第2話 珠枝の物語

 篠子しのこって、仕事ではしっかりしてるのに、それ以外では甘いところがあるからなぁ。

 最初に二人で部屋を見せてもらいに行ったとき、不動産屋さんが紹介してくれたのはお調子者っぽい男の人だった。これから内見に行く部屋を担当している仲介業者だという。スタイルはいいし、親しみやすそうだ。茶色のフレームの眼鏡をかけているところもなんとなくおちゃめだ。感じのいい男、ということになるんだと思う。

 途中までは、わたしも、その部屋、いいかも、と思っていた。窓の上に、もう一段、明かり取りの窓があって、部屋が明るい。おしゃれだ。

 しかし、部屋をゆっくりと見ようと思っても、その茶色眼鏡の男が次から次へと話をするので、その時間がなかった。

 それで、ふと、わたしは、この男は、自分のしゃべりのペースにこちらを乗せようとしているんじゃないかと思った。

 ということは、この家、何かあるんじゃないか。

 ところが、篠子は、そのペースに乗せられて、すっかりその部屋が気に入ってしまったようだった。

 いや。

 わたしだって気に入っていた。

 それでも、「でも……」というためらいが消せなかった。

 篠子が代表になってあの部屋の契約をするという日、わたしは半休を取ってあの部屋を見に行った。

 見に行って気づいたのは、あの日、感じていたほどすてきな部屋でもおしゃれな部屋でもない、ということだ。

 あの日は晴れていたけど今日は曇り、ということはあるだろう。けれども、ここに住むのならば曇りの日も雨の日もここにいるわけだから、「晴れの日限定のすてきな部屋」ではだめだと思う。

 それで、一人でゆっくりと見てみると、天井板がずれていて小さいすき間があったり、台所のシンクの下に水が漏れたようなあとがあったりだ。

 それで、そういえば、と、収納の下の段に置いてあった収納ボックスのことを思い出した。

 ほかの家具は一つもない。作り付けでもないのに、あのボックスだけ置いてあったことが気になった。

 それで、ボックスをどかしてみると、壁がカビで黒く変色していた、というわけだ。

 それに、トイレの戸を開けてみると、内側に貼ってあったベニヤ板ががれていた。浮き上がった板にひっかけて、指をすりむいてしまった。

 やっぱり、と思った。

 この家のことについてはいつでも親切に対応してくれるはずの大家に不親切な態度を取られて不愉快だったこともあり、わたしは、不動産屋さんに鍵を返すときに「ここ、やめます」と言ってしまった。

 そうしたら、わたしが篠子に電話する前に、不動産屋さんが慌てて篠子に電話してしまったらしい。

 篠子は、考え直して、やっぱりその部屋の契約を取りやめたけど、業者の「感じのいい男」を色眼鏡で見るものではない、と不愉快そうに言った。

 でも、むしろ、わたしたちのほうが、あの「感じのいい男」の眼鏡でこの部屋を見させられていたのだ。

 そう思ったけど、篠子には言わなかった。

 仕事では次から次へとシビアに問題点を指摘する。しかも、言いかたが柔らかいので、必要以上の反発を受けることがない。

 それなのに、それ以外では人がよくて信じやすいのが篠子のいいところだから。

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