2-2
「今までは言動にそつがなくてあまり殿下の個性を感じられなかった気がしていたけれど、今日のお散歩ではちょっとだけ殿下の人となりが感じられたような気がしましたわ」
王宮に戻って王太子と別れた後、私たちが五人でお茶をしているとアマリアさまがふと思い出したという感じで言った。
「たしかにそうですわね。どんな時も冷静な方だと思っていたので、殿下があんなに生き生きと薬草について語るのは
エレナさまも言った。
「あの薬草を王宮で使うこともあるそうですわ。王族の口に入ることもあるから完全に無農薬で育てているとか。そんな知識やお
フローレンスさまも感心している。
「本当に、あんな素晴らしいご趣味があるのに普段はそれを言わないなんて、どこまでできたお方なのかしら……! 単なる趣味だなんて
エリザベスさまも感激している。
前世の時とは違って、おおむねあの薬草大好き王太子という存在は、『神託の乙女』たちに
たしかに今回は薬草について語りながらも
そこはさすが「理想の王太子」としての所作なのだ。
だから王太子妃候補である『神託の乙女』たちが今日の王太子に対して失望しなかったのは幸いだ。
なにしろあのサイラス殿下は、このまま順調にいけばこの四人の中の誰かと
私?
私はもういいです。
というより、王太子妃になりたくない。
しかも相手があの前世の夫だなんて、あまりに
それに私よりずっと未来の
この人たちがとても優しくて善良で上品で、まさに未来の王妃に相応しい品格を持っていることをすでに私はよく知っている。
だから私としてはこの中の誰にでも気持ちよく彼をお任せできる、そんな気持ちだ。
きっと今世の彼を幸せにしてくれることだろう。
そんなことをぼんやり考えていたら。
「そういえば殿下は、エスニアさまには薬草を好きなだけ差し上げると言ってましたわね」
理由はわからないがエレナさまが、なんだか楽しそうに私のことを見て言った。
「はい? いやあ、たまたまでしょう。きっとあの薬草園を
「きっとエスニアが殿下の薬草園の素晴らしさを一番わかっているって、殿下に伝わったのね!」
エリザベスさまがにこにこして言う。
「いやいや、きっと私が黙っていたから殿下が気を
「でもエスニアさまがあの薬草園を褒めた時、サイラス殿下がとても嬉しそうなお顔をなさったのを私は見ましたわ」
フローレンスさままでがなにやら意味深な笑みを浮かべて言い出した。
「そんなそんな……きっと殿下は私が薬草園をつまらないと思っていると思われたのです。だからそうでないことが嬉しかったのでしょう。それだけですよ……」
なんだか雲行きが
「でも事実、エスニアさまにはあの大切にされている薬草をいくらでもお贈
おくりすると仰ったのですから、きっとエスニアさまになら本当に差し上げてもいいと思われたのでしょうね」
アマリアさままでが、にこにこ楽しそうにそんなことを言い出した。
「いやだから、偶然たまたまですって……!」
本当は私が前世魔術師なのを知っているから、あそこにある薬草の使い道を知っているから、だから使っていいよと言っただけだろう。
別に
だけれどそんなこと、当然ここで言うわけにはいかない。
だから、私はただ否定するしかできなかった。
誰もがにやにやしながら私を見ていたけれど……。
今日はサイラス殿下と王宮の庭でピクニックだった。
いくつもの大きなパラソルの下で、私たちが
微笑ましい……まあそうですね、とても微笑ましい光景です。
敷物の上に上品に座るサイラス王太子は今日も上質な服を綺麗に着こなし、その美しい顔にはいつもの麗しい微笑みを浮かべている。
そんな王太子を囲む『神託の乙女』たちはみなそれぞれに
たいへん微笑ましくも楽しげで美しい光景だ。
そんな光景を、私はすっかり
こうして見ていると同じ顔とはいえ全く前世の夫の
(しかし……どうしてアレが、こうなった?)
だけれどよくよく考えてみれば、この人は今世、生まれた時から王太子として育てられてきたわけで。
そりゃあ二十年もの間しっかり王太子教育を
たしかに私も今世は厳しい令嬢教育を受けて育った結果、前世と比べたらそれなりに貴族らしい上品な態度をとれるようになっているのだからそれと同じということだ。
うっかり最初に別人だと思ったせいか、いやそう思いたかった無意識のせいか、そのことに思い至らなかった自分を今は
しかしこの人が前世の夫だと仮定した上でまじまじとこの王太子を観察してみると、なんとなくだが前世の夫と同じような顔をする
それはいつも
そして思い出す。
前世の夫も、やたら外面がいい時があったな、と。
魔法薬の大得意先や貴族を前にした時はいつも、魔術師というよりは感じの良い
そんな時は、私でも驚くくらい人当たりの良い好青年に化けていた。
『何あれ、もう全くの別人じゃないの! 誰かと思ったわ』
初めてそれを見て大笑いしていた私に、彼は『あれが一番無難で話もまとまりやすいんだよ』なんて言っていたっけ。
もしかしたら彼は今、「完璧な王太子」という仮面をずっとつけているような状態なのかもしれない、と思うようになった。
そう考えたら、全くの別人のように見えるこの完璧王太子の姿も
王太子という立場も大変なんだな、と初めて私は思った。
そして改めてそんな目で見ていると、まあ似ていること。
やっぱりこれ、同じ人だな。
うん、
(……なんで私はまた同じ人の妻候補になっているんだろう?)
そう思った瞬間、私はもうこの人相手に貴族令嬢として
前世のただの魔術師の
さようなら厳しかった令嬢教育の賜物たち。この王太子妃選が終わったらまた思い出すわ。
そして急速に混ざり始める前世と今世の記憶。
だんだん目つきは
でもいいの。私は王太子妃に選ばれたくないのだから、むしろ好都合だ。
いいじゃないか、たまには『神託の乙女』にガラの悪いのが混ざっていたって。
そんな感じで今日も上品に私を見つめるサイラス殿下をついジト目で見つめ返していたら、
「エスニア嬢、もしやこのお菓子はお好みではありませんでしたか? あまり手をつけていらっしゃらないようですが」
そう言ってサイラス殿下が指し示したお
そういえば以前から王宮のお茶菓子に、よくこのクッキーが登場していたな。
……もしや、この人はかつての私がこのクッキーを好きだったことを覚えていて、あえてこのクッキーを出していた……?
え、そんなことある……?
「まあ、そんなことはありませんわ。とても
するとサイラス殿下はぱあっと明るい表情になって言った。
「それならよかった。毎回お出ししていたから、もう
もはや疑う余地はないだろう。彼は覚えているのだ。
そして昔のように、私がクルミ入りのクッキーを真っ先に
「いえそんな……そんなにたくさんはいりません……」
思わず困惑した顔で答える私。もはや苦笑いさえも出ない。
とにかく私を構わないで欲しい。私がクルミ入りのクッキーを食べなくても、あなたには何も問題はないはず……!
「まあ殿下、なんてお優しいご
すかさず横からエリザベスさまがフォローをしてくれたが、残念ながらこの殿下に対して、もはや私に緊張なんてカケラもない。
だけれど私の印象が悪くならないようにそう言ってくれるエリザベスさまは、本当に良い人だと思った。
エリザベスさまはサイラス殿下に夢中だけれど、だからといって他の人を
そんなエリザベスさまに、サイラス殿下は完璧な外面笑顔で答えていた。
「お茶ですか。それならたとえばミチカ地方の紅茶は香りも良くて好きですね。香りが良いとより美味しく感じます。でもお茶ならだいたい何でも好きですよ」
そう言って
しかしこの人の中身が本当に前世のあの夫なのならば。
私は
(何言っているんだか。お茶なんて、とにかくミルクとお砂糖がたっぷりと入った
「まあ、そうなんですのね! ミチカ地方のお茶はたいそう香りが良いですものね! わかりますわ! あ、でも私の家の領地のお茶も香りがとても良いんですのよ。今度ぜひ試してみてくださいませ」
そんな
あれはいつも、実に嬉しそうだった。色男が台無しだとよく
でも本当に好きなんだなと感心もしたっけ。
「……」
ちょっと考えた私は自分のお茶にミルクをなみなみと注ぎ、それから砂糖を山盛り四
するとそれを見ていたエレナさまが、
「エスニアさま……あの、いつもよりたくさんお砂糖が入ってしまっているけど、いいの……?」
と心配そうな顔で言ってくれたので、私は手を
「まあ私、ぼうっとしていたらお砂糖もミルクも入れすぎてしまったみたいですわ。こんなつもりはなかったのですけれど……どうしましょう、これを飲んだら私、太ってしまうかも~」
我ながら白々しい。
でもこれなら私の予想が外れても、自分の体重と
そして他の四人が「まあエスニアさまったら、うっかりさんね」といった顔で微笑ましく見守る空気になる中、私の予想通りに完璧外面のまま上品に微笑むサイラス殿下が言った。
「ではそのお茶は私がいただきましょう。エスニア嬢は私のお茶をどうぞ。
「まあ殿下、なんてお優しい! エリザベス感激です……!」
そんなエリザベスさまの前で、私の極甘のお茶をにこにことご機嫌で
代わりに差し出されたのは、殿下が気取っていたせいで何も入れられていないお茶だ。
「ありがとうございます殿下。殿下のおかげで私の体重が救われましたわ~」
そう言いながら、私はやっぱりじゃないかと
そしてサイラス殿下もそんな私を見て、意味深な笑みを浮かべていた。
――嬉しいな。覚えていてくれて。
殿下の顔は、そう言っていた。
そりゃあ覚えていますとも。
毎日毎日いそいそ甘くしては飲んでいたじゃないか。
だから私も言ってやったのだ。
――それが飲みたかったんでしょう?
――そう。美味しいよね。
一瞬の微笑みと視線でそれだけ会話した私たちは、即座にしれっとまた他人に戻った。
しかしよくもまあ、見事に化けたものだ。
だがその済ました顔で
ああ既視感。
この美しい光景の中で、いったい何をしているのか私たちは。
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