だから、こうして『神託の乙女』五人で殿下と会っている時は少しほっとする。

 彼がたくさんの人の相手をしなければならないから。

 王太子と『神託の乙女』とのお茶会も、最近はもうすっかりお互いに打ち解けてあいあいとした楽しいものになっていた。

 アマリアさまがサイラス殿下をちょっとからかったりする時さえある。そんな時は殿下はほがらかに笑ったり悲しむふりをしたり。

 そして他の四人がころころと笑う光景は平和そのもので、世の中の人たちが想像しているであろうドロドロとした王太子妃選とは真逆の世界だ。

 そして表面的な会話ばかりでもなくなり、本音も言えるようになってきた。

 なにしろここには「王太子に好かれたい」という女性が、なんと一人もいないのだから。

 それでいいのかはもう考えない。

 だってそれが事実なのだし、ならもうどうにもしようがない。

 たしか選ばれた『神託の乙女』の内の少なくとも一人は、時の王太子と「すぐに」恋に落ちるのではなかったか。

 でも三人はすでに他に好きな人がいるし、アマリアさまも私の目から見たら一番王太子妃に向いているのに、別に殿下に恋をしているわけではないようだ。

 私だってかつて十年も一緒に暮らした前世の夫と今さら恋愛なんてする気にはなれない上に、王太子妃や王妃なんていう立場が重すぎて。

 結果私たちはこの一ヶ月の間、ただただ友情を築き上げていた。

 だからだろう、今日のサイラス殿下はエレナさまの表情がいつもより暗いことが気になったようで、心配そうに声をかけていた。


「エレナ嬢、最近お父上の訪問がよくあるそうですが、何か問題でもありましたか?」

 エレナさまはびっくりしたようで、慌てて答えていた。

「申し訳ございません殿下。ご心配をおかけして……」

「いえいえ、それはいいのですよ。ただ、えんあって友人になったあなたがもしも問題をかかえているのであれば、お力になれたらと。お父上はなんと仰っているのですか?」


 優しい微笑みでエレナさまを見つめる殿下を、私はぼうっとながめていた。

 エレナさまに問題? 全然気付かなかった。

『神託の乙女』である私たち五人は一緒にいることが多いが、だからといってプライベートの時間がないわけではない。

 いったん自分の部屋に入ってしまったら、他の人たちが何をしているのかは意外とわからないものなのだ。

 だからエレナさまのところにお父さまがおとずれていることも私は知らなかった。

 でも王太子から聞かれてしまっては、立場上答えなければならない。

 エレナさまは言いづらそうにしていたけれど。


「問題というか……父がサイラス殿下は誰を選ぶ予定なのか、お前なのかとしつこく聞くものですから、根負けして少なくとも私ではないと思うと答えたのです。そうしたら父が、では私が王宮から帰ったら前のこんやくを復活させると……」

 王太子が誰を選ぶのかは、重要な情報なのでかつに漏らすことはできない。

 誰もが平等に、王宮からの正式な発表を待たなければならないとされている。

 そうでないと誰もがさぐり始め、落選予定の『神託の乙女』が誰かという情報戦、そしてそうだつ戦が水面下でひろげられるからだろう。

 ただ娘が親に自分の感想を伝えること自体は、明文化して禁止されているわけではない。

 エレナさまが「私ではないと『思う』」と言うことは、明確な禁止こうではないのだ。

 事実とは異なっていてもただの感想だから、という、逃げ道。

 まあ、選ばれるにしても選ばれないにしても、親はその後の準備や根回しが必要になる

からだろう。

 王太子妃に選ばれない場合は、どこに嫁に行かせるか。

 それが大問題になる家もあるだろう。

「前の婚約……たしか、ダルトンはくしゃくちゃくとの婚約ですね」


 王太子って、そんなことまであくしているの? と思ったが、考えてみたら『神託の乙女』についての情報は一通り調べられているのだろうし、報告もあるだろうから頭に入っているのだろう。


「はい」


 エレナさまがちょっと悲しそうな顔で答えた。

「でもそのお顔ということは、あまり嬉しくはないのですね?」

「……私、サルトルさまは昔からちょっと苦手で……ただ両親は良いえん|談《だん

だと言って喜んでおりますので、私が嫌だと言ってもなかなか聞き入れてはもらえなくて」

 そう言うとエレナさまは表情をくもらせた。


「それは困りましたね。では次にお父上が王宮にいらした時に、私からその婚約は急がずしばらく待つように言っておきましょうか?」

「まあ、ごはいりょありがとうございます。ですがそれでは両親に、殿下が私を選ぼうとしているのではという期待をさせてしまうことになりますので……」

 まあ、そうなるか。そうでしょうね。

 おそらく誰の親も、娘が王太子妃に選ばれることを期待しているのだろうから。

 私の親以外は、だけれど。


「エレナさまには、心を寄せる相手がもういらっしゃいますものね」


 アマリアさまが、いきなり言った。

 仮にもここは王太子妃を選ぶための場なので、そんなことを直接話題に出していいものかとちゅうちょしていたのだけれど、さすがアマリアさまである。

 それに対しサイラス殿下は別に驚く風でもなく、おだやかな口調で言った。


「ではその方と一緒になるのがエレナ嬢の幸せというものでしょう。もちろんその方がならず者でないことが条件ですが」


 その言葉に、ちょっとだけくすくすと笑いが起きる。

 重い話題が少しだけ軽くなったような気がするので、きっとわざと付け足したのだろう。

 前世の彼は、そういうことはできない人だった、とまた私はこういう時につい思ってしまう。

 王太子として育ったから、こんな社交術が身についたのだろうか。

 エレナさまは、ぽっと頰を赤らめつつちょっと嬉しそうにしていた。


「ならず者ではありませんわ。れっきとした貴族の子息でとても真面目な方ですから」

「そうなのですね。それはよかった。ではその幸運な方は誰でしょう?」

「あ……ダルトン伯爵家の……次男で……」

「なのに長男との婚約を、ご両親がさせようとしている?」

「はい……どうしても次男ではダメだと……」

「なるほど。それは悲しいですね。なんとか上手うまくアルフレッド殿どのと結ばれることを私も願っていますよ。エレナ嬢がどうしてもご両親の言うことを聞かなくてはならなくなった時は、あなたがどこにいたとしても私に知らせてください。私からご両親に助言するとしましょう」


 王太子からの助言とは、それすなわち命令である。

 エレナさまがぱあっと明るい顔になって、サイラス殿下にお礼を言った。


「ありがとうございます殿下。なんてお優しい……」

「いえいえ。せっかくこうして知り合えた大切な友人が不幸になるのは嫌ですからね。私はこの場にいる全員に幸せになって欲しいと願っています。そのために私にできることがあるなら、ぜひやらせてもらいますよ」


 そう言って完璧に美しい笑顔で微笑んでいる。

 そんな殿下をエレナさまが幸せそうな笑顔で見つめていた。

 なんて美しい光景だろう。

 だが私は気付いてしまった。

 まさに今、エレナさまが殿下の公認を得て王太子妃候補から外れたことに……!

 殿下がエレナさまの恋を認めたということは、殿下はエレナさまをもう選ばないと言ったも同然。


「でも殿下、エレナはエスニアのお守りを持っているからきっと大丈夫ですわ! 素敵な方と結ばれるという恋愛お守りですもの! 嫌な人とは結婚しないはずですわ!」


 そこにエリザベスさまがそう言い出した。

 エレナさまが「殿下公認」で王太子妃選から外れたことにショックを受けていた私は、反応が少しだけおくれた。

 そのすきに殿下がにこにことエリザベスさまの方を向いて言った。


「それは良いですね。ではきっとエレナ嬢は意中の方と結ばれることでしょう。ところでそのお守りは他にも誰かお持ちなのですか?」


 そう聞かれてエリザベスさまはちょっと気まずいと思ったのか、言い訳するように言った。


「実は、私たち四人全員がエスニアからいただきましたの……あ、でもそれはその人にとって一番幸せになれる方と恋愛できるお守りだとエスニアは言っていたので、そのお相手が殿下だという方もいらっしゃると思いますわ!」


 今まさにエレナさまが公式に外れたけどね!

 他にもほぼ外れているだろう人が二人いるけどね……。

 私は初めて、お守りを渡さなかった方がよかっただろうかと思った。

 でも、サイラス殿下と結婚して不幸になるくらいなら、やっぱり幸せを感じる相手と結ばれて欲しいし……。


「なるほど、それは良いですね。私の、ここにいる全員に幸せになって欲しいという願いともがっしています。それでエリザベス嬢には、一番幸せになれる相手はもう見つかりましたか? それが私ということは?」


 サイラス殿下がそう言ったしゅんかん、殿下の後ろに気配を消して付き従っていた銀縁眼鏡ののどから何かがつぶれたような音がした。

 対照的に、サイラス殿下がやたら良い笑顔をしている。

 それはもう楽しそうな、切実さとは反対の。

 これは……明らかに自分の側近をからかうためだけに言っているよね。

 エリザベスさまも、少し前まではサイラス殿下にそんなことを言われたら天にものぼここだっただろうに、今は真っ赤になって、


「あっ! いえ! おかげさまで私ももう見つかりましたわ! おかげさまで!」


 なんて言いながら殿下を押しとどめるような仕草で手をぱたぱたと振っていた。

 その瞬間、今度は銀縁眼鏡アルベインさまがそれは嬉しそうに満面の笑みになっているのを私は見た。

 ……なんの茶番なの、これは。


「おや、エリザベス嬢に振られてしまいました。残念です」

「何を仰います殿下~! もう、私のことなんか全然好きでもないのに、殿下は意地悪ですわ~!」


 エリザベスさまが真っ赤になって嬉しそうにそう言っているのを、私はただきょの顔で眺めていた。

 これで、殿下公認で王太子妃候補から外れた『神託の乙女』が二人か……。


「ところで、アルバート・シレンドラー少尉が特進でたいに任じられたそうですね。たしかフローレンス嬢はお知り合いだったかと。おめでとうございます」


 次はフローレンスさまにサイラス殿下がそう言っているのを見て、私はフローレンスさまの好きな人が誰なのか、もうサイラス殿下も知っているのだろうとさとった。


「まあ殿下、ありがとうございます。と言っても私はただの護衛対象だったというだけなので、私がお礼を言うべきかわかりませんが」


 そう言いながらもフローレンスさまは、とても幸せそうな笑みをかべていた。

 そうか、フローレンスさまの好きな人は、順調に、いや大出世をしたらしい。


「いえいえ、彼はあなたからもらったお守りをとても大切にしていて、はだはなさず身につけているともっぱらのうわさです。あなたが贈ったものですよね?」

「まあ……それはとても嬉しいことですけれど、でもそれはきっと私からというよりエスニアさまの作ったお守りがとても効果があると実感したからに違いありませんわ」

「たしかに彼はまるで神に守られているかのように強いという話です。もしやエスニア嬢のお守りは、出世のお守りだったのでしょうか?」


 だから殿下、私に話を振らないでください……と目でうったえても、さらっと笑顔で無視されるこの現実よ。

  ――何のお守りだったの?

 そんなきょうしんしんな視線を寄越してくる殿下。

 出世のお守りだとは思っていないのが丸わかりだ。

 そうですねその通りですよ。「出世のお守り」を作ろうとしたら、いろいろしょうな材料が必要だものね。ただの貴族令嬢では手に入れられない、少々ぶっそうなものも必要になってくる。

 だから本当は何のお守りなのか疑問に思ったのだろう。

 結局私はまたつい視線を外して横を向きながら、何でもないというような口調で答えた。


「お守りですからをしないように、無事に生き残れるようにという願いしか込めていませんわ。ですからその方が出世したというのなら、それはその方の能力が高かったということです」

「ほう、そうなのですか。ではきっとシレンドラー大尉はとても優秀な方なのでしょうね。彼の素晴らしい、いやすさまじい活躍の報告がよく私のところまで届くのですよ。どんな場面でもおくせずゆうかんに敵に立ち向かう姿は、他の多くの兵士たちの勇気にもなっているそうです。素晴らしい人物ですね」

 そう言う殿下に、フローレンスさまは幸せそうな笑みを浮かべている。


「本当に素晴らしい方なのですね! 国のえいゆうですわ!」


 エリザベスさまが感激したように言った。

 そのたんに銀縁眼鏡の顔にぴしりときんちょうが走ったように見えて、私はひそかに笑ってしまった。

「ええそうなのです。実は今回の特進も彼の素晴らしい功績に対するものなのですが、実はそれとは別にほうしょうも考えていましてね。それで何か欲しいものがないかと聞いていたのですが……」


 そう言いながら、殿下はじっとフローレンスさまの顔を見ていた。


「まあ、それはようございました。彼の努力がむくわれるのは私も嬉しいですわ」


 フローレンスさまはにこにこしながらそう言っている。

 でもそんなフローレンスさまに殿下は、


「私もぜひ報いたいと思っているのですが、その報奨には少々問題がありまして」


 としんちょうに言った。


「問題ですか?」

「ええ。ただ……あなたのその表情を見ていて、直接あなたにお聞きするのが良い気がしましたので今ここでお聞きしましょう。実は、アルバート・シレンドラー大尉から、報奨としてフローレンス嬢を欲しいと言われましてね。もしもあなたにその気があるのなら、彼の希望を叶えようと思っているのですが」

「アルバートが……?」


 心底驚いたといった表情でフローレンスさまが固まった。


「はい。全てはあなたからいただいたお守りに守られた結果なので、あなたは勝利のがみなのだと。だからその勝利の女神をいただきたいと」

「ただし、もちろんお受けになったとしても最終的な決定は『神託の乙女』としてのお役目が終わった後となりますので、その点はご承知置きください」


 ずいっと銀縁眼鏡……もといアルベインさまが後ろから口をはさんだ。


「まあ! 素敵! なんてロマンチックなの……!」


 エリザベスさまが感激していた。

 もちろん私も嬉しかった。

 フローレンスさまはアルバート氏のことが好きだと言っていたけれど、アルバート氏の気持ちは知らなかったから。

 でもその彼がフローレンスさまを欲しいと言ったということは、きっと彼もフローレンスさまと同じ気持ちだったのだろう。


「あなたがそれで良いなら、彼にしょうだくの返事をしようと思います。もちろんあなたが嫌がるなら彼には別の報奨をあたえることにします。私は友人を泣かせたくありません。あなたはどう思いますか?」


 そう聞く殿下に、フローレンスさまはふるえる声で答えていた。


「彼が……彼が私を望んでくれたのでしたら、私は喜んで……彼に……」


 それ以上は言葉が出ないようだ。

 でも心から喜んでいることはその様子からとてもよくわかったので、殿下も私も、そしてその場の誰もがにこにこしながらフローレンスさまを見守っていた。


「わかりました。では彼には承諾の返事をしましょう。ただアルベインが言う通り、このことはフローレンス嬢が正式に『神託の乙女』の役からはなれてからの発表になりますので、それまではみなさんも内緒にしてくださいね」


 そう言うとサイラス殿下は、人差し指を自分の口に当ててウインクをした。

 もちろんですわ、そうみんながいっせいに返事をした時、私は嬉しい気持ちとあんたんたる気持ちがごちゃ混ぜになっていた。

 フローレンスさまが相思相愛で、とうとう結ばれることになったのは心から嬉しい。

 でも……「殿下公認」で王太子妃選から外れてしまった『神託の乙女』が、あっという間に三人になってしまったのだ。

 知っていたけど……知ってはいたけど!

 でももう、実は殿下がその中の誰かを好きになって頑張る、ということもないということだ。

 なにせ殿下本人が笑顔で認めたのだから……。

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