硝煙に混じる煙

@bigboss3

第1話



 その日、与島には横一列の高性能カメラを持った人間で埋め尽くされていた。年齢は主に四,五〇代くらい辺りが詰めていた。中には親子と思われる子供を連れた一団もそこにいた。

 彼らの目的は関西国際空港から降り立った国賓を乗せた列車を撮影する事だった。その列車は皇族や国外からやってきた国賓に使われる線路の上を走るリムジンか装甲車とスイートルームの融合体と言わるものであった。当然この列車の運転は極秘事項で本来ならテロを警戒して警備も厳しいのであるが、ネットが発達した現代ではすぐに目撃情報が拡散してファンに広まり撮影ポイントに集結される。

 そんな中に僕は混じっている。乗っていたバイクの鏡を見ると少年と青年の間のような顔つきと薄い縁の眼鏡がかかっていた。一見するとおとなしそうな顔をしているのだが、僕としては猫をかぶっていると思っている。

 僕はバックからカメラを取り出し、縛り付けていた三脚を取り出そうとしたとき、子供が走ってきて、運悪くその三脚がバットでボールをバントするような形で当たってしまった。子供は泣きながら両親を呼ぶ。僕はありきたりな子供を心配する言葉を投げかけ、けががないか確認した。そこへ両親がやってきて、子供を気遣う。最初僕は大丈夫ですかと声かけてくれるのかと思った。そして、両親は僕のその期待を大きく破った。子供に優しくしてくれたのかと思えば怒号罵声を浴びせかけ、胸ぐらをつかんだ。

「貴様、うちの子に何するんだ」

「あんた、傷をつけて一生残ったらどうするのよ」

 二人からすれば子供を思うから出た怒りであるのだろうが、僕にとってはこんなに理不尽なことはなかった。僕はただ言い訳をしたかったが、言い訳する暇も隙も与えてはくれない。僕はただ謝ることしかできない。それに対して彼らの怒りの血圧計は高くなるばかり、父親は怒り平手打ちを僕の頬にぶつけた。その衝撃で眼鏡が飛びアスファルトに落下した。その時、僕の中に何か恐ろしく溶岩より泥ついた何かが沸き立った。それは殺意と悪意と快楽が合わさった黒いものが心の中に沸き立った。

「な、なんだよ。何かも文句でも?」

 父親の声に僕は悪意のこもった笑みで睨み付けた。両親は僕の変わりように気が付いたようで、いったい何があったのかわからないみたいだった。その時の僕はこの二人を公衆の面前で苦しみもだえ苦しむさまが見たいという欲求にかられた。その時素人でもわかるさっきをこの両親は感じ取ったようだ。怒りの表情から肉食獣に追い詰められた草食獣の表情に変わってしまう。一方の子供は一瞬ではあるがぶつかった僕の顔を見た。その瞬間、子供は一瞬にして怯えてしまい、必死に溢れ出かねない涙を抑え込んでいた。

「おい、ケガはないか。」

 僕は儀礼的な態度で少年をまるで惚れっぽい女を口説き落とすかのようなきざで、クールを装った声で語りかける。子供は僕の悪魔のような笑みを見て、ズボンを濡らして頷くが恐怖で怯えているのはよくわかった。僕が頭をなでようとしたとき、今度は痛みの涙ではなく恐怖の涙で両親に助けを求めた。しかし、今度の両親は助けることもできないみたいだった。何か見たことない人間と違うものを見る表情をしていた。

 俺は握りこぶしを作ると、一言つぶやく。

「これであいこだな」

 父親はその意味を理解したときには彼の顎は僕の作った拳で複雑骨折を起こした後だった。父親はよだれを垂らしながら、妻子に助けを求めたが、妻と息子は惨状を見てパニックを起こすだけだった。

 眼鏡をかけた僕は何事もなかったかのように撮影ポイントに向かうことにした。これ以上問題に巻き込まれたくなかったため、そそくさと逃げるも同然に向かう。

「どうしてこんな目に……」

 僕はそうつぶやきながら人だかりから離れていった。


「お、コウ君。来たのか」

 知り合いの鉄道オタクが先に三脚を構えて列車が通過するのを今か今かと待っていた。僕も棒を担ぐように運んできた、三脚を解放して、撮影の接地にかかった。

「ここならいい絵がとれそうですね」

「ああ、この場所なら大丈夫だろう」

 僕はそんな会話をしながらカメラアングルの調整を図った。

「ところで、博士論文は進んでる?」

 いやなことを思い出させる。本来なら山ほどの資料を解読しながら、自分の考えを文書化しているころなのに、趣味に走っている。よっぽどの自信家かもしくは怠け者か、そのどちらかだと思った。

「う、うん、ある程度は進んでるよ」

 適当な嘘で年上のオタクを煙に巻こうとした。

「ところで、さっきのモンスターペアレントに絡まれていたけど、また、暴力沙汰犯したのか?」

「見てたの?」

「そりゃあ、あんな騒ぎが大きくなったら、いやでも目と耳に入るよ」

 僕は顔を赤くしながら無糖の紅茶が入ったペットボトルを開けて、一気に口の中に流しこんだ。別にのどが渇いていたというわけではない。こうすることで気分を心機一転させようと思ったから飲んだというのが理由だ。

「やっぱり直らないのか?」

「別に、生活に支障きたすほどじゃないないから……」

「あの、騒ぎを起こして?」

 友達の呆れた顔を見て、疑いながらもカメラを設置した

「ところで、今回の特別列車、本当にこの時間でやってくるの?」

「勿論だとも、俺の情報は間違いない」

 仲間は胸を張って、情報が正しいことを表現した。こう言う列車は当日まで機密というのが仲間内の常識だった。

 僕は半信半疑にファインダーを橋の根元に向けた。ループ状になったインターチェンジにサイレンを鳴らしながらやってくる白と赤のワゴンが下りてきた。

「たぶん、あのモンスターペアレントを病院に運ぶためだな。そうじゃなかったら、パーキング以外何のとりえもない島に、緊急車両が来るはずないだろう」

 そう聞かされた僕は「やっぱりそうだよな」心の中でため息をついた。

 一方の救急車は僕達のいるパーキングエリアにできた人だかりに止まったかと思うと、担架に乗せられて救急隊員二人と母親一人が付き添いとなって載せられていった。さらに地元の駐在所に勤務する警察官も無線機で応援を呼びつつ、周辺の聞き込みをしていた。その時は「僕は知らないぞ」という顔をして視界を橋の方に向けた。

 一〇分から一五分に一回は白い煙を吐く列車が本州と四国を行き来していく。一時間に一回は、C61型蒸気機関車牽引の快速マリンライナーが二階建て車両一両を含む六両編成で走っていく。

 そしてその反対方向からはACE3000型蒸気機関車牽引の1000トン近くある海上コンテナ搭載の貨物車両が走っていく。共に国鉄全盛期とは違う白くてきれいな煙を吐きながら、海を越えて行く。潮の匂いと煙の匂いの混じったものをかぐわしくしていた。

「今じゃあACE3000は日本じゃ珍しくなくなりましたね」

「そうだな、逆にD52やD62、E50を見かける方が少なくなったからな」

 鉄道車両の形式を口にしながらファインダーの中に目的の列車が来るのを待っていた。現在四国で走る蒸気機関車はC58の後継機C63とD51の改造型D61だったが、老朽化やアメリカで開発されたACE3000型蒸気機関車の台頭で、日本型の蒸気機関車を見ることが少なくなってきた。実際、高松市にあるJR貨物のターミナルで見る機関車はD61型の近代化モデルからACE3000の日本版に世代が変わって、デフレクターのないD51や京都鉄道博物館に展示されているB20の現代版が入れ替えに使われる程度になっている。

「JR四国も近く後継の旅客機関車をK重工に頼むみたいだか撮影するなら今のうちだな。」

「そうだね」

「来たぞ、あそこだ。」

 誰かが岡山方面を指さして、叫んだ。その方向から白い煙と汽笛の音色が咆哮してやってきた。それはウィッテ式の煙避け板に菊の文様とステンレスであしらった、Ⅽ63型蒸気機関車が重連で防弾仕様の特別客車を七両引いているところだった。これは本来皇族や国賓を運ぶために使われる客車でこの日のために特別整備された。また、蒸気機関車の方もJR西日本が保有する機関車の中で特別調子がいいものを二両選び、その中に特別整備され、更に質のいい石炭や重油を燃料にしている。そのため煙はうそのように少ないか、もしくは白い色をして走っていた。

「いつ見てもきれいだ」

 その漆色の客車と黒光りする磨き抜かれたSLに対して多くの人々が共感することが僕の耳に入った。みんなはその身分高き人間が乗る機関車に首ったけだった。

「そんな列車に掛ける金があるなら、震災とかの復興に回せよな」

 その一言は一瞬で凍り付かせた。多くの人々が「空気読めよ」という表情でにらみつけてきた。

「おい、それはいくらなんでも失礼だぞ」

「僕が失礼じゃない。事実が失礼だからその事実を正さない限り失礼になったって仕方がいないじゃないか」

 僕は第三者から見れば許容できない正論で話すとカメラを使い撮影するためにレンズを覗く。ふと視界に何かが映った感じがした。僕は目らの方向を向ける。そこには全身を包み込むコンバットスーツを着た自分と同い年位の一人の女性が立っていた。その彼女は何かを覗いている様子だった。いったい何をしているのかすぐわかった。それは特別列車を向いていた。しかし彼女の持っている物はどの種類のカメラでもない。撮影機材というよりは何かの武器という感じだった。それは一言で言うとミサイルかロケットという感じだった。彼女はいったい何を狙っているのかわからなかった。否、正確に言えばわかりたくなかったのかもしれない。というのも、こんな平和な国にテロ事件なんて起きないという一種の平和ボケと希望論の音色が頭の中を響かせ、暗殺という二文字をありえないと葬りにかかっていた。

 その直後、自分の耳に何かの轟音が響き始めた。その音は少しずつ大きくなっていく。それは空港に行く人間ならだれもが耳にする音なのだが、それはいつも聞きなれたのと明らかに違う音だった。しかも、音の位置からして、かなり低空で飛んでいる感じだった。その音がだんだんと全員の鼓膜が超音波と聞き取れる音の境界面に近づいたかと思うほどになった時、それは起きた。

 突然、白い橋の橋脚と橋桁との中間地点に巨大な火の塊と凄まじい爆発音と風が僕らに襲い掛かった。機関車は二両そろって車輪に火花を出しながら慣性の法則に抗っていたが、新しくできた橋の隙間の目前で止まることは出来ず、そのまま橋から、瀬戸内海の海面に向かって勢いよくダイブした。

 海面は水蒸気の塊が沸き立ち、凄まじい勢いで水柱と轟音を立てた。そして続けざまに、列車の上を走っていた、自動車やバイクの群れが崩れ落ちる橋桁を滑り台の要領で列車の後に続いた。その中にはさっき僕が顎の拳で骨を粉砕された父親を乗せた救急車も混じっていた。

「な、なんだ。なにが起きた」

 人々は映画のワンシーンのような光景に思考を停止して人形になった。カメラで撮影していた僕らですら、口が開いてしまい、ありえない状況を現実として受け入れるのに少なくとも四十五秒の時間を要した。

「た、大変だ、橋が爆発したぞ」

「だ、誰か、カメラ回せ」

 その言葉がスタートとなって、その場から逃げるもの、スマホやカメラを使って撮影するものが、続発していた。この一生に一度しか見れないテロ現場をSNSに投稿するために人々はカメラの向きを黒く染めつつある白き橋に向けていた。上空にはさっきまで客品の乗る列車の走行風景を撮影していたヘリが上空をホバリングして事件のアナウンスに変えていた。

 僕は、この瞬間を撮ろうとカメラのレンズを拡大した。海面は通報を受けた巡視艇や自衛隊の高速艇。さらにで助けに向かう漁船や貨物船ごった返したが引き上げるのは魂の抜けた残骸だけだった。

 そうした光景を写し取っていると、さっきの女の子が気になったためカメラを向けた。その女の子は顔を青くして、何かを口走っている様子で慌てて持っていたものを収納して逃走の準備を始める。僕はその様子は事故現場より集中して撮影していた。彼女がバックの中に収納を終えようとした時、彼女の目が完全に僕とあった。僕は条件反射的に目をそらしてしまい下を俯いてしまった。

「どうした、人の死体でも見たのか?」

「う、うん、そんなところ」

 僕はとっさに嘘をついてカメラを収納し始める。あの距離から僕に気が付くことがあり得ないとは思っているけど、もし気がつけば下手すれば口を封じにやってくるかもしれない。その時の恐怖が僕を支配していた。

「は、早くここを離れないと」

「どうやって、橋は見てのとおり分断されて、行き来不可能なのに」

 その質問に答える暇もなかった僕は、その小さくまとまった荷物を抱えたまま、バイクに向かって走っていく。今はこの現場から逃げたい。眼鏡をはずした僕なら何人死んだのだろうと異常な興味で見ていた。

 そして慌てふためいて回しエンジンをふかせた。

「どこに向かうんだ?」

 友達の質問に耳を傾ける暇もなく、エンジンに破裂するようなマフラーから出る煙を背に料金所に向かった。

 料金所は事件直後であったためいまだに駆動していたのでETCレーンに向かいバーが上がるところまで速度を落とした。バーはスムーズに上がり、僕は全速力でループを回っていった。

 遠心力でバイクが斜め三〇度のバンク角で外側に引っ張られる。それが二分くらい続いて、ついに僕は四国行きと本州行に分かれた分かれ道にたどり着く。そこに横から場違いなまでのフォードマスタングが一〇〇キロ近い速度で横切った。その時一瞬だったがその運転手がさっき僕がとらえた女の子にそっくりだった。その時自分の運ととっさの判断を祈らずにはいられなかった。

 僕は四国側にハンドルを右に向けて与島から脱出を図り、遠回りの帰宅についた。


 高松港フェリーターミナル。その船着き場には高松駅から列車を降りて歩いてきた乗客や高速道路を使わずにフェリーに乗ろうとする自動車でごった返していた。サンポートにはかつての四国の玄関口を彷彿させる賑わいを見せていた。勿論その原因は陸続きだった道と線路が昨日の爆炎で寸断されたことに由来する。

 不運にも高松から岡山に直接向かう船は二〇一九年末で終了したため、人と車は小豆島や直島を経由していかなければならなかった。

 今頃、宇野では臨時列車と大量の車で瀬戸大橋開通前の全盛を誇っているに違いない。

 僕はフェリーターミナルの券売機でおばさんに「土庄を経由して新岡山港にいく」と一言告げる。

おばさんは「瀬戸大橋を渡ってきたの?」と聞いた。僕は黙ってうなずくと、「領収書か、ETCカードがあれば、料金を安くできますが?」と言った。

僕は思わず顔をフグみたいにしてそのおばさんを睨みつけた。二度手間になるため戻らなくてはいけなかったため腹がったのが理由だ。

靴音をわざと荒く立てながら、周りの人間を分け入ってバイクを止めてあるところに向かう。そこには三〇台はくだらないバイクが、自分を乗せる船の乗降の順番を待っていた。

僕のバイクはZ900rsのローソンレプリカ仕様。周りの人々は口々に僕のバイクの噂に花を咲かせていた。

 何人かは「いいバイクに乗っているじゃないか」というその種の誉め言葉を口にしたが、意に返す価値が今は見当たらなかったため、黙殺してシートをあけて中に格納されたETCから、カードを取り出した。そして再びシートを閉めて振り向いたときに、僕の体は再び恐怖で委縮してしまった。

 縦列駐車をしている車の中に見覚えのあるアメリカ製自動車が目に入った。それは昨日入れ違いに見た、フォードマスタングだった。

 僕はそっくりな車だと思い今度はナンバープレートを見た。おそらく他人の空似に違いないと考えてその確証を得ようとした。

そのナンバーは僕に安堵をあたえず、さらなる恐怖を代わりにくれた。

 それは紛れもなく入れ違いで来た時の車のナンバーだった。

 やばいぞ、こんな偶然が重なるなんて。

 この運転手が来る前に急いで岡山に帰らないといけない。そう思って切符売り場に強引に人を押しのけて、列の先頭に戻った。

「お客さん、どうしました、顔が青いですよ?」

 中年の女性は顔面蒼白になった僕を見て気遣ってくれたが「何でもありません」と言って、「それよりカード持ってきましたから、早く切符をお願いします」と言った。

「それでしたら、おつきの方という女性が代わりに二人分の切符を購入なされましたよ」

 それを聞いた僕は目が点になって口が半開きになった。

「僕はずっと一人で高松に来ましたよ」

「でも、美人で内向的であなたぐらいの年齢の人がやってきて、『さっきのバイクの人の分も払います』と言ってあなたのバイクと外車の分の料金を払いましたよ」

 僕は冷や汗が滝になって流れ出るような感覚に襲われ、このままではまずいと思い今度は直島行きの切符に変更しようと口を開きかけた。

「中井君、今までどこ行ってたのですか?」

 その優しい声を聴いてだれかと思い振り向いた。それはまさに悪魔と再会したかのような感覚そのものだった。

 その女性は衣服や性格こそ違うがその顔立ちと背格好は紛れもなく、あの時、テロ現場で何かをしていた女性そのものだった。

「き、君は誰だ。いったいなんの目的……」

 そう口を開きかけたとき突然抱き寄せて周囲に喜びいっぱいのバカップルを演出させた。僕は何をしたらいいのかわからないところに彼女の脅しが耳元でささやかれた。

「騒がないでください。下手に騒いだら、分かってますね」

 その女性は優しく甘く、所々鋭く刺すような語り口で僕を凍り付かせた。その直後、僕の耳に指を鳴らす音が聞こえたかと思うと頭の中に思考に何か別のものが、動画編集で別の絵を差し込むみたいな気持ちが侵入してきた。

「あ、あの、再会を喜び合うのはよろしいですけど、切符を買ったなら早く変わってもらいませんか。後ろが渋滞していますので」

 そう言われて僕たちはハッと気が付き振り向くと憤怒の顔といちゃつきは他所でやれという顔をした人々の冷ややかな視線が投げかけられていた。

「おい、いつになったら変わるんだ」

「早くして、もうすぐ出発しちゃうわよ」

 僕たちは頭を下げて「すぐに変わります」と言って、その場を後にした。

「これが君の切符です」

 その子は僕に切符を渡したそのとき最後まで焦点を合わせなかった僕の目が彼女の顔を初めてとらえた。その顔は男受けがよさそうだったが、瞳は光が見えない、というかブラックホールが存在するならこの瞳だというくらいに底が見えなかった。

「先に取ってくれてありがとう。唯ちゃん」

 高橋唯。それが僕の記憶の中にあった彼女の名前だった。僕は切符を手に取ると、まるで幼馴染の感覚でお礼を言うとそのまま飛び出していった。

 僕はそうだと思い自販機で売られている無糖の紅茶を二本購入した。彼女は紅茶が好きだと思って買いに行ったのがその理由だった。

 僕が自販機から出てきたボトルを拾ったとき、出向の合図を示す汽笛と「間もなく小豆島行きフェリーが出航します。まだ、乗船チケットを持っていない方は券売機などで購入の上、係員にお見せください。繰り返します……」というアナウンスが耳に入った。

「やばい、もう出航の時間だ」

 僕は慌てふためきながら急いでバイクの並ぶ乗船口に駆け足で走っていった。


 フェリーのスピーカーから流れる演歌もどきの歌と女性のアナウンスというミスマッチが未だに僕の耳にこびりついていた。乗客たちは、遠回りの道で不満と恐怖というお土産を持って本州に向かっていた。売店には香川県名物のうどんを求めて長蛇の列ができている。

 僕と彼女は向かい会う席に座って、買ってきた紅茶を飲んでいた。はたから見ればカップルの関係に見えたかもしれない。しかし、その実態はテレビで報道している列車事故の目撃者と事件の実行犯という関係なのだが、どういうわけかこの時の僕には普通に幼馴染という偽りの記憶が刷り込まれていた。しかも向こうの相手も演技上手なのか僕のことをホントの幼馴染のように接してくる。

「それじゃ、コウ君。元に戻すからそのままにしといてね」

「うん、じゃあやってくれ、唯ちゃん」

 そう言うと、彼女は再び指を鳴らした。すると嘘のように頭の中に入った異物が消えて元の関係と記憶に戻った。

 僕は思わず彼女に「いったい何のつもりだ」と叫びかけたが彼女に黒い手袋に包まれた手で口をふさがれ、「静かにしてね」のしぐさをして耳につけていたイアリングを外した。すると、あの内向的で笑みを絶やさなかった彼女は消え失せ、代わりにクールで凛々しい表情と雰囲気に代わって、僕を威圧した。僕は思わずたじろいで席に座ってしまった。

「すまない、君に暗示をかけた上に強制的に巻き込んでしまって」

「……あの時、僕がカメラで君を見ていたのを気が付いたの?」

 僕はその質問を聞いたときに彼女は黙ってうなずく。僕は血の気が引いてしまった。目撃者は必ず消されるという漫画とかでありがちな展開を予想していた。

「心配する必要はない。口を封じるのであれば命を奪わなくてもいくらでも手がある」

 そう言いながら彼女は僕が買った紅茶のふたを開けて口に含んだ。彼女の言葉には冷たくも説得力がみなぎって僕を落ち着かせる何かを持っていた。

「君に会いに来たのは、君が撮影した写真を見せにもらいに来た」

「それなら、もう削除したよ」

 僕はとっさに嘘をついたが、彼女は即座にその付け焼刃の虚実を突き崩した。

「正直に言わないと、あなたを追い詰めるだけよ」

「どういうことですか?」

 その質問に彼女はスマホの端末をいじりだして、何かを読み上げ始めた。

「中井コウ、二一歳。O大学工学部大学院生。曾祖父が南満州鉄道技術部門の時からの鉄道の家系に育つ。お父さんは京都鉄道ミュージアムで旧型機関車のレストアを専門にしている。お母さんは新幹線の清掃のパート……」

 僕は息をのんだ。僕が彼女を見てからまだ半日もたっていなかったのに、僕のことを詳細に調べ上げている。僕は観念して、カメラから取り出したSDカードを彼女に渡した。彼女はそれを受け取るとすぐに自分の持っているスマホに差し込んで中の内容を読みだした。 その内容いかんでは〝事故死〟にされるという恐怖で手に持っていたペットボトルが小刻みに振動していた。

「落ち着いて、そんなに怖がらなくてもいいから」

 そう言ってスマホを使い僕が撮影した写真を一枚一枚確認していく。

 気を紛らわせたようと僕は船内の船首方向の中央に陣取るテレビに視線を向けた。

『最初のニュースは関西空港から香川県に向かっていた、政府の特別列車が瀬戸大橋を走行中、突如橋が爆発して海に転落し、乗っていた国賓をはじめ、50人以上が死亡する事件が起きました。警察は何者かによるテロ事件として捜査を開始しており……』

 それはさっき見てきたテロ事件の報道だった。テロップも右側と下の部分が惨事の凄まじさを物語っていた。

「やっぱり、あなたを追いかけて正解だったわ」

 彼女はそう言って写真の一枚を僕に見せた。それは僕が撮影した彼女の何か狙っているときの写真みたいだった。

「君のスナップ写真がどうかしたの?」

「ちがう、私じゃなくてその左端よ」

 そう言って彼女は拡大すると、何か鳥のようなスジが見えていた。このスジがいったいなんなのか、皆目見当もつかない。

「これが専用のパソコンで解析しないといけないけど、これが私をはめた張本人よ」

 それを聞いたとき、僕は思わず首をひねった。

「君が橋を壊したんじゃないの?」

「確かに橋を狙ったのは認めるわ。でも、私ははめられたのよ」

 そう言って彼女は言った写真を縮小して彼女が持っていたものについて説明した。

「これは赤外線照準器と言って、ミサイルのような誘導兵器に座標を送るための機械よ。私はこれで橋を爆破して、列車を安全に止めるように命令されたの」

 僕はそれが誰は指示したのと聞きたかったが『知らぬが仏』だと思ったためその質問は避けることにした。代わりに「話を続けて」と言った。

「計画では道路封鎖されて、列車に対するテロも未遂に終わる予定だったの」

彼女の言葉とは裏腹にニュースはでかでかと、犠牲者の名簿や世界中で報道されるニュースが流れていた。

 僕は気分転換もかねて、売店の女性にテレビを変えるように言った。おばちゃんは顔を渋くしながら、番組をニュースから鉄道芸人のバラエティに切り替えた。

 ちょうど動態保存のパイオニア大井川鐡道の特集をやっていた。僕はブロックノイズ交じりの番組を楽しそうな顔を作りながら、不器用な鉄道芸人と今では世界に一台だけのⅭ10型蒸気機関車を見ていた。

「あなた、蒸気機関車が大好きなようね」

 高橋の一言で僕は再び現実に引き戻された。

「うん、僕の夢は蒸気機関車の技術を発展させて曾じいさんのように立派な人になりたいんだ」

 それを聞いた彼女は何か気まずい表情で顔を暗くさせていた。

「多分、近いうちにあなたの夢は叶わなくなるわ」

 僕はそれを聞いてどういう意味か聞こうと声をかけようとした。不意に男性の怒鳴り声が耳に飛び込んできた。振り向いてみるとそこには明らかにガラの悪そうな男が東南アジア系の夫婦に因縁をつけていた。

「話は後にしておいてくれない、あの人助けてくるから」

 僕の言葉を聞いて彼女は鼻で笑ってやめるように言った。でも、僕は見過ごすことはできない質のため、彼女の引き留めを無視して眼鏡を外した。眼鏡を外した時の僕を見た彼女の表情は嘲笑から警戒に変わった。

「大丈夫だ。あんな白豚、すぐに片が付く」

 そう言って僕は助けに向かっていく。その間にも夫婦は男の剣幕に飲み込まれそうな勢いで立場が弱くなっていく。男が丸太のような腕を振り上げようとしたとき、僕はその腕をつかんだ。

「なんだ、てめえ?」

「お前、この人が嫌がっているのがわからないのか?」

「なんだと、俺が誰なのかわかっているのか」

「さあ、誰でしょうね」

 そういって僕は関節技で体のごつい男をいともたやすく動きを封じてそのまま相手の肩関節を外した。男はすさまじい絶叫を上げて、外した肩を押さえる。

「少しは海に出て頭を冷やしたらどうだ?」

 そう言うとそのまま男を船の上からまだ暖かくもない、クラゲとゴミだらけの瀬戸内海に放り出した。人々が口々に「人が落ちたぞ!」と叫びながら指さしているすきに夫婦を安全なところに運ぶ。幸いにも、もうすぐ土庄の岸壁が近づいているため、すぐに助は来るだろう。すぐに助け出せるか自力で泳いでこれるはず。僕は心の名間でそう考えて夫婦に「けがはないですか」と聞く。その夫婦は日本がわからないみたいで首を横に振ってスマホのアプリを起動させようとする。

「困ったな、どうしたら」

 そんな頭を抱える僕に手助けしたのが高橋だった。彼女は流暢な英語で彼らと会話して、二人をすぐに階段に向くよう指示した。夫婦は僕に「ありがとうと」と英語で言って体を震わせながらそそくさと降りて行った。

「君、英語が話せるのか?」

「当然よ。仕事上日常的に使っているから」

「ところで話の続きだが、さっきの意味はどういうことだ?」

 眼鏡をかけ直しながら質問する僕には彼女はピアスをつけ直しながら答える。

「もうすぐ、鉄道業界が変わるわ」

 その意味がよくわからなかった僕は「いったい何が変わるのか?」と聞こうとしたとき、スマホにメールが届いたことを示す着信が入った。誰だろうと思いながらメールの主を確認した。それは親父からだった。いつもスマホはポケットに入れたままにするのに珍しいなと思い内容を確認した。

(今、急な会議が入ったから家には暫く帰れない)

 なんだ、いつものことか。その時の僕はそう感じた。しかし、高橋の表情は何か険しかった。まるで,このことを予期していたみたいな表情で僕を見つめる。

「やっぱりお父さんからでしょ?」

「予期していたの?」

 彼女は「そうよ」と短く答えた。

「これから日本の、いえ、世界中の鉄道に新たな風が吹く序章になるの」

「いったい何が起きるの?」

「簡単に言うと、もうすぐ世界中の蒸気機関車は一部を除いて鉄くずとしてリサイクルされるの」

「……ばかばかしい」

 僕はそう言って彼女の言葉を一蹴した。時計を見るともうすぐ土庄港に入港する時刻の10分前を示していた

『間もなく、土庄港に到着します。お車でおこしの方は船が停止するまで、お車にお乗りになさらないよう、デッキでお待ちください』

 船内のアナウンスが到着が近いことを知らせる。

「僕は先に降りてる。君も早く車に乗ったほうがいい」

 彼女は黙って頷くと、先に降りる僕の後をつけるように、一緒に降りていく。僕の耳元にはいまだにテレビで流れる大井川鐡道のⅭ10から出た汽笛の音がいまだに脳にこびりついて離れなかった。


僕たちは土庄を乗り継いで新岡山港つくと、岸壁には人や車が船の到着を待ち構えていた。数はそう多くはなかったが、それでも車が何台も走っていたため列が出来上がっている。

 僕と彼女はフェリーから降りて一旦邪魔なにならないところに車を止めて、僕の家までの道筋をスマホでルートを送りあっていた。

 そこへ僕のスマホにメールが届いた。それはお袋からでメールの内容は『今どこにいるの』という内容だった。

 僕はすぐに『恋人と一緒に新岡山港に降りたところ』と返信した。

「ちょっと、恋人って」

「しょうがないよ。女の友達なんて言ったらお袋信じてもらえないよ」

「でも、恋人だったらなおさら……」

「僕の親、同世代の友達が少ないのを知っているから」

「わかったわ。それよりメール見たということは心配しているのよね」

「多分、そうだと思う」

 そのような会話をしているとまたメールが届く。『一時間後に岡山駅で、車内清掃が済んだら、合流しましょう』と返ってきた。

メールの内容を確認した僕は「一緒に行く?」と彼女に聞く。

「勿論よ」

 そう言って車を発進させようとしたときにあることに気が付く。

「そうだ、どこに駐車しておく?」

「イオンに駐車しておこう」

「でも、怒られないの?」

 彼女は少々不安げになりながら僕に問題がないか聞く。すぐに車に戻るという目には見えない自信があったためすぐに返答を返した。

「大丈夫だよ、お袋と会いに行くだけだし、まさか旅行に行くわけじゃないから心配ないよ」

 その時僕はいつの間にか初対面の女性に友達感覚で話していることに気が付いた。『何を言っているんだ、この子はテロリストだぞ。しかもさっきまで橋の爆破をした。何考えている』と心の中で舌打ちした。

「どうした、何か問題でも?」

「い、いやなんでもない。それより早く行こう」

 彼女がうなずくのを確認すると、僕は道案内役として新岡山港を後にした。


岡山駅の新幹線のホームにはビジネスから外国人旅行者までたくさんの人だかりが列をなしてホームに居並んでいた。しかしその空気はいつもの和気あいあいの温かいものではなく、不安と恐怖でピリついたムードになっていた。その中には制服姿の警官が辺りを巡回していた。

 僕らその異様な空気の中を平静に保ちながらお袋の帰りを待っていた。

「やっぱり、あの事件のせいでみんな怯えてるみたいだね」

「そうね、しかも警官の数が異常に多いわね」

「確かに警官はこの駅だけで二,三ダースぐらいは見えるけど?」

「それだけじゃないわ。この乗客の中にも私服の警官が何人もいるわ」

 僕は思わず首を傾げた。こんなに乗客がいるのに彼女はどうやって普通の人と景観を見分けているのかと思った。

「どうしてわかるの」

「歩き方と服の膨らみよ。ほら、あの黒のチノパンを履いた人を見て。歩き方がキビキビしているし右肩が少し盛り上がっているでしょ。あの歩き方は警察や軍隊などの規律の教育を受けた人ができる歩き方よ。それに方が盛り上がっているのは胴体に拳銃を隠している証拠よ」

 普通の人なら気に留めないことでもよくわかるなと僕は感心してしまった。

「間もなく東京発のぞみ一七号が到着します。危ないですから白線の後ろまでお下がりください」

 お袋の乗る新幹線がやってきた。僕は「やっと来たか」と安どのため息をした。

 ホームに白い煙とタービン音を響かせながら流線型のカバーをつけた一六両編成のタービン式蒸気機関車がホームに入ってきた。ブレーキの摩擦音を新幹線のホームに響かせて停車した列車は白い煙をまきちらして威嚇しているようにも見えた。

「二番ホーム○○時××分着のぞみ号岡山行はこれより車内清掃ののち回送列車となります。ご乗車にはなれませんのでご注意ください」

 そのアナウンスに合わせて密閉式の自動ドアが空気を輩出する音とともにスライドしたかと思うと津波のように次々と人がおりてきた。降りた人々は急ぎ足で会談やエレベーターに殺到して乗り継ぎもしくは駅から出ていこうとする。

 僕らはその人の波かわしながら、おふくろが出ていくまで耐える。車内が空っぽになったと思うと今度は中年女性を中心に座席ごとに掃除機でごみを吸いとり、忘れ物落し物の確認を始める。人々はその様子を車内の外で物珍しそうに見つめる。

 僕らは掃除をする女性たちを一人一人確認して母の顔をしらみつぶしに探した。

 七号車に差し掛かった時、掃除機を重たそうに引っ張る一見すると三〇代後半に見える美しい女性が目に入った。

「あ、見つけた、おふくろだ」

「確かにあなたのお母さんね。それに写真で見て思ったのだけれど若く見えるわね」

「うちの親、若作りで有名なんだ」

 そういって僕は窓を叩いてお袋の注意を誘った。お袋はその音に気付いて手を振った後、すぐに掃除を再開した。二人のやり取りを彼女は羨ましそうに見ていた。

「いいな、コウ君にはあんなにいい家族がいて」

「そうでもないよ、互いに気を使いあいながら生活しているから、神経がすり減るんだ」

「そうなの、私は物心つく頃には親がいなかったわ。ろくでもない孤児院暮らしでろくな目に合わなかったわ」

「人には人にしかわからない苦労やあるんだな」

「それについては同意するわ」

 僕たちがそのような会話を続けて暇をしていると、再びドアが開き中から清掃椅子型のおふくろがゴム手袋を脱いで降りてきた。

「お帰りコウちゃん」

「あ、あの母さん。今人がいるからその呼び方やめてくれない」

 そう言って唯ちゃんのほうを見ると白い目で見つめられていた。「いつもこんな感じで家族と接しているわけ」という冷ややかな声が聞こえてきそうな顔だった。

「ごめんなさい」

 お袋は謝った後視線を唯に向いた。母親の冷ややかな視線が彼女をとらえる。

「この子が、コウ君の彼女?」

「はい、高橋唯といいます。よろしくお願いします、お母さん」

 その一言を聞いて急に空気がおかしくなることに気が付いた。二人の笑みが妙にとげとげしく感じ彼女達を無視して僕はやってきた機関車を見ることにした。この一日半でいろんなもめごとにつき合わされて、疲れ切ったせいもあるが、僕自身の興味がのぞみ号けん引の蒸気機関車に興味を持っていたことが理由だった。

 のぞみ号けん引の蒸気機関車は二〇一〇年に出た最新型でペンシルバニア鉄道のS―2型タービン式機関車の新幹線仕様だった。

「すごい、これが新型の蒸気機関車か」

 それは僕の目をくぎ付けにするほどの車両だ。初代HD53型蒸気機関車譲りの流線型ボディに、原型とは比較にならないほどの綺麗な煙。そして長距離で走るために炭水車に搭載したヘンシェル社製の復水器のタービン音。それは僕の心を躍らすには十分の特徴だ。

「これより、列車は回送します。ご乗車にはなれませんので、ご注意ください」

岡山駅の構内に、改装のアナウンスが流れたかと思うと汽笛の一声が響き渡り、機関車は空になった客車を引いて、岡山駅のホームを後にしていった。

 僕はその後姿を見つめていると、服がもみくちゃになり、顔の所々にはれや痣のできたお福と唯が「新幹線の撮影はできたの?」と清々しい表情でやってきた。周りの乗客は怯えたような様子で二人を見つめていたから何が起きたかは想像はできた。

「気分、すっきりした?」

「ええ、もう爽快よ」

「お互いの本音を包み隠さず話せたから、わだかまりもなくなったわ」

 僕は話を半分だけ聞き流した。この女が本音をさらけ出すなんてありえないとわかっていた。

「あ、そうだわ。折角だから京都にデートにでも行ってみたらどう?

そう言ってお袋は紙の封筒を一枚ずつ僕たちに渡した。中には新幹線用のICカードが入っていた。

「ちょ、ちょっと待って。俺は別にデートするわけじゃないし、バイクも無断駐車しているから戻らいないといけないし」

「別にいいでしょ。そんな減るものじゃないし。それに京都には鉄道ミュージアムがあるから、そこで好きな機関車をいっぱいみられるでしょ」

「そりゃ、そうだけど。彼女はどうかな?」

 僕は唯の反応を見たが彼女はお袋とのけんかが恥ずかくて本音を隠しきれないのかわからない顔色をしていた。その判断にお袋も僕も判断に困るほどだった。

「べ、別にいいですよ。私も京都には一度行ってみたかったですし……」

「ほんとにいいの?」

 彼女は黙って頷く。僕はため息をつきながら、母の提案を受け入れることにした」

「でも、行きたくないな。親父が仕事しているところだし」

「大丈夫、あれは今、会議中だから現場には出ていないはずよ」

 母が僕の心配を諭していると再び構内アナウンスが鳴り出した。

「間もなく、ひかり四十七号。名古屋行きが到着します。危ないですから白線の後ろにお下がりください」

 そのアナウンスとともに今度はひかり号けん引の機関車がやってきた。今度は自動車と同じV型エンジンのドラフトを響かせながら、ホームになだれ込んだ。それはさっきの列車とは違う車のような異質の音だった。


 ひかり号の中は色々な乗客の話声が耳に入ってくる。子供のはしゃぐ声や老人たちの認知症のかかった会話と様々だ。中にはイヤホンから漏れた音楽の音まで耳に入ってくる。

 僕らはというと、三号車の自由席でおふくろに押し付けられたきび団子とむらすずめを分け合って食べながらスマホをいじっていた。彼女はスマホとタブレットを同時操作しながらメールの確認をしていた。僕の場合は昔の蒸気機関車を捜しながらそれをSNSでアップロードして自尊心を満足させていた。

 投稿するものは軽便鉄道から新幹線規格に至るまで日本国内外の蒸気機関車が中心だ。

 僕は何千枚もの写真中から選んだのは満鉄の象徴パシナ型蒸気機関車と十人以上の人間が写った写真だった。これは僕のお気に入りの一つだ。そこには僕が尊敬する人の若い姿が売写っていた

 彼女は視線を自分のスマホから僕のものに視線を変えて質問をしてきた。

「パシナと一緒に写っているのはあなたの曾おじいさん?」

「うん、そうだよ。僕は会ったことないけど……」

 そう言って僕は曽祖父の経歴を口にした。

「満鉄で働いて終戦直後に、ソ連軍につかまって抑留生活の後に帰って、国鉄に入ったんだ。だけど、すぐに見切りをつけてⅯ重工に入社したらしい」

「なんで?」

「この時の国鉄は動力近代化政策で蒸気機関車に見切りつけて、電車や気動車に置き換えるつもりだったみたいだなんだ。元々蒸気機関車専門だった曾じいちゃんは面白くなかったみたいだから、抗議したのだけど厄介者扱いされたみたい」

「でも、国鉄の思い通りには、ならなかった」

「そう、というのも曾じいちゃんはⅯ重工でアルゼンチン向けの蒸気機関車の製造を請け負ったときに二つの技術に注目したって。確かキル何とかと火力発電所に使うなんだったかな……」

「キルポワエキゾーストとガス化(G)燃焼(P C)システム(S)じゃないの?」

「何で知っているの?」

「Ⅿ重工製のアルゼンチン向け蒸気機関車は世界でも名が知られているわ。この機関車がなかったら今世紀まで蒸気機関車が主役を降りることになったって」

 僕はそれを聞いて何となくそんな話を聞いたことがあるなと思った。

「話を続けて」

「そのあと、曾じいちゃんはパテントを取得して、上にだまって初期型のデゴイチに取り付ける改造をしたって。それが評判になって瞬く間に日本中の機関車に広がって、最初、目の上のたんこぶ扱いしていた国鉄も黙認して、挙句の果てに新幹線計画を電車から蒸気機関車に切り替える事になったって」

「まあ、堅実な考えね。新技術より、使い慣れた技術の方がリスクが少ないからね」

「そのあとはよく知らないけど、曾じいちゃんは栄転して新幹線の技術部長に収まって、電車を推進する一派を当時の国鉄総裁もろとも一掃したって。まあ、世界の鉄道も蒸気機関車にしたことも大きかったらしいけど」

「ふうん、なるほどね」

 彼女の納得は何か意味深げだった。

会話が終わると、僕は早く京都につかないかなと思い電光掲示板を見つめた。電光掲示板には現在位置の代わりにニュースばかりが流されていた。ニュースにはさっきのテロ事件や新製品のアピールをした広告ばかりが流れていた。

「まだ、つかないかな」

 僕はため息をつきながら愚痴をこぼす。

「新大阪超えたから、次で到着するはずよ」

 そう言ってバックの中から茶色い箱を取り出して中身を出した。それは映画でしか見たことない葉巻だった。しかも百円で買えるような匂いではなく高級品のいい香りだった。

 このクールな女性は意外にもヘビースモーカーだったとは夢にも思わなかった。彼女は葉巻を口にくわえると、マッチを擦って火をつけようとしたが、なかなか火がつけられずに眉間にしわを作った。

「これ、貸してあげる」

 僕はポケットに入れていたジッポーを彼女に渡した。彼女は豆鉄砲を食らったみたいな表情で受け取った。

「君も煙草を吸うのか?」

「いや、君みたいきついのは吸わないよ。僕はキセルを吸うから」

 僕はキセルに煙草葉を入れて彼女に対抗する意味を込めて吸う準備を始める。

「ほんとはオイルの匂いが付くからダメだけどありがたく借りるわ」

 僕と彼女は変な対抗意識で、煙草の仲間を吸い出した。その様子を周りの乗客はどよめきと嫌煙の表情で見つめる。

 僕たちはそんな視線を平然と受け流す。

「いつから吸うようになったの?」

「二十歳過ぎてから、君は?」

「私は十二歳の時から」

「もうそんなときから」

 僕たちがそのような会話をしていた時に、アナウンスが流れだした。

「間もなく、京都、京都です。降り口は右側です」

 それを聞いた僕はガラス越しに張り付いて車窓を覗く。そこには五重の塔や木造建築と言った建築物がぽつりぽつりと流れるように過ぎていくのが見えた。

 そしてその中に置くが見たかったものが見えた。それは京都鉄道ミュージアムの敷地の一つ梅小路機関車庫とそこに展開する展示物の一団だ。

 そのうちの一台に白い煙が見えた。恐らくSLスチーム号を引く機関車だ。こっちの速度が速いために何の機関車かはわからないが興奮のボルテージは最高潮に高まりかけた。

「失礼します、お客様」

 その男性の一言に僕は思わず我に返った。その声の主は車掌だった。なんだろう、切符切りに来たにしては遅すぎるなと思った。

「車内は禁煙ですのでお煙草はご遠慮ください」

 それを聞いた僕たちは論点をずらして反論した。

「これは煙草じゃなくて葉巻ですよ」

「これはキセルです」

 それを聞いた車掌は思わずフリーズを起こした。周りの乗客はというと一緒だろうと言いたげな視線を僕らに投げかける。

「いえ、ですから煙草は喫煙室で吸って下さい。ここは全車禁煙ですので」

「だから煙草じゃなくて葉巻とキセルですって」

 僕たちは屁理屈こねて違いを強調する。当然そんな事が通用するはずもなく、「煙草を吸うな」の一点張りでやめさせようとしてくる。

 辺りは僕たちの排出した煙と匂いで乗客の鼻を押さえだす。そんな状況を知り前に列車は少しずつ速度を落としていき、京都駅のホームにゆっくりと滑り込んだかと思うと後ろに押し出される感覚を残して完全に停止した。

「京都、京都です。お出口は右側です。JR線、近鉄線はお乗り換えです」

 そのアナウンスを聞いた僕たちは車掌との押し問答と喫煙をやめて降りる体制に入った。僕はその時に携帯灰皿がないことに気が付いた。ごみ箱に捨てれば車掌とさらに揉める上に火災の原因にもなる。いったいどこに捨てようと迷った。

「これに捨てて」

 困っていた僕に唯は携帯灰皿を差し出した。僕は「礼を言うよ」と言ってキセルの中身を捨てた。

「お客様、今度から喫煙室をご利用ください」

 僕たちは車掌の注意など耳にも入れずに荷物を持って降りる準備を始める。

「どうやって行くの?」

「JRに乗り換えるか路線バスに乗り換えるか。まあ、現実的に考えれば前者をとるかな」

そう言いながら席を立ち出入り口に向かう。車掌は何度も僕たちを呼ぶが全く取り合わないで列車を降りた。

 駅のホームは外国人観光客から小学校の修学旅行生に至るまで、岡山駅とは比較にならない人があふれかえっていた。

「その京都鉄道ミュージアムにはいったいどんなのがあるの?」

「まあ、一番代表的なのがC62かな。アニメの主役にもなった」

「ええ、知ってるわ。そのアニメなら」

「あの主役機のモデルになった機関車が何と三両もあるんだ」」

 そのような会話をしながら、僕たちは在来線に向かって歩いて行く。

「間もなくひかり号は発車します。危ないですから白線の内側にお下がりください」

 そのアナウンスが流れるのとともに列車は自動車のエンジン音のような音を響かせながらことを後にした。


 京都鉄道ミュージアム。そこは明治初期から現代に至るまでの歴史が詰まった玉手箱。僕は子供の時から気に入っている場所だ。

 建物の中には多彩な蒸気機関車や日の目を見ることのなかった電気機関車や電車が現役時の姿をとどめていた。

 僕はその中でもお気に入りが東京オリンピックの年に東京大阪間を駆け抜けたHⅮ53型蒸気機関車一号機だ。

「これが最初に走った新幹線だよ」

「ええ、知っているわ、イギリス鉄道博物館でも見たことあるわ」

 そう言って彼女は横にある団子鼻の電車とその模型に視線を向けた。

「こっちは何?」

「これは初期の新幹線計画でテスト中だった0系という電車」

「へえ、これが」

 彼女は物珍しそうな眼付きでその先頭車と模型を見つめる。僕は電車と気動車は全く興味はないため冷ややかだった

「あの外にある赤い箱型の機関車は何?」

 彼女は外にある機関車を指さして僕に聞いた。

「あれはⅮⅮ54という内燃機関車だよ」

「へえ、あれが」

彼女の目は珍しそうに見つめていた。

「ねえ、こんな所より、外の機関車庫に行かない?」

「でも、蒸気機関車なんてどこも同じじゃない?」

「まあ、いいから行こうよ」

 彼女の手をつかもうとして触れたとき彼女は反射的にはねのけた。その衝撃で眼鏡がさっき乗っていたひかり号と同型のⅤ型エンジンの蒸気機関車の方向に飛んだ。

「な、何しやがる」

「私に気安くさわらないで」

 その瞬間、建物全体の温度が冷たくなった。僕と彼女は鋭い視線を向けあう。

「ごめんなさい、習慣で気やすく触ると攻撃してしまうの」

「だったら先に言えよ」

 そう悪態をついて飛んだ眼鏡を拾ってかけ直した。そうやって元の自分に戻した。

「あそこは蒸気機関車のオーバーホールが生で見れるよ」

「いいわ。あなたのおすすめを見に行くわよ」

 彼女は不満そうな口調で、僕の誘いに乗ってくれた。その時建物の温度は再び暖かくなるのを感じた。

 僕らが梅小路機関車庫に行くと、ちょうどSLスチーム号を終えたC62型蒸気機関車が二十mの転車台に乗って説明のアナウンスを受けながら回転しているところだった。子供たちは親の制止も振り切って甲高い声を煙に負けないくらいに叫び、鉄道ファンはフラッシュの嵐を浴びせかける。

 その姿を背にして僕らは最近できた蒸気機関車の検修庫に向かっていた。そこでは数年に一回のオーバーホールが行われているため、多くの人の注目を集めるところだ。今回のオーバーホールは日本最大の貨物蒸気機関車E50型蒸気機関車みたいだ。

「ここが検修庫。ここで蒸気機関車の整備している」

「こんな所が生で見れるとは思わなかった」

そういいながら彼女は分解された蒸気機関車の整備を見つめていた。ちょうどクレーンで在来の機関車としては破格の大きさを誇るボイラーが吊るされていた。その足回りは直径一二五〇mmの動輪が五つ、トラックに乗せられて、兵庫にある工場に運ばれるのを待っていた。そして、蒸気機関車の背骨にあたる棒台枠は力のかかるところに赤と白のスプレーをかけていた。

「あれは何をしているの」

「あれで台枠にできた亀裂やヒビがないか調べているんだ。まず赤いスプレーで赤く染めて、次に白いスプレーをかけて赤亀裂がないかを調べてる」

「なるほど、今なら超音波検査で調べそうなところだけど」

 彼女は工員たちの知恵に感激したみたいだった。

「お、コウ君じゃないか。こんなところで何してる?」

 その工員に見覚えがあった。それは親父の後輩だった。その人は僕らが立ち入り禁止のラインで観察していることに気が付いたらしい。それにつられてほかの工員も笑顔で僕の登場を歓迎してくれた。そして隣にいる女の子についても質問攻めにあった。

「この子は君の彼女かい」

「どこで知り合ったのだい」

「君も鉄子かい」

 そのような質問に僕はうんざりした表情で聞き流して、彼女の目も細くなって早く終わらないかなと僕に耳うちしてきた。

 耳元にはHD60型蒸気機関車けん引の貨物新幹線がドラフトを響かせて彼らの言葉をかき消してくれている。

「聞きたいことは山ほどあるのはわかりますけど、もういいですか。彼女にほかの蒸気機関車も紹介したいから」

「それならもうすぐ一般の人向けにここの見学会が始まるのだが、参加してみないか」

「え、でも予約してないですが」

 彼女の質問に対し僕も口を開こうとしたが工員が目配せをしてきたため、僕はすぐに事を察して「空きができたのですね」と聞いた。

「ああ、急病でこれなくなった夫婦が二人ね」

 そう言って安全第一と書かれた黄色のヘルメットを僕たちに渡した。ぼくらはたがいに顔をみあわせてヘルメットを頭にかぶったが、その時二人そろって笑ってしまった。

「頭にあってないよ」

「君だって、かぶれてないわ」

 彼女のヘルメットは大きすぎたらしくぶかぶかになって目が隠れてしまっていた。

 僕はサイズがきつく天パぎみのモジャ頭がはみ出てしまっていると工員に指摘された。

 僕は含み笑いにしながらヘルメットを交換してかぶりなおした。

「よし、これで安全確保はできたな」

 工員はそう言って、「あと五分待ってね」と僕らに伝えた。

「ところで親父のやつ、今何やってる?」

 その質問にみんな視線を横に逸らした。

「今も会議中なの?」

「会議は終わったのだがしばらくこっちに戻ってこられない」

「転勤にでもなったの?」

 彼女の言葉に彼は右方向に指さして視線を向けさせた。そこには一生懸命レールを磨く親父の姿があった。

「あれって、まさか例のやつ」

「そうだ、表向きは〝再教育〟として二週間レール磨きだ」

 その時の僕の気持ちはかわいそうではなく、いい気味だという冷ややかなものだった。実際親父とはあまりうまくいっていなかったからだった。

「でも、なんで〝再教育〟を受けているの?」

「例の列車脱線事件は覚えているだろう。その時二台のC63の整備を請け負っていたのが俺らのところでな。事故原因の一つにブレーキの不備が指摘されて、その整備をやっていた親父さんが詰め腹切らされる羽目になった」

「なるほどね」

 僕は親父から送られてきたメールの理由がこれで納得できたと思った。それにしてもずいぶん早い処分で軽いな。その時はそう考えていた

「あれは、あくまで仮処分だ。委員会の決定が下るのはずっと先になる」

 そう言って工員はため息をついた。と、僕が周りを見渡してみるといつの間にか、子供ずれの家族たちが大勢集まっていた。それを見た工員たちはすぐに申込権とヘルメットの交換に走り出した。

「そろそろ時間ですよ」

「そうだな、じゃあ君たちも列に並んで」

 そう言われて僕たちは列に並び直す。家族連れの声に混じり隣接する貨物駅から発車する貨物列車の汽笛と水を循環させる復水器という機械から出るタービン音が聞こえてきた。

 子供たちはそれを聞いて写真を撮っていた。それは今分解されている蒸気機関車の同型機の炭水車を変えたものが一三〇〇トンのコンテナ車を引いているところだった。大人に指さして無邪気に叫びながら興奮しているのが見えた。

「それでは、皆さんこれより見学会を始めます」

 その拡声器の音ともに僕たちの興味は貨物列車からその分解された同型機に移った。工員たちと博物館の学芸員は、部品の一つ一つ丁寧に教えていた。

 その所々で質問の受付もして子供でも分かるものから専門的で職員すら答えかねるものと様々だった。

「ここの人たちも大変そうね」

「社会に出るのが怖くなってきたよ」

 僕たちは気持ちを口にしながら見つめていた。

その時耳元に天井のほうから何かが切れるような太い音が聞こえた。僕たちが天井のほうを見上げると、クレーンにぶら下げていたボイラーが床に落ちていくところだった。その瞬間、僕は時間が止まる感覚を覚えた。そして次の動作を考える時間すらなく反射的によける動作をした。

 そしてそれとともに大きな音を立ててボイラーは床に落ちた。それと同時に子供の泣きじゃくる声や大人の悲鳴が一斉に検修庫内に響き渡った。

 僕と彼女は見てみるとボイラーが少しへこみを作りながら何人かの人間の手足を下敷きにして横たわっているのが見えた。

 その時の僕たちはいつの間にか眼鏡とピアスがなくなっているのに気が付いた。

「た、大変だ、早く救急車!」

「早く助け出せ」

 一瞬の沈黙は悲鳴と阿鼻叫喚に替わり、建物内を響かせた。子供たちは泣きじゃくり、大人は何も言えずに子供を抱えたまま怯えた。また、カメラやスマホを持っている人々は事故現場を撮影していた。

 僕は人の心配より事故現場でバラバラになった機関車の部品の心配をしていた。というのもこの機関車はいわば文化財だ。動かない展示物に逆戻りするのではないかと心配したため。一方の彼女は別のものに興味を持っていた。

 それは吊り下げていた滑車と太いワイヤーだった。彼女は驚いた表情をしつつも冷静な目で状況を見ていた。そしておもむろにワイヤーを手に取り観察した。

「このワイヤー……」

「どうしたの?」

 僕は不思議に思いながらそのワイヤーを見つめていた。その異変に気付くのにさほど時間はかからなかった。

「コウ君、何やっている。早く助けてやれよ」

 作業員の怒号交じりの救援を求める声に我に返った僕と彼女は、面倒くさいながらも、すぐに助けようとする。だが、その何トンもある巨大なボイラーは当然数十人の力を使っても、一ミリも持ち上がらないことは明白だった。

 そこへさっきまでレール磨きをしていた親父が「何が起きたんだ?」と慌てふためいてやってきた。

「こ、コウ、どうした、それに隣の女の子は誰だ?」

「そんなことより、このボイラーを持ち上げてこの人たちを助ける方法を考えろよ、親父」

「そ、そうだな」

 しかし、親父も何がどうすればいいのかわからないようでとにかく何かクレーンの代わりになるものがないか探していた。

 その時僕の頭にある妙案が浮かんだ

「そうだ、フォークリフトを使ってこのボイラーを持ち上げることできない?」

 僕の思い付きに工員は「理論上はできる」と言いつつも半信半疑の様子だった。そのときに彼女があるものを指さした。

「あれは、使える?」

 それは確かにフォークリフトではあるが、それは通常、蒸気機関車に石炭を積むときに使うものだった。

「確かに使えなくはないが、この重いボイラーを持ち上げられるかどうか……」

「時間がないわ、あのフォークリフトのカギを貸して」

 彼女はそのフォークリフト用のカギを乱暴に奪うと全速力でその機材に向かって走っていた。

 そしてエンジン音とともにそのフォークリフトが人だかりをかきわって検修庫に入っていって、転落したボイラーの上に本来機関車に石炭を入れるためのショベルを真上にして停止した。

「よし、ワイヤーを通すぞ」

 そう言ってワイヤーを玉掛けして、持ち上げる準備をした。

「じゃあ、持ち上げるわ」

 彼女の一声とともに一気にレバー押し下げてフォークリフトを上に持ち上げる。

金属のこすれる音とも悲鳴を上げる音ともとれる音が周辺を響かせて、ボイラーは少し地面から中を浮く。そのよう車庫の検修庫にいる誰もがかたずをのんで見守っていた。

「よし、いまよ。早く引きずり出して」

 彼女のその声とともに工員は一斉に挟まれた人々を引きずり出した。その直後に周りで見ていた、人々から拍手の嵐が湧きたった。それはフォークリフトがボイラーの重さに負けてボイラーを落としてしまう衝撃音をかき消してしまうほどだった。

「お嬢ちゃん、もういいぞ。リフトを下げろ」

 親父の声を聞いた彼女はリフトレバーを上げて力負けした、リフトの後ろタイヤを地面に着地させた。

 彼女はフォークリフトから降りて、喜びをかみしめる暇も与えずに次の行動に移った。

「救急車がもうすぐ来るから」

「その前に応急処置しないと」

 僕たちはそう言ってけがをした人たちの応急処置に移った。何しろあれだけのものが人の体めがけて落ちたのだから、しないわけにもいかない。

 僕は学校の課外授業で習った知識で骨折した手足に金属棒や本を丸めたものを添え木代わりに知る。

 彼女は博物館の職員が持ってきたAEDを使って、身動きしない子供の心臓に電気ショックを与える。他の職員も僕たちの応急処置を見よう見まねで救おうとする。

 その時、遠くのほうからサイレンの音が近づいてくるのを耳がとらえた。それはだんだんと近づいてきて旧二条駅舎で止まった。そうするとまたサイレンの音が近づいてまた止まる。それが何度も繰り返されて、それに合わせて二人組の担架を持った救急隊員が検修庫になだれ込んでいく。その間に混じって二人のオリーブ色の上着を着た私服警官が駆け込んできた。

「大丈夫ですか?」

 救急隊員は手足の折れ曲がった人たちを次々に担架に乗せて本格的緊急処置をしながら運んでいく。

 私服の警官はそんな修羅場をしり目に一人一人無事な目撃者に細かく鋭い聞きこみを始めていた。

 僕は人助けしたことに対する自己満足をかみしめながらしゃがみこんで休んだ。

「まったく、今日は仏滅か何か?」

「いや、仏滅は数日先だ」

 親父はそう言ってコーヒーを僕と彼女に渡した。彼女は何やら困惑そうな表情で紙パックにストローを刺した。

「君、コーヒー苦手なの?」

「ええ、苦いのが苦手で、よく砂糖をたっぷり入れるの」

 それを聞いた僕は「味覚は子供のままかよ」思わず心の中で毒づいて心の中で笑った。もっとも僕自身もこんな苦い水より、カカオと砂糖がふんだんに入ったココアが大好きなのだけれど。

「京都の小川珈琲はおいしいのにもったいないな」

 親父の言葉に不満を持ちながら、苦いだけの水をストローで吸っていた。

 そこへさっきの警官が僕たちのほうに近寄ってきた。

「お話を聞きたいのですが、今よろしいですか」

「ちょっと、落ち着かせてください。今は疲れてるんです」

「お気持ちはわかりますが、こういう事故はすぐに聞いておくほうが重要なのです」

 そう言うともう一人の刑事がへこんだボイラーを観察した。

「それにしても、いったい何でワイヤーが切れたのだ。耐用年数をすぎていたのか?」

 その言葉を発した瞬間親父はものすごい剣幕で警官につかみかかった。

「ふざけるな、人の命と貴重な文化財を危険にさらすことなんてするか!」

 彼の抗議の彼女はさらにフォローが入った。

「これは誰かがワイヤーを切断したから起きた事件よ」

「お嬢さん、そういうことは我々が判断することだ」

 その彼女の言葉を聞いて工員たちは興味津々になって僕らの周りを囲みだした。

「へえ、どうして故意だってわかった。」

 その質問に彼女の代わりに僕が大学院の知識を使って理論的にわかりやすく説明した。

「このワイヤーの切り口。まっすぐに切れているでしょ。もしこの警官の言う通りワイヤーが寿命を終えて切れたのだったら、こんなに綺麗に切れる訳がない」

 警官は僕の説明をそんなものこっちが調べることだからという憤怒の声が聞こえてきそうな表情で聞いていた。一方の親父や工員たちは理にかなっているという表情で僕の簡単な説明を聞いていた。

「まあ、事件に関することはおいおい調べるとして、そこのお二方がこのボイラーを持ち上げたのかい」

 僕は「はいそうです」と子供のようにうなずいた

「詳しいことを聞きたいから、ちょっといいかな」

「それって任意の取り調べ?」

「いや、形式的なものだ」

そう言って私服警官は僕たちの肩を押しながら奥まった部屋に連れていこうとする。厄日は続けてくるものだなと僕はため息つきながら、空になったコーヒーパックをごみ箱めがけてシュートした。

 パックはものの見事にゴミ箱に入って、ついでにゴミ箱の蓋も一緒に閉じてしまった。


イオンモール岡山の駐車場にようやくたどり着いた。まったく今日はいろんな意味で災難だった。事情聴取は夕方まで続いた。ちょっとでも矛盾があればそこを鋭く責め立てられる。そして調書が終わった時にはすでに夜になっていた。

 僕たちは不満を募らせたまま岡山に帰った。ろくに観光する気分になれなかったのもその一つだ。お袋には事情を話して、彼女を泊めるよう電話を入れた。返事はやはり岡山駅での喧嘩のせいで不機嫌な声だったが渋々了承してくれた。

「今日は疲れたね」

 僕は彼女に投げやりに話しかける。彼女も「ええ、そうね」とため息交じりに答えながらとぼとぼと歩く。

「ねえ、一つ聞くけど、いつまで僕に付きまとうの?」

 その質問を聞いた彼女はため息をついた。

「少なくとも、私の無実が晴れて尚且つ真犯人と嵌めた雇い主に報復するまでね」

「それまで嘘の関係を維持するの?」

「勿論、それ相応の対価を持たせるつもりよ」

 対価とは一体何だろう。多分ろくな事じゃないとは察するに余りあった。僕は話題をあの事故に切り替えて話しかけた。

「さっきの事故。誰を狙ったのかな?」

「恐らく、狙いはこの私よ」

 僕は、少し不安になりながらもバイクに向かったが、何かおかしかった。警備員の姿すら見当たらない。彼女もその異変に素早く察知した。

「ねえ、このパターンって」

「あなたの思っている通りよ」

 そして案の定、男たちが険しい表情で僕たちの前に現れ出た。その中に一人どこかで見たような顔が混じっていた。

「あれ、おじさん。どこかで会った気がしますけど」

「奇遇だな。俺もお前と会った気がする」

 その声を聞いた僕は即座に思い出した。そう、あの時フェリーから叩き落とした奴だ。でも、どうしてここに来たんだろう。仕返しするにしても何か違和感があった。

「あれはおっさんが悪いよ。力に物言わせて弱い人いじめたから」

「俺が来たのはそんなことじゃない」

 そう言って男は彼女のほうに視線を向けた。

「姉ちゃん。悪いがそこの兄ちゃんと一緒についてきてくれるかな」

「お断りします」

「そういわれても、うちの雇い主が大金積んで連れてくるよう言われているからな」

 男がそう言っているうちにナイフや鉄パイプを取り出して、周囲を囲みだした。僕はそれを見てまた面倒なことになりそうだと感じずにはいられなかった。

「断るのなら、腕や足を折ってでも強制的に連れて来いということだ」

 そう言って男が彼女の手を触ろうとしたとき彼女は腕をつかみ背負い投げの要領で相手を投げ飛ばした。その時僕めがけて男の持っていたナイフが回転しながら飛んできたが、条件反射的に真剣白刃取りをして受け止めた。その時眼鏡が斜めにずり落ちた。

 ため息をついて下をうつむくと電光掲示板にパイプを持った男の影が僕めがけて襲い掛かろうとしているのが見えた。

 僕はすぐに受け止めたナイフを後ろに振り向くのと同時にナイフを横に振り抜いた。その瞬間、男は一瞬制止し顔中央の右から左にかけて鼻の辺りから赤い線ができたかと思うとそこから大量の血が噴出した。

「あああああ、は、鼻が、俺の鼻がああ」

「野郎、優しくしてれば図に乗りやがって」

 男たちはすぐに僕らに襲い掛かった。唯は靴底のヒールを男のおしゃれな白皮のブーツに突き立てた。それは痴漢や暴漢に対して行う反撃行動そのままだった。男はすぐに足を押さえてのたうち回った。さらに今度は殴り掛かった男の腕をつかむとその関節を外してお尻を蹴り上げた。

 僕は鉄パイプ振るう男に対して、奪っていたナイフを一本ずつ二人めがけて投げつけた。ナイフはダーツのように飛んでいき、男の背中に命中して、その間に崩れ落ちた。その直後にドロップキックを浴びせて、二人を吹き飛ばした。

 残ったのは男一人になっていた。男は思わず土下座して命乞いをする。

「一体誰に雇われたの?それを言ってくれるなら命だけは助けてあげるよ」

「し、知らない。俺は何も知らない」

「嘘つくならもっとましな嘘をつきなさい。雇われた以上誰かにあっているはずでしょう」

「ほ、ほんとに知らないんだ。海から助け出された後にSNSでお前たちを捕まえて指定の場所に連れてきたら報奨金がもらえるって」

「ほんとに誰なのか知らないの?」

「し、信じてくれ、落ち合ったときに連絡するって言っていたから」

 彼女はすぐにその底の厚いヒールを男の股間に力強く押し当てた。男は豚みたいな悲鳴を上げて、泣きながら命乞いする。

 それを見た僕は、すぐに足を引っ込めるように言って、尋問をやめさせた。

「そうか、それじゃこれは俺からの置き土産だ」

 そう言って僕は跪く男の顔面めがけてサッカーのシュートのように蹴り上げた。男は顔の骨が砕けたようで、体を震わせてよだれを垂らして仰け反った。

「結局誰が俺を狙ったのかわからなかったね」

「いいえ、確証はないけど誰がやったかはわかるわ」

 そう言いながら彼女は突然立ち止まると振り向きざま、懐から拳銃を取り出して、僕の方向に向けて引き金を引いた。眼鏡をかけていたら、怯えていたところだったけど、僕は動じることもなく引き金の引いた方向に視線を向けた。そこにはさっき倒した男の一人が拳銃を取り出して、僕らを狙っていたが、眉間を貫かれてそのまま動かなくなった。

「この場から逃げよう」

「いいえ、その前にこの男のスマホと拳銃を回収しておきなさい」

 僕は嫌々ながらも彼女の言葉に従って持ち物を調べた。持ち物は画面にひびが入った韓国製のスマホと米軍からの流れ品の拳銃だけだった。

「護身用に持っといて」

「俺、本物の銃を撃ったことないけど」

「でも、あなた、遊戯銃で遊んだことはあるから扱い方はわかるでしょ」

 僕はそのエアーガン二丁分の重量を持つ鉄の塊を握った。そして無意識的に指に軽く引き金に力を入れてしまった。

 引き金が引かれたのと同時に爆竹の音のような音が駐車場全体を響かせて弾丸は僕のバイクの燃料タンクに穴をあけてしまった。

 その瞬間「しまった」と思いバイクに近寄った。案の定、中からハイオクのガソリンが流れ出てきてしまっていた。

「ああ、僕のバイク」

「そんな事、心配している場合じゃないでしょう」

 彼女は急いでリモコンを使い車のカギを開けると、いとおしくバイクを触る僕の首根っこをつかんで、無理やり後部座席に押し込まれた。彼女は乱暴にドアを閉めて、荒っぽい運転をしながら、この場から急発進して離れていた。

 僕はバイクを置いてきたせいで他のことなど気に留めなかった。

「いつまで、いじけているの。元はと言えばあなたのミスでしょ」

「だって、あのバイクにどれだけの金つぎ込んだと思っていると思うの」

 そう言いながらも、僕は持っていた銃とスマホを手放すことはなかった。彼女の車の横を二台のパトカーが通り過ぎるのが見えた。

「バイクの事は諦めなさい。後でどうとでもなるから。それより、スマホはあるわね?」

 僕は相手から奪ったスマホを取り出して、SNSを立ち上げた。そこは何かの会話文のようなものがいくつかあるだけで取引のようなものが書かれている様子はなかった。

「普通の会話文みたいだけど」

「多分、暗号でやり取りしていたのよ。足が付かないように」

 ああ、なるほどねと僕は納得した。わざわざ本当のことをSNSとはいえ、会話するわけがないと分かったから、彼女に解読を任せるためにスマホを渡した。

「どう、調べられる?」

「ここじゃ無理ね。どこか安全な場所で解読しないといけないわ」

 そう言ってスマホを助手席に置いた。

「親父とお袋大丈夫かな?」

「確かにこうなってしまうとあなたの家族にまで危害が及ぶかもしれないわ。どこか遠くのところに離れたほうがいいわ」

「じゃあ、旅行に行ってもらおうか。旅行に招待したお礼として。イタリアに行かせるとか」

「そのほうがいいわね。お金は私が払うからあなたはお父さんとお母さんにお礼と言ってあげて」

「ああ、幸い、親父はイタリアのフランコ・クロスティ式蒸気機関車をみてみたいって言っていたし、お袋もバチカンで絵を見たがっていたから喜ぶぞ」

 そう会話をしながら僕たちはカラフルに光る岡山を走っていった。


第二部

「これがパシナ型蒸気機関車だよ」

「なるほど、これがそうなの」

中国の瀋陽鉄道陳列館。僕と彼女はここで日本製の蒸気機関車を見学していた。

日本人の僕はやっぱり満鉄が使用していた蒸気機関車が好きだ。歴史の資料でしか見たことのない満鉄車両を生で見ることができるからうれしいかぎりだ。特に現存する二台のパシナ型蒸気機関車がお気に入り。

目の前にある青と緑の巨大な流線型フォルムのパシフィック型蒸気機関車二台を網膜に焼き付けようと必死になった。

何せここは愛国教育のために作られた鉄道博物館。外国人の入場は制限されているため、こんなにうれしいことはない

「君のおかげだよ」

 僕は彼女に見学できたことに対するお礼を言った。

「ああ、気にしないで。旅費を工面しただけだから。ここに入れたのは、休館日に依頼主が貸し切りにしてくれたおかげよ」。

 僕は目の前に立つ二つの巨人にスマホを向けて何枚も撮影した。彼女はあきれた顔をして僕の行動を見つめる。

「気持ちはわかるけど、ここに来た理由をわかっているの?」

 それを聞いた僕は一瞬我に返り、撮影をやめた。

「わかっているよ、人に会うのだろう?」

 本来の目的を知っていた僕は不満を込めた返事をする。

瀋陽に来たのは無実が晴れるまで彼女と一緒に依頼主と待ち合わせするため。どうも、あのテロとも関係がある口ぶりだったため手伝うことになった。

 パシナに飽きたため今度は三気筒のミカニ型蒸気機関車を彼女に紹介しようとしたとき、一人の女性がミカニの運転室から降りてきた。

「蒸気機関車が好きなの、あんた?」

 彼女はその少しフランクな英語で僕に質問する。僕は片言の英語で答えた。

「ひょっとして、日本人?」

 女性は小ばかにした顔で僕に質問した。どうやらこの女性は愛国教育で思考がゆがんでいるみたいだった。

「依頼するのに人種や国籍は関係あるのか?」

 僕は憤りを日本語で言った。当然ではあるけど彼女は首をかしげる。

 その抗議を僕に代わって唯が英語で翻訳してくれた。

「まったく器が大きくて涙が出るわね」

 そう彼女は毒ついた直後、彼女の顔はどこかでみたような表情になって僕を一点に見つめした。

「な、なんだよ?」

 彼女は何も言わずに古い写真を取り出し僕と写真を見比べていた。

「似ているわね」

 彼女はそう一言つぶやいた。

僕が「誰と似ているの?」と聞くと「何でもない。こっちの話だから」と写真をポケットの中にしまい込んだ。

「私はチャン・メイフェル。中国鉄路公司の社員よ」

「聞いているわ。あなたのお父さんが取締役で大学を出た後、コネで入社したのでしょう」

「失礼ね、ちゃんと入社試験を受けて入ったわよ」

 彼女は顔を真っ赤にして回りが反響するぐらいに怒鳴った。よっぽど気に障ったみたいだった。

このままだと話が進まないと感じて僕が間に入った。

「さ、さっそく本題に入ろう。僕たちの依頼は何?」」

 僕の質問に彼女はファーウェイのタブレットを取り出して、写真を見せた。そこには東欧スタイルの電気機関車とロシアの大型輸送機アントノフ225が写っていた。僕はこの写真を見めた。

「この機関車がどうかしたの?」

「あんたたちに依頼したいのは、この機関車を南アフリカに運ぶのを阻止してほしいの」

「なんで、これを阻止しなきゃならないの?」

 彼女はタブレットをしまうとため息をついて、事情を話した。

「来月、南アフリカで機関車のお披露目会があってそこでアメリカ製の機関車と競い合うことになっているの」

「だったらいい機会じゃないの」

「そうでもないわ。このお披露目は動力近代化を進める連中が裏で糸引いているの。アメリカ製の機関車も石油企業と自動車の鉄道部門が作ったものらしいわ」

 僕はこのタブレットに写る機関車が世界中に売れたら、蒸気機関車は屑鉄なると思うと恐ろしくなった

「あたしの会社の一部役員もアメリカに対抗して東欧から輸入したときの設計図を元に最新の技術で勝手に製作したのよ」

「それで、その勝手な連中の動きを封じてくれと僕たちにお願いしに来たの?」

「あんたの言う通りよ、日本人。これを作った人間は公安が拘束したけど、すでに運ばれていたわ。その前に止めてほしいの」

「それで、この機関車は今どこにあるの?」

「上海に向かったらしいわ」

「上海?ここからだとだいぶ距離あるぞ。間に合うの?」

「大丈夫、アントノフのお披露目の日に運ぶらしいわ。あの機関車を船で運んだら日数がかかりすぎて間に合わないわ。それに写真のアントノフはわが国がライセンス生産第一号だから盛大に祝うわ」

 ライセンス生産したと聞いて僕は中国人からすれば失礼なことを口にした。

「また勝手にパクッたんじゃないの?」

「ライセンス生産と言ったでしょ。黙ってだけど……」

「やっぱり、パクリじゃないか」

 僕とチャンの会話を唯は思わず口元を押さえて笑いをおさえようとしていた。よっぽどくだらなかったに違いない。

「まあ飛行機のことはいいわ。それより撃墜じゃなくて離陸を阻止するのね」

「当然よ、いくら何でも飛行機事故を起こされたらたまったものじゃないわ。離陸をやめさせて機関車を押収するのが目的よ」

「わかった。輸送の阻止はしてあげる。次は報酬の話だけど」

「口座に前金を払ってあるわ。残りは目的達成後に払うわ」

 唯はタブレットをいじりながら、僕のほうを見つめる。

「彼にも報酬を払ってあげて」

「別に構わないけど、あんたはいくらいほしいの?」

 チャンの質問に僕は悪知恵を働かせて要求を伝える。

「僕はお金はいらないよ。代わりにこの国に残っている日本が使用した鉄道車両と引き換えはどうかな?」

「はあ、ばかじゃないの。一両や二両なら何とかなるけど、全部の機関車と引き換えなんて無理よ。特にここにある機関車は手放すなんてあり得ないわ」

 思った通りの反応だった。さすがにこの要求はのめないみたいだった。

「コウ君、彼女にも限界があるわ。もっと、現実的なものを言いなさい」

 彼女にたしなめられて、渋々大きく譲歩することにした。

「じゃあ、数両で我慢するよ」

「それなら北朝鮮辺りのJF6型蒸気機関車なら五両分都合がつくと思うわ」

「ミカロでしょう、でも北朝鮮と日本は禁輸しているから税関で引っかかるよ」

「それは心配しないで。対策してあげるから」

 そう言って、彼女は僕に質問をしてきた。

「ところであんた、名前はなんていうの?」

「高橋コウ」

「高橋……」

 彼女は一瞬考えこみ「いい名前ね」とお世辞を言った。

「あんたの報酬は考えてあげるわ。それより今は動きを止めるのが先決よ」

 僕はチャンの行動に引っかかりを覚えつつも上海に向かうことにした。

「でもどうやって行くの?」

「私が使っている特別列車に乗ればいいわ。見たら驚くわよ」

「そう、それで装備はどうなるの?」

「現地で準備してあるわ。少なくともあなたたちの懐にあるピストル必要ないはずよ」

 その言葉に思わず心臓が飛び出る思いをした。しかしすぐに冷静になって、後ろめたく保存されているパシナに目を向けた。

「どうして、イギリスはよかったのに日本はだめなのかな」

 そう呟いて僕は二人の女性の後について行った。


瀋陽の駅に着いた僕は東京駅と思えるくらい似ている駅舎に驚いた。目の前にアーチ状の屋根と農村から来た人々がいなかったら、勘違いするほどだった。

「見とれている暇はないわよ。早くホームに行くわよ」

写メで撮影する僕の手を唯は強引に掴んで人ごみの中を分け入った。

そしてホームの改札口にたどり着くとチャンは三人分の切符を駅の職員に手渡しそろってホームに入った。

ホームについた僕たちを迎え入れたのは前進型蒸気機関車が引く普通列車だった。ホーンをホーム全体に響かせて、発車が近いことを知らせていた。

「早く乗らないと間に合わなくなる」

そう叫んで僕は列車に向かったが、それをチャンと唯が僕の両腕を掴んで止めた。

「どこに行く気?」

「えっ、この列車じゃないの?」

僕の拍子抜けした表情にチャンはあきれた表情で反対方向のホームを指さした。

その指の先には重連されたACE3000に鏡のように磨かれて、緑色に光る客車が見えた。見た目こそ中国特有の客車だったが、中はガラス越しで高級品だった。

「あ、あれって、政府高官用の列車じゃないか?」

「そうよ、回送名目でチャーターしたの」

そういいながらチャンは自慢げに車掌きどりで僕と唯を招待した。唯は悠然とした足取りで列車の中に入ったが、僕は足を震わせながら車内に入った。

中は高級な調度品に鏡のように磨かれた皿などの食器類、それに贅沢に使われたニス塗りのチーク材。その光景に僕は感激を覚えた。

「どう、気に入ったかしら?」

「うん、気に入ったよ」

そう言って僕は恐る恐る高級そうなイスに深く腰掛けた。他の二人も互いに向き合う形で座った。

その時、タイミングよく、列車は乱暴に走り出し、瀋陽のホームを後にする。空は昔に比べてましにはなったが排気ガスで青空が全く見えなかった。

「さて、もう発車したわよ。私の隣に来なさい」

僕らがチャンの言った方向に視線を向けると、いつの間にか英字新聞を読みふける黒人男性がいた。男は新聞をたたんで、代わりにタブレットを持ってチャンの隣に座った。

「紹介するわ。この人は南アフリカ鉄道の機関士で情報提供者のシブシソ氏よ」

「シブシソだ。よろしく頼む」

その癖のある英語で僕たちに握手を求められた。僕は礼儀正しく握手をした。その手はごつごつしてタコができている感じだった。僕は恐る恐る質問してみた。

「あの、やっぱり治安が悪いのですか?」

その質問にシブソワは驚いた様子で癖のある英語で返した。

「なぜ、そのような質問を?」

「高校のころ格闘技していた同級生を見たことあるのですが、手が妙にかさぶたやらタコができているみたいで気になったのです」

その言葉を聞いたシブソワは目を細めながらも首を縦にして動かし返答を返した。

「その通りだ。皮肉なことだがアパルトヘイトがなくなってから世界でも危険な国になってしまった。実際私も五回ぐらい拳銃強盗にあったことがある」

そう言って袖を少しめくり銃創を見せた。そのキスはクレーターのような穴とへこみができていた。

その会話にチャンは咳払いをして話の本題に入ろうと合図を送った。

「ああ、そうだった。これが今回の式典と輸送計画の資料だ」

そう言ってシブソワはタブレットを取り出してPDFを見せた。そこには式典の計画や警備内容、輸送計画やそれに対する人員に至るまで事細かに書かれていた。僕はほとんど理解ができなかったが唯とチャンは「なるほど」と納得しながらスライドやスワイプをしながら読んでいく。

「でも、よく手に入れたな」

「今回の機関車のお披露目会がうまくいくと、この男は失業してしまうから、彼らにも死活問題になるって言って情報をリークさせたの」

「彼女の言うとおりだ。今でさえリストラされて、首が飛んでしまうかわからない状況で電気やディーゼルで動く機関車が投入されれば、私も強盗して生計を立てなくてはいけなくなる」

それを聞いた僕は冷ややかな視線を送りつつも、どうやって阻止するのか聞いてみた。

「まさか、飛行機を飛ばす前に爆破するなんてなしだよね」

「当たり前でしょ。そんなことしたら大事件よ」

「となると、ハイジャックしてアントノフの離陸を遅らせるしかないわね」

唯はそう言って、作戦を説明した。

まず、コックピットを襲って、離陸できないよう立てこもる。次に機関車が搬入できないように、騒ぎを起こす。最後に機関車の図面を破壊して逃げ出すというものだった。

「ほんとにうまくいくの?」

「破壊ができない以上、このほうが安全よ」

「でも脱出はどうするの?」

チャンの質問に唯は「それはあなたたちが準備してもらうわ」と言った。チャンとシブソワは面食らったが、さすがにそれは了承した。

「機関車はどうなるの?」

「押収後に解体にするわ。二度と走らせないように」

「じゃあ、脱出はそちらに任せて、僕たちは飛行機を離陸させないようにする。唯、どっちを担当するの?」

「コックピットは私が抑える。あなたは騒ぎを越して機関車の搬入を阻止して」

僕はうなずいた。

話が終わり、僕たち四人は個人個人で休憩をして上海までの旅路を満喫していた。僕はチャンと話がしたくなったため、スマホをいじる彼女と向かい側に座った。

「ちょっといいかな?」

「何なの、今ちょっといいところなの」

チャンは面倒な表情でスマホに集中していた。どうやらゲーム途中だったようだ。

「君、僕を見て様子がおかしかったけど、ひょっとしてこの人を知っているじゃないか?」

そう言って僕はスマホをパシナと写った曾祖父さんの写真を見せた。彼女はため息をついてゲームをやめてスマホを横に置いた。

「ええ、うすうすは気が付いたわ。私の曽祖父があなたの曽祖父を知っていたから」

「どうして知っているの?」

「ソ連軍が侵攻して日本の傀儡国家が倒されてから、収容所に入れられたのは知っているわね。彼に植民地鉄道の技術について尋問していたの。その時の取調官が私の曾祖父だった」

チャンはそう言って写真を見せた。その写真は多数の中国人が笑顔で笑っている中で一人理不尽な思いをして悲しい表情で写る僕の曽祖父がそこにいた。

「この様子だと、あんまり嬉しくないみたいだね」

「捕虜なんだから当然でしょ。」

それを聞いて思わず、机をたたきつけた。曾祖父を侮蔑されたから許せなかった。

「戦争始めた軍と首脳部が悪いだろ。俺の曾祖父さんは先見性の目を持った技術者なんだ」

「でも、経営に関わったから同罪よ」

そこから一気にヒートアップして、罵声を飛ばしあった。互いに一歩も引かず声を枯らして罵り合った。

それを遠目で見ていたほかの二人が頭を冷やせてと言った。

僕たちは息を吐きながらもいったん冷静になって、何の話だったか思い出し聞き直した。

「話を戻すけど、いったい何を尋問したの?」

「日本軍専用の機関車よ。そのことを厳しく取り調べをしていたようだから」

「軍専用の機関車とは何だね?」

シブソワの質問にチャンは「今ではすべての長距離を走る蒸気機関車に必要なものよ」といった。僕は一つだけ思い当たる節があったため口を開いた。

「もしかして、ミカク型蒸気機関車のことかな?」

「ええ、それよ。日本軍は煙対策と長距離での運転のために、ある一両の機関車を作ったらしいわ。それをソ連や中国が目に付けて技術者を取り調べたらしい」

それを聞いた唯は「ひょっとしてこの機関車のこと?」と聞いてスマホを見せた。そこには白黒のため不鮮明ではあるが、全面がむき出しの機械に覆われて、元の機関車が何だったのかわからない形状をしていた。しかし、その異様さは機関車本体よりも連結された炭水車のほうが際立っていた。その炭水車は異様に大きく箱状になっていて空気の入れ替えのための通気口が側面を覆っていた。それを見た彼は即座に答えた。

「この、機関車。復水器を積んでいるのか?」

「そうよ、あなたの国にあった25型蒸気機関車と同じものをつけていたものよ」

それを聞いて僕には思い当たるふしがあった。曾じいちゃんはのぞみ号をけん引する機関車に復水器をつけて、東京大阪間をノンストップで走らせる実験をしたと聞いたことがあった。

「テレビや図鑑だと日本初の試みだと言っていたけど……」

「その通りよ。下地はすでにあったのよ」

彼女はそう言って開いていないワインのコルクを歯で無理やり外し、一気飲みを始めた。

意外と豪快で品のない人だなと、僕は思い、横にあったアップルジュースのパックを一気飲みして一息ついた。


上海についた僕たちは観光気分を抑え込み浦東国際空港で服を着替えて職員の格好に化けた。そして、何食わぬ顔で偽の職員カードを使って格納庫に侵入。そこには軍やら政府高官とかがパイプ椅子に座り、目の前にある、巨大な輸送機を満足げに見つめていた。

 それにしても動画では見たことあったがこれだけでかいとは思わなかった。六機の巨大なエンジンに上に開閉するカーゴハッチ。二つに分かれた垂直尾翼。これなら少し前に引退にしたスペースシャトルも楽々と載せられそうだ。

「すげえ、ジャンボジェットより大きいな。この大きさだと、チャレンジャーやビッグボーイでもない限り、アメリカの機関車本体も十分運べるよ」

「A社によると、飛行機の中に乗せられないものは、上に載せられるみたいよ」

「おしゃべりはそこまでよ、早く仕事をしましょう」

 唯の言葉に我に返り、持ってきた道具を準備した。

 中国のブルパップライフルをケースに隠したまま僕らは中に侵入する。そこへトラックに陸送された例の電気機関車が即席のレールの上をトラックに押されて、搬入されようとしていく。

「どうする、運転手を人質にして搬入を止めさせる?」

 僕のはやる気持ちを彼女は手で口を押さえ、潜入の準備をする。チャンとシブソワは「車をここに持ってくる」と言って別れた。

「どうするの?」

「私はコックピットに向かうわ。あなたはこれを使って爆弾騒ぎを起こして」

そういわれて渡されたのは車に備え付けられている二つの発煙筒だった。普段使わなかったせいもあって「これどうやって使うの」と思わず聞いてしまった。

 唯はあきれた表情で「ここに使い方が書いてあるわよ」と使用方法に関する絵が載っているところを指さした。

「じゃあ、いったん、ここで別れよう」

「ええ、何かあったら、スマホで連絡して」

 そういって僕たちは分かれた。

機関車のほうは順調に機内の中に搬入し始めていた。

「さて、そろそろ始めるか」

 機関車がアントノフの中に納まる前に、発煙筒に火をつけて、それを機関車の下に投げ入れた。辺りはあっという間に煙だらけになって作業員たちも何が起きたのか、混乱に陥っていた。僕は覚えたての中国語でありったけの声を張り上げて叫んだ。

「大変だ、爆弾だ」

 その言葉を高官たちの目の前で叫んだのだから、さあ大変。一瞬にしてパニックになり、逃げ惑う人々。高官たちの中には、腰が抜けて動けなる人までいた。

 そんな大きな子供を警備員は高級車の中に押し込む。

「よし、うまくいったぞ」

 僕は一息ついて何となく電気機関車を叩いた。その音は中身の詰まった金属音ではなく、空洞の箱の音が返ってきた。まさかと思い、機関車の運転室を覗き込んだ。

 僕の目に写ったのは、ブレーキやスピードメーターなどの機関車の運転に必要な機械類のない、空っぽの空間だった。

「た、大変だ……」

 僕はスマホのことを忘れて、直接コックピットに向かった。

 僕がコックピットの近くまで近づいたとき、ドアをけ破るみたいに唯が飛び出てきた。彼女の顔も明らかに蒼白になっていた。

「コウ君。大変よ」

「わかっている、これが罠だってことは。あの機関車は張りぼてだった」

「こっちも同じよ。コックピットが施錠されていたから、強引に入ったら乗っていた乗務員は見ての通りの人形よ」

僕はすぐにスマホを取り出し、チャンとシブソワに連絡を入れた。

「チャン、僕だ、聞こえるか?」

「高橋、作戦がうまくいったのね。意外に早く……」

「違う、逆だ。この式典は罠だ。こっちの動きが筒抜けになっている」

 それを聞いたチャンの声は思わず裏返り、「嘘でしょ」と中国語で叫んでいた。

「すぐに逃げるから早く迎えに来てくれ」

「わかったわ、急いで向かうわ」

 そう言ってスマホを切ると、唯に視線を向けた。彼女は側面の窓を覗いていた。

「もうすぐ迎えが来る。僕たちもここら脱出しよう」

「それがねえ、どうも、ここら出るのは不可能になったみたいよ」

 僕が覗いてみると、いつの間にか重装備の部隊がとり囲んでいた。しかも空港の警備員とかではなく警察か軍の対テロ部隊みたいだった。

「おい、これってかなりやばくない?」

 僕の質問に彼女は沈黙で答えた。冷汗が流れた。

「犯人に次ぐ。ここも空港も包囲した。諦めておとなしく出てこい」

 よく、相手を説得するとき使うお決まり文句の言葉が拡声器を通して僕らの耳に入ってくる。しかも、中国語や英語ではなく日本語で話している。こっちの正体も見抜かれているみたいだった。

「これって情報が駄々洩れってことだよね」

「……残念だけどそうなるわね」

 となると答えは一つだった。僕と唯は銃を頭の上において格納庫からゆっくりと抵抗する意思がないことを示した。

 隊員も銃口をこっちに向けて近づいてくる。

 そこへ凄まじいエンジン音が近づいてきた。隊員や逃げ遅れた高官たちは、逃げ惑う。

 その車が僕らの目の間に止まると、勢いよく扉が開いた。

「早く、迎えに来たぞ」

 それはシブソワとチャンだった。なんてタイミングなんだ。

「よくここまで来たわね」

「少々強引に料金踏み倒してきたから、追っかけがやってくるわ」

 僕らはいの一番で車に乗り込みダッシュで逃げ出した。

 僕はやれやれと気を抜いたが他の三人は気を抜けずに緊張した面持ちで座っていた。

「なんてことなの。こっちの計画が漏れていたなんて」

「しかし、私はちゃんと駅から運ばれていくのを確認していたんだぞ」

「味方にも秘密にしていたのよ」

「じゃあ、本物はどこに?」

 チャンの質問に唯は首を動かして天を指す。僕たちがその方向に視線を向けるともう一機のアントノフ225が空へ飛びあがっていた。

 その姿にチャンは思わず呆気にとられてしまい前を見ていなかった。

「き、君、前、前」

 僕たちが視線を正面に向けるとボーイング767が離陸しようとしていたところだった。その瞬間世界が停止したかのような感覚に襲われた。

 僕と唯は無意識にチャンが握るハンドルをつかむと、息を合わせたかのように右にハンドルを切った。耳元にジェット機の轟音が通り過ぎ、その直後車は横に白煙とスリップオンを響かせ横に回転し始めた。

 それはほんのスローモーションの状態だったが、その一瞬に追いかけてきた車が離陸しようとした飛行機の車輪に巻き込まれて、火を噴いているのが見えた。

 そして二、三台ほど玉突き事故を起こす音が聞こえて視界が途切れた。

 気が付くと警察やら公安やらが人だかりとなって動いているのが見えた。

 さっきの飛行機は上空を旋回していた。

 僕は薄れゆく意識の中を引きずるみたいに逃げ出そうとしたが、誰かが銃底を下にして殴られ僕の意識はテレビの電源のように途切れてしまった。

 僕らは目を覚ますと、砂漠に転がされていた。乾燥した大地と太陽の光で、やられそうだ。唯は携帯用のポケットナイフで何とか縄を外したみたいだったが、刃こぼれしていたらしく、手で僕らの縄を解いてくれた。

 それにしても頭が痛い。殴られたせいなのか、それとも暑さのせいなのかわからない。頭を押さえながらなんとか起き上がる。

「だ、大丈夫?」

「な、なんとか……」

「まったく、ひどい目に合った」

 起きて横を見ると、目の前に線路があった。どうやら列車に乗せられてそこから放り出されたようだった。

「ところで、ここどこだろう。砂漠だっていうのはわかるけど」

「少なくとも、中国ではないわね。ここの植物は見たことないから」

「多分、ここは南アフリカだ。この線路幅が三フィート六インチだし、ここの植物がアフリカで生えているものだから」

 そう言ってシブソワはスマホを取り出して位置情報を確認した。

「スマホは無事みたいね」

「でも、なんで奪わなかったのかな?」

「そうね、それになんでアフリカにほっぽり出したのかしら?」

「あの後、私もよくは知らないけど、目隠しされた後に、飛行機に乗せられてそこから列車で揺られて、一旦停止したらここに転がされていたわ」

 僕たちは訳が分からなかったが、それより人のいるところを探すのがいいと僕は思った。

「じゃあ、線路沿いに歩いて町まで行こうか」

「いや、むやみに歩いたら、体力を消耗するだけ。今は直射日光を避けるほうが先決よ」

「それにスマホだと、次の駅までかなりの距離がある。列車が止まるのを待つしかない」

 シブソワの言葉に合わせて唯は穴を掘り始めた。

「何しているの?」

「直射日光を避けるための寝床を作っているの。見てないであなたたちも手伝って」

 唯に言われた僕たちは一緒に穴掘りを手伝いことになった。当然だけどスコップやシャベルなんてなく、動物の骨のような代わりもないため、手で掘るほかなかった。

 炎天下によってアフリカの大地は熱せられたフライパンのように熱く手が水ぶくれになってしまいながらも僕らは一生懸命、穴を掘った。

 そしてようやく一人が入れる位の穴ができた。唯は今度は着ている上着を脱ぐようチャンに言った。

「これで、日避けにするの?」

「ええ、これなら影ができるから、日の光も大丈夫よ」

 それを聞いたチャンは着ていた服を全部脱ごうとしたが、シブソワとチャンが「全部脱いじゃじゃだめだ」と彼女を止めた。

「なんで、ただでさえ暑いのに?」

「そう思うかもしれないけど、実は全部脱ぐと肌の露出を増やしてかえって体力を奪うわ」

「あ、そうなの」

「でも日陰のために露出しない程度で脱いでおいて」

 そういうとチャンは言われた通り上着だけを脱いでそれを穴の上に覆った。

「これで完成だな」

「いえ、ここから重要よ」

 そういって今度は自分の上着を脱いでそれをさらに被せた。こうすることによって断熱作用で涼しくなるらしい。

 そのようなねぐらをさらに作ったが服の関係で三つしかできなかった。それがわかったときに熱いはずの砂漠が寒く感じてしまう。

「どうする?」

「どうするか……」

 僕とシブソワは互い顔を見合わせてこのまずい状況の打開策を考えた。チャンも一緒には寝たくないという表情で僕たちを見つめた。その中で唯だけはきょとんとした顔で、言ってはならないことを口にする。

「誰かが一緒に寝たらいいじゃない」

 ただでさえ気まずい雰囲気がさらに気まずくなった。僕たち三人は「空気読めよ」と思わず睨んだ。唯は「何がいけないこと言った?」と不思議そうな顔をするがすぐに思い切ったことを言った。

「じゃあコウ君。私と一緒に入りましょう」

 思わず、二度見してしまった。普通なら遠慮するのに。

 二人は冷やかしの笑顔で僕たちを見つめると、イの一に一人用の寝床に入った。一方の僕と唯は二人が入るには窮屈な寝床に入っていく。

「男と寝るなんて異常だと思わないの?」

「別に、私は誰とでもいっしょに寝れるわよ」

 やっぱりこの子は普通じゃないな。そう感じながら暑さをしのぐために一緒に入った。


 砂漠の寒い夜。南半球の星は明るく輝いていた。プラネタリウムでしか見たことない、その星空は、僕の目を輝かせた。この星空のどこかに南十字座があるのかと思うと、さっきの気まずい雰囲気など、吹き飛んでしまう。

「コウ君。あなた、聞かないの?」

 彼女の質問に目の輝きが吹き飛んだ。いったい何が聞きたいのだろう。

「雇い主のこと?」

「そう、多分コウ君の家族にも関係あると思うの」

「俺の家族も関係がある?」

「仙川信也という男を知ってる?」

 その名前を聞いて、僕には心当たりがある。仙川信也は曽祖父の代の国鉄総裁にして悲運の鉄道マンとして鉄道ファンでは知られている。

「確か動力近代化と新幹線計画を進めていたけど世界の蒸気機関車を使用している状況を見た国に計画の見直しを迫られて失脚した人でしょう」

「そうよ。私の雇い主はその仙川を中心とした電気派と呼ばれる勢力よ」

「なんだ、そりゃ?」

 僕には全く聞いたことない連中だ。

「世界の鉄道は蒸気と内燃と電気の三つの方式があるわね。今の世界の鉄道はその動力方式をめぐって争っているの」

「その電気派が、世界の鉄道の覇権を奪おうとしているの?」

「その通りよ。電気派にとって蒸気機関車は最大の障害だから」

 その勢力があの瀬戸大橋の爆発を起こしたと言うのだ。

「あほらしいとは思うでしょう。でも、事実よ。実際に日本でも何度か電化とディーゼル化しようと動いたけど、そのたびに門前払いされていたらしいわ」

「で、その勢力が僕の家族とどう関係があるの」

「わからない?あなたの曽祖父さんは新幹線を電車から戦前に計画された蒸気機関車に変えたのでしょう。要するに面子を完全に潰した上に計画を乗っ取った、てことよ」

 逆恨みだろう。僕はそう感じた。世界が蒸気機関車を使い続けているのに電車に変える奴なんているか。僕はそう心の中で毒ついた。

「奴らは半世紀前の怨念が二一世紀になって爆発したってところね」

「恨みっていうのはわからないものだな」

 そう言ってうとうとして僕はうとうとして眠りにつく。

 

 翌朝、誰かにたたき起こされる感覚で起こされた。僕が目を開けると、どこかで見たことのある白人がいた。

「君たち、大丈夫か?」

 その男は心配そうな表情で水を持ってきた。でも、この男、どっかで見た気がする。そう思いつつ僕は助かったことの喜びを感じた。よかった地獄に仏とはこのことだ。僕はそう感じずにはいられなかった。

「た、助かったー」

 そう叫んで、僕はポリタンクの水を大量にがぶ飲みした。それはおなかが張り裂けそうなくらいの勢いで。

 僕らを助けてくれたのはイギリスの撮影班だった。

「君たちはここで何を?」

 白人の男性は不思議そうな表情で僕たちに質問してきた。

「見ての通り遭難したんです。しかも砂漠を甘く見ていたせいで道に迷ってしまって……」

 適当な嘘をついてその場を取り繕うつもりでいたが、かえって怪しまれた。

「車も、なしにか?」

「そ、そうよ。なんせ近所だからすぐ目的地に着けると思って……」

「近所ってここは隣町から二十キロも離れてるぞ」

 何を言っても信じてもらえない。だけど、今までの経緯を話しても信じてくれないだろう。

 それにしても、この男どこかで見たな。なんかテレビで詐欺師みたいな交渉でものを買い叩いたりとかしていたような気がする。

 その男の名前を最初に口にしたのはチャンだった。

「あなた、ひょっとしてエリック・ショウ?」

「ええ、そうだけど……」

「チャン、あなた知っているの?」

「え、知らないの、唯。この人はイギリス一の人気者よ」

「そうだ、エリック・ショウだ。どこかで見たことあるかと思ったら、『トップエンド』のエリック・ショウだ」

 僕はようやく思い出した。某CSチャンネルの人気番組『トップエンド』の人気出演者でもあり、鉄道界の有名人だ。しかし、唯だけは「誰、この人?」と言って彼を見つめていた

「あんた、テレビとか見ないの?」

 チャンの質問に唯は「ええ、見ないわよ」と普通に受け答えして、彼女の意外な疎さに僕らは閉口してしまった。

「じゃあ、ニュースとか見ないの?」

「馬鹿にしないでよ、全部ネットで見ているわよ」

「まあ、まあ、いいじゃないか」

 そういってショウは二人をなだめる。

唯以外の僕らは思わず握手とサインを求めてしまい、遭難しかけたことなど忘れてしまった。

「ところで、いったいなんでここに。機関車の撮影をしに来たの?」

「そう、この区間はもうすぐ、電化することになるから、ここを走る25型蒸気機関車の撮影をして、あわよくば、保存用に買い取ろうとやってきたんだ」

「え、すみません、もう一回お願いします」

 その言葉に思わず二度聞きをしてしまう。

「だから、機関車の買い取りと撮影を……」

「いや、その前ですよ?」

「なんだって、電化すると言ったが?」

 それを聞いた僕は驚いた。この線路が電化される。それは早すぎないかと思ったからだ。

「どうして?」

「どうしてと言われても、ここは見ての通り、水が貴重で、水を積んだ列車が貨物や旅客より多いぐらいだからだろう」

 ショウの言葉にシブソワの方も信じられない様子だった。

「でも、気が早すぎないか?」

「そうなんだけど、機関車に搭載する復水器の維持費やエネルギー消費も激しい25型より、電気機関車のほうがいいというのが向こうの言い分らしい。しかも数週間前に起きた日本の橋爆破もそれに拍車をかけたらしい」

 それを聞いて、僕は気になることを聞いてみた。

「あの、ここで新型機関車のコンペがあると聞いていたのですけど、知ってました?」

「コンペ、ああ、車に乗るときに見たあれか。確か興味を持ってそれも撮影したよ」

「それを見せてもらえないかしら」

 僕たちのお願いに撮影クルーは少し相談して快諾してくれた。彼らは持ってきたモニターでその映像を見せた。そこに映し出されていたのは、多くの重役や背広を着たビジネスマンなどの、先進国や新興国の人間が目の前にある何台もの機関車を見て、商談していた。

 しかし、その機関車はとてもではないが蒸気で動くものに見えなかった。音声には蒸気の汽笛の音ではなく内燃機関独特の音が聞こえる。

 そして機関車の何台かには、パンタグラフが屋根に取り付けられていて、関係者がテロップで説明していた。

「見て、あれも映っているわ」

 チャンの指さす先には僕らが狙っていた、あの機関車も映っていた。それを中国の人は独自で開発しましたと厚顔で説明していた。

「なんだ、君たちはこれを知っているのか?」

「話せば長くなるけど、ちょっとした縁で」

 ショウは不思議そうに見ていたが、何か込み入っていることはわかったみたいだった。

「イギリスの企業も来ていたな」

「まさか、リーダー号じゃないよね」

 それを聞いたショウは笑って「違う、違う」と言った。耳元でチャンとシブソワが「なんなの、リーダー号って?」とか「イギリスで作った箱型の蒸気機関車だ」とかが耳に入った。

「デルティックを出品したらしい」

「え、デルティック?」

「そうデルティック」

そういわれてよく見るとデルティックエンジンがむき出しのディーゼル機関車が見えた。なるほど、確かにデルティックだと思っていると、一人の日本人に目が止まった。

「ちょっと、止めて」

「どうした、いったい」

 僕はその中年の男に見覚えがあった。確か仙川信也の孫の仙川正樹だ。この男は蒸気機関車のことをSNSでことのほかこき下ろして、新幹線も電車にしろとか言っている。それでよく親父と殴り合いまで発展したと聞かされた。

「コウ君、この男を知ってるの?」

「……ああ、知ってる」

 よく見ると、正樹の持っているパンフレットに0系新幹線電車の絵が見えた。でも、なんでここに。

「あの、もういいかな、我々は早くブルームフォンテーンに行きたいのだが」

「ブルームフォンテーン?」

「この先にある街で、蒸気機関車のスクラップ場があるところさ。あそこで蒸気機関車の保存のために交渉しに行くのさ」

 それを聞いた僕はお願いをしてみた。

「あの、助けてくれたついでに僕らはブルームフォンテーンに連れてくれませんか。何分帰る方法がないものだから」

「あ、あんた達、パスポートもないの?」

 僕とチャンがうなずこうとしたときに唯が割って入ってきた。

「だ、大丈夫です。パスポートはホテルにありますから」

 そういって僕たちに「パスポートは何とか手配するから、今はあることにしといて」と言いくるめられた。

「それなら、別に構わない。早く車に乗れ」

 ショウに言われて僕たちは一息ついて彼らの撮影用の車に乗り込んでいった。


 ブルームフォンテーンは南アフリカの蒸気機関車が最後を迎える町で使命を終えた鉄の生き物がバーナーとハンマーもしくは重機でスクラップにされて売られていく。

その町に着いた僕たちはここで、多くの蒸気機関車たちの無残な亡骸を見ることになった。なんとも嘆かわしい姿だ。その光景を背に目的の機関車を探すのを手伝った。

「それで、その25型という蒸気機関車には何か特徴はないの?」

「機関車より長いドイツ製の復水器をつけた炭水車で車輪配置4―8―4だったよ」

 僕はそう言ってスマホの写真を唯に見せた。唯は「なるほど」と言って辺りを見回した。

「あ、あれじゃない?」

 そういって唯が指を指した先には4―8―4の車輪配置に左側の円室から伸びた配管と異様に長い、箱状の炭水車。間違いない25型蒸気機関車だ。僕はすぐにスマホでショウに連絡を入れて、見つけたことを報告する。

「わかった、すぐに向かうからそこにいてくれ」

 その後、電話は切れた。僕はその機関車を改めて見返す。長いこと放置していたせいなのか錆が浮いていて、塗装も剥げて、動いたら奇跡という状態に見えた。

「これ、どうやってイギリスの運ぶのかな?」

「トラックには載らないから列車で運ぶと思うよ」

 そう会話していると撮影班とチャンとシブソワがここの責任者をつれてやってきた。

「間違いない、25型だ」

 シブソワはそう言いながら機関車の状態を確認する。

「でも、これほんとに走るの?」

「自走は無理だな。牽引して港まで運ぶしかない」

 チャンとシブソワが会話をしている横で、ショウが責任者と交渉していた。イギリスなまりの英語からわかることは、日本語に訳すと偽物の商品を顧客に売りつけるセールスマンのような交渉術だった。責任者はショウのペースにまんまと乗せられて、二十分もしないうちに握手して終わった。

「いやー、いい買い物をしたな」

 テレビカメラに満面の笑みで勝ちをアピールするショウ。その隣で渋い顔をする責任者を僕は哀れに思った。

 チャンはおめでとうと言いながら彼に質問する。

「ところで、ショウさん。この機関車をどうやってイギリスにもっていくの?」

「実は鉄道会社に話して輸送する手はずは整えてある。数日をかけて、ケープタウンから出る船に乗せることになっているんだ」

 ショウは得意げに撮影クルーの肩をたたく。彼らも引きずった笑顔で笑った。

「そうとう、苦労したようね」

 唯は冷ややかな目つきでショウたちを見つめた。

 一方の責任者たちは工員を呼びつけて、日本でいう甲種輸送の準備をするよう命じる。工員たちは準備を始める。

「おや、シブソワじゃないか」

 責任者はシブソワを見て驚いた表情をする。シブソワは顔色が少し悪くして人ごみに隠れようとする。

「おじさん、この人と知り合い?」

「ああ、うちの同僚だ」

 それを聞いた僕はシブソワの手を引っ張って責任者の前に出す。責任者は「お前、いったいどこにいたんだ」と聞いた。

「実はこの子たちと世界旅行に連れていかれて、ようやくここに戻ってきた」

「中国からか?」

「そ、そう、旅がかなり大変で」

 そこへ鉄道員が「機関車がやってきました」と叫んできた。

 僕らの目の前には赤い色をした25型そっくりの蒸気機関車が空の貨車を数台牽引しながらやってきた。

その機関車を見て、僕はもしやと思い工員に尋ねてみた。

「おじさん、ひょっとしてあれレッドデビルですか?」

「そうだが」

 僕は思わず興奮してしまった。南アフリカに勤めていた機関車技師デニーとバージルが25型を改造して作った26型機関車だ。まさかこんなところで見れるなんて。

「レッドデビルってあのレッドデビル?」

 唯も目をこすってその赤い機関車をまじまじと見た。

「そう、世界の蒸気機関車の命脈を伸ばしたあの名機だよ」

 僕が興奮しているのをしり目にレッドデビルは後ろの貨車をいったん外して単機で走りだすと、自分の元同型機である復水式蒸気機関車を重連の形でつないだ。そしてそれを引っ張り出すと、今度は先ほどつないでいた貨車に連結した。

 僕はその姿をSNSに上げようと何枚も撮影した。その名の通りに赤い色をした車体に、1520ミリのスポーク動輪。デルタ式の従台車とレムパー式排気管をつけた二つの煙突。まさに狭軌の蒸気機関車で最大の出力を持つだけあって威風堂々としていた。

 僕は世界でこの一両だけという傑作機を写真や動画で撮影する。

「おい、危ないぞ。下がっていろ」

 整備をしている男に注意されてその熱は冷めた。

「写真を撮るのはいいが、もっと気を付けてとけ」

「はい、すみません」

 叱られ慣れていないせいで大きなショックを受ける僕だった。

「ところで、いつ出発するんだ?」

「整備が終わるのは少なくとも明後日までかかるからその翌日だ」

 ショウはそう言って、事務所に向かおうとする。

「どこに行くの?」

「機関車のルートを聞きに行くんだ」

 そういってショウと撮影クルーはそのまま事務所の中に入っていった。俺は25型とレッドデビルの撮影を再開した。

「ところでこの機関車、なんで廃車にしたの。なんか復水器に問題あるらしいけど?」

 唯は首をひねりながら責任者に聞く。その代わりに僕が答えた

「この機関車だけじゃないけど、使い終わった蒸気は煙突で煙と一緒に排出される。これは知ってるよね。でも、ただ排出されるだけじゃないんだ。それによって火力を上げている。でも復水器をつけるとそれが使えなくなって、結果的に出力が落ちる。しかも復水器や動力式のドラフトに使うものだから、さらに主力を落とすんだ。実際に満鉄のミカクもこの問題で頭を抱えたって曽おじいちゃんも言ってたみたいだよ」

「おお、兄ちゃん。ずいぶん物知りだな」

 責任者は僕の高い知識に感心した様子だった。

「いや、家族は新幹線に関わっていたし、僕もたくさん鉄道関連の本や論文を読んでたから」

 責任者とそのような会話を続けていると、ショウたちが渋い顔をして出てきた。

「ルートが決まった……」

「そう、それはよかった」

 その浮かない顔不思議に思って「何か問題でも?」と聞いてみた。

「実は折り入って、お願いがあるんだ。助けた君たちにその恩を返せとは言わないけど、イギリスまでの輸送についてきてくれないか?」

 ショウのお願いに僕たちは困惑したが、帰る足がなかったことを考えると彼のお願いを聞くことにした。

「わかったよ。で、どこに乗るの。車掌車か何か?」

「いや、25型の運転室に乗ってくれないか。熱くはないと思うけど」

 それは確かにそうだけど、逆に吹き曝しだから寒いだろうと心の中で突っ込んだ。

「今回のルートは人がいなくて、事故が起きた時に対応してくれる人が欲しいんだ。僕らはこの後別の撮影でいかなくちゃいけないから……」

「いったいどのルートを通るの?」

ショウはすぐに南アフリカの地図を広げると僕らにルートを指し示し始めた。


 数日後、僕と唯は牽引するレッドデビルの機関室に乗っていた。チャンとシブソワは機関車に不具合が起きないかの確認するために、輸送される機関車に乗っている。

「それにしても、よくカップルで乗る気になったな?」

「何が?」

「何がなの?」

 僕らにとってカップルの扱いを受けるのは侵害だが、理由を問いただした。

「ACE3000のような機関車ならわかるが、わざわざこの機関車に乗るなんて」

「古典的は言い過ぎだと思うよ。この機関車は世界で最初の第二世代型蒸気機関車なのに」

 これがレッドデビルのほうに乗った理由だ。バージルとデニーの傑作に乗るなんてまたとないチャンスだから。

「始祖鳥を見れるのがうれしいようだが、俺はこの機関車を運転するのに神経を使うよ」

「ガス燃焼システムが扱いずらいからか?」

 僕はさらりと確信をついたことを聞いてみた。

「そうなんだよなあ」

 そういって、石炭の様子を確認して蒸気の量を調節する。

「ちょっと外で風に当たります」

 そういって僕は身を乗り出して、外をながめた。暑かった機関室から乾いた風の吹く南アフリカの砂漠を眺めた。

 僕の想像の砂漠とは違い砂丘ではなく、工事現場の砂のような大地が広がり、枯草のような植物がゆらゆらと揺れていた。

「ああ、全く変わりばえしないなあ」

 僕のつぶやきは風に乗ってどこかに飛んでいく。

「機関車大好きなのね」

「ああ、そうだよ」

唯が隣について僕に恋人のように話しかけてきた。

 俺は振り向いて機関士を見ると笑みを作り、「聞いてないよ」と言って運転に戻る。

「私はね、昔は良家のお嬢様だったわ。それが鉄道事業に手を出したせいで没落。以来、やりたくない仕事をして今に至っているわ」

 核心に触れないように言葉は濁してはいるが、彼女の苦労は表情を見てわかった。いつもの光輝く目は死んだ魚のようになっていた。

「これから、どうするつもりなんだ?」

「元の仕事に戻るつもりよ。そうしたらもうあなた達とは二度と現れないわ」

 その方がいいのだが逆に寂しい。僕は提案してみた。

「よかったら、日本で暮らさない?こんな仕事するより楽しいと思うよ」

「ありがたいけど、遠慮するわ。あたしとあなたじゃ住む世界が違うから」

 彼女は僕の言葉の意味を理解していたみたいだった。

「その代わり、時々あなたの仕事場とかに遊びに行くわ」

「ほんとに?」

彼女は黙ってうなずいた。

 俺は少しうれしくなりながら、どこかに動物がいないか目を皿にして、気晴らしを始めた。しかし動物の代わりに見つけたのは数人の人間だった。

 最初は鉄道ファンかと思いそのうちの一人を見ていると、思わずのけぞってしまった。

「どうした?」

「何があったの?」

「せ、仙川、仙川正樹……」

「え、まさか」

 彼女がスマホを使い拡大してみた彼女は一言「ホントだ」と口にした。

「あれ、なんかスマホをいじり始めた」

「ス、スマホ?」

 僕は不思議に思っていると、スマホのバイブが列車の振動に交じって、振動していた。

 なんだろうと思いスマホの画面と受けるとSNSの返信を知らせる通知だった。

 僕はもしやと思い、SNSを開けてみた。それは、さっき投稿したレッドデビルの記事のコメント欄だった。

 そこに仙川のアカウントでこう書かれていた。

〝世界旅行は楽しかったかい。コウ君〟

俺はそのコメントを見て戦慄を覚えた。

 その直後、機関車が停止した。どうやら異常がないか調べるための定期点検のようだ。

 僕は冷めやまぬ悪寒に震えながらも列車をいったん降りて、後ろの機関車に向かった。

機関車のほうではシブソワが作業員と各部品の点検を始めた。

「不具合はないの?」

「ああ手で触ってはいるが、軸焼けもない。最もオイル交換は必要だが」

 シブソワの言葉に合わせるかのように工員たちは固形のグリスを回転部に押し込んだ。こうすることで走行時の熱で油が解けて、中の古いオイルを押し出すことができるらしい。

「ところで、走行中に何か音がしたけど」

 チャンの言葉を聞いたシブソワはすぐに音の原因を特定に向かった。

俺と唯は「ほかに問題点はない?」とチャンに聞いた。

「吹きさらしだから毛布が欲しい」

 僕らは「我慢しろ」と言って、スマホを取り出し現在の位置を調べる。

僕はさっきのショックもあり手が降るwる

「まだ、あの恐怖が抜けないの?」

「仙川正樹はここまでの旅程も、ここにいるのも知ってた。でも、どうして?」

「場所については、あなた自身が教えたのよ」

 彼女はそう言って僕のスマホを指さした。

「僕がSNSの投稿をしたから?」

「そう、習慣的にやっていたみたいだけど、それであなたがどこにいたのか分かったのよ」

 俺は慌ててログアウトしたが、「もう遅いわよ」と唯に言われた。

「何かしかけてこないかな?」

「わからないけど、ここでは起さないわ」

 僕は再び、仙川のいたところを拡大してみた。どうやら帰る様子で車に乗り始めた。

 最後に仙川が車に乗ろうとしたとき、親指を上に立てて血走った目でウィンクをして乗った。その直後に僕のスマホにメールが届いた。

 〝日本に帰ったら、お話ししよう〟

 その一言だけ送られてきた

「原因が分かったぞ。どうやら、ブレーキに問題がある。音が鳴らないように縛っておく」

 そういってシブソワは工員たちと一緒にブレーキを紐で縛り始める。

「ああ、よかった」

「列車のほうについてわ……」

「何か問題でもあるの?」

 チャンの疑問に僕たちはさっき見たメールとSNSの返信についてはなした。

「なるほど、確かにやばいわね」

 チャンもさすがに不安を隠しきれないみたいだ。

「まあ、とりあえず今は港町に行くことが先決よ」

「そうね、問題が解決したみたいだしそろそろ戻るわ」

 そういってチャンは25型に戻った。僕らもレッドデビルに戻った。


 翌朝、港町に着いた僕たちは朝食を食べていた。先にショウが僕たちの到着するのを待っていてくれた。機関車は入れ替え用のタンク機関車に押されて、ヨーロッパ行きの貨物船が停泊する波止場に向かっていた。

 僕たちは、レッドデビルの火室を使って目玉焼きとハムを焼いていた。

「うへ、石炭臭く無けりゃいいけど」

 そういって僕は程よく焼けたハムと卵を乗せたスコップを火室から取り出して、皿に載せた。みんなは滅多に作れない料理に舌鼓をしていた。

「すまないね、君たちに手伝わせてもらって」

「ほんとだよ。あんたがあの列車に乗ればいいのにと思ったぐらいだよ」

「実は、急遽取材が決まって、列車に乗ることができなったからだ」

「取材って?」

 その質問をしてみると「あの機関車だ」と指さした。それはさっき映像で撮られたデルティックだった。いつここに来たのかと驚いた。

「あの機関車の取材に時間を取られてね」

 デルティックは25型を運ぶ船に積まれるみたいで先にクレーンに吊るされていた。

「で、25型機関車はどうするの?」

「そうだな、標準軌に改造して、動態保存できたらなと思っているよ」

 それを聞いて、シブソワは「それは台枠ごと変えないといけないぞ」と言った。

「そうなんだよなあ、それが大問題なんだよ」

「え、なんで台枠を交換するの?」

「25型の台枠はアメリカで使用されているシリンダーとの一体型で鋳鋼型だから、溶接したり切断したりとかができないからだよ」

「で、あっちで台枠新造の募金でもするの?」

「すぐに集まらないけど、やるつもりだ」

 その顔は何か企んでいる表情そのものだった。また詐欺師のように金を集めるのだと感じた。

 僕らがそのような会話をしているうちの今度は25型がクレーンに持ち上げられて船倉に身を横たえようとする

「ボイラーも交換したら実質新造になるね」

「テセウスの船にならないといいわね」

 ショウは僕の突発的な皮肉に面食らった。唯も間髪いれずに追い打ちをかける。

「なんなの、そのテセウスの船って?」

 チャンはその意味を全く分からず、気になって辞書で調べて始めた。

 そんな状況をしり目に僕はカリカリのベーコンを口にくわえながら視線を海に変えて、イルカのようにジャンプするホオジロザメがいないか探した。


 イギリスの鉄道博物館には黎明期のロコモーション号から現代にいたるまでのありとあらゆる機関車が展示されていた。

 僕とショウは、二〇〇八年に来た新幹線用蒸気機関車HD53型蒸気機関車を見ていた。

 青と白の流線型に二.三mの動輪が四つきれいに光っていた。

「どうだ、まさかイギリスで日本の新幹線が見れるなんて思わなかっただろう」

 ショウは僕に、肩をたたいて話しかける。

「正直、ここまで長生きするとは思わなかった」

「どうして?」

「じいちゃんが言ってた。この機関車は未知の部分と欠陥を併せ持っていたって」

「どういうこと?」

「この機関車、ボイラーが細長くて、東京大阪間を走り切れないって。最初は、ウォータースクープを使って何とか走れたけど、岡山や下関に博多と伸びていくごとに、補給が必要になって、結局、復水器を搭載したって」

「ふーん、確かにノンストップ行くとなるとそうなるなあ」

「それに、レシプロ機関車が二〇〇キロ越えるのは危険が伴うから、そのうちタービンや電気式に変えるつもりだったって。最もそうなったのは国鉄か民営化されてからだけど」

「まあ、蒸気機関車の利点は寿命を延ばしやすいだからな」

 そう会話していると、唯たちがやってきて、パスポートを僕に渡した。

「はい、これで日本に帰れるわ。旅行もここで終了よ」

「ああ、よかった。これで安心して帰れるぞ」

 そう安心した時、入れ替え機関車がやってきて、転車台に乗るマラード号に連結した。

「何か、あるのか?」

「そう、これから世界の注目の的になるビッグイベントがある」

「何なの、マラードの姉弟がみんな揃うの?」

チャンは興味津々でショウに質問した。

「違うよ、もっとすごい客だよ」

 そう言ってタブレットを取り出して、写真を見せた。その瞬間僕は目を皿にして「ホントにこれがドーバー海峡を越えるの?」と質問した。それはフランス国鉄の242A1蒸気機関車の複製だった。

「そう、今の蒸気機関車が二一世紀まで生き延びた功労者がこのイギリスに来るのさ。そのゲストにもう2両追加で来ることも決まっている」

 もう2両とはどれのことだろう。その時はわからなかった。でも、ヨーロッパ最強の機関車がここに来るのであれば見ない訳にはいかない。

「ねえ、いつここに来るの?」

「もうイギリスに来てるはずだ。記念列車を牽く予定だ」

「フーン。それはすごいわね」

 唯は他人事のような反応でその話を聞いていた。他の二人は興味津々だ。

「複製ということは、本物じゃないの?」

「うん、本物は一九六〇年にくず鉄にされた。試作機は保存する価値ないっていうのが理由だけど、風の噂だとフランス国鉄のお偉方が動力近代化に邪魔だったからじゃないかって」

「でも結局、フランスも機関車を使いづけているのでしょう」

「そうなんだよ、上は結局面子潰されて全員退陣しちゃったみたいだよ」

 ショウはそう僕らに説明をした。

「それにしても、よく製造できたよな」

「242A1の元になった、241.101の図面や写真とか、時にはアメリカに行って、使われた技術も調べてようやくできたって」

「それでも大変だろうな。フランスの機関車は複式だから運転も製造も神経を使うのに」

 シブソワは技術陣の苦労に感傷に浸りながら展示されているHD53に触ろうとしたとき、突然、黄色とオレンジのベストを着た作業員たちが機関車を囲みだした。そしてマラードが乗っていた転車台の向きが新幹線用機関車に向くと、さっきまでマラードを牽いていた機関車が控え車を押してやってきた。

 よく見ると,控車の連結器がヨーロッパで使用されているものではなく、日本やアメリカでよく使用されているものだ。

「ま、まさか、サプライズゲストって?」

「そうだよ、HD53型だよ」

 ショウは満面の笑みで牽引される機関車を見つめる。

「まさか、三重連で客車は引かないよな?」

「まさか、そんなことしたイギリスの路線が持たないよ」

僕も一緒になって笑った。

「そうだよね、これはアメリカの機関車並みに重いから、イギリスじゃ走らせられないよね」

「でも、煙だけは上げるようにする予定だって」

 僕らがそのような会話をしている傍らで機関車は建物からやっとのことで外に出ていき、つながっている本線に運ばれていった。

 僕達が外に出てみると、HD53は線路をきしませながら、引き込み線に出ていた。

「大丈夫かな?」

「走るわけじゃないから、平気でしょ」

 僕らが話すその傍らで、トレーラーに載せられた比較的小型の蒸気機関車がやってきた。

「なんだ、あの機関車?」

「あれがもう一つのゲストのA1蒸気機関車」

「A1って最近新造された蒸気機関車よね?」

 その名は、イギリスで半世紀ぶりに作られた新型の蒸気機関車だ。

「後はフランスからのゲストが来るのを待つだけさ」

 ショウが、そう言っていると、急に修理を始めだした。

「あれも、何かのサプライズ?」

「いや、あれは聞いていないぞ。いったい何をしている?」

 ショウは気になって、ピストンを抜こうとする男に聞いてみた。

「実は、ブッシュが壊れて、応急修理しているところだ」

 彼はそう言ってシリンダーのブッシュを引きぬくと、交換を始めた。液体窒素につけた交換用ブッシュをハサミで出すと、それをシリンダーの中に押し込んだ。

「なるほど、一度冷やして小さいうちに押し込むのか」

 自分もこの方法でブッシュの交換するのを初めてみた。

「間に合うのかい?」

 ショウは思わず慌てた様子で工員に聞いた。

「心配ない、何とか間に合わせる」

工員はそう言って液体窒素の入ったタンクに蓋をした。

そこへ機関車の汽笛音が聞こえた。振り向くと、明らかにフランス然とした大きな機関車が独特の音を立ててやってきた。

それは紛れもなく242A1のレプリカだ。それにしても、よくドーバー海峡を渡ってきたと思った。

「すごいな、ほぼそっくりだ」

「そうだろう。僕もこれ見た時には目を疑ったよ」

 これで役者はそろった。四台の機関車はその雄姿を関係者に見せつけた。

僕も思わずスマホで何枚も撮影していた。

「よし、これで全車揃った。後は明日が来るのを待つだけだ」

「特別列車も牽くんだよね」

「そうだけど、もう切符は売り切れだよ」

 それを聞いた僕はひどく落胆してした。

「でも式典は出席してもいいから。元気出して」

 ショウや唯たちは僕を気遣う。それが気休めであっても多少慰めになった。

ふと、一人の男性を見た唯の表情が変わった。

「どうしたの?」

「いや、あの男の人。ここの職員にして変だなと思って」

「どう変なんだ?」

「なんとなくだけど、服が新品だし。靴もおろしたてのようだったし……」

 彼女は不思議そうにしながらもその男を見つめる。

一方の僕はその横で、警官が張り紙をしているのを見つめた。

「なんだ、あれ?」

「あれは北アイルランドテロリストの手配書だな」

 ショウはそう僕らに言った。

「北アイルランドの組織は武装闘争を辞めたはずじゃない?」

「一部の分派は活動しているよ」

「聞いたことはあるな」

 チャンとショウとシブソワはそう会話している傍らで僕はそのポスターを見つめていた。その中の左隅の写真に気になった。

「あれ、この写真どこかで見た気が……」

「こ、こいつ、さっきの!」

 その言葉を聞いたとき思い出したさっきの綺麗な服を着た男だ。

僕は急いで警官に向かって英語で叫んだ。

「お巡りさん。あそこに手配書の男がいるよ」

その声を聞いた瞬間、男は慌てふためいてめいて逃げ出す。

「こら、まて!」

 警官は無線で応援の要請をしながら追いかける。

 男の方は全力で逃げ出そうとしたが、拳銃を持った警備員が道をふさいだ。

 テロリストは次に反対方向にこっちのほうに逃げ出そうとする。

「どけ、どけ!」

 そう、アイルランド語で叫びながらこっちに突進してくる。

 僕と唯は目を合わせ、互いに腕を出した。

 そして男とすれ違う瞬間にラリアットを食らわせて奴を一回転させた。

 その直後、警備員や警官が男を取り押さえて、手錠をかけた。

「「やった」」

 お互いに笑顔で握手をした。それはお互いを信頼した証だったのかもしれない。

 ふと、男の高笑いが聞こえてきた。

「おい、何がおかしい?」

「もう手遅れだぜ。あの四台は派手にスクラップさ」

 その言葉を聞いた僕たちは恐怖で震え上がった。

「貴様、一体何を?」

「あの機関車に爆弾を仕掛けたのさ」

 それを聞いた僕は思わず機関車を見た。

「そんな事、信じるか」

「なんならあの機関車を調べたらいいぜ。最も一台ずつ調べている暇があればの話だがな」

 そういって男は警官に向けて、二,三回唾を吐きながら、パトカーに連行された。

 みんなは口々に機関車を口々に調べようとはせず動揺していた。

 ショウたちも現実感がないらしくそのまま立ちすくんでいた。

 一方の唯は、深刻な表情で四台の機関車を見つめていた。

「ねえ、コウ君ならどの機関車に仕掛けると思う?」

 突拍子もない質問に困ったが、僕はどの機関車に仕掛けたか自分の推測を話した。

「考えられるのは、A1かもしくは242A1のどっちかだと思う」

「どうして、そう考えるの?」

「あの男は作業員の格好をしていたから、多分A1を整備するふりをして仕掛けたかと思うから」

「じゃあ、242A1は?」

「相手の話し方だと、政治的衝撃の大きいものを選ぶと思うから」

それを聞いた唯は工員や警察官にこの二つを徹底的に調べるよう流著な英語で言った。

 警官のほうは渋い顔をして、機関車を調べ始める。工員たちの何人かは避難してしまったが、勇気ある人の手伝いもあって、機関車の「点検」を全員が手を震わせながら始める。

 十分ぐらいたったころだった。

「あったぞ、これだ」

 工員の一人が叫んだのを聞こえて、スマホの明かりを使って、機関車の下を覗き込む。

 光の先にはプラスチック爆弾というべきか、粘土のような爆薬が電子装置のようなものとコードで繋げられていた。液晶画面には爆発が三分と出ていた。

「お巡りさん、早く爆発物処理班を呼んで」

「無理だ、この時間だと間に合わない」

「でも、この機関車は文化財だ。何とかならないのか」

 僕たちは焦った。後、三分では解体もできないし、逃げたとしても助かるかどうか。

「この爆弾の起爆部だけでも凍らせたらいいのに」

 誰かがそうつぶやいたのを聞いたとき、ネットやゲームで爆弾を冷却して機能を止めるということを思い出した。

「おじさん、液体窒素はどこに?」

「まだ、外にあるはずだが……」

「あれをここに持ってきて」

 工員は不思議そうな顔をしながらもすぐに取りに行ってくれた。

「液体窒素で凍らせて止めるのね」

「少なくとも爆弾処理班が来るまでの時間は稼げるはず」

 唯と会話していると、液体窒素のタンクをキャスターで運びながら、持ってきてくれた。

「何かすくうものは?」

「これはどうかな」

 そう言って手渡されたものは何かシロップを駆ける奴みたいで頼りなかったが気にする暇もなく、すぐに中の液体窒素を救って仕掛けてある所に入った。

「あと何分?」

「あと、二分だ」

 僕は自分より大きい工員を押しのけて、タイマーのある起爆部に液体窒素をかけた。

 しかし、まだ動いていた。「もう一回」と言ってそのすくう物を渡した。

 あと一分の所で、液体窒素が今度は鉄のバケツで運ばれてきた。

「ええい、やけだ」

 僕はその液体窒素を、思いっきり爆弾全体にかけた。

 タイマーはあと三〇秒のところで爆弾は霜で白くなりながら霧を出して電源を落とした。

「みんな、止まったみたいだよ」

 それを聞いた工員や警官が「本当か?」と言いながら、下から出てきた僕に聞いてきた。

「タイマーの機能が停止したから、少なくとも動かなくはなったようだけど」

 所詮聞きかじりだから役に立つとは思えなかった。みんなの目も疑っている。

「爆弾処理班が来たぞ」

 その言葉を聞いたとき、僕らは急いでその場を後にした。そして入れ替わりに、着太りしているのかと思えるくらいの服を着た男たちが入ってきた。

「あと一〇秒すれば、分かるはずだ」

 僕は心の中でカウントダウンをしながら、機関車が爆発しないのを祈った。

「三、二、一、ゼロ」

 そう口にして僕は頭伏せた。何も起こらない、どうやら僕の判断は正しかったみたいだ。職員や警官たちもほっと胸をなでおろした。

「見事な判断よ」

「君は英雄だよ」

 唯は肩をたたいてほめてはくれた。ショウも僕に感謝しているみたいだった。


数日後、僕は飛行機の中にいた。僕は外の景色を見ないようにブラインドを下げて、ヘッドホンを付けたまま、音楽を聴いていた。

 そのほうが、緊張がほぐれて、恐怖が遠のくのだ。

「……ちょっと、ちょっと」

 チャンに呼ばれて振り向くと、機内サービスがやってきた。

「よかった、これで気がまぎれる」

 僕はそう言って、ジュースをもらい、ストローで飲んだ。味は果汁一〇〇%のオレンジ味だ。そして視界を見ないように、カタログに目を通す。内容は高そうな時計や万年筆ばかりで、僕の年代に似合うものと言ったら飛行機の模型ぐらいだ。

「コウ君は、飛行機が嫌いなの?」

 音楽の流れる僕のヘッドホンを外して唯が僕に話しかける。

「うん、いつも航空事故のドキュメンタリーを見ていたし、何より、よく夢で空中分解で、宙に放り出される夢ばかり見てからダメなんだ」

 それを聞いた他のみんなはクスクスと笑っていた。

「大丈夫よ、戦争でもない限り、飛行機事故で死ぬ確率は自動車事故より低いから」

 そういって唯はヘッドホンを僕の耳に戻した。

『……数日前に起きました、イギリスの列車爆破未遂事件について、ロンドン警視庁は逮捕したアイルランド人の男の証言から、動力近代化の鉄道一派が背後にいるとみて引き続き、EU共同で捜査する方針です。なお、爆発を阻止した日本人について感謝の意を述べるとともに、行方を探しています。また、これによる特別列車の運行にも影響はほとんどないとのことです。次のニュースです、現在日本で進められている……』

 うんざりした僕は音楽にチャンネルを変えた。でも、どのチャンネルにしても気に入るものはない。クラシックや演歌に六〇年代から七〇年代のJpopばかりだ。

 そうこうしていると機内アナウンスが流れてきた。

『ただいま、日本上空に到着しました』

 よかった、ようやく帰ってこられた。その時の僕はその時そう感じた。そして、聞く音楽もないし返ってきた安堵もあって、椅子のリクライニングシートを後ろに伸ばして、到着の間仮眠することにした。

 どのくらいたったか、夢で機関車が重機でつぶされ、その傍らで新幹線電車が汽笛を響かせる悪夢で目が覚めた。

「大丈夫、うなされていたけれど」

「し、心配ないよ。悪い夢を見ただけさ」

 そう言って外の景色を見ると、関西国際空港が見えた。

『ただいまから着陸の準備をします。シートベルトの着用をお願いします』

 機内アナウンスでシートベルトをつけて、席を起こす。

 強力な重力を感じた後、飛行機は滑走路に着陸して止まった。そしてタキシングして乗降口と接続した。

「ああ、疲れた」

 僕は背伸びしてバッグをもって席から立った。

 

「さて、一旦、家に帰るか」

「そうか、じゃあ我々もお邪魔するよ」

 シブソワはボストンバックを片手に関西空港の駅ホームで時刻表を見た。

「日本の列車は正確なところがいいのよね」

「そうだな、イギリスなんか遅れるのが当たり前なのに」

 一緒についてきたショウも時刻表を見た。彼も日本の鉄道事情を知りたいということでついてきた。

『間もなく、一番ホームに列車がまいります。危険ですから白線の内側でお下がりください』

 いつもと変わらぬ、いつもの列車のアナウンス。人々の喧騒の声。よかった、これでようやく日本に帰れた。

 その安心は聞きなれない汽笛の音でかき乱された。それは蒸気から発せられる笛のような音ではなく、電子ホーンのような音だった。

「あれ、なんか音が違うぞ」

 僕は首をかしげながら音のする方角を見みると目を何度もこすった。

 それはいつも見慣れた蒸気機関車の姿ではなく、顔は四角くキャブフォアード式の運転台にパンタグラフという機器の付いた列車だった。

 よく見ると線路の上を電線が伸びていた。

「……ねえ、僕は夢を見てるんだよね。もしかしたらここは日本じゃないはずだよね」

 みんなに現実逃避の言葉を口にした。そうだ、これは悪い夢なんだ。こんなのは僕の知っている日本の鉄道じゃない、そう心に言い聞かせたが、唯が肩を叩いてた。

「いいえ、ここは現実世界よ。そしてここは間違いなく日本よ」

 そう言いながら彼女はすまなそうな表情で僕を見つめる。

一方の僕は開いた口を金魚のようにパクパクさせながら指さしてみんなに聞いた。

「だ、だって、あれ電車だよね?」

 その質問にショウが代わりにこたえてくれた。

「うん,架線の方式はロンドンの地下鉄とは違うけど、間違いなく電車だね」

「たしかに、機関車とは明らかに違うな」

「だ、だって……」

 言葉に詰まる僕にチャンがタブレットを持ってきてその理由を教えてくれた。

「どうやら、試験的に、電車とかを使っているみたいよ」

 そこにはJR各社が動力近代化の試験を伝えていた。

 僕はフェイクニュースだと心の中で勝手に決めていた

「いよいよ、奴らも本格的に進め始めたわけね」

 彼女は握りこぶしを作りながら、口を開く。

 一方の僕は列車がホームに滑り込んでドアが開く様子をただ茫然と見つめていた。


 関空から途中の駅で茶色い電車に乗り換えてどれくらいたったか。新大阪までの間、車窓の風景を眺めていた

途中、架線工事をする蒸気機関車の牽く臨工列車がすれ違う。

 他の乗客は「こんな乗り心地のいい列車は初めてだ」と口々に噂をしていた。

「驚いたわね。今じゃ、だれも見向きもしなかった電車を日本が導入するなんて」

 チャンはそう言ってシートを向かい合わせにしてウーロン茶を飲んでいた。

 シブソワやショウはカルチャーショックを受けていた。

「でも、こんなに早く電車が導入されるなんてね」

「多分、客車が先祖返りしたんだと思うよ」

「先祖返り?」

「昔の戦時設計の電車が客車になって、また元に戻したんだと思うよ」

 僕はそう言いながら、耐火性の木材を触った。

「なんでわかるの?」

「小学校の時に名古屋の博物館でこれと同じ電車を見学したことあるから」

 そう話しているとアナウンスが流れた。

『まもなく、新大阪。新大阪に到着します。お忘れ物ないようご注意ください』

「僕はとりあえず家に帰ろうと思うけど?」

「それは止したほうが良いわ。今は私たちと一緒にいよう」

「私も同感だ。まだ、テロの熱が冷めてないうちは一緒にいたほうがいい」

 そう言って荷物をもうドアのほうに向かって列車を降りる準備した。

 列車から降りた僕たちは人の波にのまれながら進んでいると、背広の男たちが僕らを囲んでいた。

ショウたちカメラクルーは動揺しながら、状況を把握しようとした。

「高橋コウだな?」

「そうですけど、何か?」

 僕は思わず身構えるが、唯が「大丈夫」と言って僕をなだめる。

「仙川正樹の使いです」

「それにしてはやけに物々しいわね?」

 チャンは自分たちを棚に上げて、相手に無礼な言葉を口にする。

「言い訳はしないが、ことが事だけに警備を現にしなくてはいけないもので」

「なんの警備だ?」

 シブソワは首をひねりながら男たちに聞く。

「ええ、瀬戸大橋爆破事件の犯人が、新しい列車を狙う可能性があるので、警戒しています」

 それを聞いたとき唯は眉をひそめて、眼を鋭くしながら男たちを見つめた。

「それで、新しい列車って何なの?」

「それは来てみればわかります。こちらへどうぞ」

 男に促されるがまま僕たちは彼らの後をついていった。

 新幹線のホームにはたくさんの鉄道ファンが、撮影の準備をしていた。

ファンの中にはホームにはみ出して駅の職員に制止されたり、席をめぐって殴り合いの喧嘩を始める連中までいる。

「列車はまだ来ないの?」

「もうすぐ来るはずです」

 男がそう言って時計を見ていると、汽笛が聞こえた。その音は電車に近かった。

 ホームにその列車はやってきた。それは見たこともない二十一世紀の列車というか、一昔前のSFに出てきそうな流線型の車体で、ステンレスかアルミでできていた。

 それは、新幹線電車の模型に似て青と白の塗装だがそれより鋭く、美しく輝いていた。

 電車はホームに滑り込むと、電車とホームを仕切る壁のところで止まる。

「な、なんだ、これ?」

「こんな列車見たことないわ」

「そうだよ、こんな美しい列車見たことない」

 ショウ達はその電車に驚きと感動の声を上げた。一方の僕と唯は全く違う感情を覚えた。

 列車のドアが開くと、「どうぞ」と男たちに促されて僕らは列車に乗り込んだ。

 列車の中は快適な車内になっていて、ビニールに包まれた座席がまたらしい匂いを漂わせて、社内の空気にしていた。

「あなた方は、こちらで座ってください」

 そう言ってチャン達は座席に座らされた。一方の僕と唯は別の車両に案内された。

 別の車両には誰かが席に座っていた。それは仙川正樹だった。彼は転換クロスシートを向かい合わせにして、僕らを待っていた。

「高橋コウ君。それとその彼女。こっちに座って」

 仙川は気さくに話しながら読んだ。僕は警戒しながら、席に座った。

「そんな怖い顔をするなよ。せっかくの試験走行に君たちを呼んだのだから」

 それは癪に障る言葉だった。僕は顔を歪ませながら口を開いた。

「いつから、新幹線は電車になったの?」

「君たちが新婚旅行に行っている間に、進めていたのだよ。蒸気機関車はそろそろ技術的に先が見えていたから」

 唯は僕の代わりに口を開いた。

「それにしては随分急でしたのですね」

「基礎研究は済んでいたから、後は上が決断を下すだけだったから」

 そういっていると横に新幹線用の貨物電車が横切った。

「あれは、新幹線の貨物列車だね?」

「ああ、ダミー計画で進めていた資料を基に進めていた。今は高速試験中だから本格的な導入はもう少し後だ」

 仙川はそう言って、かばんに入っていたタブレットを取り出して僕らに見せた。そこには試験走行の映像が映し出されていた。

「どうだい、すごいだろう。宣伝もばっちりだ。これで、日本も鉄道技術世界一になる。素晴らしいと思わないか?」

「……僕は喜べません。世界一になることってうれしいことなんですか」

「何を言っている。電車や気動車の技術で世界の一つ二つ先に行っていることを証明しているのに?」

 そう聞かれたとき、僕は正直に話すことにした。

「僕はこんな電車よりフランスやアルゼンチンの蒸気機関車のほうが素晴らしいと思っています」

「おいおい、ロマンや男では困るぞ」

 仙川は首をひねりながら苦笑いをして、僕の肩をたたいた。僕は恐怖が先走って体が震えていた。

「どうした?」

「だ、だって、あの時……」

 そう言いかけたがすぐにひっこめた。

仙川は僕の怯えなど気にせず、タブレットの画面を変えた。

「見てみろ、これは我々が夢見た鉄道の理想だ」

 それは未来の列車の想像図が画像として映っていた。

「こんな幻想をずっと持っていたの?」

「幻想ではない、夢だ、我々の」

 仙川は大声で社内が震えるほどに叫んだ。

「祖父は戦前から電車とかの動力分散式を研究していたのだ。なのに、フランスやアルゼンチンが横やりを入れたおかげで、今まで黙殺された。今度こそその花を咲かせる時だ」

「それで、あの瀬戸大橋爆破事件を利用したのね」

 彼女は聞いたこともない殺意のこもった口調で仙川に確信近くを聞いた。

「千載一遇のチャンスだったんだ。最も安全面については前々から警告していたから、世間も理解してくれるのは早かったよ」

「で、でも蒸気機関車はどうなるんだよ」

「どうなるも何もイベントに残す奴以外は重機で壊すに決まっているだろう。勿論一部は博物館や公園に展示するために貸し出しはするけど」

「じゃあ、俺は機関車技術者の夢はなくなるってこと」

 それを聞いた仙川はあざ笑いながら肩をたたく。

「気にするな。君の勉強したことは無駄にはならない。ただ、機関車の研究なんて先が知れている。その頭を柔らかくして、新しい列車に力を注ぐべきだ」

 そういって仙川は高級そうな卵サンドの入った箱を開けて僕たちに渡す。

「毒でも盛ってる?」

「まさか、そんなことはしないさ。ただ、おなかが空いているのだと思って分けたんだ。これは大阪で買ったサンドイッチだぞ。それも三か月待ちの」

「あら、それをこの段階で私たちに分け与えるなんて、タイミングが良すぎるでしょう」

 唯の言葉に仙川は意を返さなかった。

「コウ、君の彼女ももうすぐ駅に着くから、みんなで仲良くしないとね」

 そう言って仙川はもう一つ箱を持ってきた。それは同じようにサンドイッチの箱だった。

「これを彼らにも分けておいてくれ」

 そう言ってもう一つの箱を渡すと、仙川は卵サンドをおいしそうに食べ始める。

「なんだ、食べないのか」

「僕らはカツサンドが好きなんです。それに今はおなかすいてないから駅に降りたら、どこか見つからないところで食べます」

「私もそのつもりです」

「……まあ、駅に降りて食べる暇があるといいな」

 何やら意味部深な言葉を聞いて、不思議に思いながら外を眺める

「もう、そろそろ、駅に着くころだが、気を付けたほうが良いよ」

「テロリストに狙われるから?」

「いいや、もっと厄介なのが囲んでくるから」

 京都近付いてきたきに、上空にヘリやドローンが飛んでいるのが見えた。

 それが徐々に増えてきたかと思いながらホームに入るとそこには鉄道ファンなのか新聞記者なのかそれともテレビクルーなのかわからない人が列をなしてフラッシュを僕らに浴びせてきた。いや、正確に言えば僕たちの乗っている新幹線にだ。

「おい、何だよ、こりゃ?」

「何ってわかるでしょ。この試験運転を取材もしくは撮影のために集まった連中でしょ」

「だから、気を付けたほうが良いと言ったんだ」

 そういって仙川は手降って別れを告げた。

 僕らは後ろの車両に乗るみんなにここで降りるように言いに行くと、そこではどこから手に入れたのか缶ビールを開けて、酒盛りをしていた。

「あ、お帰り。どうだった話は?」

 チャンが酒臭い息を吐きながら聞いてきた。

「そんなのどうでもいいだろう。それより外にいる連中がいい顔しないぞ」

「なんだよ、まるでここで降りる見たなこと言って?」

「その通りよ、ここで降りるわ」

「な、なんで?」

 みんな不思議そうな顔をする。

「ここには、コウ君のお父さんが務める鉄道博物館があるからというのは建前よ」

 ショウは不思議そうにして「なんで急に?」聞いてくる。

「おやじの同僚が心配になったから」

 僕はそう嘘をついて降りる準備をするよう促す。みんなは渋々片づけと荷物を棚から出す準備を始める。

「あ、そうだ。列車から降りる前にこれ飲んでよ」

 唯はどこで入手したのか、息をケアするタブレットケースをシブソワに投げた。

「なんだ、これ?」

「これ飲んだら酒臭い息はまともになるわ。まさか、そんな状態で外に出るの?」

 それを聞いたシブソワは仕方がなく一人人にケースの中身を出してみんなに飲むように伝えた。みんなも言われた通りに飲んで出入り口に一緒に向かった。

 ドアが開くとそこには映画祭の特別ゲストかと思えるほどにフラッシュとカメラマンが横一列に並び、取材を求めてきた。

 僕らは人でできたトンネルを全力で駆け抜けてホームの階段に降りていった。



僕らがカメラの群れを抜け出し、京都鉄道ミュージアムに行くと、人だかりができていた。

 よく見ると、仙川の祖父と矢島の特集と新幹線電車の特別展示だった。

「うわ、もう、こんなに人だかりができているわ」

 チャンは驚きショウ達はカメラでその人だかりを撮影する。

「電車や気動車って、そんなにいいのかな?」

「メリットが多いからじゃない?」

「でも蒸気機関車にかかわる人たちはどうなるのか……」

 シブソワのつぶやきに僕は工員たちが気になって、機関庫のほうに向かった。

 機関庫には、機関車整備を担当する職員たちの顔が一応に暗かった。そして、いつもは定員いっぱいのSL列車がガラガラだ。

「おじさん、ただいま」

 僕はカラ元気を出しながら親父の同僚にあいさつした。

「……ああ、コウ君。お帰り。ずいぶん疲れているみたいな」

「どうしたの。何かあった?」

「ニュースを見ただろう。JRは蒸気機関車を全面的に電車や気動車に切り替えることを決めた。そのせいで、俺らはほとんどリストラだ」

 それを聞いた僕は思わず「なんで?」と驚いてしまった。

「俺らは電車なんて扱ったことないんだ。いまさら他を整備するなんてできると思うか?」

 唯は思わず「頭固いわね」と言ったが「仕方がないだろう、長いことこの仕事をしてきたのだから」と言い返した。

「ところで、車庫の中に機関車が見えないけどどこにあるの?」

「あそこだよ」

 おじさんの指さす方向を見ると、見たこともない位に蒸気機関車が放置されていた。

 種類も多種多様で、今なら重要文化財に指定されてもおかしくないものもあれば、ACE3000のような投入されてから十年もたっていない最新鋭機まであった。そのどれもがナンバープレートを外されて、代わりに煙室扉などに元の番号をチョークで書かれていた。

「うわ、なんて数だ」

「西日本各地の蒸気機関車がここに集められた。既に何両かの解体が始まっている」

「でも、全部解体するわけじゃないでしょう?」

「最初は俺らもそう考えていたさ。でも、上はそう考えていないようだ」

「どういうことだ?」

「上はいろんな難癖付けてすべてくず鉄にするつもりらしい。最も、その連中のほとんどは電車と気動車を推進する連中で固められているけどな」

 頭を抱えながら僕は夕日に照らされた機関車を一台一台見ていた。

ふと二両だけ事故で壊れたような車両が目に入った。

「ねえ、これ壊れ方おかしいよ?」

「それは大事な警察の証拠物件だから、解体できねえよ」

「証拠物件?」

「これはあの瀬戸大橋爆破事件の時の二台のC63だ。ようやくサルベージができて、そのあと大きな水槽に入った真水で塩抜きしてようやく、実況見分をしているのさ」

「なるほど、でも、これだとボイラーと運転台を新品と交換したら、また走れるよ」

「誰が、大金かけてまで直すかよ」

 その声はいつの間にか帰ってきた親父の声だった。手にはイタリアで買ってきた土産でいっぱいだったが顔の表情は険しかった。

「おう、帰ってきたか。イタリアの蒸気機関車はどうだった」

「土産話をしたいところだが今はそれどころじゃないだろう」

 そういって親父はお袋と一緒にパイプ椅子に腰かけた。

 俺はそれをしり目に所々さびた鉄の塊を遠目で見つめる

「ねえ、この人たち救いたい?」

「救いたいのは蒸気機関車だよ。親父たちじゃない」

「そういうと思ったわ。私としてもこのままにはしておけないわ」

 そう言ってみんなを呼んで円陣を組んだ。

「次の新幹線電車の運転はいつから?」

「来週の土曜日だ。一般客を乗せて東京に向かうらしい」

「なら、蒸気機関車をしばらく待機して」

「どうするつもりなの?」

「電車を〝故障〟させてしばらく動けなくしておくの」

 そして、次の行動について説明した。

「そして、乗客が不満でいっぱいになった所であなた達が救援に来て、東京まで引っ張るの」

「なるほど、それで上や仙川たちの顔に泥を塗るということか」

「しかし、奴らもそんなことぐらいで動じるか?」

「大丈夫です。その次にコウ君が彼らに耳打ちするのよ。匿名で証拠の録音記録と爆発の真犯人が映った映像を持っている。それを公表すればお父さんを救えるって」

「ホントにあるの?」

「勿論ブラフよ。それでぼろを出すのを待つの」

「なるほど、でもそんな推理小説でよくやる手口なことで仙川たちが引っかかるかな?」

「ただでさえ、面目丸つぶれなのに、こんなスキャンダルが見つかれば泣き面にハチよ。それは奴らが避けたいことよ」

 唯はそう言って新品のUSBメモリーを取り出した。

「どこに仕掛けようかな?」

「あの機関車にでも隠しておく」

 僕は事故車のC63を指さす。彼女も同意してくれて一緒にそこに向かって行った。


 次の土曜日。警察の保管庫から盗んできた僕のバイクを応急修理して走っている。唯は大型の弾を使うライフルの入ったバックを担ぎ、僕の体に抱き着きながら乗っていた。

「列車が名古屋駅に着くまで何分?」

「あと、一〇分くらいよ」

「間に合うかな?」

「大丈夫、あなたならできるわ」

 そう会話をしていると、僕らは目的の丘についた。目の前には新幹線の高架に新たに増えた架線が見えた。

「ここでいいの?」

「ここなら見晴らしがいいわ。狙撃するには絶好のポイントよ」

 そう言って彼女はスコープを覗き込み照準を合わせる。僕は時刻表をみていた。

「今撃ったらダメ?」

「この対物ライフルは音が大きいから、何か大きな音と一緒に撃たないと」

彼女はそう言いながらスマホの情報をもとに照準を調整する。

「狙撃に使うアプリって普通に配信されているの?」

「そう、これがあるから狙撃が楽になったわ」

 スマホの画面にはいろんな数値が表示されて、彼女はそれを確認する。

 僕は今この列車がどこを走っているかを確認するためニュースで中継映像を見ていた。

「今、名古屋駅から発車したよ」

「コウ君。ここを通過する旅客列車は?」

「あと、二分でここを通過することになっているよ」

 そうこうしていると東側の方から轟音が響いてきた。

「もうそろそろだよ」

 その一言ともに彼女は身構える。そして轟音が徐々に大きくなってその普通の旅客列車が、高速でやってくる。先頭には「ありがとう蒸気機関車」というカッティングを施して。

「いくよ。三、二、一、今だ」

 列車の通過と同時に彼女は引き金を引いた。

 轟音とともに架線が垂れ下がり、先端から火花を散らして横に触れていた。

「成功した?」

「架線の切断の方はね。でも、うまくいくかはここからが勝負よ」

 そういって彼女は銃を分解して収納ケース代わりの袋に詰め込む。

 僕は列車のほうがどうなったか動画やニュースを見る。

『ニュースをお伝えします。今日、新型新幹線電車が原因不明のトラブルで、発進できないとのことです。JRはすぐに緊急点検を始めています。繰り返します……』

「さあ、早くここを離れましょう」

「わかったよ」

 僕と唯はすぐにバイクにまたがり逃げ出す準備をする。

「出発する?」

「いいわ、出して」

 僕はアクセルを回して丘から勢いよく降りていった。

 高速に乗り静岡にある車両区に着いた僕らを待っていたのは、親父の同僚である機関士と、引退間近のHD60型蒸気機関車の復水器搭載車だった。

 機関車はすぐに走れる状態で、見た目は煤もなくきれいだ。

「それで、機関車はどうなっているの?」

「見ての通りさ、すぐにでも発進できる」

 そういって機関車の汽笛を鳴らそうとしたが「鳴らしちゃダメ」と唯が止めた。

「今汽笛を鳴らすと相手に気づかれるかもしれないわ」

 彼女が言っているうちにスマホのアラームが鳴った。

「はい、俺です。……え、それは無理ですよ。……はい、はい。わかりました。とにかく動けるようになったら、すぐに向かわせます」

「上からの命令?」

「そうだ、すぐに救援用の機関車を回せてくれだと」

「ここまでは予想通りね」

 そういうと彼女は昔の客車を改造した救援車に向かう。

「二人とも早くあれに乗りな」

「え、僕も行くの?」

「当然だろう、発案者は君たちなんだから」

「そういうことよ。さあ、一緒に行きましょう」

 彼女に引っ張られて、僕は車内に乗り込んだ。

 機関車はゆっくりとバックしながら近づいていき、目前まで近づいたときに後ろに押される衝撃と連結時の音が同時に伝わった。

 作業員はしっかり連結されているかどうか確認してくる。確認が終えると作業員は離れて、機関車ゆっくりとバックした。

 列車がバックして一時間がたった。僕らはしばらく吸っていないタバコを吸い始めた。

「久しぶりに吸えるね」

「ええ、ここのところいろんな旅をしてきたからストレスがたまっていたの」

 そういう会話をしながら、ハーブを混ぜた煙草を吸った。違法スレスレの嗜好品を作業員たちは黙認しながら自分たちも電子タバコを吸っていた。

「なあ、唯はこれが済んだら、どうするの?」

「元の仕事に戻るわ。そうすればあなたとも永遠にさよならね」

「どうせなら、一緒に日の当たる生活でもしない」

 僕の誘いに彼女は煙草を落としてしまう。

「こんな危ない仕事よりも、平和な生活でもしてみないかって言っているんだ」

「……ありがたいけど、遠慮しとくわ。なじめないと思うから」

 彼女は、口では断りながらも、僕の気持ちだけを受け取った。

「なんだ、映画の話か?」

「え、ま、まあ、そんなところよ、ねえ?」

「う、うん、よくある映画の話だよ」

 そう言ってごまかした。みんなの笑いが車内を反響させた。

そうこうしているうちに、機関車は新幹線電車の停車している現場にたどりついたみたいだ。前方に新幹線電車の団子鼻が見えた。その鼻は左右に開いたかと思うと、密着式連結器が飛び出た。その顔面めがけてゆっくりと列車は近づいていく。そして、列車の連結を伝える音と衝撃が伝わった。

「ちょっと、車内の様子を見てくる」

 僕らにそう伝えた作業員は外に出て確認しに行った。

「右側の運転士、かなりイラついているね」

「ほんとだ、ペンを立てらして、運転台を突いてる」

「左の運転士はスマホをいじっているぞ。こんなの上が知ったら処分物だぞ」

 車内に残った作業員たちと運転室の観察を楽しんでいる外の方では連結がうまくいっているのか確認したりし終え始めていた。

「異常ありません」

「よし、みんな救援車に帰ってこい」

 作業員たちは次々に新幹線電車から救援車に帰ってきた。その中には社内の様子を確認してきたに行った人もいた。

「どうだった、車内の方は?」

「上層部の連中は客品や一般乗客に責められて狼狽していたよ。ざまあみろってんだ」

 作業員はそれを喜びながら話した。

それに呼応するかのように列車はゆっくりと逆方向に進みだしていった。

二時間後、東京駅に着いた列車は報道陣と鉄道ファンにみじめな姿をさらしていた。

 僕らが列車から降りると、たくさんのインタビュー記者に感謝と心境を尋ねられたが無視して、疲労と怒りで般若のお面のようになった乗客を見た。

「うわ、みんな機嫌が悪そう」

「当たり前でしょう。待たせたのだから」

それを聞きながら別の方向を見ると、仙川たちが特別客たちに頭を下げていた。

「ふん、いい気味だ」

僕はすぐに彼らのほうに近づいた。近づけば近づくほどに特別客の怒号と叱責が大きくなるのがわかる。

「なんだね、君は?」

 お偉いさんが僕らに険しい顔でにらんできた。

「いや、あんたらの不機嫌そうな顔を眺めに来たのさ」

「それだけじゃないだろう」

「いやほんとだよ。それにしても今日は正月と誕生日が同時に来たような日だよ」

 それを聞いた仙川は「どういうことだ?」と聞いてきた。

「いやね、匿名で事故前の映像を撮った人がいて、その人が京都鉄道ミュージアムで取引したいって。これでおやじを助けられるかもしれない」

 それを聞いた仙川と上層部の表情はどんどん青白くなった。

「な、何だって?」

「あ、いや、こっちの話」

 僕と唯はその場から後にした。

「なあ、あれでいいのか?」

「私を信用しなかった連中よ。ブラフかどうかは自分の目で確かめるはず」

 僕らが談笑しているとチャンが航空券を三枚持ってやってきた。

「お帰り、二人とも」

「ただいま、でもこれからとんぼ返りだ。急いでモノレールに乗ろう」

「ええ、急ぎましょう」

 チャンは僕と唯にチケットを渡すと一緒に人ごみの間を縫いながら進んでいった。


 京都に大阪経由で帰った僕らはついてすぐに罠を仕掛ける準備をした。ここで巻き込んだチャン達や親父と同僚らには感謝に堪えない。

「いいかい、僕らが機関車のところで撮影しておくんだよ」

「わかった、気を付けてね」

「何かあったらすぐに出るからな」

 親父やショウにそう話すと、僕と唯は留置場に向かう。親父たちは見つからないように少ししてから来る予定だ。

 留置場に着いた僕と唯が隠したメモリーを取りにC63だった鉄の塊を探る。

「よし、ここにあるんだね」

「ええ、万一に備えて事故車に隠してあるわ」

 僕たちがそう言いながら探っていた時に、突然周囲から拳銃を持った男たちが取り囲んだ。唯は演技がうまいらしく動揺したそぶりをした。僕は慌てたがすぐにおちついた。

「だ、誰ですかあんたたちは?」

 僕の言葉と同時に仙川と上層部の二人が険しい表情で現れ出た。

「コウ君、君には悪いがそのメモリーは我々がもらう」

「な、なんでよ。大スクープだし親父も悪くないって証明できるのに」

 その直後、男の一人が僕の足めがけて引き金を引いた。

「君達に拒否権はない。拒否すれば自殺させて痕跡を消した後に、奪い取るだけだ」

 仙川は焦りでいらだっていた。どうやら、さっきのブラフが看破できなかったらしい。

「それがSNS動画共有サイトにでも流出すれば、確実に死活問題になる」

 それを聞いた唯は含み笑いをしながら彼らに対して口を開く。

「それだったら全面的に私に任せるべきだったわね。あなたたちは死者も出さずに済ませるつもりだったけど、未遂じゃ大きくならないと感じたのがそもそもの間違いよ。」

「お前みたいな金で雇われた傭兵崩れを我々が信じ……」

 その瞬間仙川は思わず口を塞いだ。隣で聞いていた上層部も思わず「馬鹿」と罵ったが、後の祭りだった。

「やっぱり、お前らが仕組んだのか。半信半疑だったけどそのせいで何人死んだと思う?」

「仕方がないだろう、鉄道が進化しなくてどうする。他が他動力に移行しているのに」

 仙川たちは必死に自分たちの正統性を訴えたが、保身丸見えの言い訳だった。

「じゃあ、路面電車とか地下鉄とかで我慢しろよ」

「我慢できるか、そんな限定的なところで」

 仙川が怒号を上げていると上層部の一人が手を挙げて、銃撃の合図の準備をした。

「しかし、こうなったら。君たちには消えてもらうよ」

「……それはどうかな」

「なんだって?」

 その直後、ライトが一斉に照らされて機関車の周りからはチャンやシブソワにショウとテレビクルー、そして親父とその同僚たちが取り囲んだ。みんながスパナやバールなどを構えて威嚇する。

「仙川!」

「た、高橋、お前、今の話聞いていたのか?」

 あまりの事態に狼狽する仙川。

「よくも、俺らを嵌めて、蒸気機関車の廃止に利用しやがったな。覚悟しろ」

親父の号令で襲い掛かろうとしたときに、天高く拳銃を突き上げると、引き金を引いた。

「動くな、こっちには拳銃がある」

 仙川は銃を向けようとしたとき、唯は叫んだ。

「みんな、目を伏せて」

 それを聞いて僕らは伏せた。次の瞬間ストロボライトのような音が聞こえた直後に「目が見えない」とかの叫び声が聞こえた。

 顔を上げると拳銃を持っていた男たちが目を押さえていた。

「今だ、こいつら取り押さえろ」

 その声を聞いた作業員たちは一斉に体を起こして、男たちに殴りかかった。チャンとシブソワとショウはその様子をつぶさに撮影している。

「仙川が逃げるわ」

 チャンの声に反応して振り向くと仙川と上の人間が警備二人を連れて逃げ出していた。

「コウ君。これ使って」

 唯は持っていた拳銃を僕に手渡すともう一丁取り出して追いかけ始めた。

 僕も仙川たちを必死に追いかけた。

「仙川、逃げたって無駄だぞ」

「ここで死んだら折角の計画が台無しになる」

  絶叫に近い言葉を叫び仙川は再び銃を取り出す。

僕は無意識的に持っていた拳銃で引き金を引いてしまう。

 弾命中し、仙川は足を押さえて線路に転んだ

「仙川君。大丈夫か?」

「大丈夫な訳ないでしょう」

「とにかく肩につかまってください」

 警備員が肩を貸したとき、遠くのほうから汽笛が聞こえた。僕らは仙川の横を振り向くと、右から宅配業者向けに製造した貨物電車が走ってきた。

「危ない、仙川!」

 僕が叫んだが後の祭りだった。列車はブレーキ音と火花を散らして五人を吹き飛ばした。それは仙川たちの悲鳴をかき消すほどの衝撃的な出来事だった。

 皮肉にも仙川たちは自分たちの推進する列車によって命を落としてしまうことになった。後に駆けつけたショウ達もカメラを構えたまま呆然としていた。

 その直後に誰が通報したのか、多数の警官がやって来てあたりを取り囲んだ。誰もが拳銃をもって、「武器を捨てなさい」叫んだ。

「通報が早いぞ」

「恐らく仙川たちが万一に備えて呼んだのよ」

「親父たちが呼んだんじゃないの?」

「まさか、そこまで手は回らないよ」

 その時、僕はあるものがないことに気が付いた。

「あれ、僕何を持っていたっけ?」

「何って、私の……」

 そう言われたくらい中を見渡すと、拳銃が落ちていた。

「まずい、警察に拾われたらおしまいだ」

 僕がそう思い拾いに行こうとしたとき、親父はどういうわけか足で拳銃を隠した。さらにショウが警察を遠ざけるために自ら進んでカメラクルーとスマホを持ってやってきた。

「警察の人ですか?実は仙川は彼らと対峙した時に瀬戸大橋爆破の黒幕は自分たちだと自供しました。小回りの作業員と映像が証拠です」

 それを聞いた警官は「では、詳しくお聞きします。こちらへ」と言って彼らを遠ざけた。いったい何がどうなっているのかわからなかった。

 

 事情聴取は事故現場から扇車庫とスチーム号のホームで行われた。僕らはホームで停車する客車の中で親父やチャン達と語り合っていた。

「どういうつもりなの?」

「どうもこうもないさ。お前たちを助けたのさ」

「でも、どうして?」

 親父は黙って、隠していた拳銃を唯に返した。そして、電子タバコを吸いながら、日の落としていない機関車で焼いた目玉焼きとベーコンを食べ始める。

「お嬢ちゃん。コウの後輩なんて言うの嘘だろう?」

「どうしてわかったのですか」

「かわいい姉ちゃんを見た時、こんな友達がいたかなと思って、旅行に出かける前にアルバムを一通り見たのさ」

 親父はくつろいだ様子で電子タバコの煙を吐き出した。

「でも、お嬢ちゃんは息子を守ろうとした。それにを巻こいつき込んだ責任もある」

「そんな、巻き込んだのは私です」

「でも、結果としていろいろ世話になったし救ってもくれた。感謝している」

 親父はねぎらうと乗降口の扉を開けた。僕たちはそこからゆっくりと降りた。

「今日は疲れたろう、ホテルを取ってあるからゆっくり休め」

「でも、静岡に置いてきたバイクはどうしよう」

「心配しないで、私が持って帰るようにするから」

 唯の言葉を聞いて僕はほっと胸をなでおろした。

「すごいことになっているわよ」

「ああ、一大スキャンダルになっているな」

 チャンとシブソワは目を丸くしてスマホのニュースを見ていた。


その時、一人の子供が近づいてきた。彼は必死でホームを走り僕らのところまで近づいてきたところで転んでしまった。

「おい、大丈夫かい。こんな夜中に、お父さんとお母さんは?」

 儀礼のみのあいさつのつもりでその子供に話しかけた。その子供は空虚な目で僕を見つめると小さく口を開く。

「パパとママは死んじゃったよ。お前が殺したんだ」

「え、何言って?」

 そう言葉を続けようとしたときに、何かが刺さる感覚があったので見下げてみた。それは、子供が持つには大きすぎるほどの包丁だった。そして僕のおなかの周りに何か赤いしみが広がったのが分かった。

 次の瞬間、チャンの凄まじい絶叫とともに僕はその場から崩れ落ちた。

「コウ君」

「コウ、しっかりしろ」

「おい、その子供を捕まえろ」

「坊主、お前何やっている」

 スチーム号のホームは足り一面絶叫と怒号が鳴り響いた。作業員の何人かは羽交い絞めにして子供を取り押さえる。

 よく見ると見おぼえがあった。それは与島で怒号を浴びせられて返り討ちにした後、救急車ごと海に落ちた家族の子供だった。そのヤツレ具合からそうとう苦労したことが分かった。

「おい、コウ、死ぬな。今すぐこれを抜くから」

 親父は大粒の涙を流しながら抜こうとするが唯がそれを制止する。

「ダメですお父さん。素人がヘタに抜くと大量出血が起きます。救急車が来るまでそのままにしておいてください」

 さすが唯だ、その辺は分かっている。応急処置もうまいと思った。

「あ、やべ、唯が女神に見えてきたし、気が遠くなってきた」

「コウ、寝るな、寝たら死ぬぞ」

「今救急車が来ました。頑張って」

 ショウが血相を変えながら俺たちに話しかけてきた。そしたら救急隊員なのかそれとも地獄からの使いなのかわからなかったが、数人の人物が俺の目の前にやってきたが、ぼやけてそれが誰なのか全く判別がつかなかった。

「次のニュースです。去年の〇月×日に起きた瀬戸大橋爆破事件で検察は仙川正樹を破壊活動防止法その他の容疑で被疑者死亡のまま書類送検しました。また、これに先立ち事件の背後に電車推進を進める電化派と石油の利権に絡んだ内燃派が絡んでいるとみて……」

 あの大旅行から一年が過ぎた。僕は今親父の口利きで沖縄にいる。燦燦と降りしきる太陽の元、チャンがプレゼントしてくれた満鉄の蒸気機関車や国鉄のお古を使って新たな燃料による機関車研究に励んでいる。

「ところで、今日の研究結果はどうなっている」

「はい主任、今日のデータはこのようになっています」

 水の補給なしで数十キロか。まずまずだな。データの数値を見てみんなに見せた。

「しかし、主任のアイディアはみんな正気かって言われましたね」

「仕方がないだろう。環境保護の観点からしたらこっちが現実的なんだから」

 その会話の傍らで満鉄ミカロに車輪を一つ足したリクニが熱と蒸気を吹き出しながら計測器の上を走っていた。

「それはそうと主任、お客様がお待ちです?」

「誰だ?」

「外国人みたいですけど、鉄道関係者ですか?」

 そう言われて建物の出入り口を見てみるとチャンとシブソワとショウ達テレビクルーが、観光客の感じで入ってきた。

「元気、高橋?」

「チャンか、観光に来たのか?」

「それもそうだけど、もう一つ視察も兼ねてる」

「視察って何の?」

「とぼけるな、新しい燃料で蒸気機関車を走らすことだ。もう、世界中で噂になっているぞ」

 全く、日本の情報管理はどうなっているんだ。僕は思わずあきれ返る。

「しかし、なんでまた?」

「近いうちに世界各地で蒸気機関車の燃料である石油や石炭の使用が禁止になる。代替え燃料の研究が急務だからな」

「残念ながら今は企業秘密だよ」

 そういって惜しげもなく査察を断った。しかし、彼らの目にも試験を行っている陸尉の煙がクリーンなことに驚いている様子だった。

「それはそれとして二、三聞きたいことがある」

「なんだよ」

「まず、傷の方はどうだ」

「ああ、何とか無事、あと数ミリ深かったら内臓をやられていたって」

「次に、さっき刺した子。あれは誰でどうなっているの?」

「前のテロで両親を失った子。たまたまあいつの両親を殴って救急車送りにしたら、爆破が起きて救急車が霊きゅう車になったんだ。それで逆恨みで刺しに来た。今は保護観察処分で鑑別所にいるらしい」

「最後に、唯ちゃんはどうなった?」

「わからない、時々メールはくれるけど病院に入院してからあってない。まあそのほうが良いと思うけど」

 僕は正直穴の開いた心を研究で埋めようとしていたがなかなか埋まらないでいる。ふと、スマホのアラームが鳴った。僕はメールを開いてみると美ら海水族館と博物館の地図とチケットが添付されてきた。

「なんだろう、これ」

「とりあえず行ってみたら。もうすぐ列車がここに来るはずだし」

そう言われて外を見ているとC63型蒸気機関車がホームに滑り込んできた。駅のアナウンスは沖縄県営鉄道時代のケー便節の音楽とともに流れてきた。

「みんな、研究は任せた。僕はいったんここを離れる」

「任せてください」

「主任がいなくても、進められます」

 その言葉を聞いて僕は一目散に駅のホームめがけて駆け出していった。


『美ら海ー、美ら海、お降りの方ドアが開くまでお待ちください』

 列車内のアナウンスとともにドアが開くのを待った。ドアのエアーが抜ける音がして開くとすぐに外に出た。そこには暇な米兵や本土から来た観光客に交じって髪を染めてサングラスをかけた女性が待っていた。

「コウ君、久しぶり、一年ぶりかしら」

 その声は懐かしいくらいにきれいな美声だった。僕は白衣姿のままできたため周りはけげんな顔をしていたが気に留めなかった。

「唯ちゃん、久しぶり」

「今はそんな名前じゃないわ。でも、その名前は懐かしいわ」

そう言って彼女は人のいないベンチに腰を掛けた。僕もその隣に座る。

「それで、今日は何の用?」

「聞いたわ。あなた新しい燃料の研究をしているって?」

「なんだ、知ってたのか」

「私の情報をなめないでね。まさか、太陽電池と燃料電池を使うとは驚きよ」

「ああ、実は電気を使った蒸気機関車は過去に何度もあってね。スイスがパンタグラフを使って、電気ヒーターを動かしたから。それを架線なしで、しかも既存の機関車の改造で進めている」

「なるほど、それで、また狙われているわね」

「またっていうのは?」

「今度は別の人物が妨害を企てているの。でも、心配ないわ前もって断ったし、連中もかたづけたから」

 僕は思わず安どのため息をついた。また巻き込まれたひとたまりもないと思ったためである。

「でも、まさか沖縄の鉄道建設で飛ばされたとは驚きね」

「沖縄の鉄道は沖縄戦から二〇〇三年まで一部を除いて空白だったから。その願いが叶った形だよ」

「でも、見たと旅客とサトウキビ輸送が赤字でそれを軍ヤジ得体の物資輸送で補っているようね」

「そこまで調べたとはすばらしいね」

 人がいなかったら拍手喝さいをおこしたくなるぐらいの調べの入念さだ。

「そうだ、今日乗ってきたあの蒸気機関車だけどね?」

「あの機関車。あれがなんなの」

 唯は思わず首をかしげてしまう。

「あの機関車去年のテロ事件で壊れたやつをにこいちにして直したやつなんだ。親父たちがどうしても残したいって汗水たらして」

「うそお、あの鉄くずがこんなになったの?」

 さすがの彼女も思わず驚きの声を上げてしまった。

「そして、機関車の燃料はバガスで動いているんだ」

「サトウキビの搾りかすで」

 彼女は思わず感心して腕組みをしてしまう。ふと頭の中にあることが思い出した。

「そうだ、お袋がお前と再会したらこれ渡せって」

 そう言って僕は封筒を取り出した。

「なんなのこれ?」

「さあ、お前と会うまで開けちゃダメって言ってたから中は見ていない」

 そういって僕は茶封筒を開けてみた。

「「な、なんだこりゃ?」」

 その中身はなんと婚姻届けと二つの指輪だった。何の早とちりしてるのかとお互いに気持ちを共有した。

「そんな関係じゃないのに」

「ま、全くだよ」

 そうはいって入るが思わず顔をほころんだ。僕と唯は指輪を手にすると無意識的なのかつけてしまった。

「なんでつけたのかしら?」

「僕も分からないよ」

 そう思って二人そろって客車の窓を見ると、チャン達が憎たらしい笑みでこっちを見ていた。

「謀ったな」

「謀られたわね」

 思わずそろって笑ってしまった。そして手をつないでベンチから腰を起こす。

「ねえ、今日はプラネタリウムを見に行かない?」

「いや、あたしはジンベイザメかマンタが見たいわ」

 完全にカップルの会話だった。そんな気持ちを知ってか知らずか、奇跡の復活を遂げたC63は発車のための汽笛を駅構内に響かせてそのクリーンな蒸気を沖縄の熱い空に舞い上がらせていった。


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