第5話 さらに続く篠子の物語と珠枝の眼鏡の理由
わたしはその珠枝の姿勢の変化を目で追う。
袖と襟のところだけがまっ赤なピンクのTシャツと、同じように赤いハーフパンツという姿がワイルド。
「はい、
ワイルドな珠枝は、そうワイルドに言う。わたしが座敷テーブルについていた手を放すと、珠枝は二人のあいだにあった座敷テーブルを持ち上げた。
上に載っていたつぶつぶ感たっぷりのジュースとスモークチーズといっしょに。
そのまま、座敷テーブルをわたしの体の上に落とす!
……そんなことをされたら、わたしには
しかも、わたしの体はジュースまみれになってしまう。
でも、珠枝は、そのテーブルをテレビのほうに持って行って、ジュースもこぼさずチーズも落とさずに器用に置いた。
テレビも消す。
もともとテレビをつけていたので、照明は暗くしていた。
電球色の暗い照明が、妖しい。
珠枝は、わたしの横にどんと尻餅をついた。
いや、普通に座ったのだろう。でも、珠枝はちょっとだけ体積が大きいので、「尻餅をついた」ぐらいの衝撃は床から伝わって来た。
このバブル期前に建てられたという
その姿勢から、思い切りよく両脚を伸ばし、として、また、どん!
わたしのすぐ横に、珠枝は思い切りよく寝そべった。
わたしもそれにつられて上体を横にして、珠枝のほうに顔を向けたが。
近い!
「ふふふっ」
きびきびモードからとろんモードに切り替わる途中の声で、珠枝は笑った。
「そんなこと言ったら、ふだんは顔色も土気色っぽくて、唇を「へ」の字にして不機嫌そうに見えるのに、話に気分が乗ってくると小学生の女の子みたいに顔にばら色が載ってきて「
「うわっ!」
わたしはびっくりした。
「なんでそんなこと、わかるかなぁ?」
正確に言うと、自分の顔色がほんとうによくないと思ったことはない。自然な肌色だと思う。
でも、その肌の色の写真写りが悪いのはたしかだ。肌色補正機能との相性が悪いのか、「土気色」と言われそうな不健康な色に写ってしまう。
すっと、それを気にしていたのだが。
それも、珠枝に言ったことは、なかった。
「それは、写真写るときに、必ず一度はいやっぽい表情するから。だから、わかるよ」
珠枝は、そのさえない唇で言った。
「でも、ルージュ塗らなくても明るいピンク、って篠子の唇は、控えめに言ってもうらやましい。そこだけ切り取って、わたしのものにしてしまいたいくらい」
「切り取って」で、びーっと肌が破かれるような感覚が、少しだけ走った。
その感覚が「少しだけ」走っているすきを突いて、珠枝は、どん、と、わたしの右肩にその手をのせてくる。
珠枝は体積が大きいだけあって、その衝撃も強い。
あっ!
切り取るのではなくて、吸い取るつもりだ。
わたしの唇を。
いやではない、と思った。
二人しかいない家の、二人の共用の部屋なのだ。
でも、その前に。
「でも、わたし、最初に」
と、珠枝の動きを遮るように、言った。
珠枝の体の動きはゆっくりになり、止まる。
わたしは言う。
「最初に珠枝が気になったのって、唇じゃないんだよね」
わたしは、珠枝に押さえられている右肩の下の右手を動かして、人差し指を珠枝の唇に接近させる。
もう少しで唇の向こうの潤いに手が届きそうなところまで近づける。
珠枝。
何も言えない。
じっと、その茶色い両目でわたしを見ている。
「最初に珠枝が気になったのは、去年の夏の始まりのころ、会社の食堂の列に並んでたとき。珠枝が、ふっ、と後ろをふり返ったんだよ。そのとき、珠枝の眼鏡姿が「すごいキュート!!!」って思った。そこからなんだ」
珠枝は、その目を、ぱち、ぱち、ぱちと瞬かせる。
その先を言うつもりはなかった。
でも、珠枝がせっかく目を瞬かせたところを見せてくれたのに、言わないのは反則だと思った。
だから、言う。
「最近、珠枝、眼鏡かけてないけど、コンタクトにしたの?」
しかし、珠枝がコンタクトを気にしているところなんか見たことはない。
いっしょに住んでいるのに。
共用になっているバスルームの化粧台に珠枝がコンタクトケースを置いているのも見たことがない。
「あれぇ?」
また珠枝があの生乾き声を出す。
「あれはさ、あのちょっと前の健康診断で、乱視って言われたんだよ。だから、高い値段かけて、乱視用の眼鏡、作ったんだけどさあ、誤診だったんだよね」
要領よく説明する珠枝。
少なくとも、仕事ではこんな「先に進む」感のある説明は、珠枝はしないのだが。
「健康診断のときだから前の夜から何も食べてなくて、さらに寝不足で、目がかすんで、視力がすごい落ちてた。いや、ただ、ぼーっとしてたってことかな。で、その結果持って眼科に行ったら乱視って言われて、眼鏡、作って。でも、そのあと、免許取ろうかな、って考えたことがあって、それで視力診てもらいに行ったら、裸眼のほうが視力よかったんだよね。それで、そのときから眼鏡は一度もかけたこと、ない。ついでに言うと、それでなんか意気が挫けて、免許も取らなかった」
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