第2話 桃佳ヨーロッパに渡る
3月初め、私はヨーロッパに向かった。やっと行けるという思いが強かった。1月からオンラインでの講義があり、夕方5時から8時まではパソコンとにらめっこの日々だった。この時間はちょうどヨーロッパの9時から12時にあたる。
5時からは英会話。6時からはメカの講義。7時からは世界のサーキットの攻略法の講座。10分間ずつの休憩はあるが、夕食をとる時間は終わってからとなっていた。それも宿題や予習で夜中の12時になることがほとんどだった。なにせ、テキストは全て英語だ。メカのテキストは事前に訳しておかないとチンプンカンプンだ。それ以上に大変だったのは、毎時間最初にする小テストだ。わずか5問ずつだが、ポイントのチェックがある。それに落第すると補講が待っている。補講は土曜日にある。補講でも落第すると、放校になるという。幸いに私は補講にひっかかることはなかった。小テストは5問中3問正解で合格。3問正解というのは何回もあった。
それと、ビザの手続きが面倒くさかった。オーストリア大使館に行って、自分で手続きをしなければならず、ビザが決まった時は天国に登る気持ちだった。
渡欧費用は祖父が出してくれた。私が頼んだわけではないが、母が話をしてくれていたので、一度挨拶に行ったら、すんなり出してくれた。その時に、祖父から言われたのは
「ヨーロッパで暮らすというのは、並大抵ではない。まず水に気をつけろ。向こうの人が飲めても、日本人には合わないことが多い。なにせ、もとは氷河の水だからな。石灰分が多い。高くてもミネラルウォーターを飲め。それも軟水のやつな。オレはベルギー産のスパという銘柄をよく飲んでいた。それと、食事は向こうのものに慣れろ。特にチーズなどの乳製品は好き嫌いなく食べろ。避けていると太陽アレルギーになるぞ。郷に入っては郷に従えだ」
「太陽アレルギーって?」
「紫外線をあびると体中がかゆくなる病気だ。冬場、太陽の光が弱いので皮膚が弱くなるんだよ。ほらヨーロッパの人って、公園で日向ぼっこをしているじゃないか。あれは太陽アレルギーにならないためだよ」
「へぇー、そうなんだ。おじいちゃんってよく知っているね」
「そのおじいちゃんっていう言い方なんとかならない? 慣れていないんだよな」
孫は私と妹だけなので、ふだんおじいちゃんと呼ばれていないので恥ずかしいらしい。
「それとレイア姫にお土産をもっていってな」
「レイア姫? スターウォーズの?」
「違う、違う。ジュンくんの娘の名前だよ。今年で6才かな。かわいい女の子だよ」
ということで、日本で流行っているプチカワのキャラクターのぬいぐるみを荷物の中に入れておいた。
ミュンヘン行きの日系A航空に乗る。最後尾の席は2人席だったが、隣にはだれも来なかった。それで、広々と使えることができた。CAさんに
「初めて国際線に乗りました」
と言うと、何かと声をかけてくれた。後部デッキにはおやつがおいてあり、バナナや菓子を食べることができるのも教えてもらえた。それで14時間の旅もあっという間だった。
夜7時にミュンヘンに到着。そこにチームのマネージャーが迎えに来てくれていた。紙のボードに「MOMOKA」と書いてある。そこで、
「Hello 、My name is Momoka Itoh . 」
(こんにちは、伊藤桃佳です)
と言うと、
「Welcome to Europe . My name is Kenny Scot . I am a manager of Haintz Academy . 」
(ようこそヨーロッパへ。私はケニー、スコットです。ハインツアカデミーのマネージャーです)
と言って、荷物を持ってくれ、クルマに案内してくれた。ハインツアカデミーとはGrokken ジュニアチームの母体である。このアカデミーでいい成績を残せた者がレースに参加できるのである。
ドイツからオーストリアに入る。初の国境越えだ。でも、検問も何もない。どちらもEU加盟国なのでチェックはない。EU諸国以外のクルマはチェックがあるそうだ。2時間で寮についた。あいさつは明日ということで、部屋に入った。細長い部屋で広さは6畳程度。テーブルとベッドがあるシンプルな部屋だ。トイレとシャワールームがいっしょだ。バスルームは別にあるらしい。
窓からの眺めは真っ暗でよくわからなかった。
翌朝7時に起床。朝の支度をして、8時に朝食会場へ。大きなフードコートだ。寮にはアカデミーの生徒だけでなく、KT社の社員もいる。「Morning」や「Morgen」と言った英語や独語の挨拶がとびかっている。私も
「Good morning 」を連発していた。自分が食べたい物を皿にとり、テーブルで食べる。どこに座ってもOKみたいなので、はじの方に座って食べた。なんか心細い。周りの様子を見て、だれがアカデミーの生徒なのかを見極めようとしたが、社員なのか生徒か分からない人が多かった。独身寮だから無理もない。
食事は、いたってシンプルだ。ハムとチーズ、それにスクランブルエッグだ。クロワッサンがおいしい。カフェオレも口に合う。それにプロティンも飲むことにした。こっちはちょっとエグい。
9時に指定の会議室に行く。そこに座っていると、アカデミーの生徒らしい人たちが続々と入室してきた。オンライン授業で、画面の片隅に映っていた顔である。すると若いアジア系の男性が声をかけてきた。
「Are you Ms. Momoka ?」(桃佳さんですか?)
と聞いてきた。
「Yes .」(はい)
と応えると、
「I am David Tomyan . My country is Thailand . 」
(デビッド トムヤンです。タイ出身です)
と言ってきた。そして、室内にいるメンバーの紹介を始めた。だが、早口でよく聞き取れなかった。でも、最後の
「 She is Mami Yonetani . Japanese . 」
(彼女は米谷麻実、日本人です)
というのだけは理解できた。私以外にもう一人の日本人がいると聞いていたが、彼女のことらしい。米谷麻実という名は聞いたことがある。鈴鹿のローカルレースで活躍していたというのをバイク雑誌で見たことがある。
そうしているうちに、マネージャーのケニーがやってきて、私の紹介を始めた。
「This is Momoka Ito , who has been taking online lectures until now . You've all seen it online and know it . From today onwards , I am with you all . Thank you . Ms. Momoka please say something . 」
(今までオンラインで講義を受けていた伊藤桃佳さんです。日本人です。皆さんもオンラインの画面で見て知っていますよね。今日からは皆といっしょです。よろしくお願いします。桃佳さん、一言どうぞ)
と言われたので、立って挨拶をした。
「Nice to meet you . Finally I was able to come to Austria . Thank you . 」
(初めまして。伊藤桃佳です。やっとオーストリアに来ることができました。よろしくお願いします)
すると、皆から拍手がきた。仲間だが、ライバルでもある。心から拍手をしているとは思えなかったが、そこは紳士淑女の集まりである。いがみ合う場所ではない。
すぐに英会話の授業が始まった。講師はトム先生である。先週の講義の小テストから始まる。私は3問正解で何とかクリアできた。そして、今日の講義は、買い物のシミュレーションである。基本的な英会話だ。比較的すんなりすすんだ。
アカデミーのメンバーは次のとおりである。
デビッド・トムヤン タイ出身 19才
グエン・カーン ベトナム出身 18才
グラハム・レイク イギリス出身 18才
エイミー・リード アメリカ出身 18才
フランク・オットー ドイツ出身 18才
マック・ショルツ オーストリア出身 18才
米谷麻実 日本出身 18才
リック・シン インド出身 17才
コーエン・モリー トルコ出身 16才
そして私、伊藤桃佳の10人である。いずれも各国の国内レースで実績があり、主宰のジュン川口が才能を見込んだメンバーである。女性はエイミーと米谷と私。女性だからと言って特別待遇はない。着替えとかは別室だが・・・。
2校時はメカの講義。これまた小テスト。先週はプラグの講義だった。これまた3問正解で通過。今週は、オイルに関する講義だ。基本的なことなので難しいことではないが、英語の単語が厳しい。だが、専門用語なので苦労しているのは皆同じのようだ。
3校時は、サーキットの攻略法だ。今月末にポルトガル・アルガルベサーキットでレースがあるので、そのサーキットの対策だ。ラインどりのチェックがあったが、これは全問正解だった。
昼食時、皆でフードコートに行く。フレンチ・イタリアン・中華のコーナーがある。私はイタリアンのコーナーでパスタ中心のランチをとった。座席に着くと、隣に米谷麻実がやってきた。
「ここ、いい?」
「どうぞ」
「久しぶりに日本語で会話できるわ。ジュンさんと会っても英語で話しかけてくるから日本語に飢えていたんだよね」
「1月から来られていたんですか?」
「そうよ。中途半端は嫌いだから」
「高校はどうしたんですか?」
「きっぱりやめたわ。レーサーになるのに学歴は必要ないもの」
「よく親が許したわね」
「親は関係ないわ。私の人生だもの」
「そこまで思えるなんて、すごいわね」
「18にもなって、親の言うとおりにしている方がおかしいんじゃないの」
その後、沈黙の時間が続いた。
食べ終わってから、米谷が一言
「せいぜい頑張ってね。私は負けないから」
と言い放って自室にもどっていった。ライバル心丸出しである。
午後は実習である。
4校時は、メカの実習。チームのメカについて手伝いをしながらマシンの調整を行う。私はエイミーと組んで、メカのジムについた。オーバーホールをしているので、マシン油でみがくのが中心だった。エイミーはよく笑う女の子だ。気が合いそうだった。
5校時はシミュレーションマシンでサーキットの攻略である。ゲームセンターにあるようなマシンのまわりに3面のモニターがあり、サーキットの画像が出てくる。ヘルメットをかぶってマシンに乗る。風まで吹いてくる本格的なシミュレーションマシンである。5台しかないので、交代で乗る。エイミーと組んだが、何度かやっているというので、私より1秒速いタイムを残していた。それでも
「 It's amazing that you can drop by just one seccond the first time you do it . 」
(はじめてやって1秒落ちはすごいわよ。うかうかしてられないわね)
と言ってくれた。
5時にレッスン終了。夕食は6時からなので、ケニーから校長室に来るように言われた。そこで校長室に出向いた。
入室すると
「 Welcome , you finally made it . How was your day today ? 」
(ようこそ、やっと来れたね。今日一日どうだった?)
と案の定、英語で話しかけられた。
「 I'm tired . But , the simulation machine was fun . 」
(疲れました。でも、シミュレーションマシンは楽しかったです)
「 You truly are the poster child for racing . I received an e-mail from Mr Shinji . There will be no special treatment , and I replied " Yes ," he asked me to be extra strict . 」
(さすがレースの申し子だね。眞二さんからメールが来ていたよ。特別扱いはしません。と返信したら、特別に厳しくしてくださいだってさ)
「 Please don't tell anyone about my grandpa . I don't want to be looked at in a special way . 」
(おじいちゃんのことは皆に言わないでください。特別な目で見られたくないので)
「 I guess so . Let's keep it a secret . Please let me know if you have any problems . 」
(そうだろうね。内緒にしておこう。何か困ったことがあったらいつでも言ってください)
「 Thank you very much . 」
(ありがとうございます)
と言って、校長室を後にした。その様子を見ている者がいた。エイミーである。校長室に呼ばれたということを聞いて気になったようである。私はそのことを後で知ることになる。
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