3-2


「……ごめんね、先に死んじゃって」

「いや……。ただ、君を助けてあげられなかったのを一生こうかいしていた」


 彼の顔がゆがんだ。悲しそうな、くやしそうな顔だった。

 だから、私は言った。


「あなたがやむことはないのよ。きっとあれが私の寿じゅみょうだったの。それに、私は今なんの後悔もしていない。前世のことは、私、随分早死にだったなあ、程度にしか思っていないから」


 あれが私の寿命であり、そういう運命だったのだと思っている。

 だから彼が悔やむことなんて何一つないのだ。そう伝えたかった。


「……」


 でも彼の悲しそうな顔は変わらなくて、ただじっと私の顔を見つめている。

 きっと彼は今、前世の妻を見つめているのだろう。


「そろそろスープが食べられるわよ。食べる?」


 そんな彼の視線からのがれるように、私は明るい声でそう言った。

 前世は前世。あの記憶は過去のもの。

 でも私たちは今を生きているのだから、今に意識を向けた方がいい。

 そう思って。

 その私の言葉を受けて、サイラス殿下もはっとした顔になって、にっこりとしながら「いいね、食べよう」と言ってくれた。

 よかった。彼には今世まで過去の記憶で苦しんで欲しくはない。

 私はスープを手近な皿によそって彼の前に置いた。

 ついでに自分の分もよそってさじも出す。

 一口食べると、さすが王宮料理人の作ったスープを使っただけあって、昔作っていたスープより随分美味おいしい気がした。

 ふと見ると、上等な服を着た王太子殿下が素朴な庶民のスープをまつな皿で、これまた木の匙を使って食べていて、なんだかおかしな風景だなと思った。

 その時。

サイラス殿下がぽつりと言った。


「これが食べたかったんだ……」


 なぜだか彼が涙目になって、しみじみと言うから驚いた。

 え? そんなに?

 とつい言いそうになった時、私はなんだかくさにおいに気がついた。


「ん……? 焦げ臭い……あっ!! 魔法!!」


 私がスープの前に仕込んでいた魔法が、すっかり水分が蒸発して鍋の底で焦げ付き始めていた。

 慌ててって火にかけていた鍋をかまどから降ろす。

 水を入れてはみたものの、すっかり焦げ付いてしまった魔法はもう効果がなくなっているようだった。


「噓でしょう……?」


 私はへなへなと座り込んでしまった。

 せっかくもらった薬草たちをにしてしまった。

 高価なラントマベリーまで使っていたのに!


「残念だったね。だけどその魔法は成功しても無駄だったから結果は変わらないよ。僕には効かないから」


 木の匙を持ちながらにんまりと笑うその男は、まさしく前世のじゅつだった夫の顔だった。

 そう、私よりも実力のある魔術師の顔だ。


「なんですって!? それでも少しくらい効果はあるはずよ。私だって駆け出しの魔術師ってわけじゃあなかったもの!」


 大いにプライドを傷つけられた気がした私は、彼を睨んでそうさけんだ。

 だけれど奴のにやにや顔は変わらない。


「でも僕は長生きしたからね。最後には大魔術師とまで呼ばれるようになった。その僕に、そんないっぱん的な魔法なんて効かないよ。全部破れるから」

「そんなのやってみないとわからな……大魔術師!?」


 それは、長い魔術師の歴史の中でも十数人しかいない魔術師最高のしょうごうである。

 天才とほぼ同義だ。

 この人が?

 たしかに魔法バカだったけど、まさかこの人が……?


「僕は長生きしたって言っただろう? 君を失ってからもたくさん勉強やしゅ|業

《ぎょう》ができたんだ。だからそんな単純な人除けの魔法なんて、僕には効かない。残念だったね」


 はい、まさに私は王太子を私に近づけさせないようにする魔法を作っていました!

 なのに失敗した上に再度残念だったね、と言われて、悔しくなった私は思わず叫んだ。


「じゃあもう魔法になんて頼らない! とにかく私は王太子にはなりませんから!」

「どうして?」

「どうしてって……王太子妃なんて責任重大で大変そうな人生は嫌なのよ。私は今世は適当な貴族の家にとついでのんびりゆうに生きるって決めてるの」

「そのためには相手は誰でもいいの?」


 なんだかムッとした顔で言われたが。


「誰だってたいして変わらないかなって。だから今世はやさしくて私に好きにさせてくれそうな人を選ぼうと思ってる。ほら私『神託の乙女』になったから、きっと相手を選べるようになるでしょう?」

「じゃあ僕は誰と結婚すればいい?」

「え? あ、アマリアさまなんかどうかな! 一番美人で、たぶん私たちの中で一番かしこい人よ。あなただってせっかく王太子に生まれたんだから、一番綺麗な人を選べばいいじゃない。しかも賢いなんて未来のおうさまにぴったり! こんな前世となんら変わらない私なんかよりずっと適任だと思う」


 そう言うと、なんだか悲しそうな顔をされたのだが。

 なぜ。美人にかれるものではないのか、男性というものは。


「やっとまた食べられたこのスープが、これで最後は嫌だな」


 ぽつりと言ったその言葉。なんだかみょうにしみじみとしているのだが。


「でも作り方は今見ていたし、魔法もローリエもわかったんだから、もうここの料理人でも作れると思うよ? あ、魔法は自分でかけないとダメかもしれないけれど。あとは、そうそう、水にさらしたティルは時間をおくとまた苦みが出るから、できるだけ早く鍋に入れてね。それだけ注意すれば――」

「僕は君が作ったスープがいいんだ」


 そう言って私を見つめる目は、いつの間にか前世の夫から王太子の顔になっているように見えた。

 王太子殿下はすっと立ち上がるとゆかに座り込んでいた私のところまで来て、優雅な所作で手を差し出して私を立たせてくれた。


「ありがとうございます……殿下」

「君は……もう僕の奥さんにはなってくれないの?」


 そう聞く殿下の顔がとても近くて、ふわりと彼の匂いがした。

 スープを飲んで体が温まったのだろう。ほんのりあせをかいて上気した顔の殿下は、妙に色気があってついドキドキしてしまう。

 誰、これは。

 それは……前世の夫ではない、知らない男の顔に見えた。

 綺麗で、いい匂いがして、色気のある知らない男。


「べ、別にあなたが嫌とかそういうわけじゃなくてね? ただ私は王太子妃にはならなくていいかなって。責任が重すぎてぐうたらもできないじゃない」


 慌てた私は言い訳をするようにまくし立てる。

 しかしそんな私にサイラス殿下はさらに近づいて一言。


「大丈夫。君は『神託の乙女』に選ばれた。『神託の乙女』に選ばれて王妃になった人ならば、何をしても非難なんてされないし、させない」

「いや仕事をしない王妃なんて私が国民だったら嫌よ。それに自分のぐうたらした生活が全国民に知られるのも嫌。私は今世はひっそりとだらだらしたいのよ」

「……でも僕は、ニアがいい」


 そう耳元でささやかれた声に、ゾクッとする。


「……その呼び方は反則でしょう」


 それは、前世の夫が私を呼ぶ時のあいしょうだ。

 じりじりと後ずさりをしていたら、腰が食卓にぶつかってしまった。

 すると彼はそのまま食卓に手をついて、私をうでの中にすっぽりと入れてしまった。


「だって、僕はニアとまた一緒になりたいと思っているから」


 私の頭はなぜかお酒でも飲んだのかと思うほどぼーっとして、低い彼の声が私の頭をしびれさせた。

 でも、彼が私を「ニア」と呼んだことが引っかかって、かろうじて思考を取り戻す。


「あなたのニアは、もう死んだのよ。そしてあなたも。もう何百年も前のことなの。ただの魔術師だった私たちはもう死んでしまって、今いるのは王太子となったあなたと、いっかいの貴族のむすめの私。ただそれだけの関係なのよ」


 私はたぶん、自分にも言い聞かせていたのだろう。

 そう、私たちはもうふうじゃない。

 知り合ってまだ一ヶ月くらいしかっていない、ただの知り合い。もしくは友人。

 だけれど目の前にそびえ立つこの人は、そんな私をすぐ上からじっと見下ろしている。

 この人、こんなに背が高かったかしら?


「でも僕たちはやり直すことができる。今度こそ長く一緒にいられるだろう。君にはあの生活は不幸だった? 僕は幸せだった。君と一緒に暮らしたあの十年の生活だけが、前世での僕の人生の全てだった。今度こそ、君を幸せにすると約束するから」


 彼のいきが耳にかかる。

 ……この人は、誰?

 聞き慣れていたはずの彼の声なのに、言っている言葉も雰囲気も、何もかもが前世と違う。

 こんな人ではなかった。

 もっとひょうひょうとした人ではなかったか。

 モテるのがめんどうで、んだ結婚話にほいほいと乗っかった魔法バカではなかったのか。

 少なくともこんなに色気のある熱い目で私を見つめるような人ではなかったはずだ。

 ここにいるのは、誰……?


「私……私は……でもそんな……王妃だなんて……」


 私の知っていた前世の夫とは全く違う気がしてきたこの男を前に、私は混乱していた。

 ただわかっているのは、この目の前の男に流されてしまったら、その先には王太子妃、そして王妃という人生だ。

 かつて暗記させられた歴代の王妃たちのまぶしいほどのかつやくぎょうが頭をよぎる。

 そんな偉業を期待する全国民から、一挙手一投足を見られる生活。行事や外交やぜんなどの山ほどの仕事とそれにともなう重い責任。そしてあとぎを産むことへの全国からの期待……。


「ニア……」

「わ……私は子を産めなかった。十年も一緒に暮らしたのに、子どもはさずからなかったわ。今世もそうだったらどうするの」


 当時は仕事のいそがしさにかまけて、後半は体調の悪さにも気を取られて、子を授からないことにはたいして悩んではいなかった。そんな夫婦は他にもいるのだからと。

 でも、立場が王太子夫妻となると、それは大きな問題になるだろう。

 そのことに私は思い至って、ますますかたくなになった。


「その時は周りが王族の誰かをこうけいに決めるからどうとでもなる。それに次はそうならないかもしれない」


 目の前の男はそう言うが。

 でも、もしも「また」だったら?

 子も授からず、また……早死にしたら。

 この先の人生をあくせくと王太子妃としてのおきさき教育や公務に振り回された挙げ句、また早死にしてしまったら。

 そんなの、前世と何も変わらないじゃないか。

 私はもっとゆったりとした人生が送りたいのに。そんな忙しくて責任も重い人生ではなく、もっと自由で身軽な人生にするって決めていたのに。


「今度こそ僕が守る。だからニア……」


 目の前の男が私を抱きしめようとした。

 私は反射的にその手をかわし、彼の腕の包囲から無理矢理逃れた。


「私は……私は、今世は違う人生にするって決めてたの……!」


 それだけ言うと全力で自分の部屋へと駆け出した。

 もう深夜だから、王宮の中とはいえ誰にも会わなかった。

 誰もいないうすぐらろうを私はひたすら部屋まで走った。

 そしてやっと自室のベッドへ飛び込んだ時、私の胸はまだドキドキしていた。

 あれは誰だったのだろう。

 知っていたはずの、知らない人。

 見慣れた前世の夫の顔をしているのに、あれは全然知らない男の人だった。

 けっしてあんな、切なそうな顔をする人ではなかったのに……!

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