第二章 疑惑と確信

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 私たち『しんたくおと』がサイラス王太子と交流を始めた当初、この王太子という人は「かんぺきらしい王太子」としての態度を全くくずさなかった。

 常に美しいほほみをかべ、どんな所作もゆうさをきわめ、完璧で適切な受け答えをする。

 たとえ私たち五人が相手でもその全員に平等に微笑みかけ、話しかけ、だれとでもにこやかに楽しそうに会話をする。

 前世の夫とは顔と声以外は似ても似つかない、高貴な生まれの人特有のオーラが全身からこれでもかとにじているしょうしんしょうめいの王子さまだった。

 だからエリザベスさまなんて、毎回サイラス王太子と交流した後は彼がどれだけ素晴らしい人物だったのかを、うっとりと熱く私たちに語ってしまうくらいには感激していた。


「こうして間近で拝見してもどこにも残念なところがないなんて、そんなことある!? でもサイラス殿でんは本当に全てがてきで……ああ私、もしかして夢を見ているのかしら、それとも天国に来ちゃったの!?」


 でもエリザベスさま以外の乙女三人もそれに反論するどころかにこにことうなずいているということは、三人も同じように感じているのだろう。

 それくらいには王太子として、いや一人の男性として完璧だったのだ。

 だから私は少し安心し始めていた。

 やっぱりあの人は最初に思ったような前世の夫なんかではなく、単にものすごく顔が似ている別人なのではないか、と。

 ティーカップを持つその指先からさえもさすが王族としか言いようのない優雅さや気品が滲み出ている王太子と前世のあの夫が同じとは、見れば見るほど思えない。

 いつも愛用しているマグカップの本体を手の平でがっしりとつかんでいるような、上品とはかけはなれていた過去の夫とは全然ちがう。

 きっと美しい顔というのは、めるとみんなこんな顔になるのだろう。

 それに他の四人と私とで、王太子の態度や表情が変わることも全くない。

 ということは、もし仮にサイラス王太子があの前世の夫の生まれ変わりだったとしても、きっとおくはないのだろう。

 記憶がなければ、それはただ顔が同じなだけの別人だ。

 ならばこのまま予定通りに私はただの『神託の乙女』の一人として王太子殿下と知り合い、そして王太子選に落選すればいい。

 うっかり前世の記憶があるせいで、れいじょう教育を受けた割には今でもあちこちについボロが出る私である。

 あの完璧なうるわしの王太子に一番似合ってないのは誰の目にも明らかだ。


(私はこのまま四人のうちの誰かが見事王太子殿下を射止めるのを、ただながめていればいい)


 サイラス殿下との交流が進むにつれ、私はだいにそう考えるようになっていた

 ――そう、その日までは。

 その日、サイラス殿下と『神託の乙女』たちはいっしょに王宮の庭園を散策していた。

 この散策もあのアルベインさまが立てた計画らしく、護衛と一緒に私たちの後ろを少しきょを置いてまるでお目付役のようについてきていた。

 だから私が王太子たち一行から少しだけおくれるようにしてみたら、アルベインさまがすぐ後ろに来たので話しかけてみたのだ。


「さすが王宮のお庭ですね。とても美しいですわ」


 するとアルベインさまは、ごくぶとぎんぶち眼鏡をくい、と上げながら何のかんがいもないような

声で教えてくれた。


「この庭園は王宮専属の庭師が十八人で管理しております。季節ごとの花をバランス良く配置して、常に花がいているように管理されているのですよ」

「まあ、さすがですね。だから今もこのようにたくさんの花が咲い――」

「ところでエスニアさま、少しサイラス殿下から離れてしまったようですので、おもどりを。みなさま平等に殿下としんぼくを深めていただくためにご協力をお願いいたします」

「あ、はい……」


 アルベインさまにそう言われてしまったら、私はサイラス殿下を囲む一団のしんがりにしぶしぶつくしかない。

 しかし私はできる限りサイラス殿下とは距離を取ろうと努力している最中である。

 うっかり何かのはずみで気に入られるような可能性はできるだけなくすに限るし、それにたとえ別人なのだとしても、前世の夫と同じ顔の人と親しく話すのはさすがにちょっと複雑な気分になるのよ。

 仕方がないのでとぼとぼと集団の一番後ろを歩いていたら、サイラス殿下が庭園の説明をする声が聞こえてきた。


「春になるとここは一面がれいな黄色に染まるのですよ。母の好きな光景なので、庭師たちが特にたんせいめて世話をしてくれています。そのころになると私も母に付き合ってよく一緒に散歩をするのですが、本当にそうかんなんですよ」


 おだやかに語るサイラス王太子。

 聞き覚えのある声なのに、その声がつむぐ言葉はやっぱり記憶の中の夫とは似ても似つかない。

 じゅつだった前世の夫にとって、植物の価値はほうに使える薬草かどうかというその一点のみであり、美しさはどうでもいいようだった。

 少なくとも私の記憶の中の彼は花をしみじみ眺めるどころか、その美しさについて語るなんてことはなかった。


「まあ、それはきっと素晴らしい光景なのでしょうね。でも今も十分美しいですわ。春以外にもその時々の美しさを保つふうがされているのでしょう。とてもゆうしゅうな庭師がいらっしゃるのですね」


 アマリアさまが感心したように言っている。

 サイラス王太子に微笑みかけるアマリアさまは、明るい陽光を受けていつもよりさらに美しく見えた。


「それにとてもいい香りがしますわ」


 エレナさまもうっとりと言っている。

 それは全てが上品で、穏やかな光景だった。

 サイラス殿下は美しい微笑みとともに、様々な花だけでなく庭園の構造についてもじょうぜつに語っている。

 そんな殿下を見ていたら、そもそも庭というものに全然興味のなかった前世の夫を思い出して、私はまたちょっとほっとして、でもなぜかどこかさびしいような複雑な気分になっていた。

 だがそんな王太子との庭園散策も終わりに差しかかった時のこと。


「ん?」


 私は、庭園のはしに、さらに奥へ続く道を見つけた。

 私たちが散策しているような綺麗に整えられた広い道ではなく、ただかためられたせいで自然にできたようなけものみちに近い細い道と、そこにつけられたぼくな木のとびら

 それはひっそりと、がきかくれるようにさりげなく存在していた。

 でもよくよく見ると明らかに今も誰かが使っているような感じがある。


「あらエスニア、どうしたの? あら、この先にもお庭があるのかしら?」


 私の様子にエリザベスさまが気がついて、同時に私が見ているものを見つけたようだ。

 そんな私たちのところに、他の三人も何事かとやってきた。


「まあ、まるで隠れ家への秘密の通路みたいですわね」


 エレナさまがなんだかわくわくした口調でそう言うと、


「ああ、そこはだん公開はしていないのです。行ってもあまりおもしろくはないので」


 サイラス王太子が後ろから、ちょっとおどろいたように言った。するとすかさず、


「まあ、非公開なら仕方ありませんわね。興味は引かれますが」


アマリアさまが残念そうに言った。


「でもどうして非公開なのでしょう。この王宮の庭園に、見られたら困るようなものがあるとは思えませんが」


 フローレンスさまもきょうしんしんといった顔で言う。


「もちろん危ないものはありません。ただ、少々はなやかさに欠ける場所なので」


 しかしそんな王太子に、アマリアさまが満面のみになって言った。


「まあ、びというのもぜいがあって良いものですわ。華やかさとはまた違ったお庭、ぜひ拝見してみたいですわね」


 すると他の乙女たちも、アマリアさまに同調してぜひ拝見したいと言い出して。

 複数でお願いされてしまったサイラス殿下はちょっとまどいつつも、


「では特別にご案内しましょう。でもがっかりしないでくださいね」


 そんな意味深なことを言ってから、自ら先に立ってその木戸を開いてくれた。

 果たして、その先にあったのは。


「まあ……草? 薬草かしら?」


 アマリアさまが戸惑ったように言うほどの、一面の草、草、草だった。

 管理はされているのだろう。

 区画分けされたそれぞれに、種類の違う草が生き生きとしげっている。

 そう、それは。


(薬草園……しかも量も質もなんて素晴らしい……!)


 私には一目でわかってしまった。

 そこには魔法に使う様々な薬草が、辺り一面びっしりと植えられていたのだ。

 わたす限り生い茂る、元気で健康な薬草たち。

 風にかれてそよぐ青々とした姿とかぐわしい香り。

 ああ、なんて素晴らしい光景なのかしら……!

 かつて魔術師だった時の自分がこの光景を見て、心の中でかんまいおどはじめた。

 それほど私にとって、夢のような光景だったのだ。


(さすが王宮、なんて素晴らしい。いつか私もこんな素敵な薬草園を作りたい……!)


 しかし一見すると花のない、ただうっそうとした緑一色の光景を見て驚く私たちにサイラス殿下が真面目な顔で説明をしてくれた。


「ここには、いろいろ薬効があると言われている薬草を集めているのです。ただ花もほとんどないこのような地味な畑なので、見ても楽しくはないだろうとあまり人にはお見せしていないのですよ」

「まあ、薬効……ではたとえば、この草にも何か薬効があるのですか?」


 エレナさまが近くに生えている草を示して聞いていた。


「それは傷に効くのです。すりつぶしたものを傷に当てると治りが早くなるのですよ」


 にっこりとそくとうするサイラス王太子。


「あそこの背の高い草にも薬効が?」


 アマリアさまがそう聞くと、やはりがおで答える王太子。


「あそこのものは、むしけに使えるのです」


 もちろん魔法に使うような植物は、それなりに薬効のあるものが多い。

 だから彼の言っていることはうそではない。

 だけれど前世魔術師だった私にとって、ここにある薬草はそんな生ぬるい薬効のあるただの草ではなく、いわば宝の山だった。

 たとえばサイラス殿下が「傷に効く」と言った薬草は、薬を作る時の重要な材料の一つである。この品質と量があれば、きっと素晴らしく良質な治癒薬が作れるだろう。

 虫除けに効くと言っていた薬草も、魔法で強化してやれば虫だけでなく任意の動物や人をける魔法を作ることができる。

 それ以外にも様々な魔法に使える植物たちが、見渡す限り植わっているのだ。

 その規模と質は、前世のしょうがかつて持っていたまんの薬草園にもひってきするほどのもので。


「ここは、殿下のお庭なのですか?」


 フローレンスさまがすらすらと薬草の説明をするサイラス殿下に聞いた。

 するとサイラス殿下は、


「実は、そうなのです。ここは私がしゅで作った薬草園なのですよ」


 そう言ってちょっとうれしそうな顔をしたのを、私は目の端でとらえていた。

 ん……?

 なんだかふとその顔に引っかかるものを感じたのだが、その時はそれが何かわからなかった。


「まあ、殿下は薬草におくわしいのですね! 人のためにもなる趣味をお持ちだなんて、なんて素晴らしいのでしょう!」


 サイラス王太子はそう感激したように言うエリザベスさまに、ちょっと照れたように言っていた。


「でも花もない地味な、いわばただの畑なので見てもつまらないでしょう?」

「まあ、そんなことはありませんわ。他にどんな薬効のものがあるのですか?」


 エレナさまがそう聞くと、サイラス殿下はまた嬉しそうな顔になっていくつかの薬草の説明をしていた。

 さすが『神託の乙女』たちである。

 緑の草しかないこの一面の畑を見ても、誰もつまらないとか来て損したなんて言わないどころか、むしろ興味津々になってあれこれ質問までするとは。

 どんな時でも楽しい会話ができるという、貴族夫人に必要な素晴らしい素養をみなさんしっかりお持ちだった。

 さすが『神託のすいばん』、良い仕事をしたのね……。

 そしてそんな乙女たちに囲まれて聞かれるままに薬草について語るサイラス殿下が、なんだかとても嬉しそうで。

 いつもの完璧な微笑みがすっかりかげひそめて、今は晴れやかな笑顔になっていた。

 その嬉しげな表情を見たら、私はまたつい昔を思い出してしまった。

 そういえばあにだったあの前世の夫は、その美しい顔につられて寄ってきた女性たちにれなくとう|々

《とう》と薬草について熱く語りすぎて、よく女性たちにげられていたなあ、などと。

 その点サイラス殿下はさすが社交慣れしているのか、そのあたりのあんばいが上手――

 んんん……?

 その時とつぜん、私がさっきから何に引っかかっていたのかに、やっと気がついた。

 同じ、笑顔…………?

 この薬草園について語っているサイラス王太子の晴れやかな笑顔が、みょうに見覚えのある笑顔であることに気がついたのだ。

 それはそれは嬉しそうな、生き生きとした笑顔。

 それはまさしく、前世の夫と同じ笑顔…………。

 私の背中を、さあっと何か冷たいものが下りていった。


(まさか、そんな)


 ……いやいやいや、同じ顔なのだから、同じように笑うこともある……よね?

 あるよね!?

 ……ちょっと待って私、落ち着こうか。

 たかが笑顔一つでそこまでどうようしなくてもいいじゃないか。

 ちょっとたまたま薬草が好きだったり、その薬草について語るのが大好きだったりすることなんて、つうにあるよね?

 あるのか!?

 たまたまぐうぜんにも同じ顔で、同じ声で、そして同じように薬草が好き?

 嬉しそうに笑うとちょっとくしゃっとなるその表情、つまり笑い方まで一緒だと!?

 いやいやきっと同じ顔だと笑い方も一緒に……なるか?

 動揺のあまり混乱した頭で私は必死にぐるぐると考えていた。

 さすがにこれは、いくらなんでもそっくりすぎる。


(……やっぱりあれ、前世の夫の生まれ変わりなんじゃないの……?)

「ええ、貴重なものもあります。たとえばあそこの……そう、あれは、やけど傷の傷に特によく効く薬草なのですが、見分けがとても難しいので手に入れるのにとても時間がかかりました」


 かろうじて口調は上品で穏やかなままだが、放っておいたらいつまでも語っていそうな様子がなんだかデジャヴだ。

 しかもそのいつまでも語るおそらく前世の夫の生まれ変わりを眺めていたら、一つの疑問がいてきた。


(考えてみたら、この規模の薬草園を全く前世の記憶もなしに作ることなんて、果たしてできるものだろうか?)


 魔術師としての知識もなしに、あんなに魔法によく使う薬草ばかりを集めてさいばいするなんて、そんなことがあるのだろうか?

 いや、無理でしょ。

 と、いうことは?

 私は引きつった顔でサイラス王太子を見つめた。


(噓でしょう……?)

「もしやこの場所は、エスニアじょうには少々つまらなかったでしょうか」

「はっ?」


 私がずっとだまったまま会話に入ろうとしないことに気付いたのか、サイラス殿下が私を見てちょっと悲しげな顔をしていた。

 そういうところはいつもの完璧王太子なのよ。

 ちゃんと全員とお話ししようとするがたい方なのよ。

 でもね、今は私、ちょっと混乱しているからお話しする余裕はないのよね!


「まあそんなことは……ありませんわ。とても素晴らしい薬草園に驚いておりましたの。こんなに大規模で上質な薬草園をわたくし、初めて拝見したものですから」


 それでもそくににっこりと笑って白々しくそんな台詞せりふけたのは、厳しい令嬢教育のたまものだろう。

 たりさわりのない受け答え、印象の良いお返事。

 ええ、私も今は一応貴族令嬢ですから!

 するとそんな私にサイラス王太子はたんにぱあっと明るい顔になって、


「それはよかった。あなたにそう言っていただけてとても嬉しいです。もしもお使いになりたいものがありましたら何でも差し上げますので、どうぞえんりょなくおっしゃってくださいね」

 そう言った。

 使いたいもの? たくさんあるよ!

 なんなら全部しいくらいだ!


「まあ、ありがとうございます殿下。なんておやさしいのでしょう。でもおそおおくてわたくしにはとてもそんなお願いはできませんわ」

 だけれどどうして私が薬草を使う人間だと知っているのかな!?

 私は台詞とは裏腹に、じっとりとした目で王太子を見つめ返した。

 するとサイラス王太子は薬草の方をちらりと見て、そしてまた私の方に目を戻してからかたまゆを上げたのだった。

 ――でも、欲しいでしょ?

 それは、かつて魔術師だった夫がよくしていた仕草だった。

 私は確信した。

 今私の目の前に立っているのは、まさしく王太子の皮をかぶった前世の夫なのだと……!

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