第18話 E-GP3 ザルツブルグリンクにて
10月半ば、今季の最終戦がホームコースのザルツブルグリンクで開催される。私はこの日のために走り込みをしてきた。ここでエイミーを上回るポジションを得て、Moto3参戦を勝ち取るチャンスがないわけではない。気合いが入り過ぎていて、少し寝不足だ。
アカデミーのメンバーはそれぞれの国に帰っているので、寮の中は静かだ。エイミーとは顔を合わせるが、彼女も私をライバルだと思っているのだろう。話しかけてこない。と言うか、私が「話しかけないで」オーラを出していたらしい。
土曜日の予選、ポールポジション争いは私とエイミーの戦いとなった。今回はスリップの使い合いはない。他のライダーから見ても緊張感が伝わっていたらしい。ジム・フランクも話しかけづらかったと言っていた。
結果は0.1秒差で私の勝ち。E-GP3でのポールは初めてだ。ジムは両手を挙げて脱帽していた。それでも予選3位に入り、フロントロウはGrokkenチームが占めた。
ポールがとれたことと、寮にもどって自室で寝ることができたので、久しぶりにぐっすり眠ることができた。
日曜日、雨となった。せっかくのポールをとったが、マージンはなくなった。他のレースでも転倒者が続出となっている。脳裏にタレントカップで走った時に、後ろのマシンから追突されてリタイヤしたシーンがでてきた。あの時は運がなかったと思うしかない。
決勝スタート。皆、様子見だ。最初のニキラウダコーナーを無難に越える。ホールショットをとることはできたが、集団で通過する。
3周目、車列が伸びてきた。私のペースでトップ集団がすすむ。皆、だれが抜け出すかを見ている。まるでマラソンのトップ争いと同じだ。
5周目、ストレートでジム・フランクが私を抜いていった。スローペースにいらだったのだろう。私も自分のペースよりだれかの後ろで走る方がやりやすい。ぶっちぎりのポールトゥウィンはかっこいいが、それを毎回できるわけではない。
ファイナルラップで、ジムと私のトップ争いとなった。雨は相変わらず降り続いている。きついレムスコーナーを抜け、ストレート後の右90度、シュロスゴールドコーナーでジムがミスをした。タイヤがへたってきていたのか、倒し込みが過ぎたのか、前輪から滑っていった。あやうくジムをひきそうになった。アクセルを戻したので、次の高速コーナーのスピードが落ちた。後続集団に追いつかれる。そして第7コーナーの左90度ヴュルスカーブで、私がミスった。ジムと同じように前輪から滑ってしまった。しばらく、立ち上がれなかった。優勝のみならず完走までも逃してしまった。
優勝はエイミーだった。地元ザルツブルグリンクで優勝できて、表彰台で晴れ晴れとした顔をしている。私は気落ちして、早々に着替えて自分の部屋にもどった。
3日後、荷物の片づけをしていると、エイミーから誘いがきた。
「 Jim asked me to come visit him in Brussels , shall we go together ? 」
(ジムがブリュッセルに遊びに来ないかと言っているんだけど、いっしょに行かない?)
ということである。あまり乗り気ではなかったが、ジムに会ってみたい気もあったし、閉校式までは1週間ある。講義はないので行くことにした。
高速鉄道で1日かけてブリュッセルにつく。中央駅近くのホテルにチェックインする。ホテルにジムが来てくれて、近くのグランプラスに連れていってくれた。文豪のビクトル・ユゴーが「ヨーロッパで一番きれいな広場」と言ったところである。12世紀に建てられた市庁舎がライトアップされている。レーザーショーもあり、なかなか見事な景色だ。オープンカフェで、ホットワインを飲む。体はあったまるが、あまりおいしいとは思えない。まだ子どもの舌でしかない。エイミーとジムは来年のMoto3の話をしている。私には関係ない話と思い、耳を傾けることもしなかった。
2日目は、ジムのクルマでブルージュに行く。ジムのクルマはクーペタイプのスポーツカーだ。エイミーが助手席に座り、私は窮屈な後席に座った。首を曲げないと座れない。1時間ほどでブルージュに着いた。これ以上乗っているのは苦痛だ。
ブルージュは北のベニスと言われる水の都だ。運河めぐりをしたり、鐘楼に上がる。狭い階段を登る。300段までは数えたが、そこで数えるのをギブアップした。ヘロヘロだ。でも、上から見ると17世紀の街なみが見える。城壁の向こうには新市街があるが、旧市街は300年前の地図が使えるという。建て替えをする時は内装はリフォームできても外観の変更はできないとのこと。見とれていると、突然後ろから轟音が聞こえてきて、思わず耳をふさいでしまった。カリヨンと呼ばれるメロディになる大小の鐘が鳴りだしたのである。下で聞いていた時は、きれいな音だと思っていたが、近くで聞くと騒音でしかない。30秒ほどで演奏は終わったが、しばらく頭の中で鐘が鳴り響いていた。
早めの夕食はタラのムニエルを食した。北海まではクルマで15分ほどだという。馬を使ったエビ漁も見られるという遠浅の海が広がっているというが、地中海のような青い海はないという。どちらかというと灰色の海だとジムが言っていた。ムニエルはおいしかった。
3日目は、南のナミュールに行った。モトクロスのレースがあるという。モトクロスの練習をしたことはあるが、レースを見るのは初めてだ。ナミュールの要塞跡を利用したコースでレースが開催されている。音もすごいが、ジャンプには圧倒された。私は1m程度のジャンプしかしたことがないが、モトクロッサーは10m以上跳ぶ。すごい迫力だ。高所恐怖症の私には考えられない。同じバイクレースでも大違いだ。
夕食はブリュッセルにもどり、アメリカンというステーキを食した。なんのことはない。ユッケである。甘味があっておいしかった。付け合わせのフライドポテトの量にはびっくりしたが・・、地元の人は事もなげに食べきる。
4日目は日曜日。EU本部の近くにサンカントネール門という凱旋門があり、そこをスタート・ゴールにして自転車レースがあるという。そこで近くの閉鎖された道路脇で見る。すると自転車の集団がものすごいスピードで駆け抜けていく。自転車のスピードではない。60kmは出ているだろうか、それも肩がぶつかりかねないほどの接近戦。時には集団で転倒することもあるそうだ。一瞬で通り過ぎていったので、ゴール付近に移動した。
多くの観客がレーサーを迎える。手を伸ばせば、レーサーにさわれるぐらいの距離で見ている。そこを息せききったレーサーがゴールラインをめざして、ペダルをこぐ。自転車を左右に振って懸命に走る姿は感動ものだ。この必死さを観客が見たいのだなと感じさせられた。同じレーサーとして、気の抜けた走りはできないと改めて思った。
夕食は日本料理店に行くことにした。日曜日なので開いている店が少ない。ジムが
「 You want to eat Japanese food for the first time in a while . There's a delichious sushi restaurant run by Japanese people in Brusseles . 」
(久しぶりに日本食食べたいだろ。ブリュッセルには日本人がやっているおいしい寿司屋さんがあるんだよ)
というので、連れていってもらった。昔の城壁跡のリングといわれる環状線から少し離れたところにその店「山辰(やまたつ)」さんがあった。開店の5時過ぎに店に入った。店内は空いている。7時あたりに来ると満席らしい。
「へい、いらっしゃい!」
という威勢のいい声が聞こえる。テーブル席に3人で座る。エイミーは日本料理店は初めてということで、日本語だらけの店内をきょろきょろ見ている。メニューに「いか納豆」を見つけた。そこで、私はお寿司といか納豆を注文した。
「飲み物は?」
と聞かれたので、私は
「お茶」
と応えた。店員さんは私を日本人と理解し、ニコッと笑みを返してくれた。ジムとエイミーは日本のビールを注文している。ちなみにアメリカ人の18才はアルコールOKだ。それとビール1杯程度では酔っ払い運転の対象にならないという。もちろん事故を起こせば処罰されるが、検問でつかまっても検知器にはひっかからないという。ベルギーはおおらかな国だ。よく聞くと、昔コレラが流行った時に、水を飲まずにビールを飲んだとのこと。それでビール文化が広がったということだ。
「いか納豆」が一番先に出てきた。ジムとエイミーは見たことがない料理におそれを抱いている。納豆が気味悪いみたいだ。醤油をちょろっとかけてかきまぜ、麺みたいにすする。
「うわー、日本にいるみたい」
と私が言うと、店員さんが笑っていた。ジムとフランクも私の笑顔を見て、ホッとしている。どうやら私が沈んだ表情をしていたので心配していたとのこと。
しばらくしてお寿司が出てきた。私が食べ方をエイミーに教える。はしの使い方が上手ではないので、手でつまんで食べるやり方を教えた。最初はおそるおそる食べていたが、口にいれるととろけるおいしさなので、2個目からは笑顔で食べるようになった。私も8ケ月ぶりのお寿司で終始笑顔だった。会話も弾んだ。会計の時には、日本の値段の倍も取られたので目玉が飛び出るかと思った。でも、それだけの価値はあるお寿司だった。
その日の夜、ホテルに戻ったがエイミーがなかなか戻ってこない。
「 Please go hotel first . 」
(先に行ってて)
と言われたが、ブリュッセルの夜は決して安全というわけではない。心配になって、ホテルの前に出てみると、そこの暗がりでエイミーがだれかと抱き合っている。見てはまずいかと思い、玄関の物陰に隠れた。エイミーが離れた相手はジムだった。
二人がそういう関係だとは思っていなかった。でも、不思議なことではない。E-GP3で何度もいっしょに走っている仲だ。それも同じ英語圏出身。嗜好も似ている。結ばれてもおかしくない。それはわかるが、私のジムに対する思いは断ち切れた。淡い思いは砕かれたのだ。
翌日、予定より1日早く私はザルツブルグに戻った。エイミーは不可思議な顔をしていたが、
「 I'm not feeling well . 」
(体調がすぐれない)
と言うと、妙に納得してくれた。女の子にしか分からない符号と思ったのかもしれない。エイミーは、ジムとお城めぐりをすると言っていた。
3日後、アカデミーの閉校式が行われた。国に帰っていたメンバーももどってきた。懐かしい顔だ。1年近くいっしょに頑張ってきた仲間とまた会えるのは嬉しかった。だがデビットと麻実はいなかった。
校長のジュン川口の話が始まる。お決まりの挨拶の後に本題の話が始まった。
「 This academy will be disbanded today . 」
(このアカデミーは本日で解散です)
との言葉に、皆はため息をついた。予想はしていたが、マルケルアカデミーもルッシアカデミーも解散だとニュースが入っていたからだ。でも、
「 Next year , everyone will be promoted to E-GP3. 」
(来年は、全員がE-GP3に昇格します)
という言葉で、ため息が歓声に変わった。全員と聞いて、私は少しホッとした。これで来年もまた走れると思ったのだ。だが、
「 Guen Karn & Koen Mory are Grokken Jr. Blue team . 」
( グエン・カーンとコーエン・モリーはGrokken Jr. Blueチーム)
「 Grahum Lake & Rick Shin are Grokken Jr. Red team . 」
( グラハム・レイクとリック・シンはGrokken Jr, Redチーム)
「 Frank Ohttoh & Mark Sholtsu are Grokken Jr. White team . 」
( フランク・オットーとマーク・ショルツはGrokken Jr. Whiteチーム)
と名前が呼ばれるたびに、歓声があがる。だが、私の名が出てこない。少し不安になった。
「 Sadly , David Tomyan said he was retiring from raching due to his injury not healing . 」
(悲しいことだが、デビッド・トムヤンはケガが治っておらず、レーサーは引退すると言っていた)
やはり難しかったかと思い、麻実のことが気になって
「 Is Ms. Nakatani ? 」(中谷さんは?)
と質問をした。
「 It has been decided that Ms. Nakatani will partcipate in J-GP3. KT is suppose to machine . She has potential speed , so she might come to the Moto3 someday . 」
(中谷麻実は、J-GP3に参戦することが決まった。KT社がマシンを提供することになっている。彼女は潜在的な速さがあるからいずれMoto3にくるかもしれない)
と聞いて安心した。麻実は日本でがんばっていたのだ。
「 And the promotion to Moto3 is Ms. Amy Reed . 」
(それとMoto3への昇格はエイミー・リード)
エイミーはあらんかぎりの喜びの声を上げている。メンバーも拍手をしている。彼女の今年の結果を見れば当然のことである。だが、私はどうなる? Moto3への昇格の枠は1人のはず。私はどうなった? ジュン川口に忘れられたのか? と思っていたら
「 Another promotion to Moto3 , Ms. Momoka Ito . 」
( Moto3への昇格はもう一人、伊藤桃佳)
エッ! 私! 驚きで声がでなかった。メンバーは拍手をしてくれている。
「 Mr. Jim Frank ? 」
(ジム・フランクは?)
と私が聞くと、少し間があってジュン川口が口を開いた。
「 He ended up joining the TR team . 」
(ジム・フランクはTR社のチームに入ることになった)
とボソッと言った。エイミーの話では、ジムの母国のTR社がチームを作ることになり、そこでセカンドライダーとしてジムを契約したとのこと。TR社は今までエンジンサプライヤーとしての実績があり、母国ライダーが欲しかったらしい。
エイミーに
「 Isn't it hard to break up with Jim ? 」
(ジムと別れるのつらくない?)
と聞いたら、ポカンとしていた。ホテル前で抱き合っているのを見たことを話したら
「 It's an extension of the hug . We kissed , but it was more like a greeting . And I'll see him at the race . From now on , he'll be my rival too . 」
(ハグの延長よ。キスはしたけど、あいさつみたいなものよ。それにレースでは会えるでしょ。今度はジムもライバルよ)
とあっけらかんに言う。これだから欧米人の感覚は我々日本人とは違う。
3日後、日本に一時帰国するので、校長室にあいさつに行くと、廊下に女の子がいた。
「 What happend ? 」(どうしたの?)
と聞くと、
「 I am waiting for daddy . 」(パパを待っているの)
と応える。
「 Is your daddy Jun Kawaguchi ? 」(あなたのパパはジュン川口?)
と聞くと
「 Yes , I am Reia Kawaguchi 」(はい、私はレイア・川口です)
と言う。そこで
「 Ah , just a moment . 」(ちょっと待っててね)
と言って、急いで部屋に戻り、例のチイカワのぬいぐるみを持ってきた。レイア姫は校長室の中にいた。
「いらっしゃい。日本に一時帰国だって」
とジュン川口が日本語で話しかけてきた。
「はい、今までどうもありがとうございました」
「なにをあらたまっているんだ。これからもチーム監督とライダーの関係は続くんだぞ。眞二さんの言うとおり、ますます厳しくしないとな」
「そんなー、今まではライオンの子が崖の下に落とされたような感じがしていました。これ以上だったら這い上がれません」
「そんな風に思っていたのか? じゃ、今度は尻たたきだな」
「それはセクハラ・パワハラです」
と言うと、ジュン川口は笑っていた。
「それで、これなんですが娘さんに渡したくて、ずっと持っていたんです」
と言って、ぬいぐるみをレイア姫に渡した。彼女は満面の笑みで喜んでくれた。気になっていたことが解決した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます