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*****



 私には憧れの生活がある。

 それはたいして働かなくてもいい、綺麗で清潔な服を着て、毎日美味しい食事ができる生活。

 そう、それはまさしく貴族夫人としての生活だ。

 朝はたっぷりぼうをして、起きたら使用人が顔を洗う水を持ってきてくれて服も着せてくれるような。

 そして毎日料理人の作った美味しい料理を食べ、お友達と優雅にお茶をしたりパーティーを開いたり……うん、パーティーはそんなに開きたいとは思わないが。

 でもたまにはお呼ばれして、華やかな世界を体験するのもいいだろう。

 気が乗らなければ自分の家の庭を散歩したり、ふらりとお買い物に出かけたり。

 ああ……なんて楽しそうなんでしょう。

 そしていつか自由な時間を持て余すようになったら、魔法の研究をするのもいいかもしれない。

 りんごくに支配されていた暗黒時代にしょうめつしてしまった、前時代の魔法書や魔法に関する資料を集めるのだ。

 別に今も魔法が禁止されているわけではないのだから。

 単にもう誰も魔法を覚えていないから、興味がないだけなのだ。

 そんな人々に、簡単な魔法を教えてみるのもいいかもしれない。

 きっと生活が便利になって、少し楽になるだろう。

 この国の大半の人は、多少なりともりょくを持っているはずなのだから。

 ああ、素晴らしき私の未来。

 私の人生に、政治や公務にぼうさつされるような暇なんてないのだ。

 そんな意気込みの私は、すっかり傍観者の気分で『神託の乙女』たちとサイラス王太子との交流を眺めていた。

 上品かつ優雅に楽しく会話をする美しい乙女たち。

 エリザベスさまのようにとても積極的な方もいれば、フローレンスさまのように他に好きな人がいて、どちらかというと消極的な方もいる。

 しかし明らかにやる気のない態度なのは私だけだ。


「エスニアさま。どんなにその気がなかろうとも、『神託の乙女』としてサイラス殿下との交流はきちんとしていただかないと困ります」


 私の態度を見かねて裏でこっそりそう苦言をていしてくる銀縁眼鏡もといアルベインさまが見張っているから、渋々ながらも一応毎日の交流に参加しているけれど。

 しかしそうなるといやでも思い出すのは、前世の記憶。

 この殿下の顔と声が、私の記憶を無理矢理呼び覚ます。

 恋とか愛とか、そんなものをすっ飛ばしてした結婚生活は、ひたすら穏やかだった。

 まあたとえ燃えるような恋の末の結婚だったとしても、十年も一緒に暮らせばげきなんてなくなるものかもしれないけれど。

 いつもの顔。いつもの会話。刺激なんて枯れ果てた、ひたすら家事と仕事に忙殺される代わり映えのない日々のかえし。

 それを、今世も? いや、もういいです。

 そんなことをしみじみと思いながら、今日もうすっぺらい微笑みをけつつ眼前で繰り広げられる美しい男女の語らいを眺めていたら。


「エスニア嬢は薬草茶を作られるそうですね。ぜひ私もいただいてみたいと思いまして」


 そう完璧に爽やかな王太子という仮面を貼り付けたまま、サイラス殿下が私をひたと見つめて言い出した時は目が点になった。


「ええと、私、そんなこと申し上げました……?」


 言っていない。決して言ってはいない……!

 だが敵も完璧な外面笑顔のまま、しれっとすっとぼけた。


「この前仰っていたではありませんか。ですのでその時に使うと仰っていた薬草をご用意してみたのですが、これだけあれば足りますか?」


 って、それ、単に自分が飲みたかっただけだよね……?

 私は呆れた。

 確かに前世、この男は私の作る薬草茶がやたらと好きだった。

 でもそれをまた飲みたいからといって、こんなにごういんしょもうするか?

 そんなこと許されていいのか!? でもその言葉と同時にアルベインさまが大きなぼんに山盛りにした薬草を持ってきたということは、もう最初から私に作らせる気満々だね!?


「まあそんなお話があったのですね。この薬草は殿下のあの薬草園のものですか?」


 エレナさま、今その話題はやめてください。


「殿下が大切にされていたあの薬草たちは、こうやって活用することができるのですね」


 フローレンスさまも、話に乗っからないで。


「こんなに新鮮な薬草で作るお茶は私、初めてかもしれませんわ。楽しみです」


 アマリアさまも、そんな前向き発言やめてください。


「まあ素敵! ぜひ私もいただきたいですわ!」


 エリザベスさま……その発言、こうかいしても知りませんよ……。


「みなさまもそう仰っていることですし、よかったら、ぜひ」


 他の乙女たちの賛同もあったからか、妙に嬉しそうに言うサイラス殿下を私は軽くにらみ返した。

 よかったら、じゃあないのよ。

 本当に何をやってくれているのか。

 飲みたいなら、こっそりとたのんでくれれば調合くらいしてあげるのに。

 だからこんな、みんなの前ではやめてください……。

 今のこの、たまに私がお茶会で「ついミルクとお砂糖を入れすぎるくせ」を発動させるだけで許して欲しかった。

 私はもう何度も、彼のさいそくの視線に負けて極甘紅茶を作っては彼に取り上げられていた。

 おかげで私は最近、他の四人から「エスニアさまはうっかりさん」などと言われるようになっているのよ。あなたのせいよ。

 なのに、今度はこれ!?

 これは一度、どうにか二人きりになってちゃんと話をした方がいいのかもしれないと私は思い始めた。

 こんなことを繰り返されたら、まるでサイラス殿下が私を気に入っているように見えるではないか。

 ということは私が王太子妃候補として注目されてしまうということだ。それは困る。

 だからやめて、そうやって私をキラキラした目で見つめるのを!

 その嬉しそうに何かを期待する目で私を見るのはまずい。

 誤解を招くようなことはしないで……。

 私は盆に山と積まれた薬草たちを睨みつけてから、次にサイラス殿下を改めてじっとりと睨んだ。

 ――何ちゃっかりこんな用意までしているのよ。

 ――もちろん作ってくれるよね?

 って。

 何をしれっと強要してくるんだこの人は。

 特権ずるい。

 立場を利用した横暴反対!


「……あれは薬効はありますが味が良くないので、殿下にはとてもおすすめできませんわ」


 しょうがないので、私はしれっと笑顔で断った。

 相手は王太子? そんなのもう知りません。

 あの私の薬草茶を欲しがるのは、今も昔も前世の夫くらいだ。

 そんな人を相手に遠慮なんかしない。もうしないぞ!


「あら、どんな薬効があるのですか? エスニアさまはお守りだけでなく薬草茶まで作れるなんて、本当に何でもご存じなのですね。とても楽しみですわ!」


 しかし何も事情を知らない他の四人からも、そんな期待の目を向けられてしまった。

 あわてた私は必死に説明をしたのだが。


「多少元気にはなれますが、その分とても味が悪いのです。よほど弱っている時以外はおすすめしません」


 本当は魔力をぞうふくさせる効果があるのだが、この現代では魔力を誰も気にしていないのでそういう表現になる。

 つまりそれは、この現代においてはたいして意味のない薬効ということになる。

 とっても苦いのに。


「まあ……良薬は口に苦しと言いますものね」


 しかしなぜかアマリアさまたちは乗り気のままだ。


「お薬みたいなものだと思えば、少々の味の悪さは仕方ありませんわね」

「知らないでいるよりも、一度は体験してみるのもいいかもしれませんわ」

「せっかく殿下がこうして薬草をご用意してくださったことですし」


 あっという間に場の空気が薬草茶を作る流れになっていくのを、ひしひしと感じた私だった。

 どうして……。


「エスニア嬢、ぜひお願いします。私も楽しみにしていたのですよ。そのためにこのお茶会の前に薬草園に行ってんできたのです」


 そう言ってさらに追い打ちをかけてくる仮にも王太子殿下に、もはや誰が逆らえると言うのか。わざわざ王太子自ら摘んだ薬草たちを、ゴミにすることは許されない。

 私は天を見上げてため息をついてから、やれやれという顔で薬草の山のところまで行くと、しぶしぶ調合を始めた。

 前世で散々作っていたので、今でも難なく調合できる。

 だがこの薬草茶はひたすら薬効を突き詰めた結果、味が後回しになったしろものである。

 正直とても苦いし、後味も爽やかとは言えないものだ。

 前世でさえもあの夫以外は誰もが二度と手を出さなくなる代物だったのに、なぜか彼だけはそのお茶をやたら美味しそうに飲んでいたっけ。

 しかしまさか生まれ変わっても所望するほどとは、全然知らなかったよ……。

 私は少々呆れながらも、目の前の薬草のできるだけ最大量を使って、大量の薬草茶をその場で調合してやった。

 ついでに後で配合もメモにでも書いてわたそう。

 そうしたら私がいなくなっても、好きなだけこのお茶が飲めるだろう。

 材料は自分の薬草園にあるのだから、きっと一生飲めるに違いない。

 そうして全員の期待の目をひしひしと背中に感じながられたお茶をお出しした結果。


「……ええと、これは……ずいぶん面白い味ですのね……」

「なんというか、ちょっと苦みが……でも体には良さそうですわ……」

「これは、子どもの頃に飲まされたお薬を思い出しますわね……」


 等々、四人の令嬢のみなさまにはとても複雑な顔をされてしまったのだった。

 うん、それが普通の反応ですよ。

 知ってる。前世でよく見た光景だ。

 というのに。


「ああこれは体に染み入りますね。なかなかこのクセがやみつきになる。美味しいです」


 とか言いながら、ぐびぐび飲んでいるサイラス殿下の味覚は大丈夫なのか?

 なぜそんなに好きなのか。

 改めてこの人おかしいわと、数百年の時を経て再にんしきした私だった。


「まあ、殿下はもう飲み終わったのですか?」


 驚いたようにエレナさまがそう聞くと、殿下は満面の笑みで言ったものだ。


「はい、とても美味しいお茶だったもので」

「えっ……そう……ですわね……」


 ほら見ろ、として答えるからエレナさまが困惑しているじゃないか……。


「この苦みはティルでしょうか」


 アマリアさまがじっとお茶を見つめながらつぶやいた。

 二口目を飲む気はなさそうだ。


「あ、そうなんです。ティルは魔力のじゅうにとてもいいのですが、どうしてもこの苦みがせなくて~」


 ティルをアマリアさまが知っていたことが嬉しくて、つい素になってうきうきと説明する私。

 ティルはとても苦いのであまり好まれないが、昔は魔術師が魔力の補充のためにいやいやでもお茶にして飲んだり料理に混ぜたり、工夫してっていた薬草なのだ。


「でもこの薬草茶はティルを直接せんじるよりとても苦みがおさえられていて、十分美味しいですよ。ずっと飲んでいたいほどです」

 だから、そう言って喜んでいるのは自分だけだということを、わかっているのだろうかこの人は。

 ついでに私のことをそんなキラキラした目で見るのもやめて欲しい。


 私を見る目が、大好きなおやつを持っているご主人さまを見上げるワンコのような目でいたたまれない。

 ふいっと私は顔をそむけてポットの中のお茶っ葉をかくにんするふりをした。

 ちがってもここで見つめ合ったりなんかしてはいけない。そんなことをしたら、私たちの間に特別な感情が芽生えたなどと誤解されかねない。

 そう、この場が、「王太子」が『神託の乙女』の中から自分のはんりょを見いだすための場だということを忘れてはいけないのだ。

 ちりちりと私の横顔に注がれる視線を感じつつも、私はポットをのぞんだまま言った。


「みなさま、おかわりはいかがですか?」


 まあ単に、お茶を淹れた側としてれい上そう聞いただけである。

 もちろんこのお茶の不味まずさにみんなが断るだろうことは想定内だ。

 そしてやっぱり令嬢方が思った通り口々に「いえ……」「私はもう……」などと返答をする中。


「もちろん、いただきます」


 そんなうきうきとした殿下の返答が聞こえた時、殿下の方を見てもいないのに『おかわりある?』と満面の笑みで聞いてきた、かつての夫の顔をまざまざと思い出した私だった。

 そういえば心から幸せそうな笑顔をしていたわね、あの時も……。

 その結果。


「殿下のあの目をご覧になりました? もうすっかりエスニアさましか眼中にないような目をしていらして」

「ほんとほんと! 殿下はずっとエスニアさまを見つめているのにエスニアさまがつれないから、なんだか悲しそうなお顔もされていたわよね」

「ちょっとお二人とも? あの薬草茶にはげんかく作用はないはずですが、もしや幻覚でもご覧になりました?」


 なんだか楽しそうな様子で語りながらこちらを見るフローレンスさまとエレナさまを困惑の目で見返しながら、私は早口でさえぎった。

 しかし、二人はほがらかに言ってくるのだ。


「そんなことはありませんわ! 殿下は明らかにあのお茶を気に入っていらしたじゃない。あのお茶を三ばいも飲んだのよ!? よほど気に入らなければできないことですわ!」

「そうでなくても殿下は最近エスニアさまと見つめ合うと、とても嬉しそうに目を細めるのよ。もうまるで本当の奥様を見つめるような目をされるの……!」

「でもエスニアさまも、嫌ではないんでしょう? あ、もしかしてそれで緊張しちゃうとか? そういえば殿下に見つめられている時が多いわよね、お砂糖とミルクの量を間違えるの」

「きゃあ、エスニアさまったらなんて可愛い~~!」

「だから違うんです……! って、誰も聞いてないわね」


 アマリアさままで参戦し始めたその会話を、もう私はそれ以上何も言えずにただ据わった目で見守ることしかできなかった。

 だってやつが「目を細める」のは、ただ単に「いいよね?」と自分の要求を相手にごり押しする時の癖だなんて、ここでは言えないのだから。

 お茶会で奴がその目をした時はほぼ確実に「甘いお茶が飲みたいな」と言っているだけだし、でもそれを無視するとずっと何かとからんできてうっとうしいったら。

 で、結局その圧にえかねた私が渋々自分のお茶にミルクと砂糖を大量投入することになっているだけだなんて、絶対に言えるわけがない……!


「なるほどなっとくですわね。あの苦いお茶も、きっとエスニアさまが淹れたお茶だから殿下は美味しく感じたのですわね!」


 いやいや、あれは「私が淹れたから」じゃあないのよ。

 かつて魔術師だった彼が、魔力が湧いてくるのが何よりも嬉しいからと飲んでいるうちに単に味に慣れてしまっただけなのよ……。

 どんどん話が困った方向に発展していくのが耐えられなくなった私は、慌ててエリザベスさまの方を見て言った。


「本当にそんなことはないんですよ……あ、そうだ! エリザベスさま、あの薬草茶のレシピをお教えしましょうか!?」


 エリザベスさまがめずらしく何も語らずになんだかぼんやりしている様子だったので、この話題を嫌がっているのかもしれないと心配になってもいたから。

 だが。

 エリザベスさまは本当に上の空だったようだ。


「え……? あ、なんのお話だったかしら?」


 はっと驚いたように私たちを見て、そんなことを言ったのだ。

 エリザベスさまがサイラス殿下の話題に参加してこない……?

 私は不思議に思いつつも、再度、今日の薬草茶のレシピを教えましょうかと言ってみたのだが、エリザベスさまは、まあ、難しそうだから私には無理よ、遠慮するわ、と言ったきりまた黙り込んでしまった。

 どうしたのだろう?


「エリザベスさまは、どうなさったのかしら?」

「今日のサイラス殿下のご様子にもあまりショックを受けていないみたいでよかったけれど」

「なにしろ今日の殿下はエスニアさましか見ていらっしゃらなかったから」

「いやそんなことないでしょう!? みなさんともおしゃべりしていましたよね

!?」


 こそこそ会話していたのに私が突然大声をあげてしまったからか、エリザベスさまがまたはっとしたような顔をしてこちらを見た。


「エリザベスさま、もしや熱でも? ちょっと失礼」


 そう言ってフローレンスさまがエリザベスさまの額に手を当ててみたのだが。


「熱はないようですわね」


 不思議そうに自分の手を見ていた。

 するとエリザベスさまは、


「まあ、すみません。ご心配をおかけして……。どうも私、今日は調子が悪いみたいなので先に休ませていただきますね」


 そう言うと、まだ夕方だというのにふらふらと自室に戻っていってしまった。

 残された私たちは困惑していた。


「何かあったのかしら?」

「さあ?」

「そういえばあの殿下の側近のアルベインさまと、何かお話ししていたのを見たような」

「え、あの銀縁眼鏡!?」


 アマリアさまの言葉に全員が顔を見合わせて驚いた。


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