第三章 追い込まれる

3-1


これはまずい。とってもまずい。

 まさかこんなことになろうとは。

 私はその日の夜、ベッドの上で大いになやんでいた。

 私はとつぜん苦境におちいったのだ。

 私以外に四人もいた『しんたくの|乙《おと』が、いつの間にか残り一人になっている。

 さすがの私も、サイラス殿でんが彼を愛してもいない人とけっこんするのを見るのはしのびない。

 他に好きな人がいる女性をめとるなんて、そんな不幸なことはないだろう。

 しかしあの美しい顔があるというのに、全然乙女たちにれてもらえないのはどうしてなのか。


(……ま……まあでも、まだだれも結婚したわけではないし……)


 もしかしたらサイラス殿下の方が先に好きになって、ごういんさらいに行くかもしれないじゃない?

 そうしたらエレナさまだってフローレンスさまだってエリザベスさまだって、これからサイラス殿下を好きになるかもしれ……ないな。うん。

 よくわからないけど、なんだかそれはないような気がする。

 ということは……。


(まずい)


 まさかの事態だ。非常事態。

 これでアマリアさままでもがどこかの誰かとこいに落ちたら、『神託の乙女』が誰も王太子と結婚したがらないなんていうぜんだいもんの事態になる。

 それにあんなにかんぺきな外面で毎日がんって交流しているのに誰にも愛されなかったとか、それはさすがにあの男が可哀かわいそうだ。

 でも、私にも自覚があるのだ。

 私はあの男に対して、あの恋する三人のような気持ちにはなっていないのだと。

 だってあの三人は、恋する相手が何かのひょうに王太子になったとしても、きっと喜んで結婚するだろう。それほど相手に惚れ込んでいるのが見ていてわかる。

 だけれど私は今でもいやだ。


(ということは、私は彼に恋をしていない)


 前世はまだそういう時代だったから、まああれはあれでよかったのかもしれない。

 だけれどまた今世もそんな私と結婚するなんてことになったら、さすがに彼にもなんだか申し訳ない。


(ならば……)


 私は一つの結論を導き出した。

 ここは、アマリアさまと恋に落ちてもらうしかない。

 過去でいんねんのある私になんて気をつかわずに、心置きなくアマリアさまと仲良くしてもらいましょう。

 だけれど私はもうアマリアさまにも「つうれんあいお守り」をわたしてしまっている。

 アマリアさまが恋に落ちる相手がサイラス殿下だったらいいけれど、そうでない可能性もあるのだ。

 私はむくっとベッドから起き上がると、ガウンを羽織った。


(もう背に腹は代えられない!)


 私は行動しなければならない。私のためにも彼のためにも!

 私は机に向かうと、サイラス王太子に初めてお手紙を書いた。

 さらさらとしたためた手紙を、サイラス王太子に渡してしいと言って王宮の使用人に手渡す。

 もちろんその手紙は内容に問題がないか、きっとあのぎんぶち眼鏡がけんえつをするだろう。

 でも問題ない。

 だって王太子自身がみんなの前で言ったのだから。薬草園の薬草を好きなだけ差し上げますよ、と。


(まさかあのげんたよる日が来ようとはね……)


 しかしこのきんきゅう事態に、もうなりふり構ってはいられない。

 私は自分の未来のために、そして彼の幸せのために、私にできることは何でもするべき

だ。

 私が王太子にしょもうした薬草たちは、てっきり明日あたりに届けられるだろうと思っていた。

 だけれどなんと、それから数時間後の真夜中には全て完璧にそろえられた状態で私の部屋に届いたのでおどろいた。

 私がお願いしたたくさんの薬草たちが、十分な量できっちり揃っている。しかも。


(なんか……お願いしていないものまで入っているぞ……?)


 私はなんだかちょっとだけ、嫌な予感がした。

 なぜラントマベリーまで入っているのか。

 私は赤々とした実を見つめながら考え込んだ。

 これはあの薬草園にはなかったはずだ。少なくとも私の見た限りでは見当たらなかった。

 そもそもこの国の気候ではさいばいは難しいはず。

 だから輸入するしかなく、しかもここまでれいに干されているラントマベリーならばものすごく高価なはずだ。

 そんなとっても貴重で高価なものは、たとえ持っていたとしてもさすがにお願いするのは悪いので、持っているのか聞きもしていない。

 とにかく私はたのまなかった。


(なのに……わざわざ察して入れたわね?)


 そうともこの実があるかないかで、効果が全然ちがうのよ!

 してきたのなら使ってやる!

 私は夜中にもかかわらず、もらった薬草を手にいそいそと自室を出た。

 そしてちゅうぼうを探す。

 本格的なほうを作るには、やはり火が必要なのだ。

 王宮にはきっと立派な厨房があるはず。

 そこの人に頼んで、ちょっと使わせてもらうつもりだ。

 真夜中なので人は少ないが、そこはさすが王宮、厨房にも人が残っていた。


「おじょうさま!? こんな場所にいらっしゃっては……」


 火の番をしていたらしい使用人の男があわてて私を追い出そうとするので、


「私は『神託の乙女』の一人、エスニアと申します。ちょっと作りたいものがあるのでかまどをお借りしたいのです」


 と、お願いをする。


「貴族のお嬢さまが、かまどを……?」


 そうですね貴族のれいじょうがまさかかまどを使ってきなんて、そんな使用人の仕事が普通はできるわけがないよね。

 でも私はできるのだ。

 しかも現代のかまどは、前世の時よりいろいろ進化していて使いやすい。

 なぜ知っているかって?

 もちろん実家で使ったことがあるからね! 使用人として!

 ということで。


だいじょうですよ。慣れていますし。心配ならそこから見張っていてくださってもいいですから」


 そう言って押し切ろうとした時だった。


「彼女に使わせてあげてくれ。私が許す。あとは私が見ているから、君はしばらくの間部屋にもどって休んでいなさい」


 そんな聞き覚えのある声がして私は最速でりかえった。


「ひいっ!? 王太子殿下!?」


 なるほど『神託の乙女』の顔は知らなくてもこの王宮の主一家の顔はさすがにあくしていたらしい厨房の使用人は、真っ青になってぺこぺこおをした後あっという間に厨房を出ていった。

 すると当然、この広い厨房にはサイラス王太子と私の二人きり。


「……なぜ王太子殿下ともあろう方が厨房にいらっしゃるのです?」


 私は思いっきりジト目になって、にやにやと笑っているサイラス殿下のことをにらんだ。

 気分はすっかり悪戯いたずらをしようとして見つかってしまった子どもだ。

 しかしいつもの「完璧王太子」の外面をどこかに忘れてしまったらしいサイラス殿下は、いつもとは違う自然で楽しそうながおになって言った。


「君がおもしろそうなものを欲しがったからね。久しぶりに君のお手並みを拝見しようと思って」


 その笑顔はおそらく今世では初めて見る、素のサイラス殿下の笑顔に見えた。

 口調もすっかりくだけている。

 そう、それはまるで……前世の夫そのものの態度。

 私はため息をつくと、こしに両手を当ててさらにジト目になって言った。


「別に見なくてもいいわよ。そんなに見たい? 私があなたけのお守りを作るところを」


 ええ、私も「貴族令嬢」の仮面を捨てました。


「見たいね。なにせ久しぶりだからね」


 そう言って楽しげな笑顔でよっこらせ、と使用人たちが使うぼくしょくたくの前のに腰を下ろし、食卓にほおづえをついてこちらを見る前世の夫。


「……じゃあご自由にどうぞ」


 私は開き直って彼に背を向けると、大きななべを取り出した。

 かまどにせて水を入れる。

 そして彼にもらった貴重でしんせんな薬草を全部ぶち込むと、ふんふんと鼻歌を歌いながら楽しくかき混ぜ始めた。

 本格的な魔法を作るのは本当に久しぶりで、私はなんだか楽しくなってきた。

 どうせなら仕上げにりょくも山ほど入れて、ちょう強力なお守りを作ってやる!

 うふふふふ……!

 おっと、つい不敵なみがこぼれてしまった。

 でも私の後ろに座っている男は過去にそんな私を見慣れているのでの目で見るでもなく、ただ大人しくにこにこと座っている。

 彼は私が何を作ろうとしているのか知っている。

 どうせ私が欲しがった薬草の種類で見当がついているのだ。

 だからさらに効果を上げるためのラントマベリーまで渡してきた。

 となるといまさらつくろう気にもならない。

 いい感じに薬草に火が通り始めたので、私はいったん鍋をかき混ぜるのを止めた。

 あとは時間をかけてめるだけだ。

 するとそれを見たサイラス殿下は、突然言い出した。


「懐かしいね、君のその姿。それで思い出したのだけれど、あのスープは今も作れる?」

「は? スープ?」

「そう、あのたくさん野菜が入っている、君がよく作っていたいつものやつ」


 いつものやつ。

 その言い方が、もうすっかり前世と同じで私は軽いまいがした。

 過去のおくよみがえる。

 今見えている目の前の男は見慣れたあの夫の顔で、声で、笑顔で。

 ただ違うのはこの厨房がやたら広いことと、彼が着ている服がやたら上品で上等なものだということだけだ。


「……あれはダシをとらないといけなくて時間がかかるから、今から作るのは難しいわね」

「ダシならどこかにあるだろう。少し分けてもらえばいい。ぼくが許可する」

「わあえらそう。許可されちゃった。でもダシって言ってもいろいろ種類が……ああ……これか……」


 おそらく王宮のらしい料理人がたんせいめて作ったであろうダシ、というより立派なスープが、厨房の一角に種類別に分けて大事に置かれていた。

 中をのぞくと、どれもがさすがとしか言いようのない素晴らしいスープだ。


「本当にいいの? こんな立派なスープを拝借して」

「いいよ。料理人には後で僕から言っておくから」


 事もなげにそう言った彼は、そんな時だけさすが今世は王太子として育った男なのだという風格をただよわせている。

 記憶の夫と全く同じ、でもどこかが違う男。

 見慣れた人のはずなのに、なんだか初めて見るような、そんな不思議な感覚だ。


「じゃあ、このチキンのスープを少しもらうわね。あと材料ももらうから。でも料理人には本当に言っておいてね? 私がぬすんだなんて言われるわけにはいかないもの」


 そう言いながら私はそのスープストックから二人分のスープをもらうことにした。

 厨房の保管庫から野菜と肉も見繕う。

 そして鍋を火にかけて肉の表面を焼き、スープを入れると手早く野菜を切って投入していった。

 ちらりと後ろを見ると、やたら綺麗な顔の男がうれしそうな表情で大人しく座っている。

 ふと、目が合った。

 するとさらに笑顔になったその男は、ごそごそと小さな包みを取り出した。


「君が欲しいと言った薬草をむ時に、いっしょに摘んできたんだ。僕の記憶では、君はスープに薬草を入れていたから」


 見ると、そこにも薬草が。

 私がお願いした薬草とは違う薬草たちが、またきちんとまとめられている。

 だいたいが昔に私がよく使っていた薬草たちだった。


「よく覚えていたわね……でもまたティルを入れたいの? ティルを入れるなら……って、ああ、苦み消しもしっかり摘んできたのね」


 魔力を増強する力の強いティルは本当に苦いので、料理に入れるなら苦み消しの薬草と一緒に入れるものだというのも覚えていたらしい。

 ただ、わざわざ摘んできたってことよね?


(ということはこれ、最初から作ってもらう気満々だったな?)


 前世の夫がこの薬草を入れたスープを好きだったので、私もよく作っていた。

 でもまさか今世でも食べたいと言われるとは、夢にも思わなかった。

 まさかそんなに好きだったとは。

 こんなのしょみんがよく作る、よくある家庭料理だったのに。

 ちょっとあきれた顔になりつつ私はそれらの薬草を受け取ると、ティルと苦み消しの薬草を一緒にしてよくみ始めた。

 しばらく揉んでから、その薬草たちに魔法をかける。そうして水にさらすと、苦みだけが水にすので苦みがずいぶんやわらぐのだ。

 そして間を置かずにいているスープに投入した。

 スープにはお茶と違って肉のあぶらがあるので、その効果でそれ以上苦みが出づらくなる。

 ティルの苦みを消して料理するための昔からの方法だ。

 まあ消えきらないんですけどね、この量だと。

 それでもあの薬草茶に慣れた彼の舌は全然平気だったらしく、なぜかこのスープをよく飲みたがったことを思い出す。


(……こうしていると、まるで昔に戻ったみたいよね)


 他の薬草たちも入れてひたすら鍋の中をかき混ぜていると、なんだか前世で料理しているかのような感覚になった。

 でもふと見上げるとそこは見慣れた厨房ではなく、後ろにいるのもやたらと上等な服を着た男。

 その男は私と目が合うと、ちょっと複雑そうな顔をして言った。


「そういえばスープに入れていた薬草は全部覚えていたつもりだったのだけれど、何かが足りないみたいで。それを用意できなかったのが残念だ」

「薬草は全部揃っていたと思うけど……ああ、じゃあもしかしてローリエかな? 香り付けのようなものだから薬草ではないのよ。普通のこうしんりょうだからきっとここにも……ああ、あった」


 私はその葉を見つけ出すと、数枚失敬して鍋に入れた。

 そういうところは本当に、薬草以外には全く興味がなかったままなのね……。


「へえ、だから料理人に作らせても同じ味にはならなかったのか」

「うーん、そんなことはないような……ローリエでそこまで変わるとは思えない……あ、そういえばティルの苦み消しに魔法を使うから、それかも?」

「そうか。全然気付かなかった」

「まあ、作業の流れでさりげなくやっていたからね」


 ちょいちょいと使う簡単な魔法なんて、はたから見たら使っていることがわからないものだ。

 だから彼は私が料理に魔法を使っていることを知らなかったのだろう。


「いつ使っていたの?」

「ティルを水にさらす前にゆうの魔法をかけるのよ。そうすると苦みが水に溶けやすくなるの」

「へえ、知らなかった。どうりで何度作ってみても味が違ったわけだ」

「自分でも作ったの? 王太子殿下が?」

「今じゃなくて前世でね。なにしろ僕は君がいなくなった後も随分長生きしたから」


 あの前世の彼が? 料理をした?


うそでしょう? 料理なんて食べれれば何でもよかった人だったじゃないの」


 食に興味のなかった人が、まさかすいするとは思わなかった。


「君のスープが食べたくて再現しようと何度も作ったんだけど、結局再現できなかったんだ」

「次の奥さんに作ってもらえばよかったじゃない。こんなの、あの時代の女性ならみんな作れたと思うわよ?」

さいこんはしなかったからね」

「そうなの!?」


 私はびっくりした。

 だって私が死んだ時彼はまだ若く、そしてとても美しい顔面を持っていた。

 妻をくしたと知られればまた女性がわんさかと寄ってくるだろうから、きっと再婚するだろうと思っていたのだ。

 あの時代に独り身のままというのは、とてもけんていが悪いものだったこともある。

 なのに、再婚しなかったの?


「僕は君とげたかったんだ」


 驚く私をぐに見てそう言った彼の顔は、昔の、かつて夫だった時の彼の顔に見えた。

 ただ、どこか悲しそうな遠い目をしていた。

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